ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

『四国八十八ヶ所巡りへ』 第60番札所から第70番札所まで(第6弾)

2015-05-30 22:52:09 | 四国八十八か所巡り

 

雲辺寺のお参りも終わり、長い長い下り坂(誰の人生じゃ~ 笑)が始まりました

上の地図も"民宿岡田”さんで頂いた地図です

赤くなぞって有るのが歩いて行くルートです  

昨晩の夕食の時、詳しいレクチャーが有りましたが、もうすっかり忘れてしまってます

とにかく、足になるべくダメージが無い様に、降りて行くだけです

 

よいしょよいしょと金剛杖を支えに降りて行きます  慎重に・慎重にですね

 

下山していくと、さっき山頂から見えていた、雲海の中に入って行きました

霧の中 それとも雲の中を歩いている気分になって来ます  幻想的な風景です

 

それでも、しばらく下って行くと、霧を中を抜ける事が出来ました

木々の間から、陽ざしも射しています  

 丁石

  

 

鰻淵の伝説

昔むかし、現在の観音寺や大野原が豊田郡とよばれておったころのことじゃ。
奥谷別所に源左衛門と源三郎という兄弟が住んでおった。
ある年、何日も雨が降らず村の衆は日照りに難儀しておった。山のてっぺんで火をたいて雨乞いをしてもいっこうに雨はふらなんだ。源左衛門と源三郎の兄弟は、雲辺寺の麓にある竜王様の社にこもって、食べるものもろくにとらず、朝から晩まで竜神様に祈り続けた。七日目の晩、祈りつかれてうとうとした二人の夢の中に一人の女が現れて、社から近い木の下を指さして「ここを掘ってみなされ」と言ったそうな。二人は同時に目を覚ますと、同じ夢を見たことを不思議に思ったが「これは竜神様のお告げに違いない」と、夢に出てきた木の下を掘ってみた。
すると、そこから一匹のうなぎが這い出て来て、近くの渕へぽちゃんと飛び込んだそうじゃ。
にわかに大粒の雨が降り出し、やがて雨はどしゃ降りとなり三日三晩降り続いたそうじゃ。
こうして村は救われ、この出来事以来、渕は「おなぎさん」と呼ばれるようになって、雨乞いに多くの人が訪れるようになったということじゃ。

 

一升水 

約1,200年前、弘法大師が讃岐から阿波へ山越えされた道中、のどが渇いたので、お経をあげながら杖の先で一升ますほど地面を掘ると、水が湧き出したという言い伝えのある場所。どんな日照でも水が絶えたことはないそうです。

ここは、丁度良い休憩スペースが有りました。 ここでお昼タイムです

昨晩宿泊した、”民宿岡田”さんから頂いたお接待のおにぎりがお昼ごはんです  ひとり、ワンパック頂きました

ただ、二人とも疲れていて、このおにぎり二つが食べれそうに有りません・・・・

どうしようかと思っていると、太興寺方向から登って来る方が  

まだお昼を食べられていないと言われましたので、ワンパック頂いて貰うことにしました  良かったぁ~

そうすると、「お接待のお礼と言われて、緑の納め札」を頂けました  お遍路を5~7回 回られているのです

その方から、「68番に行ったら、ゼニガタを見たらいいですよ!」と教えて頂けました

ゼニガタ???  銭形平次?ルパン三世の銭形警部???なんだろう?? と不思議に思うばかりです

お遍路さんに行く時、周りの観光の事は全然下調べをしていない私達・・・・  

まあ、行けば分かるよね~と話しながら

お昼を食べた後は、再び下って行きました  

 (でも、このせっかく教えて頂いたことを、68番に着いた時、私たちは忘れてしまってたんですよね)

 

 

長い下りの山道もようやく終わりました  車が通る道に出ました~  長かった!!!!

