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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

経済 効用 心理と価格

2023-08-23 01:17:30 | 貨幣・財政・会計・経済

効用 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B9%E7%94%A8

効用(こうよう、英: utility)とは、経済学(ミクロ経済学)の基本的概念であり、各消費者が財やサービスを消費することによって得ることができる主観的な満足の度合いのこと[1]。



限界効用逓減の法則
https://kotobank.jp/word/%E9%99%90%E7%95%8C%E5%8A%B9%E7%94%A8%E9%80%93%E6%B8%9B%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-60295

財1単位の増加から得られる効用すなわち限界効用は,その財の保有量 (消費量) が増加するに伴って低下していくという法則。たとえば2台目の自動車から得る限界効用は1台目の自動車から得るものより小さい。オーストリア学派によって確立された法則。最初に注目した H. H.ゴッセンの名にちなんで「ゴッセンの第一法則」と呼ばれる。



ごく簡単に言えば、炎天下で喉がカラッカラになっていて、外勤に出ていたら「おいー地方で災害が発生した関係で今日はもう帰っていいぞ」と言う連絡が来たとする(現実問題は永久に来ない話だが、飽くまで仮の話で)。

で、目の前に定食屋があって、焼き鳥とビールが頼める。
ついぞ入って焼き鳥とビールを頼んだ。
一杯目はかなりうまい。五臓六腑に染み渡る。神の飲み物と言えばこれじゃないか。
で飲み干したので2杯目へ。二杯目もまあまあうまい。
3杯目は? うーん。まあうまい。
4杯目は? うーん。もういいかな。

と言う具合に、人間の心理作用として、あれほどまで渇した手に入れたいものには慣れが生じてきて、その回数を重ねるごとに感動や欲望がなくなる、と言うものである。
これが限界効用逓減の法則であると私は認識する。

ここから基礎経済は価格の論に結びつけていると思うのだが、今の所、私がそれを解説してくれる書物に出会うことがなかった(多分世の中にはあるのだろうけれども)。

なので私が勝手にまとめる。

上記のビールの例だといくらで売れるか? と言うことだ。
1杯目だったら条件次第だが800円くらいで売れるだろう。
2杯目だったら条件次第だが600円くらいで売れるだろう(700円だとちょっと高いな・・・くらいの感覚)。
3杯目だったら条件次第だが400円くらいで売れるだろう(500円だとちょっと高いな・・・くらいの感覚)。
4杯目だったら条件次第だが300円くらいで売れるだろう(400円だとちょっと高いな・・・くらいの感覚)。

と言う感じで、人間が何かを欲する時の欲望の穴は次第に小さくなっていき、それを埋める必要最低限の代金は低くなっていく。これが消費者側が提示する価格ではないだろうか。

6杯目くらいだとタダじゃなきゃ飲めない、と言う具合になり、
10杯目くらいだと「金を貰わなきゃ飲めない」と言う具合に価格はマイナスの方に振り切れる。

逆に店側としては固定の代金で売りたい訳で、その釣り合いが取れるところが、価格設定である、と言うものではないだろうか。

私が上手いな、と感心しているのは、スマホの価格設定である。
明らかに複数回購入しているのに、毎度価格が上がると言う逆の作用をもたらしている。
これは複数台所有と言うよりも「バージョンアップによる買い替え」と言うマーケティングが上手く行っているからだろう。

また、iphoneとアンドロイドを見ればiphoneの価格設定も凄いなと思う。
比較対象が安値であるのだが、iphone側はブランドを上手く利用している。
高価格設定にするには消費者側に機能的・数量的比較をさせない、と言う方法があると聞いたが、この例がそれだろう。こちらはブランディングとそれを土台とするマーケティングが上手く行っている。

通貨発行権とビットコイン

2023-04-19 21:31:17 | 貨幣・財政・会計・経済
結論はないが、私個人のメモとして整理。

まずは通貨発行権から、個人がお金を作ることを国家が許さない件から。


佐藤優氏「堀江氏と村上世彰氏、判決を分けた決定的な差」|NEWSポストセブン - Part 3
2017.12.15 07:00
https://www.news-postseven.com/archives/20171215_629334.html/3

片山:堀江さんというと大阪近鉄バファローズ買収騒動の印象が強いですね。私は三原脩監督時代からの近鉄ファンでして。生きているうちに一度でいいから日本シリーズで勝つのを楽しみにしていたのですが、その前に消滅してしまい、ただ呆然とするのみで。佐藤さんは堀江さんをどう見ておられますか?

