作業仮説。
衝動と言う空き箱に適正なものを入れる。
大昔の日本は貧乏だったので、何かをしたいと思ってもできるものがないので、ひたすら耐えるだけで良かったが、今ではそれが手に入れられるようになったので、コントロールする必要が出てきた。
簡単に言えば、ダイエットだとか禁煙だとかのことで、もう少し整理して言えば軽度の依存症となるものを丁寧に排除する必要があるということである。
これは実態として「そういうものから物理的に距離を置く」だとか「そういう社会に入る」だとかの対処が取られるのだが、これは対処に過ぎず、根本的な考え方を追っていない。
そこで私が考えた作業仮説をここに記載しておく。
何らかの欲望に関し、それを満たしたいと思ったり、あるいは満たす行動を取ったりするのは、空き箱に何某かのモノを入れる行為に似ている。
人間と言うものは、欲求と言う空き箱に何か入れないと気がすまないと思う質なのだ。
なので、ごく簡単に言えば、「空き箱の存在」と「そこにものを入れたがる性質」と言う概念や営為を中心にして考えれば、これらがコントロールできるのではないか。
例えば、太りたくない、ダイエットしたいと思う人がいたとする。
その場合、別のものを箱に入れておく。
こんにゃくとか野菜である。そうすると満タンになった箱はある程度の充足感が出る。
あるいはそもそもにおいてケーキやら肉やら炭水化物やらを認識しなければいい。
思うに、欲求と言う箱に入るならば食べ物でなくともいいのだ。
夢中になれることがあれば「寝食忘れて」と言う具合に、食事そっちのけでそちらに集中することになる。
衝動と言う空き箱に適正なものを入れる。
大昔の日本は貧乏だったので、何かをしたいと思ってもできるものがないので、ひたすら耐えるだけで良かったが、今ではそれが手に入れられるようになったので、コントロールする必要が出てきた。
簡単に言えば、ダイエットだとか禁煙だとかのことで、もう少し整理して言えば軽度の依存症となるものを丁寧に排除する必要があるということである。
これは実態として「そういうものから物理的に距離を置く」だとか「そういう社会に入る」だとかの対処が取られるのだが、これは対処に過ぎず、根本的な考え方を追っていない。
そこで私が考えた作業仮説をここに記載しておく。
何らかの欲望に関し、それを満たしたいと思ったり、あるいは満たす行動を取ったりするのは、空き箱に何某かのモノを入れる行為に似ている。
人間と言うものは、欲求と言う空き箱に何か入れないと気がすまないと思う質なのだ。
なので、ごく簡単に言えば、「空き箱の存在」と「そこにものを入れたがる性質」と言う概念や営為を中心にして考えれば、これらがコントロールできるのではないか。
例えば、太りたくない、ダイエットしたいと思う人がいたとする。
その場合、別のものを箱に入れておく。
こんにゃくとか野菜である。そうすると満タンになった箱はある程度の充足感が出る。
あるいはそもそもにおいてケーキやら肉やら炭水化物やらを認識しなければいい。
思うに、欲求と言う箱に入るならば食べ物でなくともいいのだ。
夢中になれることがあれば「寝食忘れて」と言う具合に、食事そっちのけでそちらに集中することになる。