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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

心もよう

2006年09月28日 | 定年後の徒然日記
先日、拓郎が「つま恋」でやってくれましたよね。
彼、団塊の世代の走り…僕と同い年の1946年生まれ。
青春真っ盛りの頃の憧れの一人でした。「つま恋」にも行ったっけ。
でも今年は行けなかった。
拓郎が肺の大病を克服し還暦をものともせず、あの長髪にバンダナ、擦り切れたジーンズで燃えていた頃の拓郎とは比ぶべくも無いけど、やっぱり拓郎は聞かせる…
なのに、今年は行けなかった。

拓郎の、あの叩き付ける様な歌声に共感を覚えた頃もあったけど、
実を言うと、陽水の透き通る、それでいて琴線に触れる詩、或いは谷村のような、しんみりと、じっくり聞かせる歌声に涙を流す年になりました。
拓郎の似合う季節は夏…浴衣の君はススキのかんざしですね。

陽水や谷村は秋が似合います。
そういえば陽水は1948年生まれ。確か福岡出身だったですよね。拓郎より老けて見えるけど…

さみしさのつれづれに
手紙をしたためていますあなたに
黒いインクがきれいでしょう
青いびんせんが悲しいでしょう
あなたの笑い顔を
不思議なことに今日は覚えていました
十九になったお祝いに作った歌も忘れたのに
さみしさだけを手紙につめて
ふるさとにすむあなたに送る
あなたにとって見飽きた文字が
季節の中でうもれてしまう

遠くで暮すことが
二人に良くないのはわかっていました
くもりガラスの外は雨
私の気持ちは書けません
さみしさだけを手紙につめて
ふるさとにすむあなたに送る
あなたにとって見飽きた文字が
季節の中でうもれてしまう
あざやか色の春はかげろう
まぶしい夏の光は強く
秋風の後雪が追いかけ
季節はめぐりあなたを変える……

あの名曲「心もよう」を聞くと…何故か泣ける季節となりました。
出張先のホテルでこの曲を聴きながらウイスキーをあおると、秋を感じてしまいます。
姫路の夜は長そうです。

あ~あ、疲れたぁ

2006年09月21日 | 定年後の徒然日記
今日は日帰り出張。朝は9時30分発の踊子だからゆっくりだったね。熱海からコダマで東京駅へ。東京駅で駅弁買ってヤマビコへ乗車。大宮⇒仙台⇒古川に来てしまった。駅からタクシーで目的地へ。着いた早々打合せ、コーヒー一杯飲んで直ぐにお仕事。僕の持ち時間は90分。好評の内にお仕事終わってタクシーへ。車中のお供のビールとパックの枝豆を買ってヤマビコに飛び乗る。しかしパックの枝豆というのはまずいね。仙台⇒上野⇒東京へ。
東京駅で駅弁とビールを買い込んでコダマに乗車。一日二回の駅弁は食傷だ。
熱海から伊東を経由で伊豆高原。やっと自宅に着いたのが22時過ぎ。今日は新幹線に乗っている時間が〆て6時間。あ~あ、疲れたぁ
何も書くこと無いから、疲れた一日を再現したまで。
明日は庭仕事だ~ これが一番楽しい時間。
さて、ナイトキャップのウィスキーを飲んでベッドに潜り込むか・・・

