とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

魔王、生まれて初めてジンギスカンを食べる

2017-04-23 22:01:58 | 最近の出来事
先日のことである。
会社での会合の後に、新しく就任した取締役(代表ではない)と飲みに行こうと突発的に決まり、私含む数名のメンバーで行くことになった。その時期に店を取るとなると大変で、しかも飲みが決まったのがその当日というのが更に大変だった。

私ともう一人の計二名が先発隊となって店を探す。どの店も断られ、13軒目にしてようやっと空きがあるところが見つかる。
滑り込みだったらしく、その後に来たほかの人は軒並み断られていた。

さて、この13軒目の店がたまたま北海道料理の店だったのである。

私は飲みの席の場になると、どういう訳だか一番偉い人の前に座るめぐり合わせがある。
社長含めたメンバーになると意図せず必ず社長の前になるし、この日もどういうわけだか、取締役の方の正面に座ることになった。

この取締役の方と話すと、案外いい人で、尚且つおしゃれという感じだ(まだ深くつきあってないので詳しくは分からないが・・・)。

さて、そんなこんなでジンギスカンである。
偉い人の正面に座るという縁がある割りには、私は料理と言う料理に縁がない。

自分が20歳の時に、生まれて初めてブタのしょうが焼きを食べた時に、この世にこんな美味しいものがあったのかと思った。

2005年に初めて海鮮丼を食べ、いくらがこんなにおいしいものだと知ったのは初めてだった(それまで、プラスチックの味しかしない、加工に失敗したマズいイクラしか食べたことがなかったので、その瞬間まではイクラという食材はまずいものだと思っていた)。結果、なんで皆、イクラを好んで食べているのかが初めて分かった。

2009年7月、上長につれられ、お店で高いうな丼を食べたが(それまでスーパーで売っているうな丼は食べたことはあった)、店でのうなぎは美味しかった(おごってもらった)。

2010年4月から2012年5月の間にとある職場にいた頃、その時の上長にご飯をおごってもらった時に、生まれて初めてすき焼きを食べた。食べ方がわからなかった。また、その頃のお客さんとしゃぶしゃぶを食べたがこれも初めてだったので、勝手がわからなかった。

2016年6月だったかと思うが、社長と焼肉を食べに行った時はタン塩と言えばぴらっぴらの薄く切られたダンボール紙くらいの厚さの二次元的な肉が出てくるのがデフォであったが、その時は直方体で立体的3Dの肉が出てきたのでビックリした(この回はおごってもらった)。
ちなみに、「仕事や勉強で頑張った人」を対象にして集め、その会合に呼ばれて焼肉を食べていたのだが、実を言えば、私は会社が同じだけなのであって、実際その「仕事や勉強で頑張った人を対象にして集」められたメンバーには全く関係の無い人であって、どういう訳だかしれっと私は「関係者です」みたいな顔をして、その席にいて、関係ないのにタダ飯を食らっていたのであった。こうやって私の無銭飲食の術は完成するのであります(この時は社長のおごり)。
さて、世間は3D流行りだったかもしれないが、私はそんなものに全く無関心・無感動であった。
しかし牛タンが三次元になって出てきた時、それは世の中の3D技術以上に本当にビックリしたのである。

2016年9月、ちょっと諸事情はいえないが、仕出し弁当で2000円クラスの弁当を食べた時は本当美味しかった(おごってもらった)。

2017年3月、牡蠣とうな重を食べる(おごってもらった)。

これら食べさせて頂いた方々、本当に本当にありがとうございました! すんごい美味しかったです。

あとは昔の付き合ってた女性がオムライスを作るのがメチャクチャ上手かった。
それまでオムライスと言えばまずくて食べられなかったのが、それによって食べられるようになった。

あとはソバもまずいものと認識していたが、自分で作るとメチャクチャ上手い。
昔食べていた、あのゴムより硬いコシのソバっぽいものはなんだったんだ? 