ようやく民家も、見えて来ました  ホッと一息  何となく安心して来ました

下界に降りてきた気分です

 

下って来た山も随分遠くになってきました

軒先で作業をされている方に雲辺寺の方向を聞いて見ました

あんな所から歩いて来たんだなぁと思うと、感無量(大げさかな~~~ (=゜ω゜)ノ)

そして、「昔の雲辺寺までの道はこっちだったんだよ」とも教えて頂きました

 

 ここからは、人里の中の舗装された道  本当に安心。安心

 

麦秋  色づいた麦畑の横を歩きました

 

 

遍路道の途中で立っていた標示
右 こまつおじ すぐ こんぴら道 左 かんおんじ と刻まれていました

次にお参りする 大興寺は 豊田郡小松尾の邑に寺あるが故に、「小松尾寺ともよび、山号とするかし」と言われていました
地元の人たちは、今でも「こまつおじ・さん」と呼んでいます。道標も、古いものには「大興寺」という標示はなく、「こまつおじ」となっています。この道しるべも古い物なのでしょうね・・・・

 これは、現代の道標

 

鏝絵がある遍路休憩所(みんなのお休み処)

左官さんとのひょんな出会いから、豪華な休憩所が誕生した、とのことです。鏝絵(こて絵)の龍や鶴が楽しめる休憩所です。
こんな伝統技能を継承している左官さんは、もう数えるほどではないでしょう。そもそも左官さんが、もう少ないのです。

 

 

 

そして、歩いていると  誰が書いたのでしょうか????

いたずら書きなのかな?

 

そして、ようやく 67番札所 大興寺に到着(あと、少し)

 

真ん中に小さく見える青い看板は、大興寺手前にある「おおひら」さんという民宿です

昨日”民宿岡田”さんで一緒だった方も、この日はここで宿泊の方もいます

 

本当に、到着です  やったぁ~~~   お疲れさまでした 

 

 思わず、こんなポースも出て来ますよね 

 

 

山門(仁王門)文保2年(1318年)建立  

仁王門にある雄渾な2の金剛力士立像は仏師として名高い運慶の作と伝えられ、像高314センチ。

鎌倉初期の作で、八十八ヶ所中最大とされる

 

参拝に向かいます

 

 小松尾寺のカヤ:樹高20m、胸高幹周3.92m樹齢およそ1200年、山門を入ってすぐ右にある。昭和51.3.23指定

ここも大興寺とは書かれていないですよね。そして、樹齢がおよそ1200年ということで

「弘法大師お手植えの木」と言われているのでしょうね   大きくて 見上げていると、首が痛くなって来そうです

 

 

足はパンパンに張っていますが、ここも階段を登っての参拝です 

境内の中で分かるのですが、ぼくちゃんの前に階段を登っているのは、昨日、三角寺を出発する時に「歩き遍路で、今日は野宿かな?」と話していたお兄さんでした。 昨晩はどうしたのかな?尋ねる事はしませんでしたが、今日は、次の68・69番までお参りしたいと話されていました。この後、お参りの後、次のお寺への道、途中まで一緒に歩いて行きました

 

鐘 楼

    

 

第67番札所 大興寺

大興寺の歴史・由来

縁起によると、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(1596〜1615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである

 

本 堂

本堂のすぐ横が納経所でした、お参りのあと、ぼくちゃんはここで納経所の方と談笑

雲辺寺をうち終えたという、安堵感からかなぁ(笑)

 

現在の大興寺は真言宗の寺院であるが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持つ。そのためか天台宗の影響が大きく、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、右側に天台宗第三祖智を祀る天台大師堂があるという配置にその名残を留めている。また本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、不動明王は天台様式である。

  

天台大師堂

 

(弘法)大師堂

 

 

ぼくちゃん、真剣にお参り (*'▽') です

ゆっくり、ここもお参りしました  六十八番・神恵院も六十九番・観音寺へ出発です

そして、大興寺を出発するときに、階段を登ってくる「オランダのご夫妻」の姿が 

この日は、大興寺の所の”おおひら”に宿泊と聞いていました。雲辺寺からの下りの所でお昼を食べるところで私達は、「HAVE A NICE TRIP! 良い旅を」と別れていたのですが、本当にここでまた再会できるとは~   ぼくちゃんの「おーい」と言う呼び声に気がついてくれました。お二人は、おおひらさんに荷物を置いて、身軽に参拝。本当にここでお別れです。何度も何度も、岡田さんからの道で追いついたり、追いつかれたりを繰り返しながらの歩き遍路の道のり。不思議なご縁のお二人でした。

