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ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

コメント大歓迎!BUT訳の解らない書き込みはザクザク消しますッス!

2013GW奇譚 その6 楽

2013-06-18 16:18:50 | 好き・応援
6月も半ば過ぎようというのに、未だにGWネタを引きずっている・・・うきゃー^^;
だって、これは書きたかったんだもーん。っつーことで、ひとまず書く。


5月5日は誰もが知っている「こどもの日」。
この日は既に恒例となった「アンサンブル☆ベガ こどもの日スペシャル」を聴きに、姪っ子と姉と共に西宮は兵庫県立文化芸術センターへ行くのであります。(今年で6回目の参加です)
某教育番組で放送されていた「クインテッド」で有名な宮川彬良さんが率いるアンサンブル☆ベガが、子供達の為に楽曲を組んだコンサートなのです。

開演前に、楽器を体験できる「音の動物園」があるのです。
姪っ子はこれが楽しみなようで。

去年は音楽の始まりは鼓動と同じ2拍子。ワンツーワンツーのリズムがテーマでしたが、今年は音楽の広がりは平行に進むワンツーの2拍子に高さを加えた、3拍子であるってことがテーマでした。
彬良さんの解説を聞いたあとに演奏を聞くと、本当にわかりやすくって。めっちゃ楽しめます。
姪っ子も、初めて行ったときはクインテッドの彬良さんを「見る」のが楽しかったのが、今ではその説明も含めて楽しんでいるように思います。
こーして、親も子もオヴァカも例年通り、アン☆ベガを堪能(・∀・)


オイラはここから別行動で、ぎゅいーんと移動。

どこへ?

むふ。

ここへ。

この真ん中に小さくいらっさるのは、玄奘三蔵役の東儀さんです。

そう、日中の行事は無理でしたが、夜の行事に参加するべく薬師寺の玄奘三蔵会に行ったのであります。

夜の行事も既に始まっているにもかかわらず、なんとありがたいことに、入堂券も滑り込みで1枚GET。(本来は昼間に引換えておかなければいけないものでした。)
しばらく外から眺めていたのですが、意を決し、混みこみではありますし立ち見ですが、お堂の中に入らせていただきました♪
(夜の奉納は、奉賛会の方のみ堂内へ入れます。一般の方は外から見ることができます。)

小林澤應師の声が響いております。
ええ声ですなぁ。うっとりです。

三蔵法師の不東の旅の物語の奉納。
東儀さんの篳篥の演奏もあり、いつもとはまた違った演出でした。
しかもアンコールまであったんだよ~^^
篳篥は三管の中で人の声を表すとされる楽器。
あの演奏は、玄奘三蔵の仏への帰依の心であり祈りであったのかもしれませんね。

法要が終わってしばらくすると、三蔵が灯明を持って玄奘三蔵伽藍から出ていらっしゃいます。

灯明を分けていただいて、伽藍の中と外とにある台に献燈するのです。
 
日が落ちて逢魔ヶ刻の境内に、一つ、また一つと、灯りが点っていきます。

暗闇の明かりもきれいだけれど、この時間の明かりも好き♪

オイラは奉賛会に入っているので、お弁当を慈恩殿にていただく。

じゃじゃーん。

綺麗なちらし寿司です*^^*
毎度、美味しいお食事を有難うございます。

食事を終えて外に出ると、とっぷり暗くなっておりました。

もう一度玄奘三蔵伽藍にお参りに入ります。

西域壁画殿の扉が放たれ、天山山脈と紺碧の空が見えます。

そして西域壁画殿から玄奘塔を見ると。。。

見えるかな~。
シルエットですが、玄奘三蔵様のお背中を拝むことができました。


兵庫から奈良へと大移動ではありましたが、耳に目に心にたくさんの幸せが舞い込んだ一日。

人々の祈りの灯りに見送られて、オイラのGWは終わったのでした。










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言わずにはいられない!

2013-06-03 12:41:26 | 好き・応援
廣田くんのHPがオープンしました!

その名も「廣田一成公式ホームページ」

・・・・って、マンマやんけ!(笑)

でもいいの。
久々に廣田くんの活動が見られるのが嬉しい(*≧∀≦*)♪


いや~。可愛いからカッコイイを経由して、今や素敵~な廣田くん。(←表現力の無さよ・・・^^;)
動画もアップされてて、動く廣田くんにブラボーです。
しかも、柔らかい雰囲気が感じられるのが嬉しいですね。
っつか、オイラ、廣田くんとはお会いしたことないので、どんな方は存じ上げないんですが・・・ネットで何度か受け答えしてくださった感じでは、真面目そうな気がします。(←当たり前ダロ!)


武術教室、一度は体験してみたいかも・・・と思いつつも、名古屋・東京では行けないしなぁ。。。
っつか、体まったく動かないんだけど^^;
それでもいいって書いてるから、行ってみたいんだよね。遠いから無理だけど。(←そんな理由を見つけて行かないだけかもしれん・・・観劇だったら行ってるんだもんなぁ)


ま、そんなオイラの事情はさておき、廣田くんの今後を応援しつつ、HPを見守りたいと思います!