土曜日は彼岸。上野と浅草の二箇所にある菩提寺に墓参りだ。久しぶりに親族が揃う。往復車の運転手役・・・これも疲れる一日となりそうだ。

ストレスが溜まっている  敬老の日も近いのに

2006年09月15日 | 定年後の徒然日記
何に対してのストレスなのか判らないが、イライラしてしょうがない。
昨日は熱海税務署の係官を電話で怒鳴りつけてしまった。確定申告の間違いを指摘されて直ぐに修正し、修正申告に基づいて直ぐに追加の税金を納めたのに、今頃になって加算税を払えという。電話で確認したら説明してくれたが、なんと後日に延滞金の請求もするという。申告の間違いは誰にでもあるだろう。間違いを指摘された即日に修正申告を行い、即、追加の税金を払ったのに加算税?そればかりか延滞税?。今までこのかた税金をごまかした事など一度たりとも無い。もっともサラリーマンの税金はごまかしようが無いが。それだったら申告した日から3月末日までに十分日にちがあったのだから何故期日内に指摘しないのか。期日後に間違いを指摘して修正して追加税金を支払っても、期日後の支払いだから加算税と延滞税を取るというのは、ミスをわざわざ見逃して加算税と延滞税を取れる段階になってミスを突くという汚いやり方ではないか、といったら、税務署員に限りがあるので出来ないし延滞は延滞だと慇懃無礼に言うではないか。
もう頭に血が上って、老人虐めめ、弱いもの虐めめ、国民の税金でのうのうと六本木の高級アパートにタダ同然の家賃で暮らしている役人には国民の苦しみはわからんのだろう。税金はきちんと払うのが国民の務めだが、真面目な平民を前にもう少し物のいいようというものがあるだろう、と怒鳴りつけた。
敵もさる者、動じる風も無い。もう腹が立って腹が立って、電話をたたきつけた。

そして今日もまた…別の一件で腹を立ててしまう。
怒りが顔に出る…ムスっとする…声がつい荒くなる…
何処に対して、誰に対して怒りをぶつけたいのだか判らなくなってきた。そういう自分に対してもまた怒りを感じてしまう。

イライラと…

夕食が美味くない。ビールも不味い。胃の存在を感じてしまう。猫も寄り付かない。

ストレスを感じる…嫌な日だ。

18日は敬老の日。老母が東京のホームにいる。86歳、痴呆気味だが一応元気だ。行けなくてごめん。いつまでも元気でいて欲しい。ありきたりのメッセージを添えて花を贈った。
オヤジには久保田のセットを…一緒に一杯やれなくてごめん。近いうちにいくからな。

月末頃に一泊の出張があるが、友と飲み明かそうか…


ウッドデッキを増設する

2006年09月11日 | 定年後の徒然日記
建築後一年しか経ていないのに、もう大工を入れる事になった。目的はウッドデッキの増設だ。
「一年しか経ってないのに、もうウッドデッキを増設するなんてどういう気?今のままで十分じゃない。無駄なお金使ってどうすんのよ」とカミサンはオカンムリだ。
確かに設計段階ではこれで良かったのだ。巾5m、奥行2.3m、屋根付きのウッドデッキだから少々狭いかもしれないが、まぁいっか」のつもりであったが、やっぱり狭いのだ。「だったら設計の段階でもっと考えれば良かったじゃない、アンタそれでも建築家?」と口撃を受けるがひたすら我慢で聞き流す。

さて、増設するデッキの部分は屋根が無い。つまり風雨に直接さらされるから、並みの木材ではすぐ腐る。一番良いのは南米産のイペか東南アジアのチーク、若しくは北米のレッドシダーと思ったが、いささか値が張るのが欠点だ。悩んだ挙句、近くの山の木で家を造ろう精神で近県ものの桧を選んだ。1m3で12万円程度だからまぁいいか。桧なら風雨にさらされても10年は持つからね。
大工さんは片瀬白田の方で人が良い真面目な方だ。
6帖ほどの増設で、トータル12帖ほどのウッドデッキが完成。や~っぱり増設して良かったぁ。
海がいっそう近くに見える感じ。利島も新島もバッチリ。
早速、増設されたデッキで冷えたビールを楽しむ。カミサン、隣にデッキチェアを並べて、「いいわねぇ」
「だろっ、ウッドデッキの増設、正解だったろ!」とたたみ掛けるようなマネはしない。
「このデッキで時々朝食をとろうね」と静かに呟きながら、「だから言ったじゃないの」と毒づくのでした。

テーマ6.田舎の思い出

2006年09月11日 | 定年後の徒然日記
かめ姫様からいただいたテーマ6は「一眼レフカメラ」でしたが、未だ未購入ですので、テーマを繰り上げて「田舎の思い出」としました。

