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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

バラのシーズン開幕だよ!

2012年04月29日 | バラ日記

 いよいよバラのシーズン開幕だよ!ジローガーデンも5月1日オープンするからね。

でも、今年も昨年同様、開花が少し遅いような気がするなぁ。さっそく庭見学の申し込みがいくつか寄せられているけど、花が咲きそろうのは15日くらいになるんじゃないかな。昨年は5月20日~6月10日がベスト期間だったけどね。

今年の新顔は、

シャルル・マルラン(HT)  Aブロックのフェンスの裏側、パパメイヤンの裏側に鎮座しているよ。

ジ・アレンウィック・ローズ(ER)2  ストロベリー・ヒル(ER)2  この娘達のためにわざわざ南西斜面の一等地に花壇を新設して植え込んだのよ。最高のロケーションなんだからさ、きっちり咲いてよね、お願いだから。

スヴニール・デユ・ドクトル・ジャメン(HP) 例の病気持ちのダンス・ド・フェを日当たりと排水の良い南道路際に移設、その後釜に植え込んだんだ期待の新人ね。いかにもツルバラの大苗って感じで、まだ細身の枝に蕾をつけて、早くも妖艶の雰囲気を醸し出しているんだ。ジロー好みの娘だなぁ。

お庭巡りのバスもスタートしてるから、一度、乗車してみたらどうかな。

http://jiro-garden.asia/bbs/2012bustoor.pdf

伊豆高原駅からお庭巡りタクシーってのもあるからね。

http://jiro-garden.asia/bbs/24.pdf

 


Jiro’sの想い

2012年04月28日 | バラ日記

終の棲家を求めて伊豆高原に定住する団塊世代が増えています。海と山の豊かな自然、温暖な気候、温泉、東京からの程よい距離・・・定住者の満足感は高いけど、不満を言えば「大人の夜の遊び場」が無い事。夜の遊び場といっても風俗や歓楽的な場ではないよ。「夫婦で楽しめる大人の社交場」ともいうべき場が欲しいのさ。

伊豆高原に定住した後の楽しみといえば、庭いじり・キッチン菜園・釣り・散歩・ゴルフ・・・などが定番だよね。それに加えて歳をとってからの夫婦の楽しみに「夜の楽しみ」も加えたいんだ。欲張りかなぁ。

伊豆高原に「大人の倶楽部」が欲しい。オールデイズ・ブルース・あの頃フォーク・懐メロ・・・あの頃に戻って、飲んで歌って思い切り笑う、夫婦ではしゃげる夜。たまには夫婦してオシャレして、上質なジャズも楽しみたい。黄昏の場としての伊豆高原だけではなく、「車椅子になっても楽しめる伊豆高原」で暮らしたい。そういう想いを実現するお店を作りたいのよ。

カミサンが車椅子になってから5年。二人で出かけることが本当に少なくなってしまった。だって、駐車場から店へ車椅子で入れるところって本当に無いんだ。人の手を借りないで車椅子でトイレに行ける店って本当にないのさ。人の手を借りて、遠慮しいしい小さくなってじゃ楽しめるわけないじゃない。まして、被介護者や障害者が、お酒を楽しみ音楽を楽しみ、リズムにのって体を動かしちゃうなんて出来る店は皆無だよ。

団塊世代、あと5年過ぎたら70だよ。夫婦の何れかが脳梗塞とか心臓病とか高血圧とか糖尿病とかリウマチとかボケとか庭仕事中に転倒して骨折するとか…で車椅子になったら…楽しい夜が…ね、ね。

しょうがないから、自分で作っちゃう!絶対儲からないけど、下手すると赤字だけど、下手しなくても利益無いけど、腰痛持ちだけど、あれこれ問題多いけど、不安はいっぱいだけど…だけど、作っちゃ・・・・おうかなっと。

コンセプトは
 
・団塊世代・シニアご夫婦で楽しめるミュージックスポット
・オールデイズ・ブルース・フォーク・ポップス・・・あの頃に帰る夜
・ライブしちゃう、歌っちゃう、今夜の貴方はあの頃スター
・バリアフリー、車椅子でも安心して楽しめる大人の遊び場
・アットホームな雰囲気と負担にならない価格設定
・本格オーディオによるサウンドと、お手頃価格で味わえるシングルモルトの品揃え

