現在は不況である事に異論は無いだろう。
だが、現在が耐え時なのか、賭け時なのかについては意見が割れるのではないだろうか。これをよく考えてみる。
「国家は破綻する~金融危機の800年」という書籍がある。金融は、失敗と成功を数多く経験してきた分野であるが、数百年に渡る歴史ではその当事者が失敗を否定したり隠蔽したりしてきた為、その資料が多く集まらない為に知体系化がなされなかった。これを為したというのだ。
英語での原題は「This time is different(今回は違う)」である。これは何かというと、金融に関しては、常に最先端の事を行ってきたという自負が関係者にあるが、それが為に同じ失敗を結局するにしても、毎回失敗の前に「今回は違う」と関係者を説得するのだそうである。
この書籍では、いつの時代も「今は違うんだ、過去とは違う動きをする」と言って、その後同じ金融危機(社会現象)をくりかえしてきたという。つまり、経済は同じ事を繰り返さない、今回だけは違うと言った主張(そしてその主張は裏切られる)と、経済が繰り返すという証明の歴史的に通底する法則が二者が存在する。
これを現在に当てはめてみても同様である。同じ動きだ。後者の歴史的に通底する法則の方を述べてみよう。浜 矩子さんの「(社会的に守られるべき)最低賃金の底は融解し、最低賃金のラインは下降し続ける」という主張は現代だけでなく、過去にも見られる。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」では、労働者需要に対して労働者の供給が多すぎた為に、労働者自身が食うに困って、その日だけでの賃金を貰おうと、自らの賃金をディスカウントして行く様が生々しく描写される。当初1日3ドルなければ生活できないという話しだったが、雇われたいという労働者自身によって少しずつ自らの賃金をディスカウントして行き、ついには1日1ドルという金額まで行ってしまう。
私は未読であるが、マルクスの「経済学・哲学草稿」によると、「人間の供給が需要よりはるかに大きいとき、労働者の一部は乞食の状態か餓死に陥る」とあるようである。
つまりは現在の事業での需要が無ければ、労働者の賃金は下がり行く一方であって、世界の動静に関し、仕事の需要の上下が労働者賃金に直接的影響を及ぼすのである。
これは今回だけではない、長期的に見て普遍の現象である。現在の小手先の回避ではなく、普遍的な機を見出す事は可能ではないだろうか。
ジョージフリードマンの「100年予測」によれば、現在の景気動向は、覇権国家たるアメリカの軍事予算に対応するとする。この世のおおよその技術は軍事技術から発生した。という事は、現在アメリカが開発している技術が民間に転用される際に景気が良くなる、その技術は宇宙からのマイクロ波による電池技術で充電の必要が無くなる、技術転用は数十年後としている。景気動向の鍵はこれだけではないと思うが、このロジックに従った場合、数十年間は景気が良くならず、労働者は厳しい思いをする。
見方を変える。これはチャンスだ。但し労働者側ではなく、事業者側での。
とある事業をしたい場合には、労働者(雇用者)が安く雇える。例えば企業イメージの音楽を有名音楽家に一曲書いてもらうのに500万かかっていたとしよう。これが今では優秀な人間が5万程度で書いてくれる可能性がある。
社会モラル・労働モラルを無視して言えば、怒りの葡萄のようにディスカウント制にすれば、適正限界値まで価格は下がるのではないだろうか(無論、提供側にしてみれば懐が痛い事この上ないのだが)。
だが、現在が耐え時なのか、賭け時なのかについては意見が割れるのではないだろうか。これをよく考えてみる。
「国家は破綻する~金融危機の800年」という書籍がある。金融は、失敗と成功を数多く経験してきた分野であるが、数百年に渡る歴史ではその当事者が失敗を否定したり隠蔽したりしてきた為、その資料が多く集まらない為に知体系化がなされなかった。これを為したというのだ。
英語での原題は「This time is different(今回は違う)」である。これは何かというと、金融に関しては、常に最先端の事を行ってきたという自負が関係者にあるが、それが為に同じ失敗を結局するにしても、毎回失敗の前に「今回は違う」と関係者を説得するのだそうである。
この書籍では、いつの時代も「今は違うんだ、過去とは違う動きをする」と言って、その後同じ金融危機(社会現象)をくりかえしてきたという。つまり、経済は同じ事を繰り返さない、今回だけは違うと言った主張(そしてその主張は裏切られる)と、経済が繰り返すという証明の歴史的に通底する法則が二者が存在する。
これを現在に当てはめてみても同様である。同じ動きだ。後者の歴史的に通底する法則の方を述べてみよう。浜 矩子さんの「(社会的に守られるべき)最低賃金の底は融解し、最低賃金のラインは下降し続ける」という主張は現代だけでなく、過去にも見られる。ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」では、労働者需要に対して労働者の供給が多すぎた為に、労働者自身が食うに困って、その日だけでの賃金を貰おうと、自らの賃金をディスカウントして行く様が生々しく描写される。当初1日3ドルなければ生活できないという話しだったが、雇われたいという労働者自身によって少しずつ自らの賃金をディスカウントして行き、ついには1日1ドルという金額まで行ってしまう。
私は未読であるが、マルクスの「経済学・哲学草稿」によると、「人間の供給が需要よりはるかに大きいとき、労働者の一部は乞食の状態か餓死に陥る」とあるようである。
つまりは現在の事業での需要が無ければ、労働者の賃金は下がり行く一方であって、世界の動静に関し、仕事の需要の上下が労働者賃金に直接的影響を及ぼすのである。
これは今回だけではない、長期的に見て普遍の現象である。現在の小手先の回避ではなく、普遍的な機を見出す事は可能ではないだろうか。
ジョージフリードマンの「100年予測」によれば、現在の景気動向は、覇権国家たるアメリカの軍事予算に対応するとする。この世のおおよその技術は軍事技術から発生した。という事は、現在アメリカが開発している技術が民間に転用される際に景気が良くなる、その技術は宇宙からのマイクロ波による電池技術で充電の必要が無くなる、技術転用は数十年後としている。景気動向の鍵はこれだけではないと思うが、このロジックに従った場合、数十年間は景気が良くならず、労働者は厳しい思いをする。
見方を変える。これはチャンスだ。但し労働者側ではなく、事業者側での。
とある事業をしたい場合には、労働者(雇用者)が安く雇える。例えば企業イメージの音楽を有名音楽家に一曲書いてもらうのに500万かかっていたとしよう。これが今では優秀な人間が5万程度で書いてくれる可能性がある。
社会モラル・労働モラルを無視して言えば、怒りの葡萄のようにディスカウント制にすれば、適正限界値まで価格は下がるのではないだろうか(無論、提供側にしてみれば懐が痛い事この上ないのだが)。
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