ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

視力回復ツアー(番外編・その二) トトロの里のテーマ曲

2006年07月29日 23時00分48秒 | Weblog
7/21に八国山緑地のことを書いた。緑地の南東側にある新山手病院が、さつきとメイのお母さんの入院している病院のモデルと書いた。
当日は西武新宿駅から西武新宿線に乗り、東村山駅で西武園線に乗り換えてと書いた。東村山駅まで歩いて戻ると、再び西武新宿線に乗って所沢方面へ。写真は東村山から所沢に向かう途中に撮った1枚。奥の緑色の所が八国山緑地だ。
そこで、何度も出てきたが、この「東村山」という地名。かつてモンスター番組として土曜夜8時から20年以上君臨し続けた「8時だよ 全員集合」で志村けんが「東村山音頭」として歌い、全国津々浦々の少年少女が歌っていたであろう、あの東村山市である。
「東村山ぁ~、庭先ゃ多摩湖、狭山茶所、情けが厚い」は何丁目の歌だったろうか。あの東村山市である。確かに多摩湖は東大和市との市境にあるし、お茶畑も多かった。のどかな田園都市だった。
志村けんとどういう縁があるのか、なんで東村山なのか、よく分からないが、ここは確かに、あの東村山なのだ。ここがスタジオジブリの名作「となりのトトロ」の舞台の一つとして描かれていたのである。

歴史にイフはないと言うが、もし「となりのトトロ」にお母さんのいる病院の近くで盆踊りをしている地域住民の姿が描かれていたとしたら、そこで流れているのは久石譲氏作曲の曲ではなく、志村けん氏作詞・作曲?の東村山音頭となっていたのかもしれない。
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視力回復ツアー⑤ 恐怖は、その後から

2006年07月29日 22時39分55秒 | Weblog
 手術が無事に終わり、簡単な検査と注意を受け解放された。確かに裸眼でメガネ同等に景色がはっきり見える。ともすると、コンタクトレンズを装着している感覚になりかける。
 時計は13時を回っており、昼食をとっていなかったことを思い出し、クリニックのある35階からレストランなどのある地下1階へ。値段も手頃なそば屋に入った。ざるそばを注文。
 しばらくして、そばが運ばれてきたが、薬味のワサビは原型のまま。自分でおろさないといけない。これはナチュラルな店に入ったものだと、ワサビをおろし、食べ始めた。なるほど、まいうー。
 ところが、食べている真っ最中に目がしょぼしょぼし始めた。あれれ・・・ワサビって揮発性があったのかなと思いつつ食べていたが、涙がひどくなってきた。とりあえず、完食するとホテルへ向かうことにした。
 アップした写真の都庁前の通りのつきあたりにあるワシントンホテルまで1㎞もない。東京の町は外国人が増えたもので、韓国人・中国人がやたらと多い。観光気分の彼らの間をとめどもなく涙を流しながら、頭を垂れてホテルへ向かう。目があけられない・・・足早に部屋に転がり込むとベッドへ。
 そう言えば、医者は「たまに涙が止まらない人がいます」と言っていた。また、「時に痛みが出ることもあります」とも言っていた。涙だけかと思っていたら、痛みが伴い始めた。すぐに痛み止めを服用したが、すぐに効くはずもなし。・・・結局落ち着いた状態になれたのは7時間後だった。
 翌日、検査に行ったが結果は良好で~すとのこと。「たまに」「も、います」という言い方に対する苦情も言いたかったが、もう痛みも引いたのでやめた。

 そこで、Rさんの話。さんざん自分の体験を話しておいたが、彼女は「世界がまぶしい」というメールを私によこしただけで、涙も痛みもなかった・・・医者の腕? 体質? まぁ、いいが、なんでよ?!と言いたい。
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