人間とはかくて不完全である。
例えば平和を希求する割には戦闘をやめない。
隣人との良好な関係を望む割にはケンカを誘発する心理や社会構造を持ってしまう。
これは人類のDNAコードに「平和に生活したいという欲求を持つ」の他に、「戦争をする」「隣人と不和になる」という命令が書かれているからだ。
世の中の人文社会の学問は、その互いに融和しない、求める心理と行動してしまう結果の矛盾した象限の中、同一人類のDNAの発露的行動について、どう妥結すべきかと言う問いの、トライアンドエラーの模索の累積であった。これを歴史という。
これについての詳細については後述するが、まずは別口の話題を取り上げたい。
人間には「戦争をする」「隣人と不和になる」とはまた別に不都合なDNAが書かれている。それは何か。
不都合なDNAの心理コード --返報性についてである。
人間は誰かに恩を受ければ、それを返したくなる習性があり、あるいは何か悪いことを受ければそれをまた返したくなると言う習性がある。
これを返報、あるいは返報性と呼ぶ。
タチの悪いことに、良い返報にしても悪い返報にしても、人類にはどうも、その対象を「返そう」とする時に、どうも「ノシ」(量的な何らかのプラスアルファ)をつけて返そうとしている面がある。
このプラスアルファの返報を互いに続けると、どんどんとそれらが累積的に膨らみ、いつしか破綻するというのはよく知られている。
一つはアメリカ先住民族(インディアン:ネイティブアメリカン)によるポトラッチで、互いに贈り物を+αで贈り合って、最終的に破綻を迎えるものである。
もう一つは核報復だ。一つの国が核を打てば、報復核が撃たれ、互いに全滅をする。
これは日本を限定的に見るとうまく消化されているのが分かる。
日本では破綻を防ぐために、贈り物の「半返し」がルールとして規定されているところがある。
また、日本は二回核が落とされたので、報復核を二回打つ権利があるが、しかし日本人は別にその権利を主張したりはしない。
一回打たれても報復は更なる互いの被害を招くことを知っており、時代も変遷しているので、理性判断によって打たない。
現在の世界では、人類はDNAコードに書かれるまま戦争を行い、制圧的安定を保持する。
それを恨んだ対抗勢力は、そのまま滅んだり、あるいは忘れたりする。
両方膠着している場合は、戦争が長引き、互いに嫌になったところで、休戦を結び、ある一定の機関を置くとまた戦闘に戻る。
さて、その返報性が発揮されることが、まず戦争をなくす第一歩ではあるが、しかし人類史を研究しつくしたロシアとアメリカ、そして中国、及び日本は、当座にある現実的な対処として「戦争と言うものはなくならない。なくすのは理想論であって現実的ではない」と考えているようだ。これは正しい。
だが一方で別の活動はしてもいいはずだ。
ヘロイン中毒になるネズミの実験では、ケージ個室に閉じ込められたネズミは、通常の水とヘロイン入りの水を与えたところ、通常の水には見向きもせず、ヘロイン入りの水のみを飲むことは知られている。
これに条件を付与する。上記のネズミは単にケージに入れられただけであるが、これに十分な滑車と、交配できる異性、社会性を構築できる仲間と一緒に入れる。すると、ヘロイン入りの水を飲まなくなる。
ヘロイン中毒の何が問題かと言うと、人間のDNAに刻まれた「快楽には中毒を」と言うコードが発動されるからだが、このコード発動には条件がある。
「社会関係性や相互認識、運動性、健全生活を保てないと言うストレス環境に置く」である。
おそらく人間と人間社会に残存する問題・課題については、今まで見えなかったその発動の条件がある。
その条件を探り、そして打開策を見出すのだ。
破綻する返報は、将来的な破綻が見越せると、その行為を理性や理解の力で行わなくなったり、あるいはルール決めをしたりするようになる。
隣人と不和になるのも原因や条件があるはずなのだ。それを見つけて対処すればいい。
あるいは完全に対処できなくとも、緩和や病状の先送りができればいいわけだ。
それでは社会を研究する者は、その社会的病理に対してどのような処方箋を書けば良いか?