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吉野杉透かし彫り展

2013-04-08 11:34:19 | 好き・応援
ワタクシのここ数年のイチオシ作家さんである、サンドブラストアートの中瀬さんが個展を開かれました。
本当なら告知してたくさんの方に見ていただきたかったんですが・・・日程は早くにわかっていたんですけれど、中瀬さんからの案内のハガキがギリだったのでなし崩しになっちゃったのでした(爆)
案内がギリってまるで来野先生みたい^^;(先生の場合、既に始まってからってのも多かったですが)



場所は箕面にほど近い牧落という駅から徒歩5分ほどの、閑静な住宅街に佇むギャラリー天善堂さんというところ。
初めて行ったんですが、迷子王のオイラでも迷うことなくたどり着けました。

古民家をギャラリーにしていて、調度品などもオーナーが集めたものなんだそう。

日頃は百貨店での展示なので、生活の間に置かれた中瀬さんの作品はいつもと違った表情を見せてくれてました。
特にお庭からの自然光を受けた木目の陰影は、ライティングとはまた違った趣があると思うんですが、思い込みすぎかな(笑)

個人的に気に入ったのが、床の間の波型の鏡の前に置かれた灯り。
中瀬さんの作品は、吉野杉の年輪を生かした作品なので、どちらかというと彩色されたもののようなプラスの作品ではなく、削ぎ落として美しさを引き出すイメージなんです。
使われている灯りの色も、白ではなく蝋燭の炎を思い出させる薄黄色を選ばれています。
文様のデザインなどからも和の落ち着いた印象を受けるのですが、このお床に置かれた組み合わせは、昼間の光を鏡が受けてキラキラっと明るい光を放っていたんですよね。
うまい表現ではないけれど、ヴェルサイユのガラスの間のような華やかさです。
中瀬さんの作品を固定観念で見てたなぁって気づいて、斬新でした。そして、めっちゃ綺麗でした。
もちろん、いつものおっとりした古風な見せ方も大好きですが♪

中瀬さんとお話していると、ギャラリーの方がお茶を出してくださいました。

体調が万全ではなかったので、珈琲ではなく紅茶を頂いたんですが・・・さくらんぼの紅茶で非常に美味しいでした。
生チョコも添えられてましたのよ。

しばし、作品や工房のお話なんぞをさせて頂きました。


ギャラリーの中はこんな感じ。
(ちなみに、ピンクい人が中瀬さん・笑)

ゆっくり作品とお茶を堪能させていただいた頃、次のお客様が入ってこられました。
どうやら中瀬さんのお友達のようです。

頃合かな、と、オイラはお暇したのでございました。


来年の秋頃に、またこのギャラリーで個展を開かれる予定だそうです。
次回は・・・告知できるかな~(笑)








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正倉院見学会 その2 屋根編

2013-03-19 10:09:49 | 好き・応援
さて、更に上に登ると屋根の足場へとたどり着きます。

瓦がすべて下ろされ、身軽な感じの屋根。



北倉部分から見えた垂木の見える天窓状態の部分。上から見ると、屋根の層がわかるようになっています。


屋根を構成する部材の名前のほとんどは知らないんですが、野地板などは仕事でちょくちょく見かけるので「なるほど、こういうものか」って気持ちで見ちゃいますね。


展示コーナーに、実際に乗っていた瓦が展示されています。

ずらっと年代順に並んでおります。


こちらは創建当初の瓦。布地の跡や縄の跡が残っていて、造り方を今に伝えています。
全部で800枚ほど残っていたそうです。今回の修復の後、屋根に戻されるのはその中でも250枚ほどだそうです。
南側の条件の良いところに並べられるそうなので、工事が終わったらあの辺かな~とか言いながら屋根を見るのも楽しいかもしれません。


こちらは非常に条件の良い状態で残っていた鎌倉時代の平瓦。
唐草に縁どられた東大寺の文字。
この写真では見えにくいんですが、右から大東寺(写真通りの並びだと「寺東大」)と文字が並んでいます。(一文字づつでも縦書きなので、右から読むんですよ)
これはオイラの仮説ですが、丸瓦に東大寺の文字が入る場合、

  東
 寺 大

の形で丸の中に入ります。
平瓦にした時、至極素直に「ギュッ」と平べったくしたのではないでしょうか。
  東
  ↓   → 寺東大
 寺 大
こんな感じで、東がそのまま下に押されたって感じかな。違うかな(笑)


丸瓦も三つ巴紋だったり、連珠紋に東大寺の文字であったり正倉院の文字だけだったり、時代によって様々です。
平瓦も唐草があったりなくなったり・・その時代を反映しているようです。

鎌倉期にも大きな修復があったらしく、先ほど書いたように鎌倉時代の瓦は多く残っているそうです。しかも非常に良い作りなんだとか。
それに比べ、江戸時代の瓦は量産にありがちな質のよくない瓦なんですって。やっぱり江戸時代ダメだなぁ(苦笑)

今回の修復で乗せられる新しい瓦(約7~8割は新しくなるそう)は、東大寺さんの敷地から発掘された創建当初のものと思われる瓦を元に復元した、蓮弁の丸瓦と唐草の平瓦です。ちょっとゴテゴテっとしている感もありますが、風雪を凌いで時代が過ぎると、きっと今見る室町や鎌倉の瓦のような生々しさのとれた姿になるんでしょうね。


さて、瓦を説明してくれていたお兄さんをおばちゃんたちに乗っ取られたので(笑)屋根をぐるりと回ることに。

野地板の上に土居葺という、屋根全面に見えている薄い板があるんですが、これって大正の大修理の時に施されたものらしい。
土居葺を施してから土を乗せて瓦を葺くことで、垂木や野地板への負担が軽減し雨漏りなども少なくなるんだそうです。お茶室の屋根などに葺かれているんだって。
この他にも、屋根を支える小屋組(だったと思う)の方法が、大正の大工事の時に洋風に替えられたんだとか。それまでの組み方では、どうにも屋根が支えきれなかったらしい。(つっかえ棒をしてたんだよ)
今後の研究で、いつか創建当初の組み方に戻ることもあるっておっしゃってました。
そうそう、余談ですが南倉・中倉・北倉と内部は壁で仕切られておりますが、小屋裏は3倉がつながっているとのこと。ひとつの屋根を3倉に掛けているからでしょうか。質問しておけばよかった!!


