とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

日本のこれからの再興案

2020-10-25 17:59:11 | 国内社会批判
私は仕事の振られすぎで人生が潰れた。しかしその後にそれを支えてくれた方がいる。
副部長のKさんに今までの経緯を言ったところ、「それを立て直して行ければ・・・」とおっしゃってくださった。
私は何とか10年超を経過して徐々に回復しつつある。
それを与えた〇〇のことは忘れることはないが、しかし私が回復したのはまたそれとは別にして経過した事実である。

さて、その立て直しプランについて、あれこれ考える内に日本についても考えた。
日本が世界の重要な一角を占めながらも、しかし低迷してきたのは皆が実感する認識であり、そして皆が皆、どうにかしたいと考えているが、どうにもならない現実が存在する。

して、どうして日本は低迷しているのか? 今後はどのようにすれば良いのか? 
それを私なりの意見としてまとめたので、考えたものをここに書き出していきたい。
それでは始めよう。

1.産業構造の変遷

 もうごくごく簡単に言えば、「産業構造の変遷」をしていないと言うことに尽きる。
 基本的に国家の産業構造は30年単位で変遷すると言われる。
 例えば、80年代の花形産業であった半導体産業は今どうなったか? 
 それは学校卒業間際に、その学生が夕食などで親と会話して「そろそろ就職先を決めなさい、安定しているのは半導体産業だからそこに就職口を求めてはどうか」なんて話して、それに本人も親も同意して、そこに勤めたものはいいものの、日本国内半導体産業は今重要な一角を占めつつもしかし防戦を強いられているジャンルであり、こういうことは予想できなかっただろう。学生本人もその親も、「当座は安定していそう」などと思って選択した業界があと10年くらいしか持たずに、その後は防戦一方であるというような業界を選択してしまうのだと。
 これは他の産業でも例外ではない。
 80〜90年代にフジテレビ入局したらそれはもう花形中の花形であったが、今のフジテレビの凋落は誰が予想したのだろう。
 元々産業寿命30年説と言うのは大昔から言われていることで、日本工業創世記の時代には、「糸偏の企業」つまり紡績関係がもてはやされていたのだが、もうそれはないだろう。

 アイスの自販機がある現代において、氷屋がいいと思っている人はいないが、アイスの自販機が無い時代に「氷屋がいい」と思ってしまう人が沢山いて、その人たちが「氷屋」の時代をひきずって、新しい産業へのシフトを困難にせしめている。

 今戦うなら何が良いか? これはITでも医療でも物流でも通信でもなんでも良い。
 直近数年のトレンドは「コロナワクチン」になるだろうが、長期的投資の対象とはならない。
 現代の「食える産業」を選定する企業にトレンドが切り替わっていく。

 日本であれば商業的強みがかなりあるはずだ。

 半導体製造における戦略物資によって韓国との販売交渉はできなくなったが、コロナによって外食産業は衰退したが、食品消費量は変化なかった(自宅食に振替)が図られたのと同様、世界での半導体需要が突然無くなった訳ではない。よって、別の企業へ振替輸出すれば良い。

 娯楽系で言えばアニメ産業とのコラボでネトフリ配信からの収入配分で収益構造が変化するだろう(途中の中抜きをバイパスする)。

 日本の長所と短所、得意技と苦手なところを分析し、新たな産業や、あるいは販売先の開拓を目指せば良いと思う。
 日本の長所は繊細で小さいことに気をつけるのが得意である。
 一方で短所は短期での決断ができず、時間をとにかく食うところだ。
 短所を改善しつつ、長所を活かし、次の産業を選択し、乗り換えるべきである。

2.日本人の成人後の不勉強

 日本人はとにかく勉強しない。
 上位層はそうでもないが、中位層以下は成人後に努力をしなくなるのである。
 これではいけない。
 これは日本社会の思想構造的問題もある。
 元々自分がしたい努力と言うのは自分が興味ある分野であれば、誰からも何も言われなくとも自分で研究するようになる。
 次の段で詳述する。

3.他者強制的勉強方法

 日本、韓国、中国の3つは、儒教がベースにある国家であるので、社会がそうするように要請しているからそれに応えるために自分がその要請された分野を勉強する、と言う具合にして勉強している。
 しかしこれは間違いではないけれども、適正に欠く部分もある。
 人には、適正にあったジャンルの仕事をすべきである。

 台湾のオードリー・タン氏は、「自己動機づけ学習の加速」を提唱していたが、これは「他者にやらされる勉強」ではなく「自分で進んで行う勉強」のことを指している。

 元々日本の中位層は、「他者にやらされる勉強」を主眼として勉強してきたので、その軛から逃れると途端に勉強をしなくなる。勉強とは喜びではなく罰であるからだ。しかしそれではいけない。
 本来の人間の勉強とは、多少の学習の義務があるにせよ、自分の知的欲求の探訪の方向に従って勉強するというのが本来あるべきはなしであろう。
 よって、この台湾の教育指針に倣い、「自己動機づけ学習の加速」を目指すべきである。

4.圧倒的安定志向

 日本人はリスクを取らない。取らないことがベストである選択肢であることを学校の義務教育過程において教育される。
 これはアメリカのチャーター・スクール学科過程KIPPプログラミングでのUNITE訓における「リスクを取る」と言う奨励と真逆である。
 また、チャレンジも奨励されていない。学校では言葉ばかりのチャレンジが言われるが、起業などのリスクを取るチャレンジは推奨されておらず、むしろ雰囲気的に忌避される傾向がある。

5.社会背景 倒産時におけるヤクザのリスク

 日本では、起業後に仮に倒産した場合、ヤクザによって女性家族が売春産業へ強制的に連れ去られる状況になっている。その比率はデータになってはいないが、少なくとも日本人の多くはそういう認識だ。
 誰がこの状態でリスクを踏みたいと思うのだろうか? 果敢なアメリカ人は日本に生まれて日本で育ち、日本がこのような状況にあるということを知った上で日本で起業するようなチャレンジはするだろうか? 私の予想は「しない」と言う形になる。当然である。社会がこのような状況ならば誰も起業はしない。
 起業しないが故に、産業が変遷しない。


さて、そうした悪い要素を洗い出した後、それでは日本はどのように再興すれば良いのか。
まず日本人の意識を独立に進めるよう変化させる。具体的には福沢諭吉の「学問ノススメ」のサマリー版を教科書に乗せて読ませればいい。
次に、自己動機づけ学習の推奨をする。
次に、リスクを踏ませる教育をする。
次に、リーダーたる教育をする。
次に、起業に失敗しても、借金関係でヤクザにからまないような、安定したセーフティを日本社会に設けられるようにする。
そして、新しい産業を勃興させ、新旧の細胞の交替を図る。
無論、旧産業はいきなり解雇するのではなく、ソフトランディングの形を取る。

日本は元々それができる素養と体力と知力がある。
しかしそれができなかったのは、方法が間違っていただけなのだ。
私はそう考える。
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