 

 

 

 

 

 

第68番札所 神恵院  第69番・観音寺

神恵院・観音寺の歴史・由来

六十八番・神恵院も六十九番・観音寺も琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。2つの札所が同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。

<神恵院>

開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」にとし、六十八番霊場としました。

その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移されました。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。

 

<観音寺>

創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山している。大師はそのころ、琴弾大明神が乗っていた神船は神功皇后とゆかりがあり、観音の化身であると感得した。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣ならって中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。

今日は、ここで打ち終わりです  本当によく歩いたよね  思わず出てきてしまう満足の笑顔です

 

共通の山門に、2つの寺名を左右に掲げてありました

     

 

順番通り、まずは、68番 神恵院からお参りします

本 堂

 鉄筋コンクリート製  お寺とは思えない外装です

 

  

階段を登るとお参りできます

中まで入って行くと、今までお参りしていたお寺と変わりはないですね・・・・

 

大師堂

 

 

 

 

 次は、69番 観音寺へお参りします  これが今日の打ち終わりです

 

 

本 堂

棟造、本瓦葺き。室町時代建立の前身堂の部材を用いて延宝5年(1677年)に建立されたもの。重要文化財指定

 

大師堂

5時前ですが、沢山の参拝者の姿が見られました

多分、みなさん今日のお参りはここで最後なのかなぁと思いながら私たちも、境内を歩いていました

 

     

 

鐘 楼

 

薬師堂

長い階段が目の前にあり、これを登るのは・・・・・次の機会にすることに (;;;'∀')

 

同じ敷地に二つのお寺  ご朱印も二つ頂きました  後はホテルに行くだけです

 でも、ここで大切なことを忘れてました  後で気づきますが

 

ホテルに着くまでの道すがら、沢山の「寛永通宝」

マンホールの蓋   オブジェ   等々

これを見て、雲辺寺からの下り坂で、おにぎりをお渡ししたお遍路の方から、教えてもらっていた「銭形」を見に行くのを忘れていたのを思い出しました

さっきお参りした68・69番がある琴弾公園(ことひきこうえん)山頂の展望台からこの「寛永通宝」の砂絵を見る事が出来るのです。階段を見て登るのを止めていた薬師堂の上に展望台につながる遊歩道があるらしい。

となれば、明日、再び 68・69番のある 「琴弾公園」に早起きしていかなければ・・・・

行かなくても良いんだけれども、やっぱりせっかく教えて貰ったのだから見ないとね

 

この日の夜 ホテル前で  何処かで見たような店内だと思う方居るはずですね

北九州でも良くお世話になる「ジョイフル」で

 

この日も、やっぱり早目に就寝    

明日は、68・69番に寄ってから 琴弾公園  そして、今回の区切り打ちの最後 70番 本山寺へのお参りです

 

 

GWの歩き遍路 いよいよ明日で終わり  明日も頑張るよ 


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第60番札所から第70番札所まで(第5弾)

2015-05-27 21:36:11 | 四国八十八か所巡り

 

 

 

今日は、いよいよ「雲辺寺」へのお参りです 

昨晩宿泊の「民宿 岡田」さんは 標高約250メートル位の所で、ここから約900メートル位の所まで歩いて登ります

 

昨晩、夕食の時に頂いた、雲辺寺までの登山ルート 。  何か所か、間違えやすい分かれ道、歩きにくい所等々あると言われていました。

説明は良く聞いたつもりだったのですが、果たして覚えているかどうか????不安が残ります  

ただ、心配していたお天気は、曇り空ですが、雨は上がっています  出発の時点では、傘を差すことも無く出かけられました

6:00からの朝食  7:00前には宿を出発です   岡田のご主人とおかみさんが、見送って下さいました  

お接待の「お昼のおにぎり」も持たせていただいてます   本当に、本当にお世話になりました 

振り返り、振り返り歩いていると、出かける私達を、角を曲がり姿が見えなくなるまで、お二人で手を振って見送って下さっていました    

本当にありがとうございました 

 最初は、民家の間の道を歩きます 矢印やお遍路シールもあります

まだまだ余裕有り   岡田さんから頂いたMAPを片手に歩きます

 

