とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

石井暁氏の「別班」レポートを読んで(5)

2018-11-11 23:23:42 | 海外・国内政治情報等
ここの記事を「別班」と称される組織の方が読まれるとは思わないが、しかし書いておく。

「別班」の個人的な視点で見るに、実に不憫で気の毒だ。何も称賛されない体制はひどいとしか言いようがない。
だからこそ書いておくのだが、日本人の立場からは、こうした影の努力があってこそ、我々の安全な社会が構築できると言う意味において、その称賛を受けるべきなのだ。

私個人からは、お金も出ないし、役職の昇進もできない。
言えるのは、心からの言葉だけだ。今まで公務員の方々、公務員出自の方々の努力があってこそ我々はこうして平穏無事な生活ができるのです。本当にありがとうございます。

そしてこれは、何も自衛隊に限らず、警察、公安、海上保安、あるいは全ての官公庁にも同じことが言える。
税金を納めるには納めているが、しかしそれは全体から見れば微々たるものだ。
私からは心からの御礼の挨拶しかできない。



完全に蛇足ではあるが、私個人の記憶を書いておく。
私は民間企業のとあるところで働いていたのだが、その時は本当に大馬鹿野郎な感じだった。
何が大馬鹿野郎なのかというと、組織の為に働けば、それは組織のためになるし、自分のためになるし、社会のためになると、本気でそう言う風に思っていて一生懸命働いていたのだった。
しかしそれは裏切られた。結果を出すには出したが、誰からも認められることがなく、報告は本社になされず、そうした評価体制の機能不全と、私の先輩に当たる方の意図的な評価排除により、私は何ら承認されることなく潰れることになった。

今の会社は、上記の会社系列とは全く別の会社に買収され、評価体制も刷新されてやっとまともになったのだが、私は自分の人生が半壊し、もう二分の一が潰れないように注意深く生きている。

私は今も煩悶する。なぜあの時の当時の方々は、あの時の私の働きを評価して下さらなかったのか、と。
「あの時はよくやってくれたね、ありがとう」だとか「評価してやれなくてすまない」の一言がなぜでないのだ。
いや、最悪でも「俺はお前を評価しなかった。理由は〇〇で実績を出しても組織利益にならないからだ」でもいいのだ。

なぜそれが言えないのだ。理由は分かっている。企業が評価体制を敷いておらず、資本主義の搾取体制がそのまま会社体制、特に親会社に対する子会社と、その下にある協力会社間で存在しなかったからである。

その体制不備をごまかしつつ、企業は労働力を搾取し、人生を破綻させているのだ。

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石井暁氏の「別班」レポートを読んで(4)

2018-11-11 23:07:31 | 海外・国内政治情報等
このレポートを読んで思ったのが、一つの危機感である。
それは退官した偉い人が、過去のこととは言え、その内容を喋ってしまうことだ。

何もこれはそれらの方々を批判したいのではない。
おそらく、人間と言うものは、「1.話し相手を求める」「2.社会的役割を担いたいと言う承認欲求がある」の2つがあるため、記者などにその片鱗を与えてしまうのだ。

だから、今後の対策としては、退官した人々には、命令やアドバイスはしてはならないが、何らかの話し相手を向け、そしてほんの僅かではあるが、若干の組織役割を与えると言うことが、日本の機構にとって必要になるのではないかな、と思う。
例えば、インタビュアーになった現役職員が対象の方のレポートをまとめ、30年後に公開するなどの法的整備をすれば、それは国益にもなれば、情報漏えい防止にもなるだろう(もしその内容の公開がNGであれば、途中に監査部門を設ければ良い)。
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石井暁氏の「別班」レポートを読んで(3)

2018-11-11 22:29:59 | 海外・国内政治情報等
レポートを読む限り、隊員は少し苦しんでいるようだ。

自分が切り離された後の自分や家族の生活はどうなる、二重生活なので本当のことは誰にも言えない・・・などなど。

私が思うに、今の日本人が何を望むのかと言えば、それは「自己の希望通りの先が予見できる人生」だろう。
ほとんどの日本人は、そこから安定した人生で畳の上で十全に死ぬことを希望するだろう。
あるいは、自衛官、警察、海上保安庁やその他もろもろの公務員は、時として名を受け、死を覚悟せねばならない時もあるだろう。

