前回までの文章において、情報とは詰まるところ「意味」とその意味を包含する「器」の総合概念であるとした。
インフォメーション: 情報技術の人類史/ジェイムズ グリックでの著作中の言葉を借りれば、「単語は意味の究極的基層の代替表現」であるとのことである。
そして同著の文章では情報の単位は0と1の論理的情報よりも小さいものは無いとし、これを構成することによって世の中の全ての情報が構築されうるという論を展開する。ぱっと見、もっともそれらしく見えるがこれは本当だろうか。私は不同意である。これは現在の工学的には正解であるが、哲学的には正解ではない。どういうことか。
情報のマテリアリズム/藤本一勇の冒頭で、藤本氏は対象の差異よって生ずる意味・認識を情報としている。
私はこれを次のように解釈している。少し難しくなるが続ける。
情報の意味の認識プロセスにおいては、情報を認識する主体と情報を認識される客体の二種類の登場人物がある。情報とは、その主体における価値観・判断機軸からの客体の差異を情報として認識されうるものである。
つまり、0と1においてはゼロ(無)から見た差異である1(有)が情報となり、それらを総合して客観的に捉え、0/1の概念を作り出すのである。
少し奥に入るが続ける。
0から見れば1の位置は「1」の距離が離れた有意体である。
それでは。
0から見た-1の位置はどうであろうか。
これも絶対的な距離「1」の分だけ離れた有意体である。
もう少し奥に入る。
虚数i、-iはどうだろうか。
もう少し奥に入る。
ここから何か想像できないだろうか。
そう、原子における電子雲である。
ここから量子テレポーテーションなどに応用できないだろうかと考えているのだが、量子テレポーテーションの真理が説明を読んでも今一つ分からない。
インフォメーション: 情報技術の人類史/ジェイムズ グリックでの著作中の言葉を借りれば、「単語は意味の究極的基層の代替表現」であるとのことである。
そして同著の文章では情報の単位は0と1の論理的情報よりも小さいものは無いとし、これを構成することによって世の中の全ての情報が構築されうるという論を展開する。ぱっと見、もっともそれらしく見えるがこれは本当だろうか。私は不同意である。これは現在の工学的には正解であるが、哲学的には正解ではない。どういうことか。
情報のマテリアリズム/藤本一勇の冒頭で、藤本氏は対象の差異よって生ずる意味・認識を情報としている。
私はこれを次のように解釈している。少し難しくなるが続ける。
情報の意味の認識プロセスにおいては、情報を認識する主体と情報を認識される客体の二種類の登場人物がある。情報とは、その主体における価値観・判断機軸からの客体の差異を情報として認識されうるものである。
つまり、0と1においてはゼロ(無)から見た差異である1(有)が情報となり、それらを総合して客観的に捉え、0/1の概念を作り出すのである。
少し奥に入るが続ける。
0から見れば1の位置は「1」の距離が離れた有意体である。
それでは。
0から見た-1の位置はどうであろうか。
これも絶対的な距離「1」の分だけ離れた有意体である。
もう少し奥に入る。
虚数i、-iはどうだろうか。
もう少し奥に入る。
ここから何か想像できないだろうか。
そう、原子における電子雲である。
ここから量子テレポーテーションなどに応用できないだろうかと考えているのだが、量子テレポーテーションの真理が説明を読んでも今一つ分からない。
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