天ぷらと言えば、葬式で貰ってきたあのしなしなのやつで・・・。


ということで、話を戻す。
この時、ジンギスカンは今の今まで食べたことが無かったが、誰かが注文したジンギスカンにより、その機会を得ることができたのである。

はーそうやって焼くのね、とか、もやし多すぎなんじゃね? という疑問は置いておいて、とにかく食べる。
うーん。肉としては硬い。けものの味がする、という前評判は特にそんなでもないかな、と言う感じ。なるほど。美味しい。
あとはホタテのバター焼きが凄く美味しかった。

私はこの他、ワニとマンボウと鹿を食べたことがあるが、いずれもまずかった記憶。

そんなこんなで私の食歴に1ページ記録が追加されたのである。
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運命と未来

2017-04-23 21:15:31 | 雑感
決められた運命を歩んだり、既にある運命的意味を追跡するのではない。

これから運命をつくり、意味を見出すのだ。


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地蔵を用水路に投棄か、住民憤り 不動明王像は池に、被害届検討へ

2017-04-23 19:57:15 | 国内社会批判
まったく、どこのバチあたりがこんなことをするのか。


地蔵を用水路に投棄か、住民憤り 不動明王像は池に、被害届検討へ
2017年4月22日午前7時00分
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/119738.html

 福井県越前市村国1丁目で、お地蔵さま3体が農業用水路に落とされていたことが21日分かった。近くのお堂にあった不動明王像やろうそく立ても、そばのため池に捨てられていた。大切にしてきた住民は「地域で守ってきたのに、一体どんな気持ちでこんなことをしたのか」と憤っている。

 落とされていたのは、地元で「六地蔵」と呼ばれる地蔵堂に大小約50体が並んでいるうちの3体。いずれも高さ、幅が20センチの石像で、地蔵堂の前を流れる幅1・7メートル、水深30センチの用水路に水没していた。20日に住民が見つけた。

 通報で駆けつけた越前署員と住民が同日夕方に引き揚げ、元の場所に安置した。お地蔵さまは住民が前掛けを手作りし、年1回供養するなどして見守ってきたという。

 同日午前5時すぎには、地蔵堂から南に約200メートル離れたため池で、ほとりにあるお堂に安置されていた高さ30センチ、幅15センチの不動明王像(石像)が、水の中に沈んでいるのを別の住民が見つけた。お堂に置いていた石のろうそく立てや花、時計のほか、周辺にあった椅子も池に落ちていた。ろうそく立て2点は割れていた。

 住民によると、このお堂では13日にも線香立ての中の灰がなくなり、一部が周辺にばらまかれていた。

 交番に通報した区長の高木繁伸さん(73)は「幼稚で恥ずかしい行為。どうしてこんなことができるのか分からない」と苦い表情を浮かべた。住民で話し合って被害届を出すか判断するという。同署によると、器物損壊罪にあたる可能性がある。
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ブラック企業と奴隷のエトセトラ

2017-04-23 19:04:43 | 労働
世界観 佐藤優 P265

 残業300時間の外務省と村上春樹の作品が教える「ブラック企業」に潰されない働き方。

 ブラック企業について明確な定義はないが、「デジタル大辞泉」(小学館)には、<従業員を酷使していると評される企業、サービス残業や過剰なノルマを強要したり、朝礼や研修などが精神主義的な内容だったりする>と記されている。
 この基準に従うと、ブラック企業の要素は、ITビジネスやアパレル系の新興企業だけでなく、大企業、大新聞社、霞が関(中央官庁)にもある。ブラック企業は、現代資本主義の流行なのである。
 ブラック企業に関してさまざまな本が出ている。社会問題としてブラック企業の実態を暴き弾劾した本、あるいはブラック企業従業員救済のためのノウハウについて記した本を読んでも、事柄の本質はよくわからない。
 ブラック企業は日本の資本主義にかっちりと組み込まれてしまっており、われわれがこの構造から抜け出すことは、きわめて難しい状態になっている。
 むしろブラック企業の存在を必要悪として、そこでの対処について記している本を読むと事態の深刻さがよくわかる。例えば、人材紹介会社のカウンセラーを長く努めている蟹沢孝夫氏の見解だ。
 <世の中で「ブラックだ」とささやかれる職場であっても、詐欺商法などビジネス自体が違法なものを除くと、その多くはもはやゲンダイの経済社会の歯車の一部として必要不可欠な存在になっているからだ。別のいい方をすれば、私たちの豊かで快適な生活を維持するためには、相当の犠牲を払ってくれる彼らのような存在が欠かせないとさえいうことができる>
 それゆえブラック職場には、景気の動向に関係なくつねに相当数の求人ニーズが存在する。新卒であれ、中途であれ、少なからぬ人にとって就職先としてブラック職場を完全に避けるのはゲンダイの日本では不可能であり、理想論だけで「ブラック企業悪玉論」を唱え、その存在を完全に排除しようとするのは現実的でない。>(蟹沢孝夫『ブラック企業、世にはばかる』光文社新書、2010年、Kindle版)
 マルクス経済学の理論では、価値を生み出すのは労働力だけだ。それだから、企業(資本)は、ありとあらゆる力を用いて労働者から利潤を最大限に搾り取ろうとする。企業に対抗する戦闘的な労働組合が存在しない限りすべての企業がブラック企業化していくというのがマルクス経済学の見方だ。
 
