ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

若かりし頃・・・

2007-08-30 13:54:16 | 呟き
本棚をぼんやり見てたら、こんなものを見つけた。
壬生寺ノートである。(一部、戒光寺ノートを含む)

ぅわ~!ぅわ~!!ぅわ~!!!
懐かしい!

新撰組が好きで好きで、学校をそっちのけで毎日でも京都に通ってた頃の産物ですな。
まぁ、今でも好きなんだけど、当時のような熱苦しいまでの思いは無いな(笑)
まったり、のんびりって感じ。

中を読んでいると、面白い~
すっごく大人で、いろいろ相談に乗ってくれてた人とか、間違いなく、今のオイラはその人の歳を越えているだろうなぁ。。。
いつも情報を交換し合ってたノート友達とか。当時のメンバー、元気かなぁ。。。
っちゅーか、みんな嫁に行ったり嫁もらったりしてるんだろうなぁ。。。
当時のオイラはすげー筆まめで、住所のわかる人には年賀状や暑中見舞いを送ってるし~。(今ではありえない・・・)
書いている文章も、すごく若い(笑)でも、今よりだいぶん賢い(爆)

修学旅行生や、会社を休んでお参りしている人もいる。
若者に対して期待をしてなかったけれど、これだけの熱があるなら若者も捨てたもんじゃないないな、なんて言ってくれてる通りすがりのおじさんとか(笑)
当時有名だった壬生寺おじさんの話題なんかも笑える!私はこの壬生寺おじさんに1回しか会った事が無いんだけれど。あぁ、おじさんにもらった誠の旗はどこへやってしまったんだろう。。。
M.O.P.もHAPPY MAN全盛期だし~♪ちょうどエンジェル・アイズの初演のこととか書いてるし(笑)タイムリーだわ。
どれもこれも楽しい思い出だなぁ。


オイラ自身が置いた壬生寺ノートは計7冊だった。(5冊目はなぜか5と2分の1冊目のノートがあるので、ナンバリングは6冊なんだけど、実質7冊なのですね)
1冊目と2冊目は盗られてなくなったんだよね。だから、手元にない。
3冊目~6冊目までが手元にあってほとんど終わりのページまで書いてあるのは1冊だけ。あとは、雨でがぴがぴになったり分解したりで、途中で回収してるんだよね~。
今でも壬生寺ノートは健在なんだろうか。
近藤さんの胸像の周りに建物が出来てからは行ってないんだよね。

壬生寺も今ではすっかり様変わりしちゃってるけれど、久々に「新撰組の旗は行く」でも歌いながら壬生寺に行ってみるかな(笑)
・・・あ、そーいや、この近くに誰か住んでたな(っぷ)




~新撰組の旗は行く~

花の吹雪か 血の雨か 今宵白刃に 散るは何 「誠」一字に 命をかけて 新撰組は 剣を執る 「誠」一字に 命をかけて 新撰組は 剣を執る

三つ葉葵に 吹く嵐 うけてたつのも 武士の意地 加茂の千鳥よ 心があらば 新撰組の 意気に泣け 加茂の千鳥よ 心があらば 新撰組の 意気に泣け

明日はこの身が 散らば散れ 燃える命に 悔いはない 月に雄叫び 血刀かざし 新撰組の 旗は行く 月に雄叫び 血刀かざし 新撰組の 旗は行く

(作詞:高橋掬太郎・作曲:渡辺岳夫・唄:春日八郎)




最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お返事3 (ひー)
2007-08-31 16:05:36
>もぼさん
え?もぼさんって、学生時代に何度も壬生にいらしてるイメージが・・・行かれてなかったんですね。
当時の書き込みを読んでいると、地下鉄でマキノさんをみた情報とか、面白ネタがあります。
黒手組さんとか今はどうされているんでしょう?ね。
今でも喫茶店とかペンションなんかにノート置かれているところありますよね^^

2tトラックで霊山・・・なんかすごい光景ですねぇ(笑)
あそこは志士の溜まり場ですから、やっぱりお参りしてから舞台に立たないと、ですよね^^
返信する
へ~ (もぼ)
2007-08-31 11:18:12
 そんなノートがあったとは、寡聞にして知りませんでした! ネットの個人掲示板・ブログのコメント欄の元祖みたいなもんですよね。でも、ノートのほうが情緒ありますね。フォークソングの歌詞とかに出てきそうで。
 壬生寺は、5年前に初めて行ったなあ。霊山はMOPメンバーも『HAPPY MAN』のころよく行ったりして馴染みだったんですが(行きやすい場所だったし)。東京で『HAPPY MAN』やる直前、三上さん&木下と一緒に、荷物搬送用の2トントラックレンタカーに乗って霊山詣でをした記憶があります。
返信する
お返事2 (ひー)
2007-08-31 09:29:11
>itaitaさん
そーですね^^近所の小学生の「○○くんと両思いになれます様に」なんてお願いもかかれてましたが(笑)←壬生塚でお願いしてもご利益はなさそうだが・・・なにせ、鴨さんたちのお墓もあるしねぇ。ともかく思い出深いです☆
表紙のお目汚しはオイラが書きました。当時はノートがたくさんあったので、自分のノートがすぐわかるように目印代わりですね。
壬生で隊士の格好の人がいたとなると・・・何処かのファンの会合のあった日ですね。土方の命日とか総ちゃんの命日とか池田屋の頃にはそういった会合が多いみたいですよ^^(総ちゃんの命日には光縁寺さんで沖田総司忌がありますからね。)
返信する
ノート (itaita)
2007-08-30 22:13:46
思い出がいっぱい詰まったノートだね
それから、表紙のイラストはひーさんが描いたの?
うまい!上手!

壬生寺には3年前かな?行きました~。
観光客が多いのね?って、私たちも観光客だったわけだけど
その時、お寺周辺で新撰組の格好をしたお兄ちゃんたちが歩いていて、一緒に写真とってもらったよ。
長女なんて、刀を持たせてもらってた。(もちろん嘘物)でもね・・なんだかとっても弱そうな新撰組だったわ
返信する
お返事 (ひー)
2007-08-30 17:26:59
>空くん
壬生寺の近くに住んでる「誰か」さんはたぶん元気よー。多少の呆けはあるかもしれないけれど、すぐ博多も始まるしね(笑)
当時の友達は、もう連絡先もわからないよ^^;ノートに書いてくれてる住所もきっともうあてにならないと思うし。でも、こういった出会いって、こんな感じで霧散していくんだわよ。きっと。たまに思い出してしみじみ「楽しかったなぁ」って思うんだと思うわ。
返信する
元気だろうか ()
2007-08-30 14:30:38
その「誰か」は元気だろうか。。。
時々「元気かな~」とは思うけど、「元気やわ、きっと」と思い連絡もしてない(笑)
返信する

コメントを投稿