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ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ②

2006年11月11日 20時38分44秒 | Weblog
 私の周囲の人々の今日の話題は「あの子」は生きているのか、死んだのかということが多かった。
 今のところ、何の報道もない。聞くところによると、自分をいじめた子を殺してから死ぬだって? それだけの元気があれば、十分いじめにも耐えて生きていけるのではないか。殺さずとも一発二発殴ればいいではないか。それで足りないぐらいに傷ついたのなら、百発でも二百発でも殴ればいい。・・・結局のところ、あまえているんじゃないかと思う。世の中をなめているんじゃないかとも思う。
 私自身はあまり好きな人物ではないが、今回の石原都知事の発言には拍手を送りたい。「自殺なんか、予告して死ぬな」とした上で、「あれは愉快犯というか大人の文章。理路整然としていて、今の中学生にあんな文章能力はない。私は(いじめられた子が書いた物とは)違うと思います」と述べ、さらに「明日ですか?今まで文科省が何やったか知らないけど、あれだけの騒ぎになって当人は満足しているのか?死ぬの?死なないの?」などと発言したという。
 果たして、今現在、手紙の主はどうしているのか? ①予告通り自殺した(影響を恐れマスコミは報道を自粛)、②人々の反応に驚いて自殺するのをやめた(慰留に応じた)、③愉快犯だった・・・三択問題です。いったいどれでしょうか。
 自殺するにしろ、どうするにしろ、これだけ全国民を大騒ぎさせたことをどうするんだと言いたい。予告状に全国の教育委員会や関係者がどれだけの迷惑を被ったのか、教育に対する信頼を揺るがさせたのか、その他の業務を停滞させたのか。文部科学省は思い切って、その子どもならびにその保護者に対して損害賠償請求(公務執行妨害)で訴えるぐらいのことはしてもいいと思う。何億というカネが請求されるぐらいのことだというメッセージを発することで、少なくとも愉快犯は防げるのではないかと思う。昨日の続きになるが、連鎖反応を防ぐにはどうしたらいいのかということも考えてほしい。
 もちろん、上記の私の見解は、本気で死を考えているぐらいに悩んでいる子どもがいるという事実、それに十分に対応できていない学校・関係者があるという事実を踏まえた上でのものである。そんな中にあっても、真摯にとりくんでいる地域・保護者・先生たちもたくさんいる。そんなものも全て吹き飛ばしかねないのが今回の件。これ見よがしなことをするのは、どうしても許されることではないと言いたいのである。