佐藤:とても優れた人ですが、彼はミスを犯した。それは国家が絶対に許さない通貨発行権に触れたこと。彼はライブドア株をどんどん分割した。それを続ければ、ライブドア株はやがて貨幣の代わりとして使えるようになる。しかも株式と商品の交換は物々交換だから消費税がかからない。偽金作りをしているようなものだった。


と言うことで、佐藤優氏の言及するには、国家は通貨の個人的発行を許さない、と言うことである。
日本で流通するお金は円のみである、それで日本政府は日本国内の通貨流通を統制する、それ以外での通貨の使用は許さない、と言うことだ。

この後、ビットコインが登場した。
私は当時、この冒頭で引用した、日本と言う国家の通貨発行権の問題から、日本政府はビットコインの流通を許さないと思っていた。
ビットコインは今後の未来において流通することは無かろう、と。

が、今の現状を見てみればそれとは違った未来が来ていることが分かる。
私の予想は外れた。
基本的にビットコインを使って日本のスーパーで大根を買えることはないが、国際上の投機対象となっている。
2010年5月22日にアメリカで、ビットコインのエンジニアが所持している1万ビットコインでピザ2枚を買った。支払われた方は、今もそれを持ち続けていた場合、(様々な計算方法があるが)おおよそ100〜350億円程度の金に換金できる資産になっている。
(ちなみにビックカメラではビットコイン決済ができるようだ)。

上記のピザの他、ビットコインの紹介書籍においては、レストランで飲んだコーヒーの代金をビットコインで支払う様子が描かれている。
Mastaring Bitcoin アンドレアス・M・アントノプロス P016

続いて、アリスは最近ビットコインでの支払いを受け付け始めたパロアルトのボブのカフェで、ビットコインによる支払いを行います。ボブのカフェでは現地通貨(ドル)の値段表示しかありませんが、支払いをするときにドルで払うのかビットコインで払うのかを決めることができるのです。
(中略)
 ボブは言いました。「1ドル50セントです。ビットコインでの支払いであれば15mBTCですよ。」


と言うことで冒頭の佐藤氏の言説に長い間納得していたのだが、私にはこの理論と現状の齟齬において、煩悶をし、私の心と脳が整理を求めている。

私は次のようにまとめた。
以下は私の作業仮説である。
断言形式で書いているが、推測であり、かつ各項目は仮説であるので、互いに相反する部分が出てきているが、材料を出し切る。

1.
佐藤氏の言説は正しい。日本政府は円以外の通貨の流通を認めない。
一方、アメリカ発の理論上の仮想通貨ネットワークは、新時代での世界潮流における通貨支配構造の実行力をアメリカが握った形になっており、それに屈する形で日本政府はしぶしぶ仮想通貨の部分的流通や投機を認めた。

2.
佐藤氏の言説は正しい。日本政府は円以外の通貨の流通を認めない。
しかし、世界潮流となった仮想通貨ネットワークはもう止められない。
この潮流に抗うよりも乗った方が日本の利益になるだろうと日本政府は踏んだ。
よって、今までは公的には通貨発行権の立場から他の通貨の流通を認めていなかったし、今後もそういう体制を取るが、ビットコインなどの新しい時代の仮想通貨については、これのみしれっと許容の姿勢を取って様子見をしている。
(問題があれば締め上げて、関係者の逮捕と規制の強化によって日本国内の統制をしようとしている)。

