goo blog サービス終了のお知らせ 

とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

バフェット氏、株高騰「カジノ的」 投資機会乏しさ憂う

2024-02-27 23:20:41 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
これがポジトーなのかどうなのか分からんが記載。


バフェット氏、株高騰「カジノ的」 投資機会乏しさ憂う
2024年2月25日 2:21
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN243HQ0U4A220C2000000/?n_cid=SNSTW001&n_tw=1708795509

米著名投資家ウォーレン・バフェット氏率いる米投資会社バークシャー・ハザウェイは24日、恒例の「株主への手紙」を公表した。米国内外の株式相場の高騰は「カジノ的」だと警鐘を鳴らした。魅力的な新規投資機会は乏しく、バークシャーの投資待機資金は最高水準に積み上がる。

バフェット氏は手紙で、自身が初めて株式を買った1942年3月にダウ工業株30種平均は100ドルを割り込んでいたと...


これに関連する著述:
スノーボール  改訂新版中  アリス シュローダー P84

左手にはビル・ スコットのオフィスがあり、「 早くしろ! こっちは忙しいんだ!」とブローカーをどなりつけ、 バフェットの売買を実行させる。
(中略)
  相場が上昇しているので、 スコットはここのところ あまり忙しくない。
(中略)
一九六〇年代末、市場の高騰によって 株式投資がやりにくくなっていた。

と言うことで、上昇相場での天井においては基本的に買うことに関して旨味がない。
バフェットが手を引きかけているのもうなずける話だ。

また、バフェットが日本の半導体関連株を買っているから大丈夫的な話もちらほら見かけるが、これは手放しでは喜べない。
と言うのもバフェットの基本スタンスは株式関連における利益が出ればいいので、安全マージンを確保できた上で割安なものに投資をし、成長したらその利益を得る、と言うスタイルだからだ。
つまりこれは日本の半導体関連株は、良質な環境と人材がある割に、円安かつ日本の社会構造の問題から割安になっているのを見定めて、極めて安牌の立場から買っているだけなのであって、日本が良くて高品質だからと言う理由がメインになっているのではない。日本は世界的に相場より安く見られており、それが問題であることを認識すべきなのだ。

バフェットがインテルに投資をしなかった話

2024-02-17 10:51:45 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
今回の件はバフェットがインテルに投資をしなかったということで、いくらなんでもリスクを「負わなさすぎだろう」というような類の話である。
バフェットは慎重派の中でもかなりの慎重派なので、インテルという株が投資に向いているかどうかについてはリスクがあるという判断をしていたようである。
日本語文章の表現が若干ややこしいことになっているが私なりにまとめるとこうした表現になる。

