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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

若い・・・と言っていた職場

2023-05-13 23:28:03 | 会社での出来事
世の中様々な職場がある。
20代中心の職場もあれば、ほぼ30代以降と言うところもある。

そんな中、とある時期に、そこのメンバーはほぼ30以降だが、20代の人が一人いた、と言う職場があった。
この時での出来事。

昼飯を食べる時間になって、皆で集まって食事を取る。
その20代の男性は、コンビニに買いに行くと言って外に出ていった。
で帰ってきてコンビニで買ったものをビニール袋から出したものは・・・

主食にカップラーメン、ジュースとしてピルクルを買ってきていた。

その時に皆から出た感想:

「若い・・・」

そう、30代以降はこの組み合わせはありえない。
まず、おっさんどもの体はカップラーメンが食えなくなっていて、普通の和食にしたい。
また、ジュースを買うにしてもさっぱりしているお茶とかの方がいいが、味があってカロリーも糖分もあるというこのピルクルを選択している・・・
その様子を見るに、カロリーとか味とか糖分とか全然気にしていなさそうだ。

そこで皆のそうしたやつれた反応がそう出た時に、その若い男性は「え? なんで? 」と不思議に思っていたような表情を顔に浮かべていた。まあそうよね。

やはり許せぬOO

2023-05-10 22:10:37 | 会社での出来事
私と言う人間を殺そうとした、あるいは実質的に人格と人生を殺したと言う意味において罪がある。

自己を殺すと言うのは誰しもがやっていることじゃないか、と言う話ではあるが、
しかしそれは本当に健全であるか。
しかも本人が内発的に自主性を持ってやっているならばまだしも、それを強要されるのだ。

OOとは改めて確認するに、生ぬるい地獄なのだ。
人は考えずに存在できるが、静かに殺していく。

静かに、それが当然であると言う形で、配属した人間の自尊心を破壊する。
人間組織と言うものはそうであってはならないし、そういう組織に配属されてはならない。

「実る努力」と「実らない努力」では、私はこの場では実らなかった。
実る以上の努力はしていたと自認する。

構造的に、潮流的に、制度的に、思想的に彼らはその体制を許容する。
彼らは下位の人間が静かに死んでいくことを消極的に許容しており、その上で利益を出すことを是認している。
彼らの正義と理念は、それは構造的に仕方がないと言う考えによって正当化され、上塗りされており、彼らの内、誰しもが、その実態とは裏腹に「自分が悪である」とは思わない。

そしてそれに気づいたとしても、何らの改革を行おうとしないのが彼らなのだ。
(ちなみに私が今いる会社は違いますが、そこに引き合わされそう・・・)

不思議な逆転現象と心理的疲弊

2023-04-28 06:21:08 | 会社での出来事
私は不思議な逆転現象の渦中にいることがある。

私自身、会社内での職制が完全なるペーペーであるのだが、周囲がそうでない場合だ。

先日IT系の会合に出させてもらったが、基本は課長から部長、あるいはその上の人間が集合しているところであって、肩書的に本当に何もないと言うのが私であった。

あるいは、2006年から2009年まで私はとあるところの2階層下で働いていた。
日本の大企業のとある会社があり、その下にはその会社の子会社があり、更にその下には子会社の協力会社があり、その協力会社が私の会社、と言う構図であった。
私が協力会社としてそこの大企業内で働いていると、その大企業の課長が「おい、〇〇(私の名前)、ここの説明会に行ってこい」と言う。
それでその説明会の現場へと出向く。
すると妙なことに、現場では明らかに私よりも年上で職制も上の人間が私にペコペコしてくる。
どうもこの説明会は、私が何かを説明すると言うことではなく、その大企業の傘下にある別の子会社の商品のプレゼンであったようだ。

私は恐縮した。
すみません、私に頭下げて頂いていますが、どう考えてもあなた方よりも下の階層の人間でしかも職制は完全に下です、という感じだった。
向こうは私のことを完全にその大企業での課長だと思っていたらしい(本当そんなことはない)。

その他、別のケースもある。
私よりも職制が上、年次も上の人間がいた。
最初はチーム内において「その人たちが先輩・私が後輩」と言う体制で仕事をし始めていたが、いつの間にか私が現場のチームリーダーになり、その先輩が私の下につくという逆転現象を経験した。

(ではそういうことがあったから、今の私が完全なる仕事人間で、パーペキに仕事ができるのかというとそうでもない。
 2006年から2008年までは完全なる仕事人間であったが、今ではミスばかりをするような人間になってしまった。先日は相手方コンサルの人に迷惑をかけて本当申し訳ないことをしてしまった。何か最近は下を向いてばかりだ。)