綺麗な板は今回の修復でなおされた部分、鄙びた色は大正のお仕事。
修復って、今と昔が共存してて面白いですね。


垂木の中にも、綺麗な角ばった垂木と、角がとれて丸まってきている朽ちた垂木とあります。
使える木材を最大限に使い、どうにも使えない部分のみ新しいもので補う。これが修復です。


瓦を葺いたらこんな感じ。


棟部分に輪のついた避雷針のようなモノが幾つかあります。
「あれはなんですか?」と訊ねると、「昔の人が屋根に登った時に、命綱を繋ぐところです。瓦を乗せると輪っか出る程度で隠れてしまいますね。」とのこと。

今は立派な、200人程が乗っても大丈夫な丈夫な足場があるけれど、少し前までは命懸けのお仕事だったんだなぁと改めて感じた瞬間でした。


早めの時間をチョイスしたからか、人もまばらでゆっくりと、一時間以上正倉院の姿を堪能させて頂きました。

こんな素晴らしい技術の集大成が今日に残っているって、本当にすごいことだと思います。
今から見ると残念な修復ももちろんあるそうですが、それさえも打ち捨てていなかった証なのです。
日本は木の文化ですから、「残そう」「守ろう」という気持ちが働かないとこういった建物は残りません。
単なる美術的価値や技術の伝承ということだけでなく、人々の想いがあってこその遺産なのだなとつくづく思うのであります。


こーして、ゆかちゃんとテンションMAXで正倉院をあとにしたのでありました。


その3 お食事からフィニッシュ編へ続く












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正倉院見学会 その1 本体編

2013-03-18 15:11:57 | 好き・応援
天平・校倉といえば、正倉院。
日本人なら一度は聞いたことがある有名な倉。

現在正倉院正倉では、屋根の葺き替えを主とする大整備工事が行われております。
有り難ことに、この工事の足場を利用して現場の公開をして下さいました。
オイラが行ったのは、第一回第二回に引き続き行われた第三回目。

事前に公開日と時間割が発表されているので、その中から希望の日時を第一希望、第二希望と書き込み、参加者の住所氏名と共に宮内庁へ申し込みます。
オイラはお友達のゆかちゃんと申し込みを致しました。
第一希望の3月16日10:00~の見学です。

ここ数日不安定だったお天気とは裏腹に、とても穏やかなポカポカの陽気。
ゆかちゃんもオイラもウキウキで奈良へと乗り込んだのであります。

正倉院なんて、ン十年行ってません。場所もちゃんと覚えていなかったので、地図をちゃんと持って行きました(笑)

特に大きく迷うこともなく、10:15頃無事に到着。
身分証明書と参加証を受付に提示し、早速見学です。

門の中に入ると、宮内庁警察の方々ががっちり警護しております。
ネーミングだけで「かっちょいぃ~」とテンションの上がるゆかちゃんとオイラ。
好き好きポイントが似ているのであります(笑)


豪気なことに、正倉院見学では三脚を使わなければ写真撮影がOKなのであります。
しかもいたる所に係りの方がいらっしゃるので、オイラのようなおしゃべりさんは係りの方をとっ捕まえて、説明をガンガン乞う訳です。
旅の恥はかき捨てよ(苦笑)


まずは足元。束柱部分。
って、しまったことに束柱写してなかった~~~゜(゜´Д`゜)゜


こちらは束柱が見える位置から南倉の金物を写したもの。
台輪の先端部分と扉に金物がついています。
台輪の先端部は木材の保護のために付けられたと考えられますが、扉の方は飾りとして付けられたもののようです。
元々「倉」でありますから、装飾や彩色は全くなかったそうです。
扉の方は勅使の方を迎えるにあたって、飾りを施したのではないかとのこと。
この金物、江戸時代の修理で付けられたもので、非常に荒い仕事でイマイチなんだとか。
ところどころに見える白い点々は、大正期の修理の時に虫食いや隙間に詰め物をしたんだろうとのこと。
江戸時代の仕事はどうやらイマイチだったようです。ゆかちゃんとオイラの中で江戸時代の評価がダダ下がり(笑)

三角の角材を重ねた校倉造り。
隙間なくミッチリ重ねられているように見えますが、実は隙間がたくさんあって、通風に優れているんだそうです。
倉内に湿気た空気が停滞しないように、空気が流れるように造られている。
中に収められている宝物は生身でポンと置かれているのではなく、唐櫃に収められ、更に高価なものは漆の箱に納められて保管されておりました。
この唐櫃が優れもので、温度湿度共に通年、ほぼ一定の値を指しているそうなのです。(それは現在も同じなんだって!)
通気の良い倉に安定した空間を作り、宝物は保管されていたわけです。
奈良の時代の匠、スンバラ。


一階上に上がると、南倉・中倉・北倉のフロアです。
南倉の扉は閉じられております。

中倉の扉が開かれております。第一回、第二回の時は公開していなかったんだそうです。(北倉は扉の中を公開していたようです)

