父が12月1日に退院する。
あれは夏の始まりの七月初旬だった。妹からの電話で父が倒れたことを知る。脳梗塞であった。
日大板橋で治療を受け、幸いに命を取り留め、本格的なリハビリを受ける為に遠路中伊豆リハビリセンターにやってきた。
東京のリハビリ施設はどこも満床。で、昨年家内がお世話になった中伊豆リハビリセンターに問い合わせると受け入れOK。ここは全国第七位に評価されるリハビリ専門施設だ。
センターに入院した時は寝たきりで話すことも出来ず、正直、リハビリの効果がどれほどあるか懐疑的であった。
以来、親父の見舞いに伊豆スカイラインを走る日が続いた。一年前の同じ季節に、入院している家内の元に通う毎日と同じ光景が繰り返す。
だが一年前と今とでは気分的に精神的に随分と違うものがある。家内の元に通う毎日は不安と悲しみの毎日であったが、親父へのそれは何故か不安とか悲しみとかの気持は湧いてこない。86歳の高齢でもあり、まして男のせいもあるだろう。
一か月が経過し、リハビリの成果も徐々に表れてくる。呂律が回らないながらも、何とかコミュニケーションがとれるようになる。そうなると親父の文句も出てくる。呂律も回らず右半身不随で下の世話も受ける羽目になった自分自身が情けないのだろう。それに東京人の親父にとっては伊豆の山中に取り残された気分に陥ったようだ。
「しょうがねーじゃねーか、頑張って治すしかねーだろ、心配すんなって、伊豆の家から車で20分、一日おきに来るからさ、三か月はリハビリに専念しようぜ」
「ほら、動くようになったじゃねーか、な、あと一か月もすればもっと回復するって」
慰め、元気づけ、怒り、笑い、少し泣き、そして三か月が経過した。
まだ右手右足は動かないが、ベッドから車いすへ、車椅子からベッドへは、少しの支えで移乗出来るようになった。会話も問題ない。食事も刻み食ではあるが自分で食べられる。尿意や便意も判るようになり車椅子便器も使えるようになった。
とはいうものの、介護4で難聴で目が不自由な86歳では介護と車椅子無では生活できない。練馬の住まいは典型的な日本家屋だからバリアフリーなどとんでもない。で、自宅に近い有料介護老人ホームに入居する事とした。条件は中村橋の自宅から近く、高円寺の妹からも近いところ。
亡くなった母が過ごしたホームへと入居申し込みをする。もちろんOKだが只今満室だという。
「でも、毎月のように空室が出るんですよ。寒くなると一層空室が…。ホームから病院へ入院中の方も三人ほどいらっしゃいますから。ですから、少しお待ちいただければ大丈夫かと。」
早い話がお亡くなりになるご老人が毎月出るという事か…。そして、それを待っていたように空待ちの老人が入居する…ぞっとする話ではないか。でも、それが現実でもある。しょうがないか…。
結局、そのホームからは空きの連絡がなく、退院近しと焦って、別のホームに申し込みをする。大企業の系列会社が経営するホームだから安心感はあるが、お値段は…高い!
審査も終わり、親父との面接も終え、入居が確定したその夜に、例のホームから電話が。
「お待たせしました!空きが出ましたよ!それも二部屋も!」
知るか!(怒)
さて、家内の介護に何の不満もないが、一番の不安は自分が病気になり動けなくなること。自分が動かなくなったら家内の介護は絶望的だ。だから食生活にも気をつけ(てるつもり)、スポーツジムにも通ってメタボ脱却に励んでいる。それでも人間、いつどうなるか明日のことはわからない。
「もし僕が動けなくなったら…伊豆の家の近くのホームに夫婦して入ろうか。そうすりゃ、たまに我が家に帰っても来られるじゃないか」
「伊東市民病院のすぐ下に、みかんの花咲く丘っていう有料老人ホームがあるんだ。部屋も広いし、設備もいいし、見晴しはいいし、病院にも近いし…値段も東京と比べれば断然安いしね」
そう考えていた。
ところが、唖然とするニュースが飛び込んできた。
なんと、その「みかんの花咲く丘」を経営する株式会社伊豆の里が倒産したという。債権者より東京地裁へ会社更生法の適用を申し立てられ、同日保全管理命令を受けたそうだ。負債総額は約20億円という。
保全管財人は、「入居者に迷惑をかけないよう運営はこれまと同じように継続する。安定した経営を続けるためにも新たなスポンサーを募集したい」と話しているというが、さて。
10年後の伊東市は60歳以上が48.5%と概ね二人に一人が中高齢者。70歳以上の高齢者割合は33.6%となり三人に一人は70歳以上の高齢者となる事が予想される。
安心して暮らせる老後社会の未来はあるか。