お店の名前はモチロン JIRO'S

CaféBar & Live のお店  Jiro’s

営業時間 19:00~24:00  定休日 水曜
店の規模 床面積 73.26㎡(22.12坪) 
客席 テーブル席14+カウンター席6  計20席  ライブ時32席

小さなお店です。

どうかな。。。

 


音楽仲間の父の死

2012年04月25日 | バラ日記

音楽仲間、といっても「オヤジ」じゃなくて二十代の若者(サックス奏者)なんだけど、その父上の訃報を聞いた。未だ65歳、つまり僕と同年代だ。癌であったそうだ。先日のAさんといい、今回の訃報といい、僕の周囲で僕と同年代の人の死が続いた。重い気分だ。本人も無念だったろうし、残された家族の悲観も大きいだろう。ただじっと悲しみを共有するより手だてがない。とってつけたようなお悔み言葉はむなしいだけだね。

 


目を覚まさなくっちゃ

2012年04月23日 | バラ日記

つまりはだ、結論は出てるってことだろ。そう、やっちゃえばいいのよ。どうにかなるって。それとも何か?猫とバラの世話に明け暮れ、下手なギター抱えて老人施設で拍手を浴びて悦に入り、ウィスキーを舐めながら水戸黄門のワンパターンを笑い、年金と蓄えを食いつぶすだけの人生の黄昏で心穏やかに隠居出来るってか。

ウジウジウジウジウジウジウジウジ・・・・

あれからいろんな事があったよね。何よりもでっかい出来事が東日本大震災。そして原発事故。絶望と悲観と恐れに呆然とし、家内の転倒骨折での寝たきりで介護の負荷は更に増し、止めは音楽仲間のAさんの死。
静岡癌センターでのライブ、耳に届いただろうか。その次の日に旅立つなんて。僕より二つも下の君が、煙草も吸わない君が、最高峰のJBLでJazzを聴かせ、美味いコーヒーを淹れてくれた君が、ソウルフルな声で歌ってくれた君が、事もあろうに余命を宣告され、かすかな希望と絶望と無常と死への恐れの毎日を経て結局は往ってしまった。

人生、何が起こるか判らないね。明日も同じ生活があるなんて判らないね。

亡くなる十日くらい前の事だったっけ。AさんとAさんの奥さんに背中を押されたのさ。
「ジローさん、やるべきだよ、ぜったいやるべきだ。明日が見えない不安はいっぱいあるけど、万一の時のリスクヘッジがされているんだったら、踏み出すまでだよ。死に際にやり残したことを後悔するか、面白い人生だったと納得しながら往くか、この違いはでっかいよ。七十まであと四年しかないって?だからやるべきだよ。」

そろそろ目を覚まさなくっちゃ

 


心の澱

2012年04月23日 | バラ日記

心に澱がへばりついて取れないんだ。吐き出そうとするんだけど、このはっきりしないモヤモヤが澱のようにへばりついているのよ。その澱の正体が一体何なのかを探ろうとするんだけど、いつも堂々巡りになっちゃうのさ。判っているんだけどね。澱の正体は自分自身だってことが。老いた自分を見たくないんだと思う。老いた自分の姿が澱そのものなんだから。

どうしようかな、やっぱりリスクあるよね…老後の生活賭けるほどのリスクじゃないけどさ、でも、リスクあるよなぁ…。
 
でもさ、もう一度、何ていうかなぁ…燃えたいっていうか。ま、そんな大袈裟なもんじゃないんだけど、要は活きている実感が欲しいんんだよ。単に「生きている」じゃなくってね。
 
バラじゃ満足出来ないのかって? バラに飽きた訳じゃないんだ。バラもそれなりに老後の趣味としては評価出来るんだけど、何ていうかなぁ…俺の老後ってバラ一筋?んな事ないよね。趣味ではあるけど、夢中になるとか熱中するとかいうのとは少し違うんだよね。
 
でも、やっぱり無理があるよね。老後生活の鉄則は「無理してはいけない」っていうじゃない。身体も頭も懐も若くはないんだからさ。無理しないで、じっとして、静かに穏やかに波風立てないで…じっと…黄昏を深めて…お迎えを待つ? そこが嫌なんだよ、そこが。何が嫌かって、だってつまんないじゃないの。
 
どうしよっかな…ブルースでもかけてモルトをチビチビ飲りながら考えて…どうどう巡りね。


ん?この呟き言ったっけ?…2010年10月24日のブログで呟いたセリフだわさ。ふ・・・二年前からずっと同じ思考の繰り返しじゃないか。