場を読む・空気を読む と言うことは何かを書いていく。
日本人は総合的な集団意識の潮流に身を任せやすいと言う点があるため、その利点もあれば、弊害も大きくクローズアップされる。
個としての意見を言いにくいのでトップが誤っていた場合に注進・具申する人間がおらず、大船が違う方向にいって大失敗するのである。
さて、アスペルガー症候群における症状では人の感情を読み取れない、と言うことがある。
これはもうちょっと具体的に言って、「表情が読めない」などと形容される。
だが、私はこの表現が誤りではないかと考える。
どういうことか。
例えば表情が笑顔のまま、相手の心情内として「あっ、こいついまムカついているな」だとか「対応に困っている」だとか「悲しんでいる」と言うのが分かる時がある。これは表情を読み取ることで分かることではない。
ではどういうことになるのか。
それは「『あるべき所作がない』と言う異常」に気がつけるか、と言うことだ。
例えば相手が笑いながら内心怒っている時には、ある種のフリをした後に変な間が一瞬空いて、それで相手が有効的な態度を示してきた時などである。つまり自然に出るべき対応が取れず、その後無理やり自分を動かして有効的なところへ軌道修正した、と言う感じだろう。そういう時はこっちもそれを読み取ってフォローする。
「いやすまん、こっちはなんも否定するつもりなかったけど変なフリ方したわ。本当すまん」と。
わだかまりが残るかもしれないが、これ以上謝ると逆に互いにダメージを負うので、更に深いマイナスを与える前に、ここでしまいにする。
これは対応に困るのでも悲しい場合でもそうで、要は相手が一瞬フリーズするのを読み取れるかどうかというところが問題になる。
で、それを分かった上で空気を読む。
で、更にそれを踏まえた上で、空気を壊さないように、誤りについて具申・注進する。
日本人は総合的な集団意識の潮流に身を任せやすいと言う点があるため、その利点もあれば、弊害も大きくクローズアップされる。
個としての意見を言いにくいのでトップが誤っていた場合に注進・具申する人間がおらず、大船が違う方向にいって大失敗するのである。
さて、アスペルガー症候群における症状では人の感情を読み取れない、と言うことがある。
これはもうちょっと具体的に言って、「表情が読めない」などと形容される。
だが、私はこの表現が誤りではないかと考える。
どういうことか。
例えば表情が笑顔のまま、相手の心情内として「あっ、こいついまムカついているな」だとか「対応に困っている」だとか「悲しんでいる」と言うのが分かる時がある。これは表情を読み取ることで分かることではない。
ではどういうことになるのか。
それは「『あるべき所作がない』と言う異常」に気がつけるか、と言うことだ。
例えば相手が笑いながら内心怒っている時には、ある種のフリをした後に変な間が一瞬空いて、それで相手が有効的な態度を示してきた時などである。つまり自然に出るべき対応が取れず、その後無理やり自分を動かして有効的なところへ軌道修正した、と言う感じだろう。そういう時はこっちもそれを読み取ってフォローする。
「いやすまん、こっちはなんも否定するつもりなかったけど変なフリ方したわ。本当すまん」と。
わだかまりが残るかもしれないが、これ以上謝ると逆に互いにダメージを負うので、更に深いマイナスを与える前に、ここでしまいにする。
これは対応に困るのでも悲しい場合でもそうで、要は相手が一瞬フリーズするのを読み取れるかどうかというところが問題になる。
で、それを分かった上で空気を読む。
で、更にそれを踏まえた上で、空気を壊さないように、誤りについて具申・注進する。
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