スノーボール改訂新版中 アリスシュローダー P75

 バフェットとマンガーは、有望な会社をまた見つけ出し、できるだけ多くの株を買った。交換スタンプを扱うブルーチップ・スタンプスである。ふたりは別に買うこともあれば、いっしょに買うこともあり、その後、ブルーチップは2人の仕事人生を劇的につくり替えることになる。
 交換スタンプというのは買い物のおまけだった。小売店が釣り銭と一緒にスタンプを客に渡す。客はスタンプを小さな台帳に貼る。台帳が何冊か集まると、トースターやテザーボールなどと交換できる。スタンプを貯めるちょっとした喜びは、その時代には消えつつあった節約や借金を恐れる心を思い出させた。”無料(ただ)の景品”は、わざわざスタンプを集めたご褒美とみなされた。
 だが、実をいえばスタンプは無料(ただ)ではない。焦点はそれに金を払い、商品の値段にそれが織り込まれている。アメリカ最大の交換スタンプ業者は、スペリー&ハッチソン(S&H)だが、カリフォルニア州だけは別だった。カリフォルニアでは小売チェーンが独自の交換スタンプをはじめて、S&Hのグリーンスタンプを締め出したのだ。それがブルーチップで、自分たちが安値で販売していた。ブルーチップは、独占販売の典型だった。
「大手石油会社や食料品店がすべて同じスタンプを配るようになると、それは一種の貨幣になる。小銭を持ち歩かず、スタンプを使う。葬儀屋までスタンプを出す。売春婦までスタンプを出す。スタンプはどこにでもあって、偽造するやつまでいるというわけさ」
一九六三年、司法省がブルーチップを、自由取引を妨げ、カリフォルニア州の交換スタンプ業を独占しているとして告訴した。S&Hも訴えた。パシフィック・パートナーズという自分のパートナーシップを立ち上げていたリック・ゲインが、株価が低迷するブルーチップに注目して、マンガーに教えた。バフェットも気づいていた。「ブルーチップには清く正しいという発想がなかった」とマンガーは認めているが、ブルーチップは難関を乗り越えるだろうと三人とも判断した。
 三人が買収したいと思ったのは、ブルーチップに”手持ち金(フロート)”があるからだった。スタンプの代金は前もって支払われる。経費に交換されるまでに日にちがある。その間、ブルーチップは未払金を何年も活用できる。バフェットがこの喉から手が出るほど欲しくなる発想に出合ったのは、ガイコ最初だった。ナショナル・インデグニティを手に入れたかったのも、おなじ理由からだった。保険業者はまず保険料を受け取り、保険金はあとで支払う。どんな事業にも、未決済の小切手や手形はつきものだ。銀行預金もそのひとつといえる。客は銀行が好意で安全な場所に現金を保管しておいてくれると思いがちだが、銀行は預金をできるだけ高い金利で貸し付けるという投資を行っている。それが”手持ち金”。他人の金で投資をし、そこから利益を得ているバフェットのような人間にとっては、ネコにマタタビみたいなものだった。
 バフェットと友人たちは、お金についてあらゆる状況を逆の立場から見ることができた。どこかで交換スタンプを渡されたら、こう考える。「そうか、交換スタンプをもらうよりも、交換スタンプ会社を所有した方が得に違いない」子供のころは切手を収集していて、今でも切手は数えたいと夢想し、若き日の失敗の記念に四セント切手を地下室にしまっているバフェットですら、ブルーチップ・スタンプを集めるぐらいならブルーチップの株を集めた方がマシだと思っていた。
 一九六八年、ブルーチップは競合他社による訴訟の和解に乗り出した。司法省とも同意判決に達して、ブルーチップの親会社の食品スーパーチェーンは、スタンプを配っている小売店の株の四五パーセントを売却することを命じられた。食品スーパーチェーンの支配力をさらに弱めるために、司法省はスタンプ授業の三分の一を売却する相手を探すよう要求していた。それでも、ブルーチップはこの訴訟問題を乗り越えたように見えた。
 マンガーのパートナーシップが二万株を買い、ゲリンも同じだけ買った。その際にマンガーは、バフェットがバークシャー・ハサウェイ買収の際にとったのと同じ態度を示した。他人に手出しをするなと警告したのだ。「ブルーチップは買って欲しくない」とみんなにいった。「これだけはだれにも買って欲しくない」
 市場が上昇に転じると、バフェットはパートナーシップの一時的なキャッシュポジションを数千万ドルに引きあげた。バフェットのパートナーシップは、食料品店からも大量のブルーチップ株を買い、アリグザンダーズ・マーケッツの所有していた分も買った。七万株以上を買い占めるまで買い続けた。S&Hの訴訟が和解する方に大きく賭けたのはさいわいだった。──そうでなかったら、タイミングは最悪だったはずだ。
