ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

戦後は終わっていない

2016-07-02 16:46:08 | 釣り
本日午後、大学の戦没同窓生の追悼式が戦後70年にして初めて開催された。同窓会の一員を務めているので参列させていただいた。医学部、医学専門部の同窓生で召集された中には、大学から各地区の病院に派遣されて世帯を持っていた方、なかには卒業を速めて軍医として前線におくられた方もいたという。判明した戦没同窓生は、医学部104名、医学専門部20名の124名。1学年80名であり、クラスの1年半に相当する同窓生が亡くなったことになる。



同窓会長の式辞の後、戦没者名簿を奉安、黙とうした。追悼の辞を医学部長が述べた後に、生き残ったものとして学友代表が挨拶した。二人の遺児から、父の遺志を継いで医学部に入ったが、悲惨な苦労をした母親の話をしているのを聞いているうちに、戦後は終わっていなかった、という感が強まってきた。遺族代表の話の後に、参列者が献花し、修礼の言葉で式を閉じた。釣りが出来る平和な日常を送っている私は、幸せ者だ、後輩たちが戦地に送られないよう、平和ボケをしないように気を引き締めねばと献花の列に並んでいた。

召集された時に寮に入っていた学生は、仲間と寮歌を歌いながら札幌駅に向かった。寮歌の内容が分かる様に歌うとこのご時世に感傷的な情緒的な歌を唄う集団行動と誤解され検束される危険も有り、ご詠歌のように、ゆっくり、うなりながら駅に向かったという。この唄い方が、今でも応援団で継承されている。

同窓会副会長のお礼の言葉の後に、参列者みんなで寮歌を斉唱した。激戦地の沖縄やオホーツクの島々で亡くなった方が多かった。同窓には、遺族を代表したKさんのように、父の遺志を継いで、入学した子女も多い。何組かの遺族を目前にして、1番から5番まで、歌っているうちに、戦没者の無念の気持ちが偲ばれて声がつまってきた。