倉の中は1階二階屋根裏となっております。
1階部分は階高が低く、180cmほどでしょうか。


二階部分に上がる階段及び二階部分の手すりは、大正の大修理の時に付けられたものだそうです。
木の色が違うのでよくわかりますね。


屋根裏への吹抜け。
これは創建当初から吹き抜けだったそうです。


南倉と北倉は校倉造りですが、中倉は板張りなんですよ。
オイラ知らなかったので、目からウロコです。

作った年代が違うのかな?と思ったのですが、年輪年代法で調べたところ、南中北共に同時期の木材なんだそうです。このことから、それぞれの倉が別々に作られたのではなく、一気造られたことがわかります。
校倉である部分と板張りになっているのとは、意匠的にわざと違えたのかもしれませんね。


北倉の屋根は一部剥がして垂木が見えるようにしてあります。
天窓効果で、北倉の中は明るくて見えやすのです。


中倉では暗くて見えにくかった奥の壁の補強。
階段の奥に2本の柱が見えますね。これは大正の大修理の時に屋根を支えるためにいれた柱なんだそうです。


その柱を囲うようにコの字型に入っている真新しい木材が、今回補強された部分です。
コの字の角部分は、L型金具で留めてありました。


あ、この写真、L型金具がよく見えますね。
北倉の奥の壁は校倉作りの内側となります。三角の底辺が連なるので板張りのような見え方です。


北倉と中倉との間の壁を中層側から見ると、校倉のカクカク部分が見えるんです。
当たり前の事なんだけれど、こうやって直に見ると「そうなんだぁ~」と実感できて面白いですね。



北倉の角部分。
木組みがしっかり見えます。


ワタクシ、意外と三角が小さいことから、1本の木から2本くらい三角の材木を取るのかな~と思ったんですが、よくよくしっかり見てみると、年輪の中心がすべての木材にあります。
ということは、1本の木から1本の木材しか作り出していないってことですね。
しかも、中心の位置は木ごとに大きく違います。
どこが一番強いのか、ちゃんと考えられて三角に成形されてるのかなと思いました。


長くなってきたので、その2(屋根編)に続く。












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東西両塔特別公開

2013-02-08 13:47:14 | 好き・応援
2013年3月1日~3月20日まで、薬師寺さんにて「東西両塔特別公開」が行われます。

この度の解体大修理に伴う調査で、東塔の心柱最上部にて仏舎利が発見されました。
文書に残されている、玄奘三蔵が持ち帰ったお舎利と特徴が似ているというのも興味深いですね。
西塔には、修復を終えた四天王さんを安置。
東西両塔の初層内陣の公開であります。
日頃は扉を閉ざしている塔の内部をおまいり出来る訳です。それもパワーアップバージョンで(笑)

仏舎利は東塔の修復が終了するとまた、塔の心柱の最上部へ(たぶん)納められてしまうので、工事中の今が拝むチャンスであります!!
皆様、ぜひぜひおまいりくださいませ*^^*

ん?
オイラ?

もちろん行くさぁ~♪



チラシに「第一弾」と書かれているところを見ると、工事期間の間に何回かこういった公開行事が予定されているってことですね。
今後、どういった内容の公開をしていただけるのか。。。とっても楽しみであります。


ちなみに余談ですが、今回のこのチラシ・・・めっちゃ可愛いデザインですよね*^^*
ピンクを基調に、東塔の天井に描かれていた法想華をあしらって。。。めっちゃお気に入りなんですが♪
手持ちのチラシは三つ折の跡があるので、綺麗なチラシをGETしに、近々薬師寺さんへ行ってこようと思います(笑)









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最近ドラマを見ております

2012-12-04 21:15:48 | 好き・応援
仕事がアホほど忙しく時間外は常に5~80時間、下手すりゃ100時間以上って生活をながらく続けておりました。テレビはたいてい23時以降にしか見ることができず、たまに早く帰っても次の日には午前様なんていうのが当たり前だったので、ドラマはほとんど見ることがありませんでした。深夜のお笑いとかは結構見てましたけど。
録画したものを見るという習慣がなく、ほとんど録画することもありませんでしたし、そもそも土日は出かけていることが多かった上に出勤なんてことも多々ありましたので。。。撮り溜めしたものを消化する時間はなかったんですよね。(そこまでして見る程のこともないし^^;)

ここ1~2年はそーゆー生活にオサラバし、早々に退社しております。(別に偉くなったわけではなく、単なる入力部隊のペーペーのままなんですが。不景気のせいもあって仕事が激減してるんですよね。ま、一番の原因はそこまで会社に尽くさなくなったってことでもあるんですが。)
時間外も10時間程度・・・まったくしない月もあるくらいです。こんな残業のない生活って入社した年くらいでしたね。


早く帰れるようになってからも、それまでの生活でドラマを見ない生活をしてたので、早く帰ってもほとんどドラマを見てませんでした。

が。

最近はドラマっ子になっております。
しかも今更ながらの韓流(爆!)

いくつか見てますが、歴史好きなんですね。やっぱり。
イ・ビョンフン監督の「チャングムの誓い」からこっち「イ・サン」「トンイ」とハマりました。
歴代李王朝の乗ってる本も購入しちゃいましたし^^;(そこに誤植を見つけたりもした・笑)
N●Kの韓流ブームの流れに乗って「王女の男」も見ています。もーすぐ終わるので切ないです。
歴史って面白いねぇ*^^*
イ・サンの護衛をしていたというぺクドンスのお話も、たまたま見つけて面白そう!って思っていたのに、数話で最終回になっちゃいました^^;(もっと早くであってたら良かったんですがねぇ)実在人物好きといたしましては、再放送があれば見たいなぁと思います。
歴史ものでは、今は「名家」を見ております。2話づつ放送なので大変ですが^^;