小学生後半から高校一年くらい迄は、母親の親族が住む山梨県甲府に毎夏遊びに行ったものだ。勿論一人旅である。
小学生の頃はオニギリの入ったリュックを背負い新宿駅から汽車に乗る。当時の列車は蒸気機関車である。トンネルに入ると煤が車内に充満して息苦しくなる。新宿より4~5時間かかっただろうか、「日下部」という駅に降りる。今は「山梨市」という駅名に変わっており新宿から特急で1時間30分で着く。駅にはやさしいおじいちゃんの顔が。駅を降り田舎のバスで笛吹き川沿いを登るとブドウ畑の風景が広がる。田舎は小さなぶどう園と養蚕を営んでいる。土間の床下には自家製ぶどう酒の一升瓶が並んでいたものだ。勿論、密造酒である。おじいちゃん、この密造酒ワインを毎回食前に楽しむのである。

私にあてがわれる部屋は二階の広い部屋。ここを一人占めするのだが、暗くて広くて一人では怖い。こうして一週間の夏休みが始まるのだ。
一日の日課は、朝6時起床、村のラジオ体操に参加、それから朝食。産みたての卵に味噌汁、野菜の煮たもの、ご飯。朝食後は笛吹き川で水遊びか、近くの小川でハヤ釣りだ。午後は里歩き、畑の肥やし掛け、蚕の世話などの手伝いで日が暮れる。
夕方になると五右衛門風呂に入り、風呂上りのラムネを楽しむ。五右衛門風呂とは、大きな鉄製の椀型浴槽の下から直接薪で湯を沸かす。鉄製の浴槽の底にはスノコが浮いており、そのスノコの上に乗っかって湯に浸かるのだ。その風呂場は屋外にあり、すぐ隣は牛小屋だからモウーと鳴くし牛臭い。今から考えると風流この上もないが、当時としては何と田舎臭い風呂なのだろうと子供心に五右衛門風呂が嫌でしょうがなかった。
一番楽しかったのは笛吹き川でのハヤ釣りだろう。魚のアラを針に巻きつけて放り込むと面白いように釣れたものだ。
ある晩、スモモを食べ過ぎて腹を壊し夜中にゲーゲー吐いてしまった。おじいちゃん、おばあちゃんは真っ青になって私を寝ずに看病してくれた。何しろ当時の田舎である、救急車など来てくれる訳が無い。そういえば、始めて北米旅行に行ったとき、ハニジューメロンとアメリカンチェリーに感動して食べすぎてピーピーになっった事があったが、三つ子の魂百までもとはこの事か。
はるかに遠い田舎の風景が今も目に焼きついている。NHKの番組「小さな旅」のテーマミュージックを聴くたびに、あの笛吹き川の原風景が目に浮かぶのである。

テーマ5.伊豆の家を建てるときの拘り

2006年09月04日 | 定年後の徒然日記
大した家ではありませんが建築家の端くれですから一応は拘りました。ざっと列挙すると

①夫婦何れかが介護を必用とした時にも、介護する側が疲れない家。つまりバリアフリーです。一階は段差無く、どこへでも車椅子で行ける開口巾。寝室はベッドで余裕のある広さとし、洗面とトイレが寝室から直接行ける事。玄関のベンチ、手摺などは当然。

②浴室は伊豆石貼りで浴槽縁と腰壁を桧板貼り。浴槽につかりながら海を眺め利島や新島を望める事

③キッチンは安全なIH

④3LDKとし、どの部屋からも海を望めること

⑤耐震性は等級3(阪神淡路大震災の1.5倍の地震でも倒壊しないレベル)

⑥劣化軽減等級3(適正なメンテをすれば75年~90年長持ちする耐久性)

⑦高断熱高気密24時間換気、空調費は真夏の8月でも月15000以下

⑧風が通り抜けるレイアウト

⑨外観は落ち着きのあるリシン掻き落しと瓦葺の大屋根(いかにも建築家の考えるデザインと言われる様な設計は止めました。)

⑩建物施工費は坪あたり55万円以下

こんな条件で設計しました。
①から⑩まで一応クリア出来ましたが、もっとも良かったと言えることは
①バリアフリー設計、③IHクッキング、⑦高気密高断熱、⑧風が通り抜けるレイアウト の三つです。