バフェットとマンガーがブルーチップに取り込んでいた時期が、同社の着実な成長の頂点だった。女性解放運動が急激にひろまり、女性はもっと楽しいことができるようになり、収入も得られるようになった。権利意識が強まると、電気ミキサーやフォンデュ・セットがほしければ、ちまちまと集めたスタンプを台帳に貼って交換するよりも、買いに行った方が早いと思い始めた。社会的な役割や演習が覆り、エスタブリッシュメントの文化があしざまに罵られて、若者は頭ごなしに”三〇歳以上のやつは信用するな”といった。三八歳のバフェットには、自分は年寄りだという気持ちはなかった──老いたと感じることはその後もない──が、「自分は老人病棟にいる」とパートナーに書き送っている。現代の文化や金融とは歩調が合わなかった。
 一九六八年、パリのベトナム和平交渉の進展が、市場にまた馬鹿騒ぎをもたらした。
 三〇〇人以上のパートナーの一億五〇〇万ドルの最低限のリスクで注意深く管理し、育て、複利で運用してきたバフェットは、新手の投資家を遊覧飛行に連れ出して、一夜にして五億ドルを儲けさせるような若い冒険的なマネーマネージャーの前では、影が薄かった。
 どんどん登場していた新テクノロジー企業のことでは、バフェットはことに──お気楽なほど──古風に見えた。グリネル大学の会議に出たバフェットは、理事仲間のボブ・ノイズが、フェアチャイルド・セミコンダクターを止めたがっていることを知った。ノイス、研究部長ゴードン・ムーア、研究開発次長アンドリュー・グローブは、カリフォルニア州マウンテンビューで名もない新会社を設立することを決めていた。集積回路技術を”より高度なレベル”に引き上げるという漠然とした計画が土台になっていた。ジョー・ローゼンフィールドと大学の寄付基金が、それぞれ一〇万ドルを投資する予定だった。ほかにも数十人の出資者がいて、新会社の資本金は二五〇万ドルにのぼった──この会社はまもなく集積化電子(インテグレーテッド・エレクトロン)を縮めてインテルと呼ばれるようになる。
 バフェットはそれまでずっとハイテク関係の投資には見向きもしなかったし、安全マージンがないと見ていた。一〇年以上前の一九五七年、叔父フレッドの妻ケイティがバフェットの家の裏口に来てたずねたことがあった。弟のビルの新会社に夫婦で投資しようかと思っているのだけれど、どうかしら? ビル・ノリスは、レミントンランドのUNIVACコンピューター部門を辞めて、IBMと競合するコントロール・データ・コーポレーションを設立しようとしていた。
 ウォーレンは驚愕した。「ビルは、レミントンランドがIBMの更新を拝することになると考えていた。頭がどうかしたんじゃないかと思った。ケイティ叔母さんとフレッド叔父さんは、コントロール・データに創業時からわずかな出資をするつもりだった。ビルには金がない。いってみれば、みんな金がなかった」バフェットとスージーだけは別だった。「やろうと思えば、半分出資することができた。でも、否定的だった。それで、”競合が激しいんじゃないかな。コンピュータ会社なんて、そんなにいっぱいいらないだろう”といった」
 だがビルはケイティの弟なので、フレッドとケイティは今度ばかりはバフェットの助言を顧みず、四〇〇ドルを投資して、一株一六セントで株を買った。
 コントロール・データが成功しても、ハイテクに対するバフェットの意見は変わらなかった。同時期に操業したほかのハイテク会社の多くは破綻している。だが、他の理由はともかく、ローゼンフィールドに敬意を表して、バフェットはグリネル大学のハイテク投資を承認した。ローゼンフィールドは大学の投資を保証し、それで安全マージンが生まれた。バフェットはノイズを尊敬していたが、パートナーシップのためにインテル株を買うことはしなかった。人生最大の投資機会を逃したわけだった。困難な状況で投資の基準を引き下げることはあっても──これからもそうするつもりだが──安全マージンを無視することはできなかった。この特質こそが──リスクに制限を設けなければ手に入れられる富の前を素通りできるのが──ウォーレン・バフェットたるゆえんなのである。
 バフェットにしてみれば、いまや市場全体がインテルのように見えていた。一九六八年末の手紙は、投資アイデアがいまだかつてなかったほど低調だと述べている。
(中略) 
バフェットが自分の暗い予測を上回る成績をあげるたびに、伝説はふくれあがっていた。だが、それが永遠につづかないことを、バフェットは知っていた。