つい昨日(12/3)、お気に入りだった検事プリンセスが終わってしまいました。。。
ラブコメと言いつつも、途中からかなりシリアスな展開で、ドキドキしてたんですが・・・ラストがハッピーエンドで大満足です。
放送途中であらすじを見ちゃったから、なおさらラストが気になってました。
パク・シフさんの声優さんは川中子雅人さん(王女の男)より中川慶一さん(検事プリ)のほうが好きかも。どちらもいいお声なんですが、中川さんのほうが遊び心のある声な気がしてパクさんに合ってる気がするんだよね。
ヘリちゃん役のキム・ソヨンさんがものっそ可愛かった~♪はじめ見たときは、このキャラ無理^^;って思ったんですが、回を重ねる毎にヘリちゃんが成長していくんですよね。イメージは最初のキャピキャピしたままなのに雰囲気がどんどん変わっていくの、キュンキュンしちゃいました。小宮山絵里さんの声がぴったりだった気がします。

検事プリの前のマイプリンセスも見てました。
見るきっかけはイ・サンの王様とナム内官が出てらしたからなんだけど(笑)
主役の女の子がものっそ可愛くって、ワクワクしながら見てました。
韓国ドラマの女の子ってホント可愛いよね。このあっけらかんとしたキャラが好きなのかもしれません。

次はどんなの放送するんでしょう。楽しみです。

しかし、こーゆードラマは学生とか若いうちに見ておくべきだねぇ。
こんな風に人を想えたらいいなぁと羨ましく見ました。
そしたらもっと恋多き青春を過ごせたかも。。と思ってしまふ。。。(ばあさんか!)」


さてさて、では日本の作品は・・・というと。
評判がすこぶる悪い「清盛」が面白くて仕方がありません。
個人的には、清盛好きを差し引いても最初っから面白かったです。
松ケンが苦手でしたが好きになったくらい(笑)
画面が汚いとか色々言われてましたが、個人的には全編を通してみたらすごく平家の興亡がわかりやすい効果があるんじゃないかと思うんです。(まだ終わってないけれど。)
確かに暗くて見えにくいっていうのはあったかもしれません。(特にお年を召した方だと、効果云々以前の問題として)
でも個人的には好きだな。
こちらも大詰めです。最終回でガックリ来ないことを祈るのみ。


続いてお気に入りは「そこをなんとか」。
本仮屋ユイカちゃんがものっそご可愛いですぅ*^・^*
マチ弁の話ですが、法律はよくわかりませんがなんだかとっても楽しいです。
MEGUMIも元々は苦手な感じの人でしたけど、このドラマのMEGUMIは可愛いですよね♪
テンポも内容もお気に入りです。


こうして見ているドラマを並べると、日曜と月曜に集中していることがわかります(笑)
日曜は8時から12時まで休みなしです。「清盛」の後の15分と「そこなん」の後の10分ほどが唯一(2回あるけど)のインターミッションなのであります。
月曜は仕事でいつ突発で遅くなるか解らないので、録画してます。基本、「検事プリ」をリアルで見て「名家」をその後見る・・・そして火曜日は寝不足ってパターンです。


読んでない本とかあるので、時間を有効に使いたいんですが、結局はダラリと過ごしがちなオイラです。


なんだか書きたかったことがよく解らなくなってきたので、そーしてこの記事もダラリと終わるのでありました。







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八雲八重垣妻ごみに・・・内海清美の世界編

2012-09-28 11:09:20 | 好き・応援
オイラが内海さんの作品を知ったのは大昔(いつくらい前かわからん^^;10年以上は前だな。)、大阪の高島屋で「密●空と海」という和紙人形展を偶然見に行ったことに由来する。
19場370体
迫力ある空海の一生がそこに描かれていて、衝撃的だったのでございます。
以来、先生の彫塑のファンなのです。

しかしその後、あまり大々的に広告を打たない為かなかなか先生の作品を見る機会がなく、知った時には展示会終わった後とかでずっとご無沙汰だったのであります。

それがですよ、JRの古事記編纂1300年鳥取出雲のパンフに先生の作品が載っていたのでございます。
もう行くっきゃないでしょう(笑)

そんなこんな思いが詰まった、会場訪問でした。
嬉しくてドッキドキでしたね。

22日の夕方、翌日に行くにもかかわらず会場へ行く。
円形のごえんホールに先生の作品がドンドンピーヒャラと集まっておりました。

今回のテーマ「大元神楽と古事記」
大元神楽とは現在も伝わる地に根差したお神楽で、石見神楽などの原型とも言われているものです。
昼過ぎに神職がご神木へ行き、神がかりを中心にワラ蛇に神を移して切り紙で美しく飾られた神殿(?)へ迎えます。祭壇にはいろんなお供えをし、その前でいろいろな演目の神楽が舞われるのであります。夜通し神楽は舞われ、明け方6時ごろ、ご神木に神様をお戻しして一年の実りを祈る神楽が終了するのであります。
国の重要無形文化財に指定されており、今井美術館の館長様がこの無形の文化財をどうにか形にして残していけないか・・・とお考えになり、和紙彫塑をされる内海先生にご依頼をされたのが今回の作品の始まりだったそうです。6~7年前の話だそうです。
そして今回の古事記編纂1300年に当たり、数体の作品を追加して完成したのがこの展示だった訳です。

会場に入った時に先生がいらっしゃるのが見えて「どひゃ~!」て思ったんですが。さすがに大阪のおばちゃんでもすぐに先生にひっつきに行くわけにもいかず(笑)しばし作品を堪能したのでございます。
会場の係りの方がパンフレットとチラシを手渡しながら「どこから来られたんですか」と話しかけてくださったので「大阪からこの作品展を見に来ました!」ときっぱり胸を張って答えたところ「先生いらしてますよ。ごあいさつされます?」と先生に引き合わせて下さったのでした。(なんていい人!)
翌日のトークのための最終点検をされていた先生でしたが、気さくにいろいろお話をしてくださいました。


