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定年後の伊豆高原 バラと酒と音楽と

伊豆高原に終の棲家を建築し永住。カミサン、愛猫ジローとの伊豆での老後は如何に。薔薇・酒・音楽・日々の徒然。

なんてこった

2008年08月28日 | 定年後の徒然日記
全くついてない。
朝起きがけは要注意なんだけど、家内のシャワーで中腰のまま石鹸を取ろうとしてギクゥ~~~~
またやってしまった。
日がな動けず、夕方、家内と共に整形外科へ。レントゲンの結果、前回と同じく老化による変形性腰椎症と診断。痛み除去の対症療法しかなく。痛み止めの薬を処方された。
家内の手を引き医者に行くが、こちらも腰が曲がって痛くて歩けない。夫婦でこの有様、笑ってしまうよね。もう泣くぅぅ…


新築時に購入したリビングソファー、イタリア製の革張りで結構なお値段だったけど、柔らかすぎて腰に悪いんです。ブログ友達で欲しい方がいらっしゃったら差し上げます。移送費は負担していただくけど。三人掛けと二人掛けのセットだけど、広めのリビングルームでないと収まらないかも。

明日は家内のデーサービス、送って行けるだろうか。中伊豆リハの親父の見舞いはパスだろうな。
二か月続いているスポーツクラブもお休みしなくちゃ。クソォ~~折角体脂肪率が減ってきたというのに。

動けないから、寝ながらMDでBBキングとアルバートキングのブルースに痺れているだけ。
こうして寝ながらキーボード打つのも疲れるねえ。

親父のこと(3)

2008年08月25日 | 定年後の徒然日記
親父が中伊豆リハに入院してから早一週間が過ぎた。東京からはるばる中伊豆に来てくれたのだから、せめて親孝行の真似ごとでもしなくてはと毎日のように見舞いに行く。昨年入院していた家内は看護師や療法士に顔見知りが多いから時々一緒に連れていく。あちこちから声が掛かるので家内も嬉しそうだ。
緑内障で片方の目は見えず、もう片方は白内障。しかも耳がすっかり遠くなり言葉も呂律が回らない。それに右半身麻痺で自分では用もたせず、嚥下障害でいまだに鼻からの管栄養ときているから、一段と老いが深まった感がする。

俺だよ、判るか?
「○×▽□?♭♯?…」
どこか痛いところあるかい?
「○×▽□?♭♯?…」
夜は眠れるか?
「○×▽□?♭♯?…」
何を言ってるか分からないけどさ、元気だしてくれよな
「○×▽□?♭♯?…」

初日はこんな調子だったが、だんだんと動きが良くなってきた。右半身麻痺は相変わらずだし、呂律の回らない言葉もなんとか理解出来るようになってきた。

リハビリ辛いか?
「ツラクハナイヨ…ヒマデショウガナイ」
夜眠れるか?
「ネムレナイ…」
そうだろうな…運動しないでベッドの上だからな。
「マダクチカラモノヲタベラレナイノカ?」
口から飲み込むテストをやって、上手くいけばゼリーくらいから初めて少しづつ固形のものに切り替えていくのさ。ま、普通の食事が食べられるまでは時間がかかるけど我慢するしかないよ。
「ビールデモノミテーナ…」
酒なんてとんでもないよ。毎日のリハビリをしっかりやって努力を重ねていけば、いずれビールも飲めるだろうよ…そうなりゃ剣菱だっていけるぜ
「ケンビシカ…イイネエ。イツニナッタラカエレルンダ?」
口から物が食べられるようになって、自分でトイレに行けるようになったらさ…三か月はかかるかもな。だけど、それだって、治そうって強い気持ちがなけりゃ駄目だぜ。
「ワカッテルヨ…。ダケドナサケナイコトニナッタナア…」
しょうがないじゃねーか。誰だって脳梗塞になればそうなるんだよ。長嶋だってそうだろ、国民的英雄の大選手だって脳梗塞になっちゃぁ右半身麻痺で言葉もしゃべれない。だけど必死の努力でなんとか自力で歩けるようになったし、話もできるようになったじゃないか。そうなるまで長嶋だって一年以上はかかったんだから。○○子だって、このリハビリセンターで三か月頑張ったんだぜ。
「ソウダヨナ・・」
だから泣き事なんか言うなよ。治すしかねえんだからさ…。東京からは遠いいから妹はあまり来れないけど、俺は車で20分だから一日おきには来るからさ。
「ソウカイ…タノムヨ」