>「大手石油会社や食料品店がすべて同じスタンプを配るようになると、それは一種の貨幣になる。小銭を持ち歩かず、スタンプを使う。葬儀屋までスタンプを出す。売春婦までスタンプを出す。スタンプはどこにでもあって、偽造するやつまでいるというわけさ」
スタンプが貨幣代わりになったという例。

> 一九六八年、パリのベトナム和平交渉の進展が、市場にまた馬鹿騒ぎをもたらした。
と言うことだが、この馬鹿騒ぎというのは一体何だろうか。
私が解釈するに、基本的に今の一般的な株式の購買に関しても、直感やある種の魔術的な要素があると認識されているこの市場において、予測不可能な部分に関してはそうした非科学的な解釈がなされるが、そうではなく安全マージンを基準とした数値的理論を用いて株式を売買運用をしているベンジャミングレアム、そしてその信奉者であったウォーレンバフェットに関しては、理論を用いない直感による売買をする人間、つまり一般一般大衆による株式売買に関する参入というのは、理論を用いない騒乱に過ぎなかったということではないかと考える。


「 三〇〇人以上のパートナーの一億五〇〇万ドルの最低限のリスクで注意深く管理し、育て、複利で運用してきたバフェットは、新手の投資家を遊覧飛行に連れ出して、一夜にして五億ドルを儲けさせるような若い冒険的なマネーマネージャーの前では、影が薄かった。


ここが分かりづらいので、私なりに日本語を文章を組み替える。
「バフェットの投資スタイルがどういうものであるかというと、三〇〇人以上のパートナーの一億五〇〇万ドルの最低限のリスクで注意深く管理し、育て、複利で運用してきた慎重派である。
一方、若い冒険的なマネーマネージャーは違った。
新手の投資家を遊覧飛行に連れ出して、一夜にして五億ドルを儲けさせるようなことをしていた。
そのようなマネーマネージャーの前では、バフェットは影が薄かった。





「この特質こそが──リスクに制限を設けなければ手に入れられる富の前を素通りできるのが──ウォーレン・バフェットたるゆえんなのである。」

ここに関しても、日本語文章がややわかりづらい形になっているので私なりに整理を行う。

富がある。
富を得ようとするか素通りしようとするかについてはその人間の自由である。
ただ一方において富についてはそれを得る時にリスクがついて回るものである。
富を得ようとする時の理論的リスクがその安全マージンを超える時に、いくらそれが莫大なものであろうとそれを得ることをしないという判断をするという慎重派がバフェットである。

という文意である。

ただこれも英語元の文章が悪かったのか、あるいは翻訳ミスであるのかがわからないが「リスクに制限を設けなければ手に入れられる富」という表現が個人的には良くないと考えた。
というのも、リスクに制限を設けなければ手に入れられる富というのは、カジノにおける大勝負もこれに入ってしまうので、表現としては適切ではないように思われる。
この本の文脈で言えば、バフェットは安全マージンを超えるような形での投資を不適切だと思っており、それがわずかにでも超えるようなのであれば、そのリスクを考えて投資をしないというものがバフェットのスタイルである。
よってここの文章意としては、「リスクとしての安全マージンの閾値をわずかに超えれば得られる富があれば」という意味の方がより近いだろう。



バフェットの思想について

2024-02-07 22:01:35 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
いくつかの意見がある。

スノーボール改訂新版 中 アリスシュローダーP56

おなじ一九六七年一〇月、公民権運動の苦しい戦いのさなかに、バフェットはパートナーへ異色の手紙を書いている。バフェットの考えが変わったことを、それが物語っている。この手紙は、結果の出ていない懸案には触れずに戦略を説明している。「過敏すぎる市場の反応」について述べてから、「個人的な関心もくわわったせいか、いまの私の手法は、私がもっと若くてゆとりがなかったときに。いい結果を出そうと強迫観念に駆られたようにがむしゃらだったのとは違います。たしかにいまの相場には乗り損なっています。しかし、ひとつだけ明確に申し上げられます。それは私が理論的に十分に理解している従来の手法(ただし、いまはそれを駆使するのが難しい)を捨てるつもりがないということです。完全には理解できない流行りの手法を受け入れれば、一見たやすく巨額の利益をあげられるのかもしれませんが、成功する保証はありません。パートナーシップに大打撃を与える恐れもあります」。
 個人的な目標が割り込んできていることをバフェットは挙げている。「経済以外の活動にも余裕を割ける経済目標にしたいのです・・・・・・ほどほどに楽で、安全で、儲かって、楽しい物事に絞っていきたいと思っています」
 そのあとでバフェットは、市場平均を年間一〇ポイント上回るというお決まりの目標を、五ポイントに下げて、パートナーたちを唖然とさせている──あるいは九パーセントのリターンということだが、いずれにせよ目標を下げたことには変わりはない。ほかでもっといい結果が得られるのなら、どうぞそちらに移って、批判はしませんから、とバフェットは告げた。

