ぶつぶつ地蔵

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客家

2012-12-11 16:40:40 | 舞台関係
そ〜なんです。
観劇レポがガンガン溜まっているので、サクサクと消化しなければ^^;


11月23日は客家を観劇。

中国、宋の時代に実際にいた文天祥。そしてその妹(架空か?)空祥を主人公にしたお話です。

中国の激動の転機の折、その影に陽向に客家の存在が指摘されています。
文天祥の生まれた客家とはどういった民族か。
中原を祖とする生粋の漢民族。戦いを好まず、攻め込まれた時に中原を去りながらも、転地しながらいつか中原に戻ることを志としている民族。
転地を繰り返すことから、その先々の土地の民族から「客=よそ者」とみなされているため「客家」と呼ばれるようになった。

この話は天祥と空祥を主人公にしながらも、この二人にあまり主人公らしさを感じませんでした。むしろすべての人にスポットが当たっている感じ。
人を描くとこで一番描きたかったものは「客家」そのものだったのではないかと思いました。

この手のお話は大好物なオイラです。ものっそご楽しく観劇致しました。
個人的に一番のお気に入りは理宗皇帝様@坂ケンさん*^^*
もうメロメロ(←死語)でしたね♪理宗様をガッツリ調べましたよ(爆)
トークショーでも坂ケンさんがおっしゃってましたが、文献上の理宗様は・・・皇太子に擁立された時点から、朝廷は史弥遠(しびえん)の独裁でした。(史弥遠が理宗を擁立したんだけれど。)史弥遠の独裁時代は文治政治を重んじ、宋の国力が低下し南宋滅亡の遠因を作った時代とも言われています。理宗様はそういった宋を引き継いでしまった訳なのです。決して理宗様一代で宋が傾いたのではありません。史弥遠の死後はお芝居にも出てきた賈似道(かじどう)が実権を握ります。
理宗様は朱子学を重んじ、朱子学者を多く登用した政治改革を図りますが、結局失敗。その後、政治に対する関心を失い放蕩生活をするようになります。
因に、朱子学に傾倒されていたことから、廟号(諡とは違います)に「理」を用いたそうです。更に蛇足ながら、理宗とは生前のお名前ではなく廟号というお墓につける名前なんだそうな。諡はもっと長ったらしい名前でしたよ。←書かずに済ますやつ^^;本名は趙さんでした。
60歳で崩御されますが、お子様は公主のみだったので甥を養子に迎え宋は続いていきます。実際の宋は、理宗様から2代後の恭帝で実質的な滅亡をします。更に9代の祥興帝の入水にて完全に滅亡するのです。この祥興帝は趙昺というお名前な上、兄の端宗と共に文天祥ら残党勢力と共に逃げ落ちます。この子が物語の中の「ヘイ」でしょう。入水した年齢は8歳です。このあたりは、客家の宋滅亡の部分とリンクしますね~。
んが!
調べたところ、祥興帝は1271年誕生なので1264年に崩御した理宗様とは面識がありません。あんな風に抱っこしてもらえてないはずですね。
史実ではちょっと情けない皇帝でしたが、物語の中では思想をしっかり持った皇帝として演じられていました。(歴史的影響力は史実通りありませんでしたが^^;)
理宗様の歌が本当によく伸びて良かったですよね~。CD出して欲しいです。

客家全体を通して、背景の龍と舞台とが呼応していた気がします。
ライトの当たり具合であの龍のウロコがキラキラと輝き、宮廷内の龍の彫刻としてだけでなく、宋という国そのものであったり、皇帝の象徴となったり、天祥・空祥の化身となったり様々な見え方がした気がします。
あの龍のウロコ部分はすりガラスのような魚子地のような感じになっていて、パッと見た時には燻のように見えるんですが、光の角度が変わるとキラキラ輝いて龍が生きているかのようにと感じさせてくれました。すごいなーーーーー。