 「外務省は恐ろしいブラック官庁ですね」

 もっとも、ブラック企業の手法も粗野なものから洗練されたものまでさまざまだ。受話器と左手をガムテープで結びつけて1日100件以上の営業電話をかけさせる。マニュアルをあえて手書きで写させる。過剰な営業ノルマを課すなどというのは粗野な手法だが、筆者が外務省(モスクワの日本大使館)で経験したのは、それを通り越して、犯罪行為といじめに近い内容だった。
 2つほど実例を記しておきたい。第1はこれまでにも拙著などで告発をし、国会審議でも問題となった、大使館で扱う闇ルーブルの管理だ。
 KGB(国家保安委員会=秘密警察)は、アフリカ、中東諸国の在モスクワ大使館に大量の闇ルーブル(公式レートの3分の1から10分の1)を流していた。これらの外交官に、日本大使館員は、中古車を購入価格の数倍で販売し、指摘蓄財をしていた。さらに中古車販売で得たルーブルを大使館内で闇レートでスウェーデン・クローネに替えることなどが組織的にシステム化されていたのだ。
 もっとも筆者が露骨にいやな顔をすると、2日後に上司から「君はこの仕事をしなくていいよ」と言われた。この仕事は筆者の1年後輩の専門職員(ノンキャリア)が担当したが、汚れ仕事に嫌気がさして数年後に外務省を辞めた。昨年、筆者は従数年ぶりにこの後輩と会ったが、思い出話をするうちに「外務省は恐ろしいブラック官庁ですね」と2人で溜息をついた。
 モスクワの日本大使館では「根性をつける」系統の仕事もあった。筆者が勤務していた政務班は3階にあり、職員は男性ばかりだった。そのために部屋は汚く、便所からは悪臭がした。気持ち悪いので、筆者はこの便所を使ったことは一度もなかった。
 ある時、陰険な2年上のキャリア職員に便所掃除を命じられた。便器には糞がこびりつき、アンモニアで目が痛くなる。それと、トイレで自慰行為をしている職員がいるせいか、陰毛とちり紙のかけらが大量に落ちている。公園の講習便所よりも酷い状態だった。
 筆者が便所掃除をしていることについて、当時、駐ソ日本大使館の特命全権公使を勤めていた川上隆朗氏(その後、インドネシア大使)にさりげなく話すと川上氏は「だからロシア・スクールはダメなんだ。佐藤君に迷惑がかからないように僕がうまくやる」と言って、大使館に清掃を担当するロシア人を雇い、若手の職員がそのロシア人を監視しながら3階の便所を掃除することにした。
 ここに挙げたうち、闇ルーブルの扱いは、”ヤバイ仕事”と思ったが、便所掃除、公電の成果横取りなどは、どの官庁や企業でも平気で行われていることと思っていた。ちなみに外務本省に帰ってからの筆者の超勤時間は月平均250~300時間だった。
職業作家になってから外務省以外の官庁や民間企業の人と話すと、異口同音に「佐藤さん、他の役所や民間企業ではそんな酷い仕事はさせませんよ。モスクワの日本大使館は、まるで一昔前のタコ部屋じゃないですか」と言われ、外務省がいかに特殊な職場文化を持っていたかについて自覚した。