例えば平和を希求する割には戦闘をやめない。
隣人との良好な関係を望む割にはケンカを誘発する心理や社会構造を持ってしまう。
これは人類のDNAコードに「平和に生活したいという欲求を持つ」の他に、「戦争をする」「隣人と不和になる」という命令が書かれているからだ。
世の中の人文社会の学問は、その互いに融和しない、求める心理と行動してしまう結果の矛盾した象限の中、同一人類のDNAの発露的行動について、どう妥結すべきかと言う問いの、トライアンドエラーの模索の累積であった。これを歴史という。
これについての詳細については後述するが、まずは別口の話題を取り上げたい。
人間には「戦争をする」「隣人と不和になる」とはまた別に不都合なDNAが書かれている。それは何か。
不都合なDNAの心理コード --返報性についてである。
人間は誰かに恩を受ければ、それを返したくなる習性があり、あるいは何か悪いことを受ければそれをまた返したくなると言う習性がある。
これを返報、あるいは返報性と呼ぶ。
タチの悪いことに、良い返報にしても悪い返報にしても、人類にはどうも、その対象を「返そう」とする時に、どうも「ノシ」(量的な何らかのプラスアルファ)をつけて返そうとしている面がある。
このプラスアルファの返報を互いに続けると、どんどんとそれらが累積的に膨らみ、いつしか破綻するというのはよく知られている。
一つはアメリカ先住民族(インディアン:ネイティブアメリカン)によるポトラッチで、互いに贈り物を+αで贈り合って、最終的に破綻を迎えるものである。
もう一つは核報復だ。一つの国が核を打てば、報復核が撃たれ、互いに全滅をする。
これは日本を限定的に見るとうまく消化されているのが分かる。
日本では破綻を防ぐために、贈り物の「半返し」がルールとして規定されているところがある。
また、日本は二回核が落とされたので、報復核を二回打つ権利があるが、しかし日本人は別にその権利を主張したりはしない。
一回打たれても報復は更なる互いの被害を招くことを知っており、時代も変遷しているので、理性判断によって打たない。
現在の世界では、人類はDNAコードに書かれるまま戦争を行い、制圧的安定を保持する。
それを恨んだ対抗勢力は、そのまま滅んだり、あるいは忘れたりする。
両方膠着している場合は、戦争が長引き、互いに嫌になったところで、休戦を結び、ある一定の機関を置くとまた戦闘に戻る。
さて、その返報性が発揮されることが、まず戦争をなくす第一歩ではあるが、しかし人類史を研究しつくしたロシアとアメリカ、そして中国、及び日本は、当座にある現実的な対処として「戦争と言うものはなくならない。なくすのは理想論であって現実的ではない」と考えているようだ。これは正しい。
だが一方で別の活動はしてもいいはずだ。
ヘロイン中毒になるネズミの実験では、ケージ個室に閉じ込められたネズミは、通常の水とヘロイン入りの水を与えたところ、通常の水には見向きもせず、ヘロイン入りの水のみを飲むことは知られている。
これに条件を付与する。上記のネズミは単にケージに入れられただけであるが、これに十分な滑車と、交配できる異性、社会性を構築できる仲間と一緒に入れる。すると、ヘロイン入りの水を飲まなくなる。
ヘロイン中毒の何が問題かと言うと、人間のDNAに刻まれた「快楽には中毒を」と言うコードが発動されるからだが、このコード発動には条件がある。
「社会関係性や相互認識、運動性、健全生活を保てないと言うストレス環境に置く」である。
おそらく人間と人間社会に残存する問題・課題については、今まで見えなかったその発動の条件がある。
その条件を探り、そして打開策を見出すのだ。
破綻する返報は、将来的な破綻が見越せると、その行為を理性や理解の力で行わなくなったり、あるいはルール決めをしたりするようになる。
隣人と不和になるのも原因や条件があるはずなのだ。それを見つけて対処すればいい。
あるいは完全に対処できなくとも、緩和や病状の先送りができればいいわけだ。
それでは社会を研究する者は、その社会的病理に対してどのような処方箋を書けば良いか?