3.
佐藤氏の言説は誤っている。
日本政府は国内における通貨発行権を維持したいと言う意志を持つが、実情、それを統制することはできない。
それは現在の日本を見ればその差異(やりたいけどできない)が明らかに見て取れる。



ビットコインの説明と金

2023-04-10 22:24:57 | 貨幣・財政・会計・経済
ビットコインの説明で次のようなものを見つけた。


 ビットコイン自体は技術ですが、人々の間で価値を交換するための言語、つまりお金を表すものでもあります。


と言うことで、一般的には「ふーんまあそうだろうな」的な考えで次の文章に進むのだが、私はここで引っかかってしまった。

価値とは何か? それの交換とは何か? 言語とは何か? 「人々の間で価値を交換するための言語」がお金の解釈でいいのか? と。

私はスルーできずに、これを深い感じで考えてしまった。

そもそも価値と言うのは分かってそうで我々が分かっていないものの内の一つである。
普通に考えれば、「ほら、分かるだろう、お金だとかダイヤとかゴールドだとかだよ。あるいは愛だと信条とか理念とかじゃないか」と言う話なのだが、これは人間社会において通底できる具体例ではない。

例えば、インカ帝国では金(ゴールド)と言うものにはあまり価値がなく、加工しやすい金属程度の認識だった。そこでの流通での価値が置かれているものは布製品などであった。
愛・信条や理念なども時代や地域によって、現代社会の我々から見ればあったり無かったりする。例えばスパルタでの幼少時教育では殺しと盗みを是認していたが、それが当時のスパルタでの正義であり規律であり、信条や理念であった。

と言うことで価値とは何かを丁寧に掘り下げていくと、私なりに考えれば次のようになる。
元々我々人間と言うものは、気性な物品や再利用可能で人々が求めたり大切にしたりするものを、物品や考えに対して評価の尺度をイメージし、固着化させる。それが数字のようにあるものは大きくあるものは小さく限りなくゼロに近かったりする。その自分や他人が求めたり大切にしたりする際の評価尺度における、物品や理念に対して内在的に固着している概念を価値と言う。

つまり一方の土地で「これが価値があるな」と思っているものが、もう一方の土地で「これは価値がないな」と思うものだったりするのである(しかしこの差異を利用したものが転売であり、交易であり、商社のビジネスである)。

では、「価値の交換」とは? 
ビットコインで何かを買ったり売ったりするのは、それの品物がビットコインの価格と同じだと思ったからだろう。それはわざわざ交換するべくものなのか? 
答えはイエス。単純なバーター(物々交換)ではなく、中間的な価値の指標がそれぞれの集合認識から成る価値の固定(市場)で形成され、別のものにワンクッション置いて交換できるから、逆説的に「ビットコインの価値」が形成されるのだろう。

では「人々の間で価値を交換するための言語」とは? 
そう、上記のように、世界規模で何かを売って金(ワンクッション置いた取引のための中間媒体)を稼いだり、あるいはその金を使って何かを購入したりするのに、このビットコインという世界中にネットワークでつながったシステムが必要である。この仕組み・システムこそが、その取引をスムースに営為させるための道具であり、これを言語として呼称しているのだ。

経済成長と言う言葉の欺瞞と、裏に隠れる本当の意味

2023-01-02 09:02:39 | 貨幣・財政・会計・経済
経済成長と言うものは通常良い意味で使用される。
そこには投資の肯定的概念があって、一歩引いてみても確かに肯定すべき側面は存在する。
一方において、中国のアフリカ経済介入や、アメリカのユーゴスラビア経済介入などがあり、投資を受けた側は多額の利子を払わなければならない。

そこにあるのはあたかも借金のために稼がなければならない奴隷労働であり、カルヴァン派であったオランダ人が行った資本主義開始のための本源的蓄積ができてはいない。
そこに喜ぶべき経済成長はあるのだろうか? 
経済的宗主国(上記の例では中国やアメリカ)はその支配下の国に良い影響を与えただろうか?