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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

孔子と敦盛

2006年08月09日 | 定年後の徒然日記
子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。

十五歳で学問に目覚め、三十歳で人格を形成。四十歳で迷いを断ち切り、五十歳で天の意志を知る。六十歳では耳に聞く噂や忠告にも心を動かすことなく、七十歳で自分の思うままに自由に生きる事が出来た。孔子の人生回顧談である。
 
私の場合、15歳では学が苦痛であった。ひたすら遊び呆けていたが、一方で有名進学校へ入りたくて塾などに通いはした。中途半端な勉学で有名校に入れるわけも無く、まあ無難なレベルの高校に潜り込む。三十歳では既に独立。夢と野望と高邁な理念などは更々無く、ひたすら食わんが為の独立ではあったが時代の波にのり急成長。経済的には一応立つには至ったが人格面では未形成であった。四十歳では迷いに迷い、なんだかんだと思い迷ったあげくに、まっいいかで妥協する。五十になっても相変らず思い悩み、下手な絵を描いては消し描いては消す繰り返し。目の前に還暦が迫るようになり残りの人生もはっきりと見えてくる。こんなもんかと見切りをつけ、終の棲家を建てて晴耕雨読としゃれこんだ。しかしながら、六十にして耳順わず、相変わらず娑婆の動きに惑わされ、晴耕雨読も適当な半落ちリタイアの毎日である。このぶんで行くと、七十になっても、不埒な夢を思い描く往生際の悪い爺になるに違いない。

人間五十年 下天のうちをくらぶれば
夢まぼろしの如くなり
ひとたび 生を受け 滅せぬもののあるべきか

敦盛の一節であるが、もはや六十
下天のうちと比べなくとも、あっという間の人生だった。
あと十年、もしかしてあと二十年後に老いさらばえて逝く時に
あぁ面白かったと笑って逝きたいものである。

せめて次の十年は、「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」といきたいが。




心地よい酔い加減

2006年08月06日 | 定年後の徒然日記
昨夜は楽しい時間を過ごさせていただき感謝。
たけちゃんの赤ワインと〆鯖、天星さんの赤ワインとチーズ、ご馳走様でした。
悪童三人組、年の功から言えば私が長男、たけちゃん次男、天星さんは末弟です。世が世ならば長兄が総領、もっと威厳を持ち敬われなくてはなりません。がしかし、弟達の識見とユーモアについていくのがやっと。これからもご指導くだされたく。
缶ビール6本、ワインボトル二本、スコッチボトル半分、久保田少々、が消費量、久しぶりで心地よい酔い心地となりました。たけちゃんは何時も疾風のように消え去ります。天星さん千鳥足。何れ又。

東京は暑かった

2006年08月04日 | 定年後の徒然日記
昨日は東京でお仕事。東京駅に降り立ったとたん、ムワ~ンという熱気が押し寄せてきた。とたんに汗がドバー。もう帰りたくなってしまった。事務所で打合せ後にランチタイム。サラリーマンでごった返す街中で、さて何を食おうかとウロウロ。目に留まったのがラーメン屋。そうだ!伊豆の生活は塩分カット、カロリーカットの毎日だから、たまにはしっかり塩分補給しなくっちゃ。汗が出たときゃ塩分補給しないと体に悪い? で、醤油ラーメン+餃子+ランチタイムサービスの半ライス
うぅ…久しぶりのラーメン…旨い
冷房ガンガンの店でラーメンを味わい、表に出たとたん、汗がドバー
夕方、新宿へ。この雑踏は何だ。人・人・人…コンクリート、アスファルト、人の発散熱・空調排気熱・車のエンジン熱。街中は35度を超えてるんじゃなかろうか。取引先の事務所で雑談後、駅前ルミネ8階へ。今日は先方の驕り。双方とも高脂血・中性脂肪過多・糖尿寸前・メタボリックシンドロームだから「軽いものでいいよね?」とミニ懐石を注文。ミニでも6000円ね。生ビールと焼酎一本頼んで「お疲れ様~」
しゃれた器で出てくる料理…はっきり言っておままごと。刺身なんぞは超薄っぺらで やっぱり伊豆高原の店のほうが断然いい!「ふみ」だったらお昼2300円のコースで、味は一流・ボリューム十分・器も品があり大満足なのに…
で、焼酎を空にして、お互い遠方だからそろそろね
新宿~中央快速~東京⇒熱海(熱海では花火の音がドドーン)⇒伊東⇒伊豆高原
あぁ帰ってきたぁ 伊豆は涼しいなぁ ホッとするなぁ
盆明けまで東京には行かない事にした。

元気になると元の木阿弥

2006年08月02日 | 定年後の徒然日記
カミサン、大分回復してきた。毎日のリハビリ散歩が効いているのか、ここ数日は東急ストアでお買い物。一昨日なぞはユニーの広い店内をお買い物。ショッピングカーが杖の代わりとなるので歩きやすいらしい。体が回復してくると共にヘラズグチも回復だ。
たけちゃんが「夫婦愛」を賞賛してくれたが、「深い夫婦愛」を実感したのはカミサンの手術中から病床、退院、そして動けない間中だけね。ほんの数ヶ月前までは、何かというと悪口雑言で小生を攻撃するカミサンに辟易する毎日を繰り返していたものだ。うっるせー!いいかげんにしろ!といつもの冷戦で明け暮れていたのである。がしかし、いざカミサンが倒れると、カミサンとの恋愛時代から良い思いでのシーンばかりが脳裏に浮かび、「俺一人をおいていかないでくれぇ…一人では伊豆に暮らせないよぉ…喧嘩しても側にいてくれないと生きていけないよぉ…グスン」と涙しながら酒を飲むのです。カミサンもすっかり心細くなっちゃって、「ねぇアナタ、ごめんなさいね、感謝してるわ…アリガト」なんて言ってくれるもんだから、ベッドでしっかと手を握り合いじっと目を見つめあう。そこに看護婦登場!「まぁ仲がヨロシイコト」
それがアナタ、日に日に状況が変化してくるのです。つまり元気な頃のあの冷戦が垣間見えてくるのです。皆様にご心配をお掛けしつつも、つかの間の夫婦愛に酔いしれていたが、このぶんで行くと数ヵ月後には元の木阿弥…ま、こんなもんです。
夫婦愛を取り戻さなくっちゃ…