でも、ほどなく登りの道に・・・・  ついつい下を向いて歩いてしまいますが、昨晩注意を受けていたように、

分かれ道の所では、「お遍路シール」「表示」に気を付け、MAPを確認しながら進みます

       

 

 さっき、下をくぐって来た高速道路「徳島道」   まだ、朝早い時間なので、ほとんど車が走っていませんでした

 

  

この先から、山道に入ります  昨晩からの雨もあまりひどくなかったのか、思ったより泥濘にはなっておらず、歩き易い状態でした

山道に入り、ほどなく、昨日夕方「境目トンネル」でお会いした 福山の女性の歩き遍路の方が登ってこられました

昨日、聞いていた通りに、朝、ご主人に麓まで送って貰い、雲辺寺への道を進まれています

朝一番からの歩きとは言われていたので、もしかしたら会えるかな?と思ってはいましたが、少しタイミングが違えば会うことはできないですもんね~

お遍路道での再会は、やはり嬉しい 

そして、やっぱり休み休み登る私たちは後方に・・・・   先に進まれてしまいます

  

そして、同じ宿に宿泊していた、今治の女性からも追いつかれました

少しだけ、一緒に話しながら歩きましたが、足が早い!!! お先にと (^_^)/~~~ 先に進んで行かれます  

 

険しい山道、でも、なぜか放置(なのかな?) 自転車が・・・・・・ 割と立派。まだ乗れそうでした。鍵もついていた記憶があります

う~~~ん  お遍路道の七不思議かも(笑)

 

 

後は、ひたすら進むのみです  

汗をぬぐいながら、所々で休憩しながら、それでも一歩一歩進んでいけはいつかは到着するからね

この後、後から出発された 岡田で一緒の宿泊だった男性にも抜かされてしまいました

でも、時間はたっぷりあるので、ここでも 二人で 「マイペース・マイペース」です 

 

 整備はされているとはいえ、倒木も多々有り

こんな事もしながら、楽しく(気持ちだけかも~~~)進んでいきました

    

 

 

 

ようやく、山道を抜けました

随分高い所まで登ってきました  下の地図の 合流点 の辺りになります

   

【曼陀トンネルの上の尾根筋を行く旧遍路道】

 

【佐野の集落の裏山を登るルート】  私達が上がってきた道

 

見晴らしが良いです   曇ってはいますが、雨はもう降らない様です

 

  少しづつ青空も広がり始め、 雲海も広がっていました  

 

岡田さんから、2.5キロ位歩いてきたことになります

山道、疲れたよ~~~  

でも、見晴らしも良く、二人でうろうろしながら写真 を撮っていました(意外と余裕だなぁ  笑)

そんな事をしていると、今度は、オランダのご夫婦まで追いつかれて、抜かされてしまいました

多分、歩くのもそんなに早くないのに、写真を撮ったりなどいろいろしてるから、人より時間がかかるんだろうね~などと二人で話します

まあ、これも私たちの歩き遍路のスタイルなのかな???などと思ってますが・・・・・

岡田さんから頂いた地図で、「右に行かないように」と書かれた所です

へんろ道看板も左を差していますので、間違えずに進みます

オランダのご夫妻も先にこちらに進まれてます

そして、ここからはほとんど舗装された道を歩くことになります  

日差しも木々の間から差して来たし、もう、本当に雨の事は心配しなくて良くなってきました

良かった ☆ 良かった

 

 

また、オランダのご夫妻に追いつきました

ぼくちゃんは、「チロルチョコ さくらもち味」をプレゼント

お二人はすぐに開けてひとつづつパクリ 

「美味しい」と感想を・・・・(と言ってたはずです。だってニコニコ笑顔で目を丸くしてましたからね)

そして、記念撮影です

 

 

朝一番の様な急な登り道は無かったけれども、階段が見えてきます

距離からすれば、あと少しなんだけれど・・・・・なかなか楽をさせては貰えないのがお遍路さん

修行・修行・修行  

 

  ひたすら登るのみ  頑張るよ~ 

 

この階段を登りきった所です

 参拝者は左に進みます  あと少し 

 

夫婦杉

          こんなに大きい!

