まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.538 松原通、異界の辻

2016-07-28 07:16:14 | みち
おはようございます。











松原通は五条通のひとつ北側にある、写真にある通りの特にこれと言った見所もない感じの細い道です。これと言った・・・とは言っても今回はこうやってこの松原通を紹介していくわけなので、この先何があるのか、楽しみにして進んで行くこととしましょう。この日の走りは登録有形文化財巡りで京都市内を走った時のもの、この通りの周辺にもいくつか文化財はあるのですが、そちらの方は文化財巡りの項でお伝えすることとして、今回は松原通を新町通から入って東大路通の清水道交差点まで走った記録をお送りしていこうと思います。





まず松原通の「松原」とは何ぞや?松原と言うと気比や清水のような海の近くにスラッと並び立つ風景を思い出すが、ここは京都の真ん中、およそ海に関係ある所ではありません。困った時のwiki頼み、と言うことで調べてみると、この通りは元は「五条松原通」と言われていて、松並木が奇麗だったとのこと、そしてこの通りが本来の五条通だったらしい。今国道1号線が走っている道が五条通になったのは豊臣秀吉の時代だと言うから、牛若丸と弁慶が出会った橋は写真にある橋だと言うことになる。五条通にある五条大橋は車がビュンビュン行き交っていて物々しい雰囲気だが、こちらはちょっと小ぶりな感じで、いかにも義経と弁慶の出会いの場所にぴったりな雰囲気である。この二人の出会いと言うと大河『義経』を思い出すが、花びらが舞う中でタッキーが颯爽と飛ぶ姿は義経の生涯を凝縮したような物悲しさ漂うテーマ曲と相まってとても美しかった、まさにこのドラマを象徴するワンシーンであった。橋の北側は鴨川に沿って店が建ち並び、夏になると納涼床でお馴染みな所、この店の中には登録有形文化財に指定された建物もあるのだが、それについてはまたいずれの機会に取り上げることとして、今回は先へと進んで行ってみることとしましょう。












鴨川を越え少し進むと大和大路通、この辺りは建仁寺の門前町に当たるが京都の中にあって下町風な雰囲気が漂う所、松原通をこの先を進んで行った辺りでもその雰囲気は色濃く表れてくる。ズラリと並べた写真は六道の辻の風景、その小さな交差点は西福寺と言う寺院を中心にして何か異様な雰囲気が漂っている。西福寺には子育て地蔵とあり、その向かい側には「幽霊子育飴」と何とも怪しい看板がかかったお店、写真5枚目、6枚目にある看板も何とも怪しそうと言うか不気味と言うか、まあ不思議茶屋とあるから何か不思議なことがあるのでしょう、詳しくは分かりません。この交差点を南に行ったすぐの所にあるのが六波羅蜜寺、平清盛所縁の寺院としても有名です、京都と言えば平安時代や戦国時代、幕末とそれぞれの時代、歴史の舞台となった所がありますが、そんな中でこの辺りはさっきの義経の話もあって、平安後期~鎌倉時代初期の歴史を垣間見ることができる辺りでもあります。実はこの日の登録有形文化財巡りでこの付近にひとつその物件があったのですが探しきることができず、あきらめて通り過ぎました。後で写真を見て調べてみるとその物件が写真2枚目に写っていました、しかも簡単に見つけることができる場所にある、なんでこれを探しきることができなかったんだろう、ああ、これはしたりです・・・






六道の辻を過ぎると道は緩やかな上りとなって東山方面に向かって行きます。写真にあるのはその途中にある六道珍皇寺、京都はいろいろな場所に不思議スポットがあってよくミステリーツアーとかが組まれたりしますが、六道の辻付近はその中でも有名な所、そしてこの寺院は詳しいことはこちらをご覧になっていただくとして、平安時代初期の公卿、小野篁が現世と魔界とを行き来していた井戸があると言うことで、特に有名なミステリースポットとなっています。まあ自分(一人称)は幽霊とかそんなのは信じないのでただの寺院にしか見えないですけど・・・って言いながらなぜか神社の鳥居には畏れを感じる変な体質なのですが。さて、寺院前の上り坂を更に進んで行くとやがて東大路通の清水道交差点へと差し掛かる、その名の通り、交差点を渡ってから続く急な坂道は清水寺へと至る坂道で、一日中ここを行き交う人通りが絶えないところとなります。今回は松原通をテーマとしてここまでのお伝えとしておきますが、次回はこの坂を上って行って清水寺、更には東山のあまりにも有名な風景の中を巡って行ってみようと思います。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

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