あれは夏の始まりの七月初旬だった。妹からの電話で父が倒れたことを知る。脳梗塞であった。
日大板橋で治療を受け、幸いに命を取り留め、本格的なリハビリを受ける為に遠路中伊豆リハビリセンターにやってきた。
東京のリハビリ施設はどこも満床。で、昨年家内がお世話になった中伊豆リハビリセンターに問い合わせると受け入れOK。ここは全国第七位に評価されるリハビリ専門施設だ。
センターに入院した時は寝たきりで話すことも出来ず、正直、リハビリの効果がどれほどあるか懐疑的であった。
以来、親父の見舞いに伊豆スカイラインを走る日が続いた。一年前の同じ季節に、入院している家内の元に通う毎日と同じ光景が繰り返す。
だが一年前と今とでは気分的に精神的に随分と違うものがある。家内の元に通う毎日は不安と悲しみの毎日であったが、親父へのそれは何故か不安とか悲しみとかの気持は湧いてこない。86歳の高齢でもあり、まして男のせいもあるだろう。
一か月が経過し、リハビリの成果も徐々に表れてくる。呂律が回らないながらも、何とかコミュニケーションがとれるようになる。そうなると親父の文句も出てくる。呂律も回らず右半身不随で下の世話も受ける羽目になった自分自身が情けないのだろう。それに東京人の親父にとっては伊豆の山中に取り残された気分に陥ったようだ。
「しょうがねーじゃねーか、頑張って治すしかねーだろ、心配すんなって、伊豆の家から車で20分、一日おきに来るからさ、三か月はリハビリに専念しようぜ」
「ほら、動くようになったじゃねーか、な、あと一か月もすればもっと回復するって」
慰め、元気づけ、怒り、笑い、少し泣き、そして三か月が経過した。
まだ右手右足は動かないが、ベッドから車いすへ、車椅子からベッドへは、少しの支えで移乗出来るようになった。会話も問題ない。食事も刻み食ではあるが自分で食べられる。尿意や便意も判るようになり車椅子便器も使えるようになった。
とはいうものの、介護4で難聴で目が不自由な86歳では介護と車椅子無では生活できない。練馬の住まいは典型的な日本家屋だからバリアフリーなどとんでもない。で、自宅に近い有料介護老人ホームに入居する事とした。条件は中村橋の自宅から近く、高円寺の妹からも近いところ。
亡くなった母が過ごしたホームへと入居申し込みをする。もちろんOKだが只今満室だという。
「でも、毎月のように空室が出るんですよ。寒くなると一層空室が…。ホームから病院へ入院中の方も三人ほどいらっしゃいますから。ですから、少しお待ちいただければ大丈夫かと。」
早い話がお亡くなりになるご老人が毎月出るという事か…。そして、それを待っていたように空待ちの老人が入居する…ぞっとする話ではないか。でも、それが現実でもある。しょうがないか…。
結局、そのホームからは空きの連絡がなく、退院近しと焦って、別のホームに申し込みをする。大企業の系列会社が経営するホームだから安心感はあるが、お値段は…高い!
審査も終わり、親父との面接も終え、入居が確定したその夜に、例のホームから電話が。
「お待たせしました!空きが出ましたよ!それも二部屋も!」
知るか!(怒)
さて、家内の介護に何の不満もないが、一番の不安は自分が病気になり動けなくなること。自分が動かなくなったら家内の介護は絶望的だ。だから食生活にも気をつけ(てるつもり)、スポーツジムにも通ってメタボ脱却に励んでいる。それでも人間、いつどうなるか明日のことはわからない。
「もし僕が動けなくなったら…伊豆の家の近くのホームに夫婦して入ろうか。そうすりゃ、たまに我が家に帰っても来られるじゃないか」
「伊東市民病院のすぐ下に、みかんの花咲く丘っていう有料老人ホームがあるんだ。部屋も広いし、設備もいいし、見晴しはいいし、病院にも近いし…値段も東京と比べれば断然安いしね」
そう考えていた。
ところが、唖然とするニュースが飛び込んできた。
なんと、その「みかんの花咲く丘」を経営する株式会社伊豆の里が倒産したという。債権者より東京地裁へ会社更生法の適用を申し立てられ、同日保全管理命令を受けたそうだ。負債総額は約20億円という。
保全管財人は、「入居者に迷惑をかけないよう運営はこれまと同じように継続する。安定した経営を続けるためにも新たなスポンサーを募集したい」と話しているというが、さて。
10年後の伊東市は60歳以上が48.5%と概ね二人に一人が中高齢者。70歳以上の高齢者割合は33.6%となり三人に一人は70歳以上の高齢者となる事が予想される。
安心して暮らせる老後社会の未来はあるか。