 

やりました  到着です 

 心配していたお天気は嘘の様です 

日差しは眩しく輝いて、眼下には美しい風景が広がっていました  感動!でした

 

これから、お参りです

 

 

厄除け坂を登ると、 水堂  がありました

弘法大師が掘られたといわれる 霊水が湧く井戸

「南無大師遍照金剛」と唱えて お水をいただきます

  

雲辺寺は、四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされています。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐(香川県)の打ち始めでいわば「関所寺」 その標高から、別名「四国高野」とも呼ばれています。

香川県の1番ではあるが、実際は徳島県にあります。 ⇒ 雲辺寺の住所/徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2

境内は約40ヘクタールの広さを持ち、杉、ひのき、モミ、トガなどの古木に囲まれており、神々しいばかりの霊気をかもし出しています

 

せっかく、頑張ってここまで登って来たのですから、この後は、広大な境内をゆっくりとお参り、散策しました

 

第66番札所 雲辺寺

雲辺寺の歴史・由来

縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた

 

 <本 堂>

 

現在の本堂は、平成21年11月に落慶法要が行われたそうです。
雲辺寺は下界に比べ、湿度が常に高い上、日当たりも悪く、台風やそれ以外の時でも雨風を直接受けます。その分、街のお寺に比べ傷みも激しく耐久年数も短いため、新本堂は鉄筋コンクリートで建設いたしました。

お寺にとって何より大切なのは、御本尊であり、それを安置する本堂であります。
そしてお寺はその場所に在り続けるということが重要なのです。

これからどのような時代になるかは、誰にも分かりません。経済状況が悪い方へ変化するかもしれないですし、また天災が発生するかもしれません。
どのような事が起きても、雲辺寺がいつまでも皆様の信仰の場としてあり続けるため、雲辺寺の本堂は耐久年数が長く、様々な災害に強い鉄筋コンクリート造りとなったそうです

 

 

<護摩堂>

 

おたのみなす

本堂の脇にあるブロンズ製の茄子が「おたのみなす」です。
なすは、「成す」に通じ、また「親の教えとナスビの花は千に一つの無駄もない」という格言から、これに座って「お頼みなす」と願をかければ、願いが叶うとされています

 

皆様の願いが叶いますように
皆様の頼みごとが成す【なす】ように
『おたのみなす』として皆様に親しまれているそうです

雲辺寺が雑誌に取り上げられる時は必ずと言っていい程、このなすの腰掛けが紹介されます。

と、なれば、私達ももちろん座ってみました   ご利益あるかな???

 

 

 

<大師堂>

 

 

 

<鐘 楼>

 

広い境内には本堂、大師堂、護摩道、鐘楼などが建ち並び、杉や檜に囲まれていました。何時も思うことですが、こんな高い山頂に立派なお寺を建てたものだとびっくりです

 

仁王門と五百羅漢さんを見に行きます

 

<仁王門>

まだ新しいのでしょうか?木の香りがしてきそうでしたよ

ここの階段を登っていくと、さっきお参りした「大師堂」に着きます

    

 そして、ここにも、縁起の良い「なすび」ですね

 

二人で頑張りました   改めて ばんざ~~~い      

  

 

 雲辺寺までの、山道の様子をデジブックにもしてみました  

 デジブック 『雲辺寺*歩き遍路道』

  

この、仁王門の前の広場で、またまた オランダのご夫妻とバッタリ出会いますこれも何かの縁なのかなぁ    4人で、雲辺寺の散策です 

 

五百羅漢像

釈迦のもとで修行した500人の優れた弟子達の羅漢さんが 喜怒哀楽 様々な表情で境内までのあちこちに祀られています

自分に似ている羅漢さんも居ると言いますよ

ぼくちゃんは、オランダのご夫妻のご主人の方に、説明したそうです(本人は、意味は伝わったって言ってましたけど・・・・・)

 

 
毘沙門天展望館

雲辺寺山の四季を360度眺望が楽しめるのです     標高 1000メートル

遠くから、毘沙門天さんが見えます  

 

