17キロの五山送り火ウォークの後、”完歩宴会”のお誘いを受けていました。 お楽しみです !(^^)!
その前に、Yさんに「かき氷」を食べに連れて行っていただきました
京都は、宇治のお茶でも有名ですよね~ (ちなみに、Yさんは、前の日もウォーキングの後にここで宇治金時を食べられています。私たちの為に、連チャンかき氷となってます。ちょっぴり申し訳なかったかなぁ)
茶房 いせはん
3人でお店の前に到着した時も列ができていました。夜の宴会までには十分に時間もあったし、気分は「宇治金時」
多分30分くらいは並んだと思います・・・・・・・
宇治金時
大納言あずきが大きくてテカテカと光り輝いてる
程よい甘みと抹茶のほのかな苦みが氷が解けるときに口の中に広がります
すだち氷
徳島県から直送のすだち果汁を使用されているそうです
さっぱりとしたかき氷で、こちらもいくらでも食べれそうでした
ぺろりと平らげ、ウォーキングでほてった体もしっかりとクールダウンできました 並んで良かったです
次は、ぜんざいも食べたいです! 年末年始に行く時かな
そうそう、 茶房 いせはんさんに並んでいる時に、道路を挟んで見えた和菓子屋さんにも長蛇の列ができていました。
後から調べてみると、「出町ふたば」さんでした TVとかでも良く見かけるお店ですね
豆大福が有名なお店です(と耳からの情報だけだけど・・・・・)
お店の場所も覚えているので、次は大福などの和菓子も買って帰りたいな~とか思ってます
ここで完歩宴会が開催!
京都のYさんからのお誘いを受けての参加です
皆さんとワイワイと楽しいおしゃべりと食事の時間を過ごすことが出来ました
お誘い頂いたことに感謝!感謝です
奈良のIさんは、一昨々年の指宿なのはなマーチでお知り合いになり、その年の奈良のまほろばツーデーでお会いした後、久しぶりにお顔を見て話をすることが出来ました。フェイスブックでは、繋がっていますが、やはり顔を見合わせての話は弾みますね~
乾杯(*^。^*) いただきま~~~~す!!!!
お話を聞いていると、ウォーキングや登山等々、アウトドアを楽しまれていますよね
チョッピリ刺激になり、そして、またどこかでお会いできることが楽しみです
そして8時前に楽しい宴会は終了です
この時間から、浜松(だったと思います・・・・・)まで普通電車で帰られるそうです(青春18きっぷって言われていたなぁ~)
お店から出た時間には鴨川沿いからは、大文字焼きが見える時間も近づいていましたが(河川敷には人・人・人だった)
壬生寺の「六齋念仏」を見に行きましょう!とお誘い頂いたのでそちらに行くことにしました
帰りは、壬生寺からホテルまで20分くらい歩けば着きますよとの事。 バスで壬生寺まで6名で移動です
壬生寺
http://www.mibudera.com/ <壬生寺のHPです>
新撰組で知られたお寺とだけは知ってました
夜遅いので、壬生塚や資料室には行きませんでしたので、次回はせっかくなので足を向けてみたいと思います
ご朱印もいただかなくては・・・・
入口にて
万燈供養会が行われます 8月9日~16日
日没から9時過ぎくらいまで点灯。9日と16日の”六斎念仏”の時には延長されて点灯されているそうです
京都のYさんは、この壬生寺のすぐ近所にお住まいで、色々と説明してくださいます。
平安京の頃の一番のメインストリートの朱雀大路は「四条大宮」の所を通っていて、今の京都御所の所では無かったこと
この壬生寺当たりの所が平安京の頃帝がいらっしゃった内裏のすぐ目の前だったことなどなど・・・・ とても興味深いお話でした
<千体仏塔>
これは、京都を開発するときに出てきたお地蔵さんを集めてお祭りしているそうです
京都の伝統行事の「地蔵盆」を行う時に、お地蔵さんを貸し出す事もあると言われていました
20時30分ごろから、催しが始まりました
“六斎念仏”について
そもそもの起こりは、平安時代(10世紀)に空也上人(くうやしょうにん)というお坊さんが、「もっと分かりやすくお念仏を広める方法はないものか」と工夫され、手持ちの瓢箪を叩きながらメロディーに乗せてお念仏を唱えられたことにあると伝えられます。後の世に言う「踊念仏(おどりねんぶつ)」の始まりです
かかる踊念仏の流れの中で、「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」という呼称も登場しました。その特徴は、複数の人々がコーラスのように念仏を唱和し、手持ちの鉦を鳴らすという、仏教行事の中でも非常に音楽性の豊かなものです。