家内が入院した時は、中伊豆への見舞いが毎日の日課であった。ほぼ一日中つききりであったが、それでも家内の体と心が心配でたまらなかった。あれこれと考え、涙を流してばかりいた頃だ。
しかし、親父への心配は家内の入院時とは全く違う感情だ。親父に接する態度や言葉使いも全く違う。もちろん親父を心配する気持ちに変わりはないが、強い調子で本音をビシビシ言う。どうしてこうも違うのだろう。もっと優しい言葉をかければ良かったかなとは思うが、言うほうも聞くほうも照れが先に出てしまう。男が男にかける言葉はどうしてもストレートな言い草になってしまい優しさが足りない。だが、親を心配する気持ちは皆一緒だし、第一、親父もその辺のところは十分に判ってくれているだろう。
昨日今日の天城路は深い霧に包まれていた。

訳もなく苛立つ日々

2008年08月21日 | 定年後の徒然日記
一昨日、親父は妹夫婦の運転する車で東京板橋にある日大板橋病院から中伊豆リハビリセンターにやってきた。途中交通事故渋滞で5時間の長旅となった。親父の鼾は半端じゃないので、同室の患者の迷惑になってはと個室への入居だ。三か月の入院となった。差額料金は鼾以上に半端ではないがやむを得ない。

手続きやら担当者(医師・担当看護師・理学療法士・作業療法士・言語嚥下障害療法士・地域カウンセラー)が入れ替わり立ち替わりやってくる。そして同じような質問の繰り返し。ようやく解されたのが午後四時。親父一人を残して妹夫婦を連れて拙宅へ。

遠路ご苦労様と「たつの」に頼んで大漁盛の接待。ところが、たつのの女将が変形性膝関節症で出前不能となり料理を取りに行く。たつの、昨日は臨時休業となった。夫婦が元気を前提の商売、片方が具合悪くなると商売も出来なくなる。近くに立ち寄ったら見舞いの声でも掛けてあげて欲しい。

一昨日、昨日と、なんやかやで中伊豆へ。そして今日は家内を連れて中伊豆リハへ。中伊豆リハ三か月の入院経験をもつ家内は、親父にいろいろアドバイスしたいようだが、なにせ言葉が不自由だ。親父も言葉は不自由だから、互いに手を握って見つめあうばかりだ。
幸い、親父は男だし、人間関係や団体生活は全く問題ない性格だし、リハビリも前向きだから、こちらもその分気が楽だ。とはいうもの、「情けない…こんな体になるとは思いもしなかった」とたどたどしい声で言われた時は泣けてきた。

天城高原料金所~中伊豆リハの通行料は往復で420円。
しかし、天城高原料金所→中伊豆リハ→冷川料金所は210円。冷川~中伊豆リハ往復も210円。冷川料金所→中伊豆リハ→天城高原料金所も210円。
同じ距離なのに何でだ?
家内の入院時は毎日通っていたから、天城高原料金所~中伊豆リハ往復420円×通った日数80日=33600円。昨今ガソリン代も馬鹿高だから、こういう経費も半端じゃない。道路運営公社に電話で「何故だ!」と文句を言ったら、中伊豆リハを通じて言ってくれとタライ回し。

料金所の改札に文句言い、不良少年となって夜遊びするジロー(猫)に文句を言い、名残仕事の担当者に文句を言い、手入れ不能で黒点万延のバラと伸び放題の芝生に腹を立て、星野ジャパンにいらつき、ナデシコジャパンにいらつき、スーパーのレジの無愛想に腹を立て、ガソリンの馬鹿値に怒り狂い、シングルモルトの空に頭にきて、…いったい何に向かって腹を立てているのか、そういう自分に腹を立てる始末だ。ウジウジと男らしくないねぇ、しっかりしろってんだ馬鹿たれが。