造園はもっと考えるべきでした。

なんか自慢話のようでスミマセン。
参考にしてください。

天城高原ベコニアのローズガーデン

2006年09月02日 | 定年後の徒然日記
この間、かめ姫様のプログに天城高原のローズガーデンと鹿の事が出ていましたよね。なんかプログから削除されていますけど、今日、カミサンと娘と行ってきました。
ベコニアガーデン入場料は一人1000円、お金を払おうとしながら受付で「ローズガーデンも見られるんですよね」と聞いたら、ローズガーデンは、すぐ横にあって無料です、とおっしゃる。「あ、そうですか、すみませんが薔薇だけをみたいので」と出しかけた三人分3000円を引っ込めてそそくさと外に出る。
こじんまりとした薔薇園である。薔薇も2~3年生ばかりで若い。しかしガーデンの作り方やトレリスのありかた等、大変参考になった。30分ばかり薔薇を鑑賞して売店にいくと、娘が「ニュージーランドの○△の蜂蜜が売っているから買って~」という。何でも日本ではとても珍しい蜂蜜で胃のピロリ菌を殺す働きをするらしい。オーストラリアでは薬局で売っている蜂蜜だそうだ。
何と小さな瓶が2800円!高~い!で、二つも買わされた。
帰りの道端で、「この道、時々鹿が出没するらしいよ」と、かめ姫様からの受け売りを披露。「うっそー、まさかね~」などと言ってたら、本当に鹿に巡り合ってしまった。
なんと四頭もだ。早速携帯でバチバチ取ったが、全部ピンボケ。
薮の中だからピントが合わないようだ。結構近くにいるのに逃げないね。窓を開けてじっと見てたら、そそくさと去っていったけど。

さて、今日は涼しいから一碧湖でお茶しようかと、女性に人気のデザートテラスへ。ここのお茶は正直言ってまずくて高いが、絶景があるから文句は言えない。
お茶の後のランチは結局のところ例のパン屋で黒ビールとサンドウィッチになってしまった。
今日は爽やかな良い日であった。
ビールが旨い。

テーマ4.人生で一番うれしかった事

2006年09月01日 | 定年後の徒然日記
う~ん…むずかしいテーマだ。
バルセロナオリンピックの競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した14歳と6日の岩崎恭子。金メダルを受賞しての言葉「今まで生きてきた中で、いちばんしあわせです」は、これが14歳の少女の言葉かとビックリしたが、オリンピックで金メダルともなれば「人生で一番うれしかった事」と言っても当然だろう。

しかしながら凡人は「人生で一番うれしかった事」などと胸を張って言える出来事などめったにあるものではない。
いやね、カミサンにプロポーズしてOKもらった時とか、事業プロジェクトで社長賞もらった時とか、なんかあるでしょ、って思うのだが、「人生で一番うれしかった事?」って自問すると…うぅむ…無いなァ。

そうそう、あれは昭和50年の頃、生まれて初めて北米視察旅行に行ったときの事。初めての海外旅行だし憧れのアメリカに行くのだから興奮したなァ。
一番興奮したのが…情けない事に「厚いビフテキをレア」で二枚食べた事。あれは嬉しかったなァ。なにせ1ドルが250円もしたころの話だし、日本では分厚いビーフステーキをレアで二枚も食べるなんて夢の又夢だった時代なんだから。
ロサンゼルス。昼間の業務視察を終えてマリーナ・デル・レイのショッピング街を散歩していると、フルーツショップが目に入った。

「おっ!これは何だ?赤黒い大きな粒の…チェリーって書いてあるからサクランボではないか。う、美味そう…。ん?これは?ハニジューメロン?こんなにでかいメロンってあったのか?しかも…安いィィ!!!」

アメリカンチェリーもハニジューメロンも当時の日本では全く知られていない果物。こんな果物、日本では絶対食えない!食うっきゃない!
で、チェリーとハニジューをしこたま買い込んでホテルの自室へまっしぐら。
一晩で平らげたあくる日、ピーピーでツアーメンバーに大迷惑をかけてしまった。
しかし、あの時のチェリーとハニジューを喰らっているときのワタシ…人生で一番幸せであったと間違いなく感じたひと時なのでありました。