「六斎」というのも元々は仏教用語で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、末日は特に厳しく念仏のお勤めをしなければならないという、「六斎日(ろくさいにち)」の考え方からきているとされます。
この六斎念仏をやっていた内の京都周辺の人々が、さらにそれらの楽器を使って念仏以外の流行り歌を演奏し始めたのが江戸時代(18世紀頃)のこと。これが今に言う「六斎念仏踊り」です。わざわざ“踊り”と付けているのも、従来のものと区別するためです。時に「六斎踊り」とか「芸能六斎」と呼ぶこともあります。
http://miburokusai.cloud-line.com/ <壬生六斎念仏講中HP>
「壬生六斎念仏踊り」とは、京都市の「壬生(みぶ)」という地域で行われる「六斎念仏踊り」のことです。略して「壬生六斎」といいます。
壬生六斎がやっていることは、今風に言うと、ヒット曲のカバーを演奏するライブ・パフォーマンスといった所です。道中でやることもありますから、その場合はストリート・ライブにもなります。
こういうことをおおよそ江戸時代中頃からやっており、そして今なおその当時の形式を保って続けています。江戸時代のヒット曲ですから、演奏するのは地歌(じうた)や長唄(ながうた)といった今は昔の伝統的な邦楽で、使用する楽器は太鼓や鉦、笛といった和楽器です。
色々な演目がありました
これは、五条大橋の 義経と弁慶の最初の出会い
義経はひらりひらりと身軽に飛びます
最後は、弁慶が頭を垂れました 物語の通りです
壬生六斎を受け継いでいるのは、地元壬生の人々を中心とした有志の団体です。これを「壬生六斎念仏講中」といいます。
メンバーは、仕事や学校に通いながら、余暇を見つけては稽古に励み、行事に参加します。年齢層は幅広く、上と下とでは祖父と孫以上の開きがあります。しかし、共通の興味を持って集まっているので、皆和気あいあいと活動を楽しんでいます
今回私たちが見た演目の中でも、幅広い年齢の方が出られていました
子供さんだけの演目も有りましたよ♬
身長と同じくらいの長いバトンのようなものをクルクルと回します 実際はグルグル回って迫力ありました
華やかな踊り
流石に年配の方の催し物は、落ち着いていて太鼓や鐘の音も違うように感じました
そして、最後の演目で一番の見どころがこの「獅子舞」
これらのレパートリーの中には、音曲以外にも様々な芸の含まれるものがあります。特に「獅子舞(ししまい)」の芸はむしろ六斎のトレードマークともいえる出し物で、獅子が様々なアクロバットを披露した後、蜘蛛と対決するという一連の物語によって、六斎の舞台は最高潮の盛り上がりを見せるのです。
獅子舞(ししまい)
概要
“獅子(しし)”の曲技を中心とした、大道芸ないし音楽劇的な演目です。楽器演奏とも舞踊とも異なる独特な演目ですが、その印象の強さで、芸能六斎随一の看板的出し物となっています。
獅子とは伝説上の獣で、これを2人の人間が、それぞれ前脚(頭“かしら”)と後脚(尾)を分担して演じます。終盤には“蜘蛛(くも)”が登場し、獅子に向かって蜘蛛のスを撒くところから、両者は決闘を始めます。
大技“碁盤乗り”
最初は6段の台の上で逆立ちをしようとしますが、台がぐらぐらと安定せずになかなかうまく行きません
5段にして挑戦です
見ているだけで手に汗握る!
何とか成功
最後に土蜘蛛が出て来て、獅子と戦い、蜘蛛の巣を投げられます。
土蜘蛛登場の場面 獅子が這いつくばってしまいました
戦いは獅子の勝ち(なんだろうな~)、蜘蛛は退散していきます
蜘蛛の糸をまとった獅子
動画を撮るのに夢中で、土蜘蛛が糸を吐き出す様子は写真を撮り損ねました・・・・ 残念
最後まで、楽しめました
土蜘蛛が投げた蜘蛛の巣ですが、ご利益があると言われて、自分達の所に投げてもらった分を、持って帰りました
先っぽに「金属の玉」が付いている分がご利益があるそうです(金運らしい!!!)
お財布の中に入れることにします。お金が貯まりますように よろしくお願いいたします
この夜は、皆さんの案内で、ウォーキングの疲れも忘れて京都の夜を楽しむことが出来ました。
ホテルに着いたのは、22時過ぎ(チェックインもこの時間でした (>_<))
部屋に入り汗を流して、のんびりとしました。
そして「五山の送り火」はニュースでしっかりと見ました(笑)
翌日は、夕方の新幹線で帰るようにしていましたので、京都プチ観光です
朝は、ゆっくり起きる予定で、眠りにつきました Zzzzzzz・・・・・・
つづく
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます