現在の主要な説では、「俺らは毒持ちだから食うなよ」と言う主張のために各生物の警戒色が形成されたと言うものが主流のようであるが、私はこれに反論する。
私が主張するものは下記の通りである。
・原初の生物は色が様々に自由にあった。極彩色の世界の可能性もある。
・その内、タンパク質を形成するにあたっていわゆる視覚での視認や、聴覚における認識、嗅覚における認識、味覚・触覚における認識において、「捕食できるかどうか」を判定する肉食形態が発生した。
・被捕食者はそれから逃れるために、視覚からの擬態を行った。これが保護色である。
・一方、毒などがある被捕食者は保護色を持つ必要がなかった。これが今の人間においては警戒色として見られているのではないか。
警戒色と言うのは人間の視座における都合の良い解釈の度合いが強いように思える。
「俺らは毒持ちだぞ、だから警戒しろよと言う主張をするためにそう進化した」と言うのは人間の想像が入り込んでいるフィクションの色が強すぎではないか、と。
元々警戒色を持っている生物はそうした個体の主張をしていないのは勿論であるが、生物の系統進化として「毒があることをアピールするためにそう言う色になった」と言う学説は人間の主観が入りすぎているように思える。