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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

親父のこと(2)

2008年07月27日 | 定年後の徒然日記
どうやら安定状態に入ったが、右半身麻痺と言語障害は残ったまま。それに嚥下障害があり、鼻からチューブを胃に通して栄養を注いでいる。こちらの言っていることは理解できているようだが、言葉は何を言っているのか判らない。まぁ、なんとかコミュニケーションが出来る程度か。

入院先の日大板橋病院担当医からは、そろそろ他のリハビリ専門施設に転院させてほしいとの要請がきている。早速、亡母が世話になった杉並区和田の救世軍ブース記念病院に受け入れを打診する。ここなら高円寺の妹の店から近いし何かと便利だから。ところが、現在満床で入院出来るのは早くて三カ月先だとの由。

それならいっそ、中伊豆リハビリセンターへ入院させないか?家内が世話になった中伊豆リハビリセンターなら安心して任せられるし、リハビリのレベルは日本で七番目だそうだからトップクラスだよ。それに、ここなら車で20分の距離だからしょっちゅう見舞いに行けるしね。

妹から中伊豆リハに入院申込書を送ったと連絡が来た。

家内の介護と遠距離を理由に、ずっと妹に母の面倒も父の面倒もかけっぱなしだったけど、中伊豆リハへの入院ならしょっちゅう見舞いに行って様子を見られるだろう。親父には、若い頃さんざ迷惑をかけたが、叩かれたことはおろか叱られた記憶もない。いつか「ありがとう」と感謝の言葉を言いたかったが照れが邪魔して何も言えなかった。中伊豆リハに入院が決まれば、少しは感謝の真似ごとでもしなければ。

去年は9月から11月までの三ヶ月間、毎日のように中伊豆リハに通ったものだ。不安そうな家内と別れて、真っ暗な伊豆スカイラインを家路に向かう度に、鹿やタヌキが見送ってくれた。拓郎のCDをガンガンかけながら毎晩涙を流していたっけ。
あの時のせつない思いが又繰り返されるのだろうか。

心が重い夏

2008年07月20日 | 定年後の徒然日記
親父が倒れてから二週間経った。どうやら命は取り留めたが、右半身付随と言語障害、嚥下障害は残ったままだ。脳梗塞で入院出来るのは一か月、その後はリハビリ施設などへの転院を強いられる。リハビリ施設の後は…家での介護は事実上不可能だから介護付き有料老人ホームへの入所しか選択の余地は無いだろう。父も母とまったく同じ人生の終末を送ることとなりそうだ。

久しぶりに海をみたくなった。好きな海は新婚旅行の思い出のある今井浜と下田の外浦海岸だ。


今井浜は車椅子での散歩は無理だから外浦海岸の遊歩道に行くことにした。今井浜にさしかかると海岸は海水浴客でいっぱいだ。次の白浜は勿論ビーチパラソルと人の山。もうすぐ外浦というところで気が変わる。混み合う外浦海岸を車椅子で歩いても汗をかくだけだね。そうだ、ここまで来たんだから下田の海中水族館に行ってみようよ。イルカやアシカのショーも楽しいし巨大水槽で泳ぐサメを見るのも涼しいかもね。(二回行ったとこだけど)
下田海中水族館、夏休みだからか入場料は二人で3800円!た、高い!しかも入場してみるとここも人で一杯。人ごみの中を車椅子で見物するのは大変だ。それに三度目だから感動もないし、三度目の水族館はずいぶんと狭く小さかった。ショーのレベルもダイナミックさに欠けるなぁ・・・。人ごみの脇のベンチに座り、二人でソフトクリーム一つを舐める。帰ろうか…「ウン…」

伊豆半島は夏休みモードでどこも人と車でいっぱいだ。帰りの車内、会話が進まない。ぼんやりと拓郎を聞きながら車を走らす。

家内の腰に出来た床ずれになりかけの痣、一向に良くならない右手右足の硬直、不随運動の口のモグモグで舌を噛んでしまう怖さから食も進まず会話も途絶えがち、薬への疑問、症状悪化への不安…僕よりも家内のほうが何倍も不安でいっぱいな事だろう。眠れない夜が続く。

どんな事になろうとも、ずっとこの家で二人で暮して行こうね。僕はいつでも君の傍にいるし、月に1~2回の出張時は娘が泊ってくれるだろ。何も心配することはないからね。ずっと二人でこの家で暮して行くんだよ。何度も何度も同じセリフをささやく。家内、ようやく安心したようにニッコリしてうなづく。

僕たちの人生の終末はどうなるんだろうな。最後はどちらかが一人になるのだが、それまではずっと二人で暮らしていきたい。でも、その後は…?もちろん一人になってもこの家で暮して行きたいけど、もしかして自分が脳梗塞とかになったら?自分が先に逝ったら?