 「労働力」になる人、そうでない人

 もっとも外務省には別の文化もあった。語学の勉強や、科学アカデミーの研究所での調査、さらに外交官の仕事のかたわらモスクワ国立大学哲学部ではプロテスタント神学について、東京大学教養学部では民族・エスニシティー理論について、筆者が教鞭を執ることについて奨励してくれた。
 語学力や大学教師をつとめる過程でつけた知識がなかったならば、筆者が職業作家に転身することは不可能だった。その意味では外務省に感謝している。外務省には、ブラック企業的な文化が一部にあるが、適切な給与が支払われ、個人的能力も努力によってかなりつくので完全なブラック企業とは言えない。
 現在のブラック企業は洗練された技法を用いる。それについては村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)に参考になる情報がある。
 登場人物の一人、名古屋で自己啓発セミナーを主宰して大儲けをしている赤松慶は、セミナーの目的について<会社の思惑通りに動きつつ、それでいて『私は自分の頭でものを考えている』と思ってくれるワークフォースを育成することだ>と述べる。企業の利潤に即戦力として最大限に貢献する労働力(ワークフォース)に人間を改造することがブラック企業の目的だ。さらに興味深いのは、こういう労働力になる人とそうでない人の区分について赤松が述べた箇所だ。
<おれたちのプログラムをまったく受け付けない人間も少なからずいる。そういう人間は二種類に分けられる。ひとつは反社会的な人間だ。英語で言うアウトキャスト。(中略)そういう連中を相手にしても時間の無駄だ。お引取り願うしかない。もうひとつは本当に自分の頭でものを考えられる人間だ。この連中はそのままにしておけばいい。下手にいじくらない方がいい。どんなシステムにもそういう『選良』が必要なんだ。順調にいけば彼らはゆくゆく指導的な立場に立つことになるだろう。しかしその二つのグループの中間には、上から命令を受けてその意のままに行動する層があり、その層が人口の大部分を占めている。>
 
 教養を身につけた本物の選良(エリート)になることが、ブラック企業から抜け出す最良の方策だ。



・私はここで言う、「タコ部屋」ほどきつい経験はしたことがない。せいぜい残業100時間である。
 ただ、程度の差はあれ、自分が潰れる経験はした。
・私が勤めている会社は数年前に他社に買収され、全くと言っていいほど違う会社に変容した。
 まずは健康第一であると言う。
・というかこの本に時たま出てくる謎の創価推しは一体何なのかという。
 他の本でも一章分使ってたコーナーがあった。
 ただ、公明党に入るわけではないが、ある程度公明党の動きについて、客観的視座からの距離を置いた上での知見という意味で有効である。
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WW2米戦略、対日「オレンジ・プラン」 、国家の政策個性と予測

2017-04-23 17:36:31 | 海外・国内政治情報等
WW2当時より、アメリカが対日本用の戦争戦略である「オレンジ・プラン」はその存在が知られつつも、今の日本の体制強化、正当性の強化を良しとしない歴史観点を持つ人からは、ある種、陰謀論・謀略論として揶揄されたり、あるいはそういう鋳型に整理されてしまっていたような気がする。

ここで改めて、オレンジプランの紹介をすると共に、それが今となってどのように国際戦略が決定されているかの文章が出てきているのでメモ。対日戦略として、ルースベネディクトの「菊と刀」の孫引きも含めて書き出して行きたい。