家内の前では決してそのような態度をしてはいけないと、もちろん、十分判っていても、そこは四十年も連れ添った女房、ジローの顔色の動きで敏感に察してしまう。「ゴメンネ、アリガトウ」なんて小さな声で言われると、もう自分が情けなくて。

この苛立ち…消えてくれないか…。
しょうがないねぇ、ま、なんとかなるさね…いつもの自分の好い加減さが出てこない。
まだ、始まったばかり。これからもっともっと悪くなるかも知れないのに。

孫遠方より来たり、亦楽しからずや

2008年08月13日 | 定年後の徒然日記
大学二年になる孫が遊びにきた。上の娘の子である。
故あって孫は寂しい少年時代を過ごしたが、愚れもせず素直に育ってくれた。私たち夫婦にとっては唯一人の孫であるから可愛いが、縁遠くなってしまったのでお互い少々ぎこちない感がある。折角の来豆なので、どこに遊びに行こうか、何を食べさせようか、寝具はどうしよう、と、あれこれ楽しい計画をたてる。
大宮発スーパービュー踊り子で10時半の伊豆高原着となった孫を迎える。身長180㎝に伸びた孫は今風のイケメンだ。上手く話せない家内も孫を見る眼差しがうれしそうだ。

家内、次女、孫、を連れて、一日目はシャボテン公園に遊びに行く。



孫が小学二年生の頃に連れてきたところだが、孫は思い出せないようだ。入口から園内は車椅子で観光可能であり、珍しい動物を見ながら楽しい時間が過ぎていく。

孔雀と対話の孫


ペリカンにコケにされるジロー


夜は「たつ野」に頼んで刺身の特別盛りを出前してもらう。伊勢海老・鮑・サザエ・鮪トロ・イサキと豪華な膳が並んだ。孫は缶チュウハイだが、家内もコップ半分のビールでカンパ~イ!照れもあるのか口数は少ない孫だが、二泊三日の滞在中は良い思い出をたくさん作って欲しいものだ。

薄野での邂逅

2008年08月08日 | 定年後の徒然日記
名残雪の仕事で札幌出張となった。蒸し暑さで辟易していたから涼しい夏の北海道なら嬉しいね。
札幌は二年ぶりかなぁ。先輩のT兄と久し振りにススキノで会う事にした。宿泊先のホテルロビーに現れたT兄の姿を見て唖然!あの「北海道の高倉健」と言われてさんざ女を泣かせた?ダンディーが、見る影もなく太ってしまって…。177㎝の長身が太ったから迫力はあるが…。

せ、先輩!久し振り~!会えて良かったぁ~
「おぉ~来たか~!久し振りだなあ」
誰かと思ったですよ、その…あんまり肥えちゃって
「そうなんだよ、リタイアしてからは何せ動かないだろ、で、酒の量は変わらないから…・」
ゴルフは?
「ぜんぜ~ん…親父がさぁ、脳溢血で倒れちゃって…介護でそれどこじゃないんだわさ」
えっ?じゃ、うちとオンナジじゃないの。うちの親父も先月脳梗塞で倒れて…
「この年代になると、親は逝くかボケるか車イス…いろんなことがおこるよなぁ…」
久しぶりの邂逅だから、今夜は旨い肴で飲み明かそうよ 
「じゃ、行こうか…」

まずは北海道生ビールでカンパ~イ!札幌で飲むビールって、なんでこんなに旨いのよ。
「肴、何にする?」
当然、蟹っしょ!それからプリプリのボタンエビね。ウニも…
「高いのばっかしだな」
なんの…先輩と札幌で飲むなんて、もうひょっとして無いかもしれないからさぁ、北海道の旨いものと美味い酒で思い切り楽しもうよ。
後タレの特選子羊の串焼きと…バタジャガも…あ、それから…
「よく食うねぇ…」

ビールの次は…焼酎にしよっか。銘柄は…「中々」これ旨い麦だよね。一本持ってきて!