でも、展望台に行くには、この坂を登らないといけなかったのです  げげげっ  

ため息が出そうでしたが、やっぱり登って行くことに 

 

近くで見ると、迫力がありました

展望台は、この中にある螺旋階段で、手すりがあるところまで、上がることができます

    

 

上がると、360度 見渡せ、雲海が広がっていました     「天空の寺」 という言葉がぴったりな風景です

 

雲海の下にきっと見えるはずの風景を想像しながら・・・・・ 地名を見ると色々な事が思い浮かびます

オランダのご夫妻の奥様と一緒にこの風景を眺めました  持たれているガイドブックを見ながら説明しようとしましたが

なかなかうまく伝わらないですね  もう少し英語、勉強しとくんだったかな   

 

 石鎚山  昨日歩いて来た 64番 前神寺の方向だなぁ 

 

  剣山  徳島県の最高峰  日本百名山にも入るそうです 

 

 福山  昨日と今日、お会いした女性が福山から来られた方だった 

 

 瀬戸大橋  何度もバスや電車で通りました   明日はここをまた通って帰るのです 

 

 高松市  もうお遍路さんで歩いた所です  屋島・八栗 etc 

 

 徳島市  ここから、お遍路さんが始まりました 

 

 

県境の標識  徳島県と香川県   標高1000メートルの表示がありました

      

 

1000メートルの標高です。12月から3月初旬までは、スキーも出来るそうです。スノーパーク雲辺寺 の方向  リフトが見えます(もちろんこの日は動いてません)

 

雲辺寺には、ロープウェイでも登れるのです。ついでなので、そちらも寄ってみました。 道路にも、県境の表示が有りました

        県境跨ぎ  これはお決まりですね      雲辺寺は、「徳島県側」です

    

 

大師乳銀杏

推定樹齢1200年です。最初の銀杏は株しか残っていませんが、子孫である三本の銀杏がそれを囲むようにあります。
雲辺寺に自生している木々の中でも、最も古い木のうちの一つです。
説明書にもあるように、この雲辺寺の乳銀杏は大師乳銀杏と言われ、お大師さまがお乳の出ないお母さんのために銀杏を植え、この銀杏の前で祈願するとお乳が出るようになったことから大師乳銀杏と呼ばれるようになりました。
また木の前に立ち上を見上げると、幹から空中に垂れ下がった気根が見え、その形が乳の形に似ていることから乳銀杏と呼ばれるようになりました。

 

 

ぼくちゃんは、この辺で、ツアー参拝の方から「歩き遍路してる」というと握手を求められました     笑えますね~ 

 

雲辺寺でのんびり時間を過ごし過ぎました  多分、2時間弱はあちこちを見て歩いていました

オランダのご夫妻は多分、もう先に歩き進んでいます  

これから先、次の大興寺までは9.2キロもあるのです  

長い長い下り坂が待っているし、普通は  次のお寺の「大興寺」がお昼ご飯  の場所になるそうですが、

この時点で11時を回っていたので、下りの途中でお昼タイムにしないといけないなぁと思いながらの出発

 

 

 

下りも大変です  しっかり歩いて行かないと・・・・・ 

  

 まだまだ、今日の歩きは続きます   まだ、半分位しか進んで無かった       それでも、二人でのんびり歩き始めました  

 

まだまだ、今日の歩きは続きます 


リレー・フォー・ライフ・ジャパン2015 くまもと 

2015-05-21 22:54:08 | イベント

5月16・17日 

リレー・フォー・ライフ・ジャパン2015 くまもと 

    に 参加してきました 

 

そして、5月16日(土)は、上熊本からのJR九州ウォーキングもタイミング良く開催されましたので、午前中は、そちらに参加してきました  NEWコースです 

 

 上熊本駅も改装されてとても綺麗になっていました

、2015年3月14日より高架化された4代目の新駅舎。水戸岡鋭治さんのデザインです 

 

早朝は、激しく降っていた雨もようやく上がってきました

傘を差すか、差さないか微妙な感じ・・・・ですが、傘はリュックに入れたままで、ウォーキングスタート

 

 

今日は、熊本在住のTさんのご案内で歩きます

少し寄り道・路地裏に入ったりしながら、見所、そして Tさんの思い出の場所などを説明してくださいます

 