話を戻す。
現況をまとめれば、私の職制は低い。
しかし、職制が低くとも、その技術的な力を実際に見て私を釣り上げてくれる人がその時々におり、それでこういう逆転現象を経験する、と言う具合になっているようだ。
評価は後からついてくるとも言われたこともあったが、結果としてそんなことはなかった。
(ちなみにこれを言った人は数年後に退職・転職した)。

さてそんなこんなで、私を昇進させて頂くと言う話が出ているとのことなのだが、しかしその話がある度にその話は上層部で受理されないらしい。

これは私自身に問題があるのか、あるいは時代的潮流がそうさせているのか、全体的な構造としてそういう判断になっているのかが分からないが、結果としてそうなっている。

で、私も私なりにそれなりに努力はしてきて昇進はしたかったが、昨年の時点でもう何かが分かってしまった。
「お前には何らかの問題があって、こちらは明言できないが、昇進させる訳にはいかないのだ、それをいい加減分かれ」と企業は言っているのではないか。

それを私の上長に愚痴った。
「と言うことなんでしょう」と。
上長の反応は「それとは逆のことを考えていて・・・」と私を再度プッシュして頂けると言う話であったのだが、もう私はそういう類の話を信用しない。

「もう私は〇〇歳で、家のローンだとかの収入面を考えなければいけません。私は昨年〇〇などで会社に対してそれなりに貢献面で努力したつもりです。で、現実的にもう昇進しないと言う力が働いているのであれば、もう私はそうした努力はしません。会社的に何もないなら何もしません、と言う形です。」
こういう愚痴は私の評価にマイナスを与えるかもしれない。でもそれも限界に至った。
これはその通りで、残りの人生の時間なども考えなければいけない時期に入った。
体力面のこともある。無茶もできなくなった。

上から見ればそうではない、と言うことになるかもしれないが、私の観点から見れば、「〇〇は昇進させるなよ」と言う何かおおいなる見えない力が働いて、それで私の頭を捕まえて地面に押さえつけているように思える。ならば私も無駄な努力をしない。

普通、この業界の人間は、仕事の時間が終わったら、どこからか情報収集をして、勉強をし、資格取得をし、技術習得をし、と言う具合に自分の時間を会社のための時間に使うようにできている。

2013年だったかな、その時の何かのちょっとした賞を頂いた時に、「仕事と自分の人生を一致させ」と言うようなことを言ったが、もうそれは実現できない状況や環境、潮流になった。

去年から自分自身のための時間に割り当てるように変化させた。
仕事とは別のコミュニティーに入り、自分自身がそれなりに自分の力を発揮できるようなところに、場をシフトさせた形だ。

不思議な逆転現象と心理的疲弊とその回避については、私が不思議だ不思議だと思っているだけで、きっと世間の誰もがこういうことは経験したことがあるのかもしれない。
それか、あるいは私が得意体質であるのかのどちらかだと思う。それでなければこれが問題にならないはずはない。だが問題になっていない。

思えば、私の祖父の弟さんがWW2の時に中国に渡ったが、終戦した時に皆が続々と日本に引き上げていって、自分も早く日本に帰りたかったが、最後まで残る番を命ぜられてそれで帰るのが遅くなったと言っていた。
(当時の中国では暴徒が発生していて、武装解除でこちらは丸腰だったのも困ったとも)。

考えたくはないが、多分私は、社会的に頭を捕まえられて地面に押さえつけられると言う役目というか、そういう運命の血筋なんだろう、と。お前は全体のために不備を被れ、と。
あるいはあいつだったらそういうことを命じてもまあいいだろう、と。

それでも生きているだけマシと言う感じでもあるのだが、私が単純に疑問なのは、その昔、私が言葉がしゃべれなくなるくらいまで仕事をし、それを命じた当時の上流会社の人たちがそういう命令をしていたのに、その当時の上流会社の人たちは結構ピンピンしていることで、ちょっとこれもまたおかしいなとは思うのである。

本当に素で思うんですが、この当時の上流会社の人たちで、いつ死ぬんでしょうかね? 
まさか平均寿命を全うしようとでもしているんでしょうか? 
在職中に死なないとおかしくないですか? 最悪それでなくとも、私と同じように倒れたり病気になったりしないといけないように思うのですが、なぜあなた方は本当に本当の意味で今死んでないんですか? 