世界観 佐藤優 P27

 さて、米国は、日露戦争で日本が勝利した直後から、来るべき対日戦争を想定し、「オレンジ・プラン」という秘密計画を立てていた。
 <太平洋戦争の四年間、米国は「オレンジ・プラン」と呼ばれる船りゃkうにおおむね沿った形で戦争を遂行した。二十世紀初頭、米国は仮想敵国を色で著すいくつかの戦争計画を作成、なかでもオレンジ・プランは最も卓越したものっだった。各国に色別のコード・ネームを割り当てたのは大統領の諮問機関である陸海軍統合会議で、日本はオレンジ、米国はブルーで表された。色名は名詞・形容詞のいずれでも用いられ、オレンジは「日本」あるいは「日本の」、ブルーは「米国」あるいは「米国の」を意味していた。>(エドワード・ミラー著、沢田博訳『オレンジ計画 アメリカの対日侵攻50年戦略』 新潮社、1994年、5頁)
 もっとも「オレンジ・プラン」という名称は1940年末に消えて、「レインボー・プラン」に変わった。来るべき世界戦争では、見方と敵が入り乱れ、図上演習では二次のようにさまざまな色が現れることが想定されたので、このような名称変更がなされたのである。
 米国が「オレンジ・プラン」を立てた時、日米関係は友好的だった。両国間の懸案は外交交渉で平和的に解決することが可能だった。それにもかかわらず、米国はなぜ日本との戦争を想定した国家戦略を策定したのであろうか。その理由は簡単だ。1950年、日露戦争に勝利した日本が、強くなり、帝国主義競争の入場券を得たからだ。将来的に日本が国力をつけアジア太平洋地域における米国の支配的地位に影響を及ぼすようになると、日本との戦争が不可避になると米国は考えていた。
 <米国と日本は歴史的に友好関係を保っているが、いつの日か他国の支援なしの二国間戦争が勃発する、というのがオレンジ・プランの地政学的前提条件である。開戦の根本理由は、極東の土地、人、資源の支配を目論む日本の領土拡大政策であろう。米国は自ら極東での西欧勢力の守護者をもって任じ、民族の自決と貿易の自由を何よりも大切にしているからである。日本は極東支配の野望を達成するため、フィリピンとグァムの米基地を攻略し、米国の軍事力を日本の海上輸送から一掃することが必要と考えるようになるだろう。>(前掲書7頁)
 米国は太平洋地域を根拠地とする帝国主義国家である。それだから、太平洋地域における米国の覇権に挑むようになった国家を叩き潰すというのが基本戦略だ。裏返して言うと、日本が太平洋地域における米国の覇権を脅かすことができない状態が出現すれば、米国の目的は達成されることになる。「オレンジ・プラン」にもこの考えが如実に反映している。
<三十五年間にわたり、オレンジ・プランの根底を成す観念は、海からの上陸攻撃で島々を無力化し、同時に経済を壊滅することによって得られる勝利であった。包囲攻撃の哲学は一九〇六年の計画の最初の草稿に書かれ、何度となく繰り返されてきた。その帰結するところは、日本への侵略は避けるべきだということであった。侵攻の必要性もなく、補給上不可能で、それによって引き起こされる流血と世論の反感を考えると自滅的な作戦になるというのである。計画官たちは、米国は数年んお期間を与えられれば、日本を侵略するための十分な兵と軍事分子を送り込むことが可能であると考えていた。しかし第二次世界大戦以前には、その全保有商船をもってしても、極東にわずか百万人しか維持することができず、密集した敵軍を相手に占領を勝ち取ろうにも、一回の移動で十分な兵を運ぶことも、補給を続けることもできない。米軍の重い自動車化装備は、日本の水田や山岳地でぬかるみにはまりこむのがせいぜいだろう。彼らは、侵略は「物理的に不可能であり、成功は全くない」という結論に至った>(前掲書369~370頁)
 細かい点では、異なる出来事もあったが、「オレンジ・プラン」の線に沿って日本は追い詰められていったのである。


日露戦争後に日本が歩んだ道を「百年遅れ」で歩む

 現在、世界的規模で、国際秩序の帝国主義的再編が展開されている。主要国が核兵器を保有している状況で、国際紛争を戦争によって解決することに対するハードルが大東亜戦争時と比較すると格段に高くなっている。戦争がdけいない帝国主義という状況で、TPPが21世紀の「オレンジ・プラン」としての機能を果たすであろうと筆者は見ている。
 ただし、この場合、「オレンジ」のコード・ネームで現されるのは駐呉kうだ。11月17日、キャンベラのオーストラリア議会で米国のオバマ大統領が、「(米国は)太平洋国家であり、ここにとどまる」と宣言した。オバマ大統領は、アジア太平洋地域を基盤に広域帝国主義政策を展開するという米国の国家意思を明確に表明したのである。東西冷戦終結後、唯一の超大国となった米国は、世界各地の紛争に首をつっこみ、手を広げすぎてしまった。
 特にイラク、アフガニスタンは米国にとって泥沼になってしまった。そこで伸びすぎた戦線を縮小してアジア太平洋地域に回帰し、帝国主義国としての基礎体力を強化するというのが米国の基本戦略だ。


ここに米国の国家としての個人的性格がある。
世界はアメリカに支配されるべきという傲慢な思想が、アメリカにはある。
「極東の土地、人、資源の支配を目論む日本の領土拡大政策」は許せなくても、本質的には同じことであるが、「その悪事を征伐して解放し、自由にする」というアメリカ自身の態度は許容できるものらしい。
太平洋はいつからアメリカのものになったのだ? ん? 