そうした時に、残された家族や自身の生活に不十分なところがなく、十分なサポートを受けての人生を送れるようにすべきなのだ。
これは何も傷病後の恩給だけではなく、退官後、退任後のその後の職業確保にも現れている。

どうにもこのレポートの背後には、「別班のトップしか確実な就職先が確保されない」と言う点で、内部がギスギスしているのが見えた。
勿論、現在の公務員の離職後は、再就職支援がかなり手厚いだろうが、そこの保証、つまり「自身と家族の安定した人生」と言う面での保証を、隊員に不安なく伝えて、制度を整備する必要があるように思える。

これは政治家も、大学教授も、民間企業も同じことだ。自身の生活を安定させることに、年金がもらえるかもらえないかも含めて自身の人生の安定を図る必要があるのである。


もう一つの話題として、二重生活はどうすれば良いのか、と言うと、表向きの職業とその下でやっている仕事の2つを持てば良い。
そうすれば、周囲には、「今〇〇をやっている」と言って、特任のことを空き手間にやるということができる。
そもそも特殊任務は専任でできることはない。必ず何かのカバーをしなければいけないし、そうしたインテリジェンスはカバーを完全に外すのに数日かかるのだという。


あとは、秘密徹底厳守であり、隊内ですら漏れることのないという前提の「別班」は、それを徹底しすぎたがために、とある特徴により、なんとなく特定が済んでしまうと言うのも同著に記載がある。これでは本末転倒である。

なので、この対策として、例えば勤務8時間であれば、全員6時間にした後、残り2時間で「自主トレなり図書館行って知識身につけるなりしろよー」と言って、ある程度の制限のある自由時間にし、そこで特定のメンバーに上司よりそっと命令を出すなどの工夫が必要と思われる。勿論2時間でどうこうできるわけなどないから、飽くまでこの辺は例えだ。
あるいは最初から部隊そのものをカバーしまくったり、あるいは色んなことをカバーしたり、偽装したり、入れ子構造にしたり、4重底にしたりと色々手法はあると思うが、カムフラージュの手はかなりある。
それは日本の歴史を縦構造に探ったり、世界はどうなっているかの横方向への調査と、それらの自衛隊への実装をしたりなどで自発的変革が可能になるように思われる。

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石井暁氏の「別班」レポートを読んで(2)

2018-11-11 21:57:06 | 海外・国内政治情報等
「別班」とは著者である共同通信記者の石井暁氏が言うところの「自衛隊の秘密組織」であり、情報収集ユニット、いわゆる軍事諜報班(インテリジェンス)の仮称なのであろう。

勝手に野卑な推測をする。突飛な話も入るので、「ややトンデモ寄りだな」と思っていただければ幸いだ。

大昔の日本には、かつて忍者がいた。今はいない。その伝統は潰えたのだろうか? と言うとちょっと違うように思う。
かつての大日本帝国陸軍の時代には、最後の忍者の末梢を講師に招いての講義を行ったことがあった(あとはスリ師を招いたことも)。
足音をなくす訓練だとか、尾行だとか、どういう訓練や講義をしたのかは分からないが、歴史における忍者との最後の接触があったことは確かなようである。

これが元かどうかは分からないが、現在の公安でも、警察内部で所在を把握できない人、いつの間にやら人混みに消える技術を持つ人など、そうした技術が脈々と受け継がれているらしい。
(そもそも公安は日本には同略称の組織が別々に3つあり、どれがどれなのかが一見して分からない)。

私が勝手に思うに、この「別班」なる存在は、現代の忍者的な存在なのだと思う。
軍事諜報をして、いざとなれば大物見までをし、そして「市井の捨て石となって果てよ」と言う命令を下され、人に知られることなく埋没していく・・・。

それが近年になるまで覆い隠されていたと言うのは「忍者」たる面目躍如ではあるが(躍如は目に見える形で存在はしないが)、しかしそれは現代の民主主義国家に変遷する上で、その社会的形態を時流に併せて変更していくべきなのではないだろうか、と。
つまり、今の体制では「何かあっても切り離せるようにしているから大丈夫」と思っているのだろうが、しかし日本が日本として、そして先進国たる1メンバーとして屹立するためには、組織変更が必要になるだろう、と言うことなのだ。