北海の魚を次々に平らげ、ぐびぐびと酒を交わし、現業第一線の頃の武勇伝に話が弾む。


「じつはさぁ…昨日、半年に一回の検診だったんだ」
うん…
「まだ小さいんだけど…見つかったんだ」
そう…。で、どこに?
「食道…まだ小さいから、もう少し経過を見るんだそうだけど。」
食道なら手術じゃなくて、内視鏡でとれちゃうんじゃないの?
「そうなんだよ、まぁ、じたばたしても始まらないからなぁ、あれから五年も生きてるんだからお釣りみたいな人生だしな」

あの時…辛かったよ。雪の降る夜でさぁ、札幌中央病院のロビーで点滴引きずりながら俺を見送ってくれたよね。
曲がり角で振り向いたらさぁ、先輩、涙浮かべてずっと立ったままいつまでも俺を見送ってくれた…。あの時、正直、もう二度と会えないかと思ってたんだ。帰りの飛行機の中ではずっと酒飲みながら涙が止まらなかったっけ。

「肺癌だったからな…手術出来ないから放射線と薬だけの治療だし、俺もダメかと思ったよ。頭なんかつるっぱげになっちゃってさぁ」
それが、こうやってススキノで飲めるんだから…今夜は嬉しいなぁ。

笑ったり、涙を浮かべたり、呑み、食べ、肩を組み、ススキノの夜は更けていった。
深夜、ススキノの大通で固い握手をして別れる。
「じゃあな…元気でな」
先輩こそ…また飲めるよね!
「たぶん…な」

こちらのほうもいろいろと事情ありだし、こうやってススキノで飲むのも最後となるかと思うと別れが惜しい。


次の日は、名残雪の仕事を適当に片付け、18時42分のANAに乗るべく千歳空港へと急ぐ。この便に乗らないと伊豆高原には帰れない。滑り込みセーフで待合室に…。

あっ!お土産買ってない!のに気がついた。
いつぞや、ブログでの出張報告にチーママさんからコメントをいただいた。
「で、お土産は買ってきたんでしょうね」と、きつい一発。

不安と寂しい思いで待っている家内にお土産を買ってないじゃないか。蟹?さばくのも大変だし…ホタテ?どうもねェ。白い恋人のチョコ?ワンパターンだ…。

空港の売店にひと際大きな張り紙が。
「北海道限定!大人気!生キャラメル」
生キャラメル?生ビールなら判るけど、生キャラメルって?
ご夫人方が先を争って買っているじゃないか。なんか、おいしそうな…

で、お土産となったのが、この生キャラメルと特製プリンだ。これ、小さいのにお値段は結構張るんです。



千歳空港~羽田空港~バス~新横浜~熱海~伊豆高原
家に着いたのは11時を回っていた。もうとっくに眠っているはずだけど。

ただいまぁ!
家内、うっすらと目を開けている。起きていてくれたんだ!
「オカエリナサイ…」
あのさ、お土産あるんだけどさ、知ってる?生キャラメルって…すっごく美味しいんだって。ね、一粒食べてみない?
「ハヲミガイチャッタシ…ソレニ…オソイカラ」
たまにはいいじゃないか、ね、食べてみようよ。

包装をほどいてキャラメルを取り出し、家内の口に一粒を入れる
どう?おいしい?
「…オイシイ…トッテモ…オイシイ…コンナ…オイシイキャラメル…ハジメテ」

じゃ、僕も一粒
う~ん…うぅぅぅ…うまい
このキャラメル、ほんと、美味いよ~!

本当においしそうに生キャラメルを味わう家内の顔は幸せだった。


バラ 挿し木講習会

2008年08月05日 | バラ日記
久しぶりにバラのご報告です。

このところ気分はブルー、親父が脳梗塞で倒れて日大板橋に入院。一昨年のオフクロの死でショックだった親父、めっきり年老いたなぁと思っていたところの入院騒ぎだったので、もしかしたらと気が気ではなかった。幸い命は取り留め、右半身麻痺と言語障害は残るものの元気に生還した。
夏休み明けに中伊豆リハビリセンターにリハビリ入院する事も決まり、一応はホッとしたところ。中伊豆リハに入院したら、また家内の時と同じように天城路を見舞いに通う事になる。