と言っても始まらない。要は倫理性はともかくとして、強者であり、勝者であるから、倫理性すらをも従えた強弁を行えるのである。

別角度から見れば、もし稼動するのであれば、米国は日本に戦車投入するのも厭わない。
農家が手入れをして長年使っている田んぼを、必要と有れば、目的地まで一直線、田んぼを斜めに突っ切って、車輪の轍で稲をダメにすることもやぶさかではない、ということになる。

牙を研げ 佐藤優 P22

 捕虜になった日本人はなぜしゃべるのか

 ちなみに日本軍が降伏しないというのは、じつはうそだということに、アメリカは戦争の途中で気づいた。アメリカ軍は、戦争の途中までは日本兵をほとんど殺していた。だからアメリカ軍は決して人道的でも何でもなかった。ところが、ある状況から、日本兵、特に将校は捕まえたらよくしゃべるということに気づいた。日本兵は死に物狂いで戦うけれども、一旦捕まってしまうと、なぜ、ぺらぺらしゃべるのだろうと。要するに、捕虜になることがないという前提なので、捕虜になったときのマニュアルがないわけです。
 国際法では、捕虜になった場合は、捕虜は自分の氏名と階級、生年月日と所属部隊の認識番号と個人番号のみ言えばよくて、それ以外のことを言わないでいい。部隊の配置については言わないでいいし、拷問で聞き出したりすれば戦時国際法違反だった。ところが、日本人は全体か無かという発想で仕事をしているから、捕虜になってしまったら、ぺらぺらしゃべる。宣伝新聞などに自分の顔出さないでくれ、日本側に自分が捕虜になったことを通報しないでくれという願いが受け入れられれば、いくらでもしゃべる。このことに米軍の情報部は関心を持った。
 そこでつくられたのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトを中心とするチームです。ルース・ベネディクトは社会学者だけれども、日本の専門家ではありません。日本人がなぜこういうふうにして投降するのか、日本人をどんどん投降させてしゃべらせるにはどうすればいいかということで調査させた。その結果生まれたのがいまや日本人観の古典ともいえる『菊と刀』です。
 彼女は、日本の軍紀物、戦記物など、戦国時代の研究を中心に行います。その結果、日本人はよく寝返るし、降伏するということがわかる。殿様は自分が切腹すれば家臣が出す駆るという場合には城を明け渡すといった事例を研究して、日本人に埋め込まれた文化というのはそう簡単には変わらないという結論に至ります。 
 アメリカは、日本研究とは別に沖縄研究もおこなっています。ルース・ベネディクトたちとは別の社会学者のチームをつくって、沖縄の占領に向けて、特別の人類学調査をおこない、「民事ハンドブック(CIVIL AFFAIRS HANDBOOK)」という報告をまとめている。これは沖縄県が翻訳して、沖縄県史の資料編として入っています。
 長年の差別政策に対して沖縄人は不満に思っているけれども、劣等感は持っていない。このところに、日本は気づいていない。したがって、日本との分断はそれほど難しくない。そういう観点あkら沖縄統治をおこなうべきというのが、「民事ハンドブック」の基本的な内容です。
 だから、戦後政策のなかで、アメリカはある時期まで、対日離反政策を取り、いわば沖縄のアイデンティティーを強化する政策を取っています。このときに刷り込まれた遺産が、じつは二一世紀になって芽を吹いてきているという面もあります。


さり気に二項対立の文章を書いているね。日本と沖縄、という独立した地域の二項対立ではなくて、包含する関係が今の状況であるが、そこからどうも、二項対立論への認識を加速させたいようである。

同前 P4

 世の中には、法則化できない事柄がたくさんある。その一つが歴史だ。歴史について、まったく同じ出来事がくりかえされることはない。しかし、それぞれの民族や国家の歴史には個性がある。くりかえし実験ができる法則定立的な科学(体系知)とは別に、歴史、民族、文化、文学など、それぞれの個性を記述する形態での体系知があることを本書では強調した。


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