夏休みの伊豆は賑やかだ。
だが、私の心は重い。ちっとも気が晴れない。梅雨時のどんよりした気分がずっと続いている。腰のほうはだいぶ良いが庭の手入れも遅れがち。もう一か月も消毒をしていないからバラの葉は黒点のオンパレード。黒く染みた葉が次々と黄変している。

家内が眠りにつく八時からは、面白くもないTVをぼんやりと見ながらウィスキーをちびちび飲る。ボトルが空になるのが早い。
心が重い三度目の夏だ。

親父のこと

2008年07月11日 | 定年後の徒然日記
オフクロが逝ってもう三年近い。昨日のようでもあり、随分と昔のような気もする。

オフクロはいつも実家の芯だった。うっすらと記憶にあるのは黒門の幼稚園時代からであるが、いつも我が家はオフクロを中心に廻っていたような気がする。
親父は腕一本の技能で八十を超えて尚、先生と頭を下げられる邦楽家だ。小遣い欲しさに親父のカバン持ちでついて回った先でも、親父はお仲間や弟子たちに挨拶される。倅ながらちょっぴり誇らしい気持ちを感じたこともある。だが、家ではいつもオフクロが中心だった。家だけではなく、親父の職場でも、親類縁者の集まりでも、ご近所においても、オフクロの存在感のほうが圧倒的に大きかったような気がする。

親父は決してオフクロに声を荒げることはなかった。声を荒げるのはむしろオフクロのほうだったな。襖越しに聞こえる夫婦喧嘩でも声が大きいのはいつもオフクロ。苛められている母親という感覚はまったく無かった。いいかげんにして欲しいとおもう相手は親父ではなくオフクロへ向けての反発だった。

どんな縁で一緒になったかは知る由もないが、竹を割ったような性格で気が強く、親分肌のオフクロ。親父もずいぶんと我慢したのではないだろうか。もっとも夫婦喧嘩は犬も食わぬというし男女の仲は不可解でもある。
しかし、オフクロの作る料理は一流だった。若いころから贅沢をしたようで舌も肥えているのだろうが、和も中華も洋食も、何をつくらせてもめっぽう美味い。親父の膳はいつも旨そうな肴がのっていた。その肴を前にゆっくりと時間をかけて酒を飲む親父。酒はいつも剣菱だ。火鉢にかけてある薬缶で徳利を人肌に温め、酌をするオフクロの姿が子供心にも好きだった。

オフクロの晩年は幸せだった。海外旅行もヨーロッパ・北アメリカ・アジアなどを存分に楽しみ、とりわけ茶道を通じたお茶仲間との食べ歩きや観劇・旅行は数知れない。金遣いは荒かった。お茶道具も着物も旅行も料理も一流じゃないと気が済まない。
一方、親父の楽しみといえば、毎日の晩酌とバカチョンのカメラ、そして格安のツアーパック旅行。地味でおとなしく静かな親父であった。

オフクロが実家の玄関先で倒れ、打ち所が悪くて脳挫傷。以来、脳死状態となったオフクロの病床に毎日通う親父。一年半の脳死状態から奇跡的に意識を取り戻したオフクロを高いお金を払って実家近くの有料介護老人ホームに入れ、亡くなるまでの三年間というもの親父は毎日のようにホームに通ったものだ。倅から見てもオフクロは幸せだった。

オフクロが逝ってからはめっきり年老いた親父。歩く足元もおぼつかない。それでも毎晩一合の酒は欠かさない。実家に近い高円寺で店を持つ妹が親父の面倒を見ているが、家内の介護を口実に実家から足が遠のいてしまった。名残雪のような仕事でも家政婦さんを頼んでまで遠くに出掛けるというのに。この前会ったのは一月の母の三回忌だった。上野池の端の亀屋での法事の酒が最後だったっけ。近いうちに顔を出そう…一合をゆっくりと楽しむ親父の昔話を聞きに。


この文をワードに打ち込んでいたのが8日(火曜日)の夜10時頃だった。
翌9日の夕方、妹から電話が入る。親父が倒れて日大板橋に運ばれたと。昨晩遅くに親父の部屋で頭から血を流して倒れていたそうだ。右半身付随、言語障害で会話は出来ず頭が腫れあがっているそうだ。診断は脳梗塞。倒れたのが昨晩遅く…ということは親父のことを記述していた時間じゃないか。虫の知らせだったのだろうか。

翌日、急遽家政婦さんに来てもらい家内の介護を頼んで東京へ向かう。無事でいてくれ、親父…。気がせかされ東京までの道程が遠く感じる。

集中治療室に親父の姿があった。顔が腫れて別人のようだ。本人はしきりに話そうとするが何を言っているのか分からない。担当医から状況を聞く。かなりの時間を経過した脳梗塞。それも86歳…ここ一週間が山だが安定に至っても右半身付随は免れぬそうだ。この場合、安定とは治ることではなく症状に動きがなくなるということだ。右半身付随はもちろん、嚥下障害もおこるだろうから口から物は食べられないだろうと。オフクロと同じじゃないか…。家内も脳血管障害だというのに。