さて、会場ですが。
14場面65体でお神楽と古事記の物語を描いておられました。
それぞれの感想を♪

●綱貫(つなぬき)●
神事の一番最初です。ご神木に祀られたナワ蛇を神職たちが担ぎ迎えるのです。烏帽子を付けた神職の中にひとりだけ丸坊主の清盛みたいな方がいて、それが神がかりなわけです。どのお顔もどことなく神事を行う固さよりも楽しそうな柔らかい感じがするのか印象的でした。

●子供神楽●
先生の作品の大人は13等身くらいあるので、子供ってちょっと微妙なんですが(笑)でも、この子供神楽の子供達、見れば見るほど味があって面白い。
先生自身も子供を作るのは難しいと仰ってました。

●鞨鼓刹面(かっこきりめ)・恵比須●
鞨鼓のお顔がクシャっとしててユーモラスです。ずっこけてるような姿で動きのすごくある人形でございます。鞨鼓の後ろに刹面と天女がいるのですが、彼らのたおやかな動きが鞨鼓と対照的なので、鞨鼓の動きがさらに増すような感じ。
同じ場面にヒルコである恵比須様が鯛を釣っております。このえべっさんのお顔が三番叟の翁の面のような、福よかで円やかな何とも言えない良いお顔なのです。長くのばされた髪がただの年寄りの朗らかさだけでない凛とした雰囲気を醸しているのが良かったですね~。このえべっさん、連れて帰りたい!って感じでした。

●塵輪(じんりん)・御座・弓八幡●
極上の鬼が見られる場。
塵輪魔王という鬼を足仲津彦命が退治するというお話と八幡麻呂が第六天魔王を退治する話。武士姿の神と鬼の対峙が描かれていて、鬼の髪や表情が非常に生き生きと感じられます。甲冑の動きも個人的に好きだなぁ。
御座は神のいる座と演者が持つゴザとを掛けている演目らしいです。先生の作品には珍しいオールバックの現代人に見える姿が興味を引きます。

●磐戸●
天岩戸のお話を描いております。真っ暗だった世の中に天照が戻った瞬間をとらえており、背景の黒い太陽に照明を当てて陽の出る瞬間といった演出が素敵です。鈿女ちゃんは白拍子のような出で立ちです。鈿女ちゃんの表情も素敵ですが、中央にいる天照のお姿が神々しいのに注目です。これはライトの効果だけでなく、衣装の白がさらしでかなり白いところにもあると思います。発光しているように見えるんですよね。

●山の大王・八咫・鍾馗●
八岐大蛇を題材にした八咫を中心に左右に鍾馗と山の大王を配置しています。
とぐろを巻く大蛇は龍のように描かれており、これを作るのはかなり大変だったと先生談。珍しく平安朝の姿ではなく、古代の服装に鬟を結ったスサノオです。櫛稲田姫も同じく古代の衣装に勾玉をつけており、古事記だなぁって思い出させてくれます。
山の大王と話す祝詞の穏やかな場面と、鍾馗様の強く厳しいお顔とが緩急をつけてくれますね。疫病の鬼もやはり激しい雰囲気を醸してます。

●貴船・八衢(やまた)・天神●
鉄輪をモチーフにした貴船。般若の女の背合わせに人間だったころの女の姿が描かれています。人の心の鬼を上手く描いている気がしますね。
菅公をモチーフにした天神は菅公の佇まいが何とも言えません。
中央の鈿女ちゃんと猿田彦様は本来向かい合って問答をしている姿を描いているんですが、向かい合わせにすると瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内している感じが薄れるので正面に並べて立たせているとのことでした。2柱の神が正面を向いて笑っているお姿は、天照の時とはまた違った楽しそうな神々しさがあります。個人的に一番好きな彫塑が猿田彦様でした♪高いお鼻には芯を入れていらっしゃるとのことです。

展示の最後の場面が道を示す猿田彦様とお嫁ちゃんの鈿女ちゃんってのが良いですよね。会場から出るときに、猿田彦様のご加護がありそうです^^


23日の先生のトークの内容は、和紙彫塑とはどういったものか。また使っておられる和紙についてなど、彫塑の根本について触れられました。
先生曰く。
人形は作り手が人形をもって発信する。いわゆる人形自体を見せるためのものである。
しかし先生の作品は単体展示をほとんどしない、群像である。文字(二次元)であった物語を立体にするのが先生の作品。
物事を説明する色を排除し、和紙の白のみで構成する。(和紙の白は生成からさらしまでいくつかの段階を作られます。また、本来捨ててしまう樹皮を砕いて混入するなどして白の幅を広げています。)
これによってインモーション(内面の心の動き)を表現。本来ある眼の黒を入れないことによって、人形に人格を持たせず見る側への媒体に変化させているのです。
見せるのではなく、見る側に主を置いた作品なのであります。言い換えると、観る人がいないと完成しない作品とも言えますね。
人形と言う動きの一瞬をとらえて封じ込めたものでありながら、舞台のように物語を見せる作品。それが先生の和紙彫塑なのです。
人形は動かないけれど、観る人が動くことによって見える角度が変わり、人形の動きが増すともおっしゃっておられました。
先生の作品の中の唯一の色は、黒ぽいものと緑青です。
この2つの色は絵の具で色付けされたものではなく、銅を酸化させて作った自然界にある色なのであります。
和紙の作品を作るに当たり引き締めるものに何を使うかで選ばれたのが、和紙の柔らかさと対極にある銅板。これを2種類の薬品で酸化させ2つの色を作り出しています。
銅版をそのまま使うとその強さに和紙は負けてしまいます。そこで先生は銅板に和紙を巻き、そこに滲んだ色を使う技法を編み出されたのであります。これにより、本来、銅に浮かぶ緑青よりより鮮やかな緑青が和紙に浮かぶんだそうです。
こういったお話を聞いた後に作品を見ると、また違った見え方がして面白いでした。
展示物を説明しながら回っている時、会場の人数が少なかったこともあり、作品を持たせてくださいました!すごい!!チョーらっきぃ。
紙で作っている割には芯がずっしりと重い作品でした。先生があまりに重い重いと先におっしゃるのでその覚悟で持つと軽く感じます(笑)
でも、自分の重みで立っているだけあって、そんなに軽くはありません。やはり紙の作品としては重いんでしょうね。