「ほどほどに楽で、安全で、儲かって、楽しい物事」とバフェットは述べているが、これについて私はこれの全ての要素で真逆の経験をしたことがある。
つまりきつくて、危険で、儲からず、全然楽しくなくてむしろ辛い出来事に従事した形で職業に従事し、そしてその手段において金銭を稼いで生活費に当てていたのだ。

またここの翻訳文章にも、改善の見込みがある部分がある。
「それは私が理論的に十分に理解している従来の手法(ただし、いまはそれを駆使するのが難しい)を捨てるつもりがないということです。」
の部分である。私が直すのであれば次の通りになる。
「それは私が今まで使用してきた従来の手法を捨てるつもりがないということです。
 それは、理論的に十分に理解している手法です。」



同前P58

 ところが、この宣言のタイミングが、バフェットに有利に働いた。一九六六年、ダウ平均はそれまでになく低調だった。市場の混乱に動揺した何人かのパートナーが、株を売ってはどうかとバフェットに助言した。ヘッドは市場もパートナーも意に介さなかった。しかしその年、パートナーシップの成績はダウ平均を三六ポイント上回り、この一〇年間で最高記録した。「相場に乗っかれないときは、そいつを打ちのめせばいい」とバフェットは書いている。


同前P59

 一九六八年一月、投資家たちははじめて、パートナーシップに先を争って出資するのではなく、一六〇万ドルを引きあげた。だが、痛くも痒くもなかった。三〇ドルあたり一ドル弱が減ったに過ぎない。それに、数週間後に一九六七年の成績が発表され、バフェット・パートナーシップは三六パーセントの成長を遂げていたことが明らかにされた──いっぽうダウ平均は、一九パーセントの伸びだった。つまり、バフェットに預けたお金は二年間で一ドルあたり六〇セント以上増え、ダウ平均に投資した1ドルはほとんど増えていないわけだった。
*バフェット・パートナーシップに一〇〇〇戻る投資した場合には年利九パーセントで二〇年後には五六〇四ドルになる。ダウ平均の上昇率を年四パーセントとして、一〇〇〇ドル投資した場合には二一九一どれだから、それよりも三四一三ドル多い。


同前P60

「上昇相場ではだれもが天才である」と、ケネス・ガルブレイスがのちに述べている。

つまり相場の下降局面においては、その天才性がいぶり出されるということになるということだ。ここの加工局面で耐えられる人間あるいは稼げる人間はごく少数であるということになる。
さらに逆に言えば相場の上昇局面においては特に通信などを見極めるスキルなどが必要ないという一般大衆に向けての揶揄の文章であることもわかる。


