定年後の人生をどう歩くのか…って難しいね
しゃかりきになって走り回った企業戦士が、少々の蓄えと年金を支えに穏やかな老後をおくる。しがらみから離れて自由になる。朝6時起床、慌ただしく洗面着替え駅に急ぐ。超満員の通勤電車で苦痛の50分。8時にはデスクに座りスケジュールとメールを確認する。午前中の会議を二件こなし資料の編集。社員食堂で定食をかきこみ東京駅へ。新幹線に飛び乗りまたもノートをにらむ。出張先で打ち合わせと挨拶回り。夜は接待というかつきあい酒でチェックインするのは11時過ぎ。酔った頭で資料をめくり…。こういう毎日の為に途方もない時間を費やしてきた。
ようやく迎えた定年。我ながらよくぞここまで働き続けてきたものだ。さあ、今日からは自由だ。朝は時間を気にせず眠れる。苦行の通勤電車ともおさらばだ。会議なんて糞くらえ。酒は自分の好きに飲む。
さぁてと…取りあえずはのんびりと晴耕雨読を楽しむとするか。
でもねぇ、自由と晴耕雨読を楽しむなんてのは二~三年だよ。そこから後はうずうずと。気が付いたら後五年で七十じゃないか。そうやって人生の終わりに歩を進めていくのか。おだやかに…ゆっくりと長い黄昏を歩いていく。
それでいいのか?
それで満足なのか?
本当にそれでいいのか?
うずうずと…
考え出すともう後戻り出来ないんだよね。で、一線を超える。考えた末に無謀という常識の壁を乗り越えてしまった。自由になってから六年しか経っていないというのに店を始めるなんて。そりゃまぁいろいろと理屈はあるんだろうけど、どう考えたって酔狂の沙汰だ。
馬鹿だねぇ…って思うでしょ。思うよね。僕もそう思う。
でもさ、君だってうずうずと思いを巡らすはずだよ。このまま穏やかと言われる黄昏を過ごして人生を終える?それでいいのか?本当にそれで人生に満足するのか?
なんにせよ、凸凹道を歩き出してしまったのさ。つまずくのを承知でね。こういう書き込みをして自らを納得させようとしている自分も情けないけど。
開店一か月が過ぎた。嵐のような一か月だった。ようやく手順というものに慣れてきた。一か月の成果は…若干の赤字。幸い店に来られたお客様からは店のコンセプトを評価いただいている。いわゆる常連様になりそうなお客様も何組か。これでトントンになれば十分なのだが。 これで良かったのかって?良かったに決まってるじゃないの。
問題は体力だ。