とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

生産と消費 資本主義経済とそれ以前の経済

2023-01-21 18:37:05 | 雑感
現在のものづくりとしては、過去からの親切心とは異なり、「こうすればモノが『売れる』だろう」と言うところを狙って作られている。
これは経済活動として正しいが、人道的には正しくない。
究極的には「相手を騙せてかつ誰かが傷ついたり不幸になったりしても、モノが売れて金が儲かればいい」と言う行動に行き着くためだ。
これが問題となったのは種子販売のモンサントだ。
更新できない種子をインドに売り、インドの農民は次の年の種子を買うために、今年の収穫売上をあげなければならないという、現代的農奴の状態から抜け出せない。

一方で、「経済活動には悪の側面があるが、それを多少なりとも有効活用しないと我々が生き残れない(他の人間を犠牲にしてまでも)」と言う現代の人間が背負う業があり、その業なしでは我々は生き残れない。
そんな仏教で言う修羅と畜生を足して2で割らない、と言う世界に我々は生きている。

本来であれば、人と人が手を取り合い〜とやるべきところを、その手を打ち払わうのが人間でもあるのだ。ものごとの一側面を批判することは簡単だ。ではもう一側面の「それなしでは生きられない我々はどうすればいいのか」? 

かつては福澤諭吉が、洋書の翻訳を頼まれて、competitionに「競争」と言う訳語を当てた。
それで幕末の殿様から呼び出されて、「競争とは何であるか」と問われた。
それで福澤は商売上の競争で、あちらが値を下げて売上を上げようとしたらこちらも値を下げて売上を伸ばそうとする、それで互いに切磋琢磨をすると言うのを競争と言うので御座る、と回答した。殿様は難色を示した。思えば人間の生活営為においての経済活動で、「互いに相譲る」と言う文言を見たいのであろうと福澤は推測した。
ここに、今までの江戸時代における経済思想と、福澤が承知していた商売や近代における経済思想の衝突があって面白い。

ただ、人間とはそのバランスが取れていなければいけない。
それが金儲け一辺倒でもいけないが、親切心一辺倒でも健全な経済活動を阻害してしまう。
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