人間という対象は観察と考察をするに何と楽しい代物なのだろうか。
熱帯雨林から極地まで、世界の津々浦々まで広がったその人類は、経験則的、地理的、気候的、風土的、民族的、歴史的、宗教的に様々な変化を覚え、それでいて尚且つ心理的、人類学的には何らの変化を起こさず、尚且つ変化を起こさないはずの心理作用そのものでさえ、その発見がなされた時に我々は知らなかった灯台の足元の暗さに驚愕し、そして感嘆する。
例えば、人間は各地で振る舞いや行動、そして衣服や住居が異なるが、しかしその比較においてとある共通項が見つかる。
人間は各地での様式が違えど、他の動物と比較すると、死を認識して儀式を挙げたがり、世界各地のどこであろうと必ず葬式をする。他の動物は、コミュニティ内の仲間が死んだ場合でもうち捨てていくだけだ。
あるいは人間は、世界各地どこであろうとかならず衣服を身につける。これは他の生物には無い特徴だ。
人類を含む全生物の状態を俯瞰的に見た場合、他の生物から見てこれほど奇妙な生物はいないが、しかし面白いことに、広大な地球のあらゆるところ、世界各地の隅々にまで散らばった上記の人類の性質は違うことがない。
トイレを作る。椅子を作る。ゴミ箱を作る。これはどこであろうとも実態として人間が行うが、チンパンジーはそれを行うことがない。
あるいは最近のTED講演において、「人類社会における新規方向への創造性というものは、報酬ではなく、与えられたヒマな時間に依存する」という説明がなされた。
ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」 | TED Talk | TED.com
https://www.ted.com/talks/dan_pink_on_motivation?language=ja
無論、新しい社会創造というものは、それまでの人間社会は金を与えればそれを創出できる、それが人間というものであると、経営者や技術者含め、皆が皆、”間違って”思い込んでいたのである。上記のTED講演はそれを見事に否定した。
本題に入ろう。
世界各地に散らばった人類たちは、ある種の共通性をベースに持ちながらも、各地でその形式を異なった形で発展させていった。
人類には変わるものと変わらないものがある。
後者は、人類学や心理学、遺伝学に代表されるような、人間が元々本能で持っている特性、即ち人類の習性である。それには上記で示した人間の習性が含まれる。その習性には、「既存の習慣を変えたがる」「ものごとのからくりを知りたがる」というものがある、と付け加えておこう。
それでは前者は何か、というと、その「既存の習慣を変えたがる」「ものごとのからくりを知りたがる」という本能から、自身の住まう社会に変化を与え続けることである。
さて、その変わるものと変わらないものを挙げてみたが、それらの中間にあるものは更に観察対象として興味深い。ここに例を挙げておこう。
その一つは、人間が持つ「ジェスチャー」である。
あくびやくしゃみは、人間の持つ生理的作用を持つものだから世界共通で行う。
ここから下に行くにつれて、人間の生理的作用の他に、理知的な意図を表現するものが段々と含まれていき、その動作が世界共通でなくなっていくことに注意したい。
・笑う
・ため息
・伸び
・頬杖
・「静かにしなさい」という意味で、唇に人差し指を縦に当てて、「シーッ」とやる(万国共通)。
・悲しむ(日本/欧米では静かに泣く文化だが、中国・韓国ではより大きく表現して泣く)
・笑顔で目を閉じる(アジアは目を閉じるが、欧米では空けたまま)
・足を組む(日本ではある程度フォーマルな場所ではNG)
・座る時に足を開く(欧米ではNG)
・ひじかけに肘をつく(アラブ世界での首脳対談でよく見られる)
・親指を立てる(世界的には良い意味だが、エジプトでは侮辱の意味)
・facepalm(日本ではその習慣が無いので、日本語に該当する言葉がない)
・肩をすくめる