前日にも会ってお話していたこともあり、23日も先生はオイラのことを覚えてくださってました。
本当はこの日に販売予定はしていなかった「源氏」の図録を購入させていただきました。

もちろんサイン入り~♪

(右側に名前も入れてもらってます♪)
現地で仲良くなった会場係りのお姉さん、購入できたかな~?無事に購入できているといいのだけれど。。。
別れ際、会場係のお姉さんに「別れがたいですね」って言われちゃった*^^*

今回の旅で、この大社文化プレイスうらら館のスタッフさんや主催の今井美術館のスタッフさんには大変お世話になりました。
今井美術館の館長さんのお蔭で、内海先生のお名刺もいただけましたし。
さすが縁結びの神様のおひざ元ですね。
そういえば、瑪瑙の勾玉を購入したたまゆらのスタッフさんも素敵な方でした。相談に乗ってくださり丁寧な対応で、清々しく欲しい形を購入できたのですよ。
これも良いご縁を結んでいただけたんですね。


15:48出雲発のバスに乗らなくてはいけないので、早めに駅前に戻る。
そうだ、腹ごしらえをしておこう。

会社の子がお勧めしてくれた、「献上蕎麦 羽根屋」さんで2段の割子の定食を頼みました♪
コーン入りのご飯とシジミ汁、炊き合わせがついてます。
シジミ汁が激ウマでした♪
そばもぐっと噛み応えのある蕎麦で(固い訳ではない)美味しゅうございました。
蕎麦湯もぐびっと飲んだぜ。

こーして出雲を満喫。沢山は回っていないけれど、深く心に残る旅が出来たのでありました。
ビバ☆出雲。
今度は神話の土地を巡りに行きたい~!


これで、出雲のお話しはおしまい。



あ、最後に・・・
大阪⇔出雲の直バスがないと思い(ちゃんと検索はしたんだよ)、三宮⇔出雲で移動していたオイラですが・・・大阪⇔出雲のバス走ってました^^;
やられたなぁ。。。検索の仕方が悪かったらしい。
そんなわけで、会場係りのお姉さん、大阪⇔出雲のバスありました。
謹んで訂正いたします。


それと、先生の作品は常設展示の場所が日本に5カ所ほどあります。(門司港にあるのは知ってますが、そのほかの場所は良く解りません^^;)
朗報は、四国のお遍路さんにゆかりの弘法大師空海の一生を描いた「密●空と海」の常設が西予市の県歴史文化博物館で行われております。3年ほど展示をされるそうです。
19場全部は無理なので、前半の半分が展示されているそう。
今年の11月から松山市鷹子で後半の展示がされるそうです。こちらも3年ほどの間の展示ですって。
是非、お遍路へ行かれる方は先生の作品に触れてきてください。












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切れたお数珠

2012-09-20 11:19:45 | 好き・応援
母がその昔、青岸渡寺で頂いてきてくれたお数珠が2年ほど前に切れました。
切れたお数珠ってもう使えないの?とか、繋いで使って大丈夫?とか、いろいろどうすればよいものかまったくわからなかったので、お坊様に聞くことにしました。
そー思ってるうちに、階段から落っこちたりなんぞして1年半ほど聞く機会を逸していたのでありますが、先日ようやく聞くことができました。

結果から申しますと、繋いで使ってよいとのことでした。

薬師寺の生駒師にお聞きしアドバイスをいただきました。
薬師寺では月に2回ほどお数珠屋さんが来られるので、その時に繋いでもらえばよいとのこと。

早速8日のお薬師さんの縁日にお参りし、お写経道場に来られていた「かたおか」さんに伺いました。

宗派のこと、普段使いのこと、玉の数の意味、処分の仕方など。
お念珠のいろんなことを教えて頂き、感激。

切れたお数珠を見ていただくと、「つないだ方が高くつくかもよ?」「繋ぐだけはなんぼでも繋いだるけれど、これは悪くいうわけちゃうけど(人工水晶なので)一生もんとちゃうよ」と。
片岡さんでは正絹を使われるので、どうしても修理をすると高くなるとのことだった。
でもお念珠には思いがあるだろうから、どうしてもと言われれば繋ぐよ、と。

母からもらったお数珠は、多くの人を見送った思い出深いもの。
悩みに悩んだけれど、繋ぐだけ繋いでもらうことに。
ただしお値段がかさむ房はつけないことにした。


大盤振る舞いで繋いでくださったお数珠がこちら。

お房の部分に組紐を入れてくださって、とっても素敵な仕上がりです!

