と言う言葉は、相手が嬉しくなるようなことを前提にしてこちらが動かなければいけないと言う義務を果たすべきだと言う前提が裏に隠れている。
じゃあ、そのわがままを通そうとしてきて迷惑をかけようとしてきている中国人自身に対し、他の中国人はどういう風に対処したり調整していたりするんだろう。
と言うことで一世を風靡したマトリックスの名シーン、モーフィアスとネオの仮想空間での格闘訓練のシーンでのヒトコマ。
<
名セリフ「速く動こうと考えるな。速いと知れ」考察|yoshino
https://note.com/yoshi_nobori01/n/n78cf86f2c69a
マトリックスは、派手な銃撃戦や爆発シーンが印象的ですが、実は近接戦闘も多かったりします。つまり、殴り合い、蹴り合いです。
それ以前に、ネオとモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)が、畳敷きの道場でカンフーの特訓をするシーンがあります。
正確には、現実世界ではなくて、特訓プログラムの中、つまりバーチャル空間ですが。
そこで、本来の力を発揮できないネオに対して、モーフィアスが言うセリフがこれ。
「速く動こうと考えるな。速いと知れ」
日本語の字幕は上記なのですが、原文のセリフは以下です。
「Don’t think you are. Know you are.」
ちなみに、「吹替版」の日本語セリフでは、
「頭で考えるな。知るんだ」
でした。
英文のセリフは「速い(fastとかquick)」というような単語は出てきません。文脈から、「速いと知れ」という字幕になったようです。
Goodな翻訳だと思います。
英文を単独で直訳すると、「自分がそうだと考えるな。自分がそうであることを知れ」みたいな意味になります。
禅問答みたいですね。
>
と言うことであるが、私はこの翻訳は不満である。
「自分自身を考えるな、自分自身を知れ」
が正しい。
これは「自分自身がどうであるべきでこれまでどうであったか、どういう課題が自分にはあって何が不足し、何が問題で、一般的標準からすれば何が欠落し、あるいは自分がダメで、その不足を補うにはどうすればいいか」などと言うマイナスの補填やプラスにおける増幅を焦点とした考察を捨て、あるがままの自分を受け容れ、それを標準とせよ、と言うことになると私は考える(まだ本当のことを表現するには足らんか)。
尚余談であるが、カンフーの訓練なのに畳敷きであること、その畳が本当薄っぺらいことなど西洋における東洋の誤解がチャンポンされていて、この辺も作り込みは甘いなあと思った次第です。
<
名セリフ「速く動こうと考えるな。速いと知れ」考察|yoshino
https://note.com/yoshi_nobori01/n/n78cf86f2c69a
マトリックスは、派手な銃撃戦や爆発シーンが印象的ですが、実は近接戦闘も多かったりします。つまり、殴り合い、蹴り合いです。
それ以前に、ネオとモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)が、畳敷きの道場でカンフーの特訓をするシーンがあります。
正確には、現実世界ではなくて、特訓プログラムの中、つまりバーチャル空間ですが。
そこで、本来の力を発揮できないネオに対して、モーフィアスが言うセリフがこれ。
「速く動こうと考えるな。速いと知れ」
日本語の字幕は上記なのですが、原文のセリフは以下です。
「Don’t think you are. Know you are.」
ちなみに、「吹替版」の日本語セリフでは、
「頭で考えるな。知るんだ」
でした。
英文のセリフは「速い(fastとかquick)」というような単語は出てきません。文脈から、「速いと知れ」という字幕になったようです。
Goodな翻訳だと思います。
英文を単独で直訳すると、「自分がそうだと考えるな。自分がそうであることを知れ」みたいな意味になります。
禅問答みたいですね。
>
と言うことであるが、私はこの翻訳は不満である。
「自分自身を考えるな、自分自身を知れ」
が正しい。
これは「自分自身がどうであるべきでこれまでどうであったか、どういう課題が自分にはあって何が不足し、何が問題で、一般的標準からすれば何が欠落し、あるいは自分がダメで、その不足を補うにはどうすればいいか」などと言うマイナスの補填やプラスにおける増幅を焦点とした考察を捨て、あるがままの自分を受け容れ、それを標準とせよ、と言うことになると私は考える(まだ本当のことを表現するには足らんか)。
尚余談であるが、カンフーの訓練なのに畳敷きであること、その畳が本当薄っぺらいことなど西洋における東洋の誤解がチャンポンされていて、この辺も作り込みは甘いなあと思った次第です。