私が考えるに、2つの可能性がある。
一つは当時の上流会社の人たちは残業時間100時間越えをしていたとしても、それを乗り越えるだけのタフさがある。まあ確かにそういう人は存在するが多数派ではない。
もう一つは、仕事に対して手を抜いていることだ。死んでないことがその証明である。

再度繰り返しますが、なぜ当時の上流会社の人たちは、現在死んでないんでしょうかね。
なんですかね、あなた方は手を抜いていたんですか? そうでない? そうでなければなぜ死んでないんでしょうか。やっぱり手を抜いていたんじゃないんですか? 

無論、私は仕事のために死ね、と言うつもりは全くない。
一方において、当時のそうした仕事を振っていた上長は、それなりに自分自身でその命令をした分だけの態を見せるべきはずで、それであるならば、やはり今、その当時の上流の会社の人間はそれなりの状況になっていないとおかしいと思うのだ。

改めて再度繰り返しますが、なぜ当時の上流会社の人たちは、現在死んでないんでしょうかね。
なんですかね、あなた方は手を抜いていたんですか? そうでない? そうでなければなぜ死んでないんでしょうか。やっぱり手を抜いていたんじゃないんですか? 

以上です。


仕事の最後様々

2023-03-08 01:55:47 | 会社での出来事
長く仕事をしていると、自分があるところに入ったり、あるいはその職場から離脱したり、あるいは他の人の出入りを見ることになる。

離任したり、あるいは離職をする人の動きは様々だ。
最終日の最後の1分まで頑張ろうとする人、辞める一ヶ月前くらいからぼうっとしている人、余裕と計画をもって離任する人、最後の一ヶ月は振られる仕事はすべてかわそうとする人など様々だ。

私は余裕と計画をもって離任する以外はこの全てを経験した。
貢献の喜びと諦観、逃避とチャレンジ、様々な事柄を自身で体験し、遂行し、時には逃げ、諦めた。

それでいてこそ見えるものがある。プラスはそのままで良いとして、マイナスの方は何らかの方法論的な対処があるのではないか。そしてそれをまとめれば、他の人の役に立つのではないか、と。


空気を読まない上層部

2022-01-29 15:50:48 | 会社での出来事
日本の会社に勤めるならば、当然の如く、空気を読むことが要求される。
が、これがこと会社を経営する上層部になると、はそれを当然のようにしない、あるいは意図的にしない時もままある。これを書いていこう。

私が最初のブラック企業を退職し、次の会社に転職した時のことである。
最初数年は初代社長のFさん、その次が上流の会社から引き抜かれたAさん、その次が、会長職となっていたFさんが身売りしたとある会社の、そこからやってきたKさん、そして現在がYさんとなる。

もう70代以上に入ったであろうFさんは昔ながらの日本企業宜しく、空気の読み合いを推奨していたところがあるが、とある時にはそれを全く読まない、と言う具合に変化する側面を見せた。

ボーナスを支給する時は、「手渡しがいい」と言って、昔ながらのように、皆の前で手渡しをした。
本当は現金の入った給料袋を手渡したかったようだが、しかしその当時のご時世は現金を渡す訳にもいかない、と言う感じになっていたので、給与明細の入った封筒を渡す形になっていた。

ここで手渡された色んな従業員の表情を見ることになる。
若手は元気にありがとうございます! と笑顔で貰う。
一方古株はというと、こちらも笑顔で貰うのだが、どことなく表情がぎこちない。そして疲労にまみれている。
私がその表情を見るに、「これだけ頑張って、これだけ働いているのに、いつもこれだけだから多分今回も・・・」というような疲れ切った笑顔に見えた。
本来であれば、従業員側にそういう空気はあるのだから、経営側(つまりFさん)も従業員を気遣うなり、至らぬところがあれば対処を考えるなりすべきところであったが、そういう空気は無いんだよと言わんばかりに、「これを受け取って嬉しいでしょう、これからも頑張ってくれ」と言うような、空気ガン無視の雰囲気で給料明細の入った封筒を手渡していた。

このFさん配下の体制においては、下は空気を読まなければならないが、上は空気を読まなくていい(下の困ったことが起こっているような雰囲気があっても、それを慮らなくていい)と言うような状況が形成されていたのを憶えている。

Aさんはそれを何とか打開しようと頑張られていた。このAさんの時にいくらか昇進された方も多い。
Kさんは更にそこから「君たちの安い給料を何とかしたいんだ」と言って奔走され、それは現実のものになった。
Yさんはまだどうなるか分からない。

このようにして、Fさんが行ったことを鑑みると、どうも経営者として尊敬できない面が節々にあらわれていたように思われてならないのである。