私がここを訪れたのは実は2回目でした。
しかも、前回は車でここまで入ってきました。
それだけに、宮之城線の荒れようを痛感したわけですが、夕日に追われるような取材時間の制約の中でも、ここまでは絶対に来れるという確信を持って入り込んできました。
この写真、白い上着を着ているのは私。
手前の赤い服は現在、高校3年の娘です。
デジカメなんてない時代です。
写真の裏に、妻が「96年4月」と書き残していました。
今から14年前、つまり廃線から9年後です。
手前にレールが山積みされていますが、この谷にかかっていた鉄橋はまだ健在でした。
鉄橋の赤茶けた手すりも写っていますね。
この鉄橋はゆるやかに左カーブを描いていました。
足元がすけて見える、この鉄橋。私は歩いて渡ってみたかったのですが、高所恐怖症ゆえにあきらめました。
今にして思えば、意地でも渡っておくんでしたね。
しかも、前回は車でここまで入ってきました。
それだけに、宮之城線の荒れようを痛感したわけですが、夕日に追われるような取材時間の制約の中でも、ここまでは絶対に来れるという確信を持って入り込んできました。
この写真、白い上着を着ているのは私。
手前の赤い服は現在、高校3年の娘です。
デジカメなんてない時代です。
写真の裏に、妻が「96年4月」と書き残していました。
今から14年前、つまり廃線から9年後です。
手前にレールが山積みされていますが、この谷にかかっていた鉄橋はまだ健在でした。
鉄橋の赤茶けた手すりも写っていますね。
この鉄橋はゆるやかに左カーブを描いていました。
足元がすけて見える、この鉄橋。私は歩いて渡ってみたかったのですが、高所恐怖症ゆえにあきらめました。
今にして思えば、意地でも渡っておくんでしたね。