榊原わーるど

日記みたいなもんです。

学校や夫婦喧嘩や親子関係

2005年10月13日 | メモ日記
午前中は晴天だったが、もう下り坂ということだ。日曜にはまた晴れる予報だ。朝ちゃん太陽くんは明日まで試験、空は昨日で終わりで、学校の勉強というものはどうでもいいと言いながらも、生活に大きな影響を受けてしまうものだ。私は中学高校のころの試験などは、自分の自由時間が増えて歓迎していた。暗記ものを得意としていたから、試験前によく勉強はしたが、時間はそれほど毎日と変化なかった。学校が早く終わり、クラブ活動(当時は部活と言わなかった)ができないので時間がたくさん余った。それが試験の思い出である。成績は中学も高校も不思議とよかった。子どもたちが苦戦しているのがなぜか理解でない。ただ勉強はそれぞれがやるしかなく、親は教えないことにした。ひとつ教えれば、ひとつ自分で壁を越えることがなくなってしまうと、そういうものだと思ったからだ。

夫婦喧嘩をしていて、「どうせ私が何を言っても、何を頼んでも、みんな気に入らないで怒るから、もう何にも言んし、頼まんわ」と、話は決裂する。つまり、こちらが怒っている原因や理由を一生懸命に説明していても、まったく内容を聞いたり理解しようとはしていないことになる。内容は関係なく、どうせ何を言ってもだめという結論ということだ。そう言われると、ますます腹が立ってくる。ちょっとでもいいから聞いてくれ、理解しようとしてくれと声を大きく荒くする。ますます同じ流れになってしまう。こんなふうに、もういやだ、もうだめだ、終わった、そういうことは日常茶飯事である。だが、そういうけんかがなくなってしまったら、そう考えるとどちらが終わりなのかとも思えてくる。

親子関係はめぐりめぐっているものだと思う。自分が親に対しての思いや考え扱い対応のすべてが、やがて自分の子どもが自分に対して抱く感情や扱い対応になるものだと思う。少なくとも、自分が思っていた以上にしてもらえると期待してはいけない。そう話すと、あんたはそういうことを口に出して言うけど、私は言わないからどう思っているのかわからないそうだ。それは違うのであって、自分だけがわかることなのだから、言おうが言うまいが関係ないのである。「自分が親に対して思っていた以上に、子どもから思ってもらえない」ということは成立すると私は考える。