とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

私の記憶領域に限界がある

2019-08-11 19:25:47 | 最近の出来事
勉強していて思ったのが、記憶領域に限界があるなあ、と言うことだ。

新しいことが憶えられない。と言うより、無理矢理詰め込みをすることはできなくはないものの、それだと早期に疲弊してしまう。
あれだけインターネットの記事を漁るのは全然苦じゃないのに、勉強になるととたんにダメになるというのはどういうことなのだろう。
ここのブログなんて永遠無限に書いていられるのに、勉強となるとからきしダメになるのはどうしてなんだろう。

と言うことで原因を考察してみた。考察するのは私は得意。と言うより無限にできる性分である。
生来の気質というか、そういうものなのだろう。
外部から材料を入れる際には、自分なりに咀嚼したり、理解の棚においたりとコストが半端ないが、一旦入ってしまえばそこで無限の活動ができるのである。

さて、それはさておき、なぜ外部から新しいことを覚えるのが苦手なのだろう。
個人的な仮説だけれども、おそらくは、その材料とやらの情報が、他者の手にかかっていて信頼たりうるか、と言う点で疑念を持ってしまうので、そこで止まってしまうと言う。みんな天動説みたいな変な説を信じちゃってんじゃないの? と言う疑問が湧いてくる。


二つ目に、自分が自己内部で考察をするに、適切に咀嚼・消化した上で、「これはこういう意味なんだ、こういう役目なんだ」と言うことに整理しなければいけないという、自分の内的作業が非常にコストなのである。
しかしこれは一旦やってしまえば自家薬籠中になるし、何より他者に説明する時「分かりやすい」と一定の評を貰えることである。
(尚、それは現在の仕事で全然発揮できていない模様。2006年辺りはこの辺りに非常に自信があった)。

3つ目に直接的利益が出ないことだ。
例えば上海ゲームやソリティアなどにハマってはしまうが、それにはまるのはある種の脳への報酬系の何らかの物質が供給されるからだろう。勉強でもこれが出れば・・・とは思うが出てくれない。

4つ目に最終的なゴール地点を見失うことである。その勉強をやって何になるの? というのを勉強の途中でしばしば忘れがちになる。
こうなるとモチベーションも湧いてこない。
例えば、その勉強は自分のキャリアを形成するためですよ、良い人生を成り立たせるためですよ、と言えばある種のモチベーションにもつながる。ただ、激動のこの世の中、基礎的な勉強や、あるいは今後の社会需要が見込める勉強ならばまだいいが、そうでない場合については誰も保証してくれないのが実情なのである。

これを踏まえて更に二転三転することを言う。
まず上記のことがらを踏まえた上で言えることは、「これがきっと誰かの役に立って、自分もその役に立ったことへの報酬によって、自分の社会的地位を築くことができるんだ」と思うことが最大のモチベーションになるだろう。

しかし、私はこのように考えて頑張った結果、世の中の仕組みを知らなかったがために、挫折した。
具体的に言うと、自分の頑張りは誰かの役には立ったとは思うのだが、きちんとしたお礼もなく、報酬もなく、自分の健康を害した上で自分の人生が破綻したのである。これに関しては関係者に対して恨みが骨髄まで徹しているわけで、本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に良くない経験ではあった。

なので、勉強する理由やそれを精神的に維持し続けるモチベーションを探しているが、結局のところ、他人の評価というものは当てにならず、自分自身の力で生きていく他ないということへと帰結するのである。

私にその能力があるかどうかは分からないが・・・しかし欲しているのは確かな事実だ。
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