さて、今日は伊豆ガーデニングクラブ・ローズ部会の会合だ。久しぶりのバラ~!って感じ。

今回のテーマは挿木。挿木はクラブメンバーの増田さんの得意技。で、会場を増田ガーデンとして増田節子さんに挿木の講師をお願いした。
参加メンバーは、伊東市在住のローズ部会会員8名と箱根仙石原から参加の新会員5名の13名となった。

増田ガーデンに三々五々集合する間もなく、ピカピカゴロゴロと落雷が鳴り響きスコールのような雨が降り出した。昨日までは雨無ですっかり干からびていたのに、恵みの雨とはいえ、何もこの日に降らなくても良さそうなのにと愚痴が出る。

挿し木に使うバラ(ジョン・クレア)から挿し木用枝をカットする増田講師


少し小降りになったので早速に挿木講習会を始める。
増田さんから簡単なレクチャーの後、講師自らジョン・クレアの挿木枝を大胆にカット。何しろ13名×2本=26本の挿木穂を取るのだから、バッサバッサと惜しげもなく枝を切る。

講師のレクチャーを聞く面々



各自、事前に用意した挿木用小鉢・用土(鹿沼土)・鋏を取り出し準備万端整えます。
挿し穂は、増田ガーデンに咲く「ジョン・クレア(Jhon Clare)」1994年イギリス、D・オースチンの作で、中輪ピンク・カップ咲きのERだ。ERは、勝手に挿木して苗を販売するなどの商売を行うと著作権違反でクレームがつくが、自己用の楽しみで挿木にするなら許される範囲だ。

挿し木手順
①花が終わった直後の花枝を長さ10㎝程度に切り分ける。一人二本程度を配分する。
②切り分けした挿穂を1時間程度水あげする。

水上げの時間を利用して、増田ガーデンを見学する。この春にご主人が手作りした噴水付き丸池に一同驚嘆!いつもなら伊豆七島一望のロケーションだが雨に煙る海原で残念。

③鉢に用土(鹿沼土細粒)を入れ十分に水を与える
④葉からの蒸散を抑えるため、葉を部分的にカット(葉は二~三か所程度)
⑤良く切れるナイフで切り口を斜め切りで調整。
⑥切り口に発根促進剤を塗ることもある
⑦予め湿らせておいた用土に箸などで穴を空け、挿し穂をさして指でしっかり押さえる。
⑧挿し穂を動かさないよう静かに水を与える
⑨一鉢の挿し穂は二本ずつ

これはジローの挿し木。欲張って四本も…。これならどれかは発根してくれるだろうとの魂胆が透けて見える。


みんな神経を集中して挿木穂をさす。何しろ、来年の三月頃に、各自が挿木したジョン・クレアを持参して、その成長具合を評価するコンテストを行うから真剣だ。(ジローの挿木だけが枯れこんだら、ど、どうしよう…) 評価一位~三位までは賞品が授与される。

右の挿し木から、一年後は左のように成長するんです。(うまくいけばね)


自分のお腹を痛めた、じゃなくて、まるで我が子のように愛おしい挿木鉢を抱えてハイチーズ!この写真が証拠写真です。来年三月の成長具合、さてどうなるか…。


因みに、挿し木後の管理は、
①半日蔭で管理する
②土表面が乾いたら静かに軽く水を与える
③葉が黄色く変色したら、挿し穂を動かさないように注意してピンセットなどで葉をとる
④二か月程度で発根が見られる
⑤発根が十分であれば培養土などの鉢上げする

挿し木後の苗の成長ぶりを三年毎の鉢で解説していただいた。これは良く判る事例で有難い。
右から、挿し木直後の苗、挿し木一年目、挿し木二年目、挿し木三年目


増田講師ご夫妻に感謝!

次回の部会は十月開催。イベントは「バラ石鹸をつくる」と「会員庭の秋バラ巡り」に決まった。

バラと向き合う時は何もかも忘れて楽しい。久しぶりに心が浮いた時間を過ごす事が出来た。これに「ウィスキー」が加わると…酒とバラの日々じゃないか。