それは後述する「雇用」と「人生の安定」でも記載するが、隊員とその家族の補償、見返りはきちんと用意せねばならない。
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石井暁氏の「別班」レポートを読んで(1)

2018-11-11 21:57:02 | 海外・国内政治情報等
この度、共同通信記者の石井暁氏が著者となった「自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体」を読了した。

これについて色々思うところがあったので、記載をする。

まず、大筋の感想として、記者としてここまで暴く必要があったのかどうかという点について判断が難しい。
少し苦虫を噛み潰したような形でこれを書いている。
簡単に言えば「暴く必要は無かった」と言ってしまいたいところなのだが、自衛隊の全身である大日本帝国陸軍には、文民統制を離れた張作霖爆殺事件などの満州の暴走を引き起こし、そして日本の国益を損ない、最終的な戦局の着地地点として日本国民を諸外国に殺戮たらしめてしまったと言う過去が存在する。

よって、国民の安全な生存・国益たらんとするには軍事力の文民統制が必要であり、そこには切り離されて遊泳する部隊というものは、民主主義国家であるならば存在してはいけないことになる、と言う文脈だ。

なぜこのような体制になったかというと、この本に明確には書いていないことを咀嚼して書くと、そうした特殊な活動をする際には何があるか分からず、いざという時に切り離せるようにできているものらしい。

諸外国では、例えばエドワード・スノーデンが契約状態で所属していたように、あるいは所属機関は副官直轄にしておいて、「何かあっても」本流には影響がないように組織構成しておくものらしい(詳しくは調べてみて下さい)。

さて、この「別班」なるものについて、私なりの個人的な角度から独自の見解をここに書いておきたい。


まずは次のニュースから。


(社説)安田さん解放 シリアの現実に思いを
2018年10月26日05時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S13740338.html?iref=pc_ss_date

 自らの安全は自ら守るのが原則だが、どれだけ周到に準備しても、ときに危険な状況に陥ることはある。それが紛争地の現実であり、どの国の政府も自国民の保護には最大限の責任を負う。当然のことだ。

 安倍首相は解放に協力したカタールとトルコの首脳に謝意を伝えた。ただ、日本政府の対応と解放に至った経緯には、まだ不明な点が多い。

 すべての情報開示は難しいだろう。だとしても、政府がテロ対策強化のため、15年末に発足させた官邸直轄の「国際テロ情報収集ユニット」がどう機能したのかなど、できる限り経過を明らかにし、今後の対応にいかさねばならない。


上記の朝日新聞のニュースでは、先日開放された安田純平さんを軸とし、どのような時でも日本人を助ける機能を日本政府はしなければならず、それが当然である、と言う論と、開放する機関であった官邸の「国際テロ情報収集ユニット」の全容を明らかにすべし、と言う内容になっている。

今週発売の週刊新潮での「まさる&りえこの週刊鳥頭ニュース」で、作家の佐藤優氏は、まず海外の日本人をどのような理由でも助け出さないといけないという点に同調し、一方、「国際テロ情報収集ユニット」の全容は明らかにしてはいけない、と言う意見を出していた。

私もこれに全く同意見で、対策ユニットは、その全容が明らかになればこちらの手札を見せているのも同様であるので、自らの弱体化を図るようなものだ。

さて他方で、佐藤氏は、「自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体」の中の引用コメントとして、「別班」への批判を、「統制がない組織体制は取るべきではない」とし、石井氏の意見を強く後押しする。
同著162ページ

 そもそも自衛官を含む公務員が入手した情報は国民のものだ。その情報は国益のために用いなければならない。ヒューミントで得られた秘密情報は、外構・安全保障政策の決定に用いられて初めて意味を持つが、主管大臣である防衛相の統制から外れた別班が得た情報が、政府の決定に効果的に用いられることはあり得ない。なぜなら高いレベルの制作決定に影響を与えるような秘密情報については、情報の内容だけでなく、情報源の信頼度、入手の敬意、他の情報と照合した上での評価を併せて報告しなくてはならず、出所が明示できない別班の情報は評価の対象外となるからだ。


この「「国際テロ情報収集ユニット」の全容は明らかにしてはいけない」と言う意見と、上述の意見の整合性はどう取るべきなのだろうか? 

私が勝手に憶測するに、自衛隊の組織編成を時代に併せる必要があるのではないのか、と言うことである。
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