さて、理宗様ばかりを調べたのではありません。
意外だったのが賈似道です。この物語の中同様、もちろん文献にも皇帝の寵愛を傘に専横を行っていたと書かれている上、宋の4悪人の一人だとか奸臣伝に載っちゃうとか、ほとほと評判の悪い賈似道ですが、実は非常に切れる人で、政治的手腕は非常に高かったようです。
史弥遠の政治は宋を滅亡へと追い込みましたが、賈似道は宋の滅亡を遅らせたとも言われています。ちゃんとそういう政策もしてたんですね。我欲は強かったけれど、政治家として素晴らしい一面もあったわけです。
クビライは投降する宋の兵士に「何故、こうも容易く降伏するのか」と尋ねたところ「賈似道があまりにも自分たちを軽んじるからだ」と答えたのに対し、「お前を軽んじたのは賈似道であって宋の皇帝ではない。なのに宋の皇帝に忠誠を尽くさないお前たちを賈似道が軽んじるのは当たり前だ」と言ったのだとか。
コウロギ相撲が大好きで、コウロギの育て方の本まで書いちゃう賈似道。
どこまで貫くものがあったのかはわかりませんが、賈似道は今さんの姿で浮かんでくるので、敵キャラとは言え憎めないんですよねぇ。

そして伊礼くんの演じたクビライ@伯顔(バヤン)。
クビライという人は本当にうまく国を纏めていたんだと。ウィキしか読んでませんが思いますね。
国を治める。それはどう治めるのか。
全てを排除して治めるのか、今までのあり方を認めてその上から治めるのか。
クビライは後者で、降伏するものを殺さず生かして治める方法をとったわけです。
この考えを真っ直ぐそのまま実践したのがバヤンって感じでした。
なので、客家の物語の中でクビライがバヤンだと名乗るのはある意味自然なのかも・・・とか思いました。
クビライはチンギス・ハーンの4男であるトルイの次男だったわけですから、カーンの位置からは遠い存在であったようです。青年期の記録もほとんどないそうです。
どういういきさつかわからないのですが、1251年に兄がカーンの地位につきます。
宋への進軍に慎重派のクビライに対し、実兄であるカーンは不満を募らせ自軍を出陣させます。その途中、カーンは病に倒れ命を落としてしまう。そうしてクビライが弟たちを抑えカーンとなるわけです。
物語では客家の教えと触れ合うことで、その生き方を見つめ直したとなってますが、実際はカーンの地位を巡る同族内の対立などが影響しているのかもしれませんね。
そう言ったドロドロっとしたこととか、潔い部分なんかをうまく客家の民と絡ませ対比させていたように思います。
客家の民を風とするなら、クビライは土って感じでしょうか。(わかります?このイメージ^^;)
文天祥の才能を惜しんだクビライは、彼を殺すことができず何度も獄中に自分の元に降らないかと使いを送る。
しかし最後まで天祥は首を縦に降ることはなかった。

史実が絡んでいる分、むつかしい部分もたくさんあったんですが、何度も書きますが個人的にはめっちゃ面白かったです。

そして物語を貫いているテーマは、天祥が歌った正気の歌の「正気」ではないかと思います。
ものっそ簡単に要約すると、正気とは「正しくあるべき姿」ということだと思います。それは多分、時代を貫き、自分を貫くもの。
あるべきところへ時間をかけてもそれは戻っていくのだと。


ラストはすっごく楽しいデイヴィッドと会長の掛け合い。
「デイヴィッドのDではなく、ダンデライオンのDなんですよ」
大空を超えてそれぞれの地で小さな花を咲かせる。でもその根は真っ直ぐ深く大地につながっている。




国が栄えて国が衰退する。
南宋・金から大元へと国は変わる。
クビライが築いた帝国は、241年後、クビライの子孫が絶えることで終焉を迎える。
そうして国は明へと移っていくのでありました。













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↑頼朝に責め滅ぼされた義経は、海を渡り彼の地でチンギスハーンになったという。そのチンギスハーンの末裔は、客家の風に乗り海をわたって新たな地で小さな黄色い花を咲かせた。歴史も伝説もくるくる回ってるなぁ。。。なんて思うオイラでありまする。ポチよろしく☆

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