同前P72

 ここでもバフェットの特質が商売の勘の邪魔をしていた。収集欲、みなに疲れたいという願望、対決への恐れ。ややこしい理屈をつけて、バフェットは自分の考えを一九六八念のパートナーへの手紙に書き記している。「ビジネスで自分の好きな人々と取引できると、とても励ましになります(どんなビジネスでもそうですが)。それに、10日資本に対して全体として満足できるリターンを達成できるときに(一〇ないし一二パーセントというところでしょうか)、小刻みな状況変化にあわてて対応することでさらに数パーセントを稼ごうとするのは愚かしいことです。また、まっとうなリターンが得られているのに、優秀な人々との既存の楽しい人間関係を、もっと高いリターンが得られる可能性があっても不満や腹立ちやもっとひどいものを味わう恐れのある関係に置き換えてしまうのは、私には分別のある判断だとは思えないのです」
 ますます増えつつあるバフェット・ウォッチャーのなかには、これを読んで肝を潰したものがいた。「全体として満足できる」という言葉の中には、平均よりもかなり劣るビジネスも許容するという含みがある。けちん棒が歯磨きのチューブを思い切り絞るみたいに、一ドルから最後の〇・一パーセントを搾り取ろうとするバフェットを見てきた向きは、「さらに数パーセント」をどうでも良さそうに退けていることに愕然としたはずだ。
 とはいえ、バフェットは好成績をあげていたので、文句は出なかった。目標を下げたあとも、ずっと記録を塗り替えていた。いろいろな重荷があるにもかかわらず、バフェットのパートナーシップは誕生以来一二年間で、年平均三一パーセント以上のリターンを上げていた。それに引き換えダウ平均は九パーセントだった。バフェットが展示してきた安全マージンが、オッズを有利な方向に急転回させていたのだ。投資の才能とそれがバフェットの打率に累積効果をあたえていた。ダウ平均に一〇〇〇乗るつぎ込んでも二八五七ドルにしか増えなかったが、バフェットのパートナーシップではそれが一〇倍近い二万七一〇六ドルになっていた。


ここでも翻訳 文章に関して ブラッシュアップ できるような改善が可能であると思われる部分が存在する。
「また、まっとうなリターンが得られているのに、優秀な人々との既存の楽しい人間関係を、もっと高いリターンが得られる可能性があっても不満や腹立ちやもっとひどいものを味わう恐れのある関係に置き換えてしまうのは、私には分別のある判断だとは思えないのです」
の部分である。
私が修正するのであれば 次の通りである。
「また、 次のようなケースは私には分別のある判断だとは思えません。
 それは、 現在においてうまくいっている例をリスクのあるものにするケースです。
 まっとうなリターンが得られているのに、優秀な人々との既存の楽しい人間関係を、もっと高いリターンが得られる可能性があっても不満や腹立ちやもっとひどいものを味わう恐れのある関係に置き換えてしまう ことなどがそれの例としてあげられるでしょう。」


中国株価暴落における亜周辺陥没の例

2024-01-27 21:43:33 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
屋村要さんの中国予測について - とめどもないことをつらつらと
https://blog.goo.ne.jp/booter/e/ef4663bb3fef8d1e542a220d9f79124d

端的に言えば、中国の恒大集団やその他不動産の相次ぐ倒産は、中国国内の経済を破綻させるが、周辺国への金融の連鎖恐慌には突入しない。
中国単独と、その亜周辺の陥没で終わる。


の続き。
亜周辺の陥没の例。基本的に西側世界は中国の金融商品を購入していない。
そもそもが利率がどうであるというよりも、共産党の誰それとコネクションがあるのでこれを買える、買った方が資産が上がる、と言うような買い方、売り方をしているため。
ん? と言うと中国コネクションがあったアメリカ人は結構買ってるな・・・



「もう笑うしかないような」と言うのがポイント。

続編が出ない名作ゲーム

2024-01-18 23:53:39 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
続編が出ない名作ゲームと言うタイトルでネット書き込みスレッドが立っていた。

ここで言うのは、飽くまで購買者層側から「面白いのになんで続編が出ないんだよお〜」と言うことである。

が、ここで振り返ると「購買者層側が面白いと感じているから続編を待ち望む」と言う心理は否定できないが、「購買者層側が面白いと感じてもらえるだろうから続編を出す」とは限らないのだ。
ゲームメーカー側は飽くまで「儲かるだろうから次を出す」と言う経営上の方針決定をしているに過ぎない。

良い例がディズニーで、面白くないものの続編を出しているが、あれは優れた作品性を持つ作品を世の中の人に届けたいからそうしているのではなく、儲かるからそうしているだけなのだ。

例え面白くとも損失を出さないと言う経営方針によって続編を出さないかもしれない。
あるいは面白くなくとも儲けたいからと言う経営方針によって続編を出すかもしれない。