しばらく病室にいて親父に話しかけるが会話不能。集中治療室では何も出来ないので心残りではあるが病室を出る。
妹に後を託して伊豆へと向かう。週明けにまた来るからね。車窓から夕暮れの海をぼんやりと見つめながらあれこれと考える。もしもの時は…悪いことばかり考えてしまう。

家内に親父のことを報告。
「ワタシトオナジナノネ…カワイソウ…」
目にいっぱい涙を浮かべながらつぶやいた。


スポーツクラブに通い出したジロー

2008年07月02日 | 定年後の徒然日記
腰痛もだいぶ回復してきたが、朝方、ベッドから不用意に起き上がるとギクッとくる。トイレにしゃがむのも及び腰だ。だが、朝食も終わる頃になると調子が良くなる。もちろん無理は出来ないが、庭仕事も始めた。庭仕事といっても、一に花柄摘み、二に雑草取り、二週間に一度の消毒。だが、夏の雑草は半端じゃない。取ってもとっても…。

整形外科医いわく、腰椎を囲む筋肉の弱りが原因だとか。予防法は、①体重を落とすこと ②運動をすること ③腹筋・背筋などを強化すること。

要は太らないように食事を考えて、運動せよ!ということだ。

で、毎朝のウォーキングだが、ギックリ以後、この一か月な~んにもしない。当然筋肉は退化。腹は出て、ビール止まらず、メタボ悪化の兆し。
これではいかん!絶対イカン!
アナタ一人の体じゃないのですよ…何回言われたか。全くそうだ。家内が安心して暮らすためには何よりもジローが元気でなくちゃ。判ったね!と猫に言う…。

このままではいずれ遠くない時期に脳梗塞か心筋梗塞、良くてギックリで寝たきりになる。そうなれば…我が家は地獄だ。

たけちゃんでさえ食事制限?(お酒制限はしないのね)して減量に必死だというのに、このままグータラしてどうすんのかね。(たけちゃんでさえは失礼だよね)


伊豆新聞の広告を見る…ん?筋肉つける?メタボ解消?トレーニングジムが伊東にもあるんだ!知らなかったなぁ。思い立ったらすぐ行動が取り得だから、さっそく伊東市内のジムへ。
若い溌剌とした(もちろん腹は出てない)のお兄ちゃんが受付兼トレーナー。

「そうですか、腰痛ですか。それって腰椎の周りを囲む筋肉の衰えなんですよね」
(判ってるって…整形外科医とおんなじセリフだ…)

「週に一回のコースと、週に何回でも使えるコースがあるんですが…やっぱり週に二回以上やらないと効果は…」
(家内のデーサービスが週に二回だから、その日しか来られないんだよ。週何回でもって言っても二回しか来られないのよね)

「上履きシューズと体操着とタオルを持参してくださいね」
(早速ユニーのスポーツコーナーへ。ウォーキングシューズ・体操パンツ・体操シャツを揃える…出費だ)

初日
①ヒアリング(早い話が生活態度の聞き取り調査ね)
②体重測定(びったし77㎏)⇒目標70㎏!7キロ減量だ!(掛声だけは勇ましい)
③メニューが提案される。(おっしゃる通りに致しますゆえ…)
④じゃ、はじめましょうね。

1.自転車漕ぎ30分…最初の10分は快調だったけど…もう汗びっしょり…効くぅぅぅぅ
2.軽い腹筋運動…腰に負担がかからないような感じの運動…これ楽ちん
3.ウォーキングマシン30分…初めてだからバーを掴まないとヨロケテ…となりのおばちゃんカッコよく歩いて…横目でフフっと笑われたような…。
ここまでざっと70分ほど…もうパンツもシャツも汗みどろ…もう5㌔は減量出来たんじゃないかなぁ。

「どうですか?今日は初日だから、後は軽いストレッチで終わりにしましょうね。」
「あっ、次回は今日のメニューの前に体操がありますからね」

(体操ねぇ…)

「軽い体操ですから…40分くらいですけど」

(軽い体操で40分?)

甘かったねぇ。
二回目は最初に体操40分。な、なんと、参加者はおばさまばかりで男性は…ジローと同年代の男性二人だけ。
インストラクターは若いスリムな女性だ!
「それでは始めましょうね…右足を前に…両手を…右にひねって…首を横に…」
先生…しなやかなボデー…それでいて…なんか…色っぽい。
にやけたジローのいやらしい目つきを悟られないように、じっと先生の動きを見つめて体を動かすが…う、動かないのよ~~~~~~~
ぜんぜ~ん、ついていけません。
足が…からまって…ヨロヨロと…首が…こ、腰が…もう、みっともない姿でウロウロと。
となりのオバサマ、ふふ…笑われているようで…。

体操⇒自転車漕ぎ⇒ウォーキングマシン⇒ストレッチ
さっと120分経過です。
シャワーを浴びてスッキリね。

家へ帰って気分よくビール!
う、美味い!