もともとは白い紐で繋いでいたのが、かたおかさんでは紫の紐で繋いでくださいました。房もなくなったので、ずいぶん印象が変わりました。
改めて見ていると、水晶もこすれて磨りガラスのようにくすんでいます。ずっと持っていた年月と送った人達を思い出しますね。
繋いでもらって良かったです。


そして繋いでもらった時に使わなかったのがこちら。


お数珠はゴミ箱などには捨ててはいけません。
ちゃんと自然に返すのが基本なんだそうです。
檀家のお寺でお焚き上げしてもらうとか、赤山禅院では念珠供養が行われるのでそこでお焚き上げしていただくとか。
他にも、お庭に埋めたりお墓に入れたりでも良いそうです。海に繋がる川に流すのもOK。ただしこれらの方法は、合成のものはダメです。自然に帰らないので、この場合はお焚き上げなんだそうです。
で、オイラの房と数珠玉は。。。人絹と人口水晶・・・これは自然に帰るのでどの方法でもOKだと言われました。


高価なお念珠の場合、形見にもらうことがありますが、お念珠は基本的には1代限りなんですって。
その名の通り、持っている人の念が良くも悪くも移っているのがお念珠なんだそうです。なので故人と共にその念も彼岸へ流すのが良い、それを引き継ぐのはあまり良くないとかたおかさんはおっしゃいました。

母からもらったお数珠が切れてから使っていたのは、母が父方の祖母(母にすれば義母)からもらった練珊瑚のお数珠でした。
祖母から母そしてオイラと代が変わっておりますが、使っていなかったものなので念は移ってないでしょう(笑)ってことで、これからも使います(爆)←かたおかさんのお話スルーって訳じゃないよ!!

ただお数珠自体はいつか自分で頂こうと思ってたので、目標のお写経が達成した暁には「かたおか」さんでお念珠を作ってもらいます。
まだ少し先だけど、楽しみ!
でも、それまでしっかり稼がなきゃなのだ!!!



108は煩悩の玉、21の弟子の玉、その中の親玉はお釈迦様、反対側に地蔵菩薩の玉、その間を7、14、33の決まった玉が並ぶ、そして浄名居士(じょうみょうこじ)といわれる玉が自分の持って生まれた星を現す。この108を基本にして全てが組み合わされている。
日本職人名工会HPより










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茗荷の話

2012-09-10 12:01:08 | 好き・応援
皆様、茗荷と仏教と接点があるってご存知でした?
ワタクシ、先日薬師寺の山田管主の御法話で初めて知りました。(と言っても、次の予定があったため、途中退場というあり得ないことやっちまいましたが^^;)

オイラが聴いたところまでをまとめておこうと思います。


お釈迦様のお弟子さんはたくさんいらして、その中でも有名な方の名前がお経さんに載っております。
アーナンダとかサーリプッタあたりは有名ですが、茗荷と関係のあるお弟子さんは周梨槃特(シュリハンドク)というお弟子さんです。

周梨槃特は大変物覚えが悪く、何度お釈迦様のお話を聞いてもお経を覚えることができませんでした。
どれくらい覚えられないかというと、自分の名前を忘れちゃうくらいだったらしいです。
そんな彼を見た回りのお弟子さんに、「お前は自分の名前も忘れてしまうのか。ならば、背中に名前を書いて背負っておけばいい」と言われ、名前を常に背中にしょっていたそうなんです。

ある日、お釈迦様は周梨槃特に短いお経を教えました。
「三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし」
三業とは、体・口・心の三つの業を指します。この三業を慎み、すべてのもの(動物も植物も)を傷つけず、正しい思いに徹すれば、苦しみはない。という教えです。

さて、周梨槃特が教えを伝えようと「三業に悪を・・」と始めたのですが、後半の部分を思い出せません。もう一度お釈迦様に後半部分を教えてもらうと、次は前半部分を忘れてしまいます。
これを見た回りのお弟子は「お釈迦様のお弟子と名乗るものの中に、お経を唱えられないものがいるのは世間体が悪く、お釈迦様を貶める。お前は弟子を辞めるべきだ」と言いました。

周梨槃特はお釈迦様の元に行き、「世尊、私は短いお経すら覚えられず愚かです。回りの者たちも、これでは世尊に迷惑がかかるといいます。私を破門にしてください。」と言いました。
それに対しお釈迦様は「もう一つだけお前にお経を教えよう。」そう言ってお釈迦様はチリはたきを周梨槃特に持たせ「塵を払い、垢を除かん」と教えました。
「もし忘れそうになれば、その手を見るがいい。そうすれば私の言葉を思い出すだろう」

その日から周梨槃特ははたきを持ちながら「塵を払い、垢を除かん」と繰り返し塵をはたきました。そうして何年もたったある日、自分の心の塵をすべて払い、垢を除き悟りを開いたのであります。
お釈迦様のお弟子の中で、一番に悟りを開かれたそうです。
一つのことを一心不乱にすることで、悟りを開かれたわけです。
それに対し、お経をたくさん覚えたお弟子さんはまだ悟りを開けません。
「お前たちは私の言葉をたくさん覚え、非常に賢い。しかし、周梨槃特のように悟りをまだ開いてはいない。悟りとは多くを知ることではない。周梨槃特のように一つのことを一生懸命することにある」と教えられました。

また時が過ぎ、周梨槃特も入滅しました。
彼のお墓には見知らぬ草が生え、良い香りの実(?)が生りました。
自分の名前を覚えられず、名を荷って生きた彼にちなんで、その植物は「茗荷」と呼ばれるようになったそうです。







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