学校の先生で面白かった先生は思い出せないが、家庭教師の先生は実にユニークだった。私の子供の頃の年代で家庭教師なんていうと、さぞかし裕福な家庭だったのだろうと思われるが、経済的には決して余裕のある家ではなかった。団塊の世代の走りといえる私達世代は急激に学生数が増加をはじめた頃であり、大学はおろか、まあまあの高校へ行くにも結構大変な時代だった。一方、当時の大学生は所謂苦学生が多く、アルバイトとしての家庭教師が一種のブームにもなった時代だ。
さて、中学から高校へ進学する時期に志望校を選択する事となった。第四学区の有名校といえば都立小石川高校だ。そこへ行きたいというと担任は
「無理だからやめろ」と言う。
では二番手の北高は?「少々難しいだろうから止めとけ」
じゃ、どのあたりが?「まぁ、文京か竹早か、私立の城北なんてどう? でも、学期末試験次第では北高あたりならもしかして…」
この話を聞いたオフクロ、すぐさま家庭教師を探し出す。
「東京大学の学生さん、夕食をお腹一杯食べさせてくれたら授業料まけとくって」
小石川に行けたら特別ボーナス進呈と甘い言葉をささやく。で、即採用。
この先生が豪傑である。身なりは全く構わず風呂に入るのは一週間に一度、髪はボサボサで金田一耕助みたいに頭を掻くと机の上がフケだらけとなる。
肉は食べず完全な菜食主義者だ。何しろ、大根、ニンジン、カブ、などは、そのままムシャムシャと美味そうに平らげてしまうのだ。勉強の教え方は実にいい加減。
「あのねぇ、ここの計算は…えっと…こうすんのよ、判った?」
「判りませ~ん」
「じゃ、この頁、読んでおいてね、ムシャムシャ…」
結末はどうであったか。
担任が言う。「やっぱり成績上がってないね、ここらへんで諦めたら?」
かくて、女子では御茶ノ水女子大進学率№1と言われる都立○○に進学。何しろ女子は才媛ばかりで一クラスは女子35名男子15名の完全女性上位の世界だ。
定期試験では廊下に成績順で氏名が張り出されるが、なんとトップから30位位までは全て女子であった。
その代わり、ようモテタ。文化祭ではギター片手にテケテケテケ。
キャァ~という歓声で紙テープの代わりにトイレットペーパーが飛んできた。
お陰で、その後の人生は道を踏み外してしまったのである。
それもこれも、あの東大生の家庭教師のせいだ!と今更に悔やむのであるが…
さて、中学から高校へ進学する時期に志望校を選択する事となった。第四学区の有名校といえば都立小石川高校だ。そこへ行きたいというと担任は
「無理だからやめろ」と言う。
では二番手の北高は?「少々難しいだろうから止めとけ」
じゃ、どのあたりが?「まぁ、文京か竹早か、私立の城北なんてどう? でも、学期末試験次第では北高あたりならもしかして…」
この話を聞いたオフクロ、すぐさま家庭教師を探し出す。
「東京大学の学生さん、夕食をお腹一杯食べさせてくれたら授業料まけとくって」
小石川に行けたら特別ボーナス進呈と甘い言葉をささやく。で、即採用。
この先生が豪傑である。身なりは全く構わず風呂に入るのは一週間に一度、髪はボサボサで金田一耕助みたいに頭を掻くと机の上がフケだらけとなる。
肉は食べず完全な菜食主義者だ。何しろ、大根、ニンジン、カブ、などは、そのままムシャムシャと美味そうに平らげてしまうのだ。勉強の教え方は実にいい加減。
「あのねぇ、ここの計算は…えっと…こうすんのよ、判った?」
「判りませ~ん」
「じゃ、この頁、読んでおいてね、ムシャムシャ…」
結末はどうであったか。
担任が言う。「やっぱり成績上がってないね、ここらへんで諦めたら?」
かくて、女子では御茶ノ水女子大進学率№1と言われる都立○○に進学。何しろ女子は才媛ばかりで一クラスは女子35名男子15名の完全女性上位の世界だ。
定期試験では廊下に成績順で氏名が張り出されるが、なんとトップから30位位までは全て女子であった。
その代わり、ようモテタ。文化祭ではギター片手にテケテケテケ。
キャァ~という歓声で紙テープの代わりにトイレットペーパーが飛んできた。
お陰で、その後の人生は道を踏み外してしまったのである。
それもこれも、あの東大生の家庭教師のせいだ!と今更に悔やむのであるが…