犬猫奮戦記

困っているのに笑っちゃう!









  

激動の我が家・2011年(その2)

2011-12-30 | 犬猫奮戦記
(第238話)
大切に育んできたナッチャンの脚は大腿部の骨が裂け、両足共に骨盤からポッキリ折れた大事故となり3箇所の大手術が行われました。
手術そのものは成功しましたが、僅か3kgの小さな身体に痛みが襲い、食欲の無いままに病院の檻の中でうずくまっている姿が脳裏から離れる事はなく、夜になると一人で号泣するばかりの私でした。
幸いな事に心配していた内臓破裂は避けられて、痛々しい姿のナッチャンではあっても目力がある事が救いでした。

4日間も全く食べ物を口にせず、日毎に痩せてゆくナッチャンを、このまま病院で死なせたくないとの思いから先生にお願いしました。
「手術は成功しても内蔵の悪いナッチャンですから助からないかもしれません。ダメなら最後は家で過ごさせてやりたいのです」と。
仮に自宅に戻れても骨折以外に神経もダメージを受けている為に排泄が出来ずに毎日病院で先生がお腹を押して排尿させていたのでした。

先生は提案して下さいました。
「それでは、こうしましょう。夜から朝まで自宅に帰って朝になったら又連れてきて下さい」と。昼間は排泄と点滴を病院ですることにし、夜は私と過ごせる事になりました。ブラリと垂れ下がったままの脚のナッチャンを5日目に連れて帰りました。

自宅では、重湯に魚のすり身を混ぜてスポイトでナッチャンにセッセと飲ませました。少しでも体力をつける事と病院でのストレスを避けて兄弟猫達と安心した生活をさせたいと思たのでした。抱いて我が家のトイレに連れて行くと反射神経が働いたのか自力でオシッコがでました。そして翌日は小さなウンチもでたのです。 バンザ~イ!!
排泄さえできれば自宅で点滴(皮下補液)はできるのでナッチャンのストレスは大きく改善されるのです。
神経の回復兆しが見えた事から毎日指や脚のマッサージをしました。
筋力が落ちきらない様に、パンツにつり紐をつけて毎日歩く真似事からリハビリをさせました。
好奇心の強いナッチャンは食事時間には這い出してくるし、庭にも出たがりました。
彼の興味に合わせながらリハビリはドンドン進みました。
夫の49日には八王子の菩提寺まで行かなくてはなりません。ナッチャンを置いて家を留守にはしたくないのですが、驚いた事に手術から3週間目にナッチャンは4つ脚で立ち上がって少し歩きました。その後、日毎に進歩が見られて一人でソファーに乗っていたり階段を一歩ずつ上がりはじめました。もちろん食欲も少しずつしっかりしてきました。手術から4週間目が夫の49日でしたがナッチャンは他の子達とお留守番ができました。

事故以来、重症のナッチャンが助かる事を願って、連日夫の仏壇に「お父さん、ナッチャンを助けて!」と頼み込んでいました。時には「助け方が足りないよ!もっとしっかり助けてよ~!」と。
お向かいの奥様は「うふふ、それじゃ御主人をおどしてるわよ」と言いながら「でも、これは絶対に御主人が助けてるわね。こんな凄い事が興るなんて・・」とも。
手術をして下さった獣医さんも、横浜の獣医さんも「これは奇跡、信じられない」とナッチャンの回復ぶりを大変喜んで下さいました。
不死鳥のようなナッチャンの運の強さと共に、獣医さん、神様、そして仏壇の中にいるらしき夫にも感謝しながら、今は普通に歩いたりジャンプ(40cmぐらい)している幸せとナッチャンの大切さを噛み締めています。

あの子はなんと不思議な子なのでしょう。腎不全で3年も生きている猫なんて珍しいそうで双方の獣医さんから「他の猫ちゃんの治療の励みにしています」といわれました。
ナッチャンと益々がんばります。
つづく


激動の我が家・2011年(その1)

2011-12-30 | 犬猫奮戦記
(第237話)
長い間の御無沙汰にも拘わらず沢山のご訪問を頂戴した様子、有り難うございます。
ブログの作成はおろか、パソコンを開くゆとりも新聞を読むゆとりもなく、大きな渦に巻き込まれておりました。 

3月の大震災での断水や停電騒ぎの後、4月24日に夫が急逝しました。
糖尿病があり、高血圧と高血糖ではありましたが外見は元気で、前日まで日常生活に支障なく休日はゴルフ、旅行、語学サークル、と多彩でした。
とは言え、昨年は長野県のゴルフ場で倒れて入院したり、東京に戻って検査入院、静脈瘤手術など数回の短期入院を死の予兆とは気付けませんでした。

全く心準備のない夫の急逝に私の頭の中は真っ白になり、信じられません。
驚いたり泣いたりしている暇などないままに次々葬儀の準備が勧められました。予想外に大規模になってしまった葬儀の後片付けは大変でした。

家庭ではズッコケの夫でしたが彼の正体を明かしますと、
東大法学部卒、富士銀行取締役を経て2年前までみずほフィナンシャルグループの日本抵当証券で7年間社長でした。
急逝当時は、JTBとアマノ(一部上場)の監査役を兼任し、更に政府の機構の理事長として学識経験者のまとめ役に心血を注いでいた現役でした。

もう少し高齢であったなら内輪で済ませることもできた筈の葬儀でしたが、立場上関係者にお知らせしない訳にもゆきません。600人近い弔問客の1/4は東大出の大企業の社長や会長、弁護士、会計士さんだったりしては・・御礼の挨拶状から返礼品まで失礼のないようにと気遣う私の緊張はいつまでも続きました。
何よりもお出で下さった皆様にどの様な関係でお世話になっておりましたのか、役員名簿や大学の名簿、パソコン、携帯電話と調べるのに大変時間と手間がかかりました。
ただし、主人は若い頃から学友や同僚、部下をやたらに家に連れて来ていましたので、お名前に覚えのある方も多く、懐かしい方も沢山居られました。

まるで社葬の様に終始お力添え下さった日本抵当証券の皆様のお蔭で無事に葬儀を終えホッと小休止の5月14日、今度は私が大事件を起こしてしました。

最愛のナッチャンを私の車でバックさせた時にひいてしまったのです。
腰から後足にかけて重いタイヤの下敷きになり、両足バラバラに・・・。
思い出すだけで・・今も胸が張り裂けそうです。
内臓が破裂しているかも判らない状態で即手術。私の胸にはグサリとナイフが突き刺さったままの様な状態で・・毎晩一人で号泣しました。
ふだん有り得ない事を、あの日に限って・・。
後悔以外の何物でもありません。
つづく