とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

発達障害は「医学的治療」を必要とするか

2019-01-15 01:12:10 | 最近の出来事
まずはこちらの画像から


OK。
一般的な認識はこれで良いと思うのだが、ここから先に一歩踏み込んで考える。



発達障害は「医学的治療」を必要とするか。

例えば呼吸困難だとか心不全の予兆があるだとかについては、本人の身体的な健康を一定水準まで持ち上げると言う意味において、医療行為は必要である。

一方、発達障害の人間は、本人に疾患での苦痛があることは稀であり、この意味においては治療は必要ない。
治療与件となるのは、社会で生きるために必要な能力が備わっていないがために、長期的人生の観点や、あるいは社会の一部において生活するという総合的な観点での幸福に、本人の生来的習得機能が関与しなかったり、あるいは逆に阻害したりするので、これを緩和、あるいは補助するために治療が必要である、と言う見方である。

だが、これは現代社会における押し付けでもないかということを、医学的に検討せねばならないのではないか。

元々の人類の出自を見るに、ホモ・サピエンスをネアンデルタール人と比べた場合、ネアンデルタール人は交換の習性がなかったが、ホモ・サピエンスにおいては交換と言うヘンテコな習性のあった奇人であった。
しかしそれがゆえに、物資を交換できなかったネアンデルタール人は滅び、物資を交換できたホモ・サピエンスは生き残れたとも言える。

また、これは私の個人的意見の観点であるが、アメリカの9%の子供はADHD傾向があるとし、これは病気ではないのではないかという観測も広がっている背景より、疾患というよりも、人類がその長い歴史の中でDNAの淘汰と選択的に獲得してきたある種の専門的機能の個体発露なのではないかということも考えてもいいのではないか。

よって、現代社会においてはそれは病気ではあろうが、人類史的には、それは病気ではない見方もありえるということなのである。
これをよく検討すべきなのではないか。
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