ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

先生はいじめられた人の味方と言い切っていいのか ⑥

2006年11月17日 00時26分23秒 | Weblog
 「予告状の主」の件はもうずうっと過去のことのような感じがする。
 今回のようなことはいずれ起こるだろうと予感はしていた。と言うのも、学級で何らかのトラブルが発生した時に、担任に対して説明なりを求める気風というものはなくなりつつあるからだ。「直訴」が校長に行く内はまだいい。それがここ数年、校長の頭の上を通り越して市町村教委もしくは県教委へ直で行くような事例が増えてきた。
 ここ数日、アップできずにいたが、それは私が以前住んでいたご近所の子どもが殴る・蹴るの暴行・いじめを受けているという電話を受けて、その対応をしていたからだが、このお母さんの下心は、「私に相談」ではなく、「私を使って」教育長に直で話をし、学校にガツンと言いたいということだった。
 こういう頭越しにトラブルの解決が求められるという状況は、保護者が学校を信頼していないということもあろうが、自分と学校の間の話ができないというフラストレーションの解決策として、学校を上から指導してもらうことで解決を図りたいということである。もっと言えば、先生にきちんと考えを理解してもらうような話ができないことの裏返しだろうね。
 全ての事例がこうとは言い切れないとは思うが、今回の一件でそういうことかという思いを新たにした私がいる。
 子どものいじめ・いじめられの関係の中だけしか目が行っていないから、鹿児島県教委は「先生はいじめられた人の味方だよと子どもたちに伝えるように」と言うのだろう。しかし、いくら口で言っても、結局、保護者の意識はほとんどそこにはないとすれば、こんな滑稽なことはないだろう。だから、こんなことを言うのはおかしいと言っているのに・・・。
 頭越しの対応の行き着くところは都道府県の首長であったり、文部科学省であったりになっていくだろうことは容易に想像できた。文部科学省のお役人はお慌てのようだが、ある意味、そんなことすら予測できなかったのかという鈍感ぶりだ。んな鈍感な人たちが与党と一緒になって教育基本法の改正案を作成したかと思うと、本当にまじめに教員やってる人たちはやってられないっと思うようになってくる。
 さあ、次回でいよいよ最終回ですよ。「予告状の主」の決断実行が早いか私の最終回が早いのか乞うご期待である。
 
 

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