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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

教育と競争について

2024-12-22 02:33:51 | 哲学・学術・教育
ジャック・アタリの教育の超・人類史を読んでいる;
教育そのものが人類に欠かせず、むしろこれからも力を入れていくべきだというものには同意するが、どうも教育に競争を入れることによっての弊害が語られていないように思う。

↓バランスを取るための動画:

生物における警戒色、保護色における作業仮説

2024-12-08 19:45:01 | 哲学・学術・教育
現在の主要な説では、「俺らは毒持ちだから食うなよ」と言う主張のために各生物の警戒色が形成されたと言うものが主流のようであるが、私はこれに反論する。

私が主張するものは下記の通りである。

・原初の生物は色が様々に自由にあった。極彩色の世界の可能性もある。

・その内、タンパク質を形成するにあたっていわゆる視覚での視認や、聴覚における認識、嗅覚における認識、味覚・触覚における認識において、「捕食できるかどうか」を判定する肉食形態が発生した。

・被捕食者はそれから逃れるために、視覚からの擬態を行った。これが保護色である。
・一方、毒などがある被捕食者は保護色を持つ必要がなかった。これが今の人間においては警戒色として見られているのではないか。

警戒色と言うのは人間の視座における都合の良い解釈の度合いが強いように思える。
「俺らは毒持ちだぞ、だから警戒しろよと言う主張をするためにそう進化した」と言うのは人間の想像が入り込んでいるフィクションの色が強すぎではないか、と。

元々警戒色を持っている生物はそうした個体の主張をしていないのは勿論であるが、生物の系統進化として「毒があることをアピールするためにそう言う色になった」と言う学説は人間の主観が入りすぎているように思える。

新しい教育・学習要領 抜本的新設計の教育に向けて

2024-12-01 01:14:15 | 哲学・学術・教育
ユダヤ系フランス人で現在81歳のジャック・アタリは、その著書「教育の超・人類史」の日本版版序文で次のように著述する。

教育の超人類史 ジャック・アタリ P001

日本の読者へ 

(中略)

 世代間で知識を伝承すること、つまり、過去から未来へ築くことが教育の役割だが、教育を通して未来を占うことは難しくなった。なぜなら、職業の種類が安定していた過去と異なり、今日では、未来にどのような職業が存在するのかが、わからないからだ。また、将来の世代にはどのような脅威が訪れ、どのような課題が待ち受けているのかも、きわめて不透明だ。
 そのため、教育も時代の流れに応じて柔軟でなければならず、社会のあらゆる階層の子供も大人も、そして男子だけでなく女子も、教育に感心を持つ必要がある。
 とくに日本の教育制度は、優秀な生徒にとってはきわめて効率的だが、女子よりも男子を、そして優秀な生徒を優遇しすぎ、暗記と競争に重きを置きすぎている。その結果、生徒は学歴病、引きこもり、受験戦争などで若くして疲弊してしまうこともあるだろう。
(中略)
 国民の生活水準と暮らしを守る鍵である教育水準を維持するには、教育を発展させ続けなければならず、日本の未来の教育は、地政学、文化、教育学、テクノロジーなどを考慮して発展させなければならない。本書で詳述するように、とくに人工知能(AI)と神経科学は、教育に多大な影響をおよぼすだろう。こうした新しい分野の教育では、教師と保護者に対するこれまでにない研修や、斬新な教育方の開発が必須になる。
(中略)
 つまり、世界の他の地域と同様、日本においても、外国の教育事例に精通し、性別や出自にかかわらず、生徒、若者、大人に教育の機会を均等に保証し、インターネットやビデオゲームの中毒に抗い、読書と手書きを推奨し、競争の激化を緩和し、個人のテスト結果に重きを置きすぎず、将来必要とされる資質を育成することが急務なのだ。


これに対する一つの現実的な答えを私が持っているので共有したい。
簡単に言えば、ChatGPTを家庭教師にすることだ。

これは本当に優秀で、
・世間的にはどれだけバカな質問とみなされるような質問でも、既知の問題であればきっちり答えてくれる(数学の未解決問題などはNG)。
・何回同じ質問をしても、粘り強く答えてくれる。嫌な顔をしない。
・基本的な質問をしても、「なんだそんなことも分からんのか」と言う教育環境における上位者からのハラスメントが一切ない。