ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  190

2010年01月22日 23時50分24秒 | Weblog
 旧宮之城町の入り口の駅・薩摩山崎駅に到着しました。

 宮之城町は現在は、さつま町の中心の町になっていますが、廃線がよっぽど悔しかったのたのでしょうか、旧町内の駅跡には、写真と同じような石碑が建てられています(船木駅だけがないのはとても不思議ですが)。
 宮之城駅にいたっては、とても素晴らしい記念会館となって、町内外の人々の交流の場として提供されています。

 さて、この薩摩山崎駅は、山崎の中心部よりもかなり東側に位置しています。中心部は現在の山崎小学校のあった辺りであり、川内川をはさんだ対岸の人々の利用を考えれば、こちらに薩摩山崎駅を設置すべきであったのではないかと思いたくなります。

 以前も述べたように、山崎には私のおじがおり、幼い頃何度も遊びに行ったことが宮之城線との出会いでした。
 川内川にかかっている山崎橋をはさんで「メインストリート」沿いにはたくさんの店があったことを記憶しています(現在ではずいぶんとさびれてしまいましたが)。
 この山崎の中心部からなんと2㎞も東側に薩摩山崎駅があるのです。

 大きな不思議です。
 
 私が思うに、当初は入来から現在の国道328号線に近いルートをとりながら山崎の中心部を通ろうとしていたのではないかと思うのです(ちょっと遠回りですが、沿線人口ではずっと多い)。
 しかし、宮之城線のルートへのアクセスで最も不利益を被ったのが祁答院地域。少しでも祁答院地域に近い場所に駅の設置をという運動が起こり、駅の場所が山崎の中心部からかなり東側に移動したのではないかと私は想像しています。
 このことによって、祁答院地域の中心部の大村から薩摩山崎駅と佐志駅へのアクセスがほぼ同じくらいになり、川内行き・大口行きへの選択が対等になったのではないかと思うのです。
 ちなみに、祁答院地域の最北端の黒木から広橋駅までもがだいたいこれと同じくらいの距離に位置しているという符号もあります。

 確証となるものはありませんが、祁答院の人々の思いがルート設定に影響を与えたと想像することは決して不可能なことではありません。なぜなら薩摩川内市への合併に伴う住民投票の実施など地理的なハンデをどう克服するかで、彼らはかなりシビアな激論を交わしてきた人々だからです。

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