 

<夏目漱石坪井旧居>

この日はJR九州ウォーキング参加者は「無料」で入館できました

      

漱石夫婦が熊本で一番愛した家  なんだだそうですよ 

明治29年(1896年)、第五高等学校(現在の熊本大学)の教師として来熊した夏目漱石(なつめそうせき)。彼は4年3か月の熊本滞在期間中に6回も転居。そのうち、5番目に移り住んだ家で、最も長い1年8ヶ月を暮らしたのがこの家です。当時、新婚だった鏡子夫人と暮らし、長女筆子さんが誕生した夏目家にとっての思い出の家。後に、鏡子夫人は「熊本で住んだ家の中で一番良かった」と語ったといわれています。筆子さんの産湯を使った井戸や、漱石の五高の教え子で後に物理学者で優れた随筆家となった寺田寅彦(てらだとらひこ)が泊まった馬丁小屋(ばていごや)などが現在も残っています。記念館として公開されている内部には、貴重な漱石直筆の原稿やレプリカ原稿、五高時代の写真などが展示され、和室の一室には漱石や猫のからくり人形があり、訪れる人を楽しませてくれます

 

 誰かと思えば・・・・・・   

 漱石先生でした 

旧居に入る前に、Nさんとばったり  

Nさんも リレー・フォー・ライフ・ジャパンに参加です。ここからは4人一緒に楽しく歩きます  

 

<藤崎八幡宮>

平安時代から熊本の地を見続ける神様

熊本の総鎮守(そうちんじゅ)といわれ熊本市の代表的な神社の一つで、熊本市街地の北東、国道3号線沿いに大きな鳥居が建っています。そこから東へ広い参道が神社に向かって延びており、その先の大きな木々に囲まれた境内の中に、鮮やかな朱色の楼門があります。この藤崎八旛宮は承平5年(935年)に朱雀天皇(すざくてんのう)が承平の乱(じょうへいのらん)平定を祈願され、京都の石清水八幡大神(いわしみずはちまんおおかみ)を、国家鎮護の神として、熊本の地に迎えまつった神社です。当初は藤崎台に建てられましたが、西南戦争で焼失し、現在の場所に移りました。藤崎八旛宮の「旛」の字は天文11年(1548年)後奈良天皇宸筆(ごならてんのうしんぴつ)の勅額によるものです。秋には「藤崎八旛宮例大祭」として勇壮な随兵行列や馬追いなども行われます

ぼくちゃんは、藤崎八幡宮で「ご朱印」をいただきました

奉納されたお酒の中には、春の酒蔵ひらきの時に行った「瑞鷹」もありました

 

白川の河川敷に入るときに、ウォーキングの友人でリレー・フォー・ライフで色々とお世話をして下さる 

SさんとMさんからのチョッピリプレゼント  コーナー有です 

 コースの途中では、イベントも準備中

お天気は回復に向かっていたので、これから沢山の方でにぎわうのでしょうね~

7.5キロ位のウォーキングでアップダウンも無かったので、のんびりおしゃべりしながら歩いていたら、

あっという間に、ゴールの熊本駅に到着です  Tさん、ご案内、ありがとうございました  

ゴール受付後、4人でお昼を食べて、 

リレー・フォー・ライフ・ジャパン2015 くまもと の会場に向かいました

 

 

 

今年で5回目で、私たちは、JR九州ウォーキングでお知り合いになった、この日案内をしてくださったTさんと、このイベントのの役員もされているSさんの繋がりの中で、第2回目から参加しています

 リレー・フォー・ライフ・ジャパンとは  

がん患者さんやそのご家族を支援し、地域全体でがんと向き合い、がん征圧を目指します。1年を通じて取り組むチャリティ活動です。 

HP ///     http://relayforlife.jp/aboutrfl

日時:2015年5月16日(土)-17日(日)
時間:12時45分開会
13時00分スタート
会場:白川公園(熊本北警察署横) 熊本市草葉町
入場料:1,000円
サバイバー(がん患者)・高校生以下 無料

今年は、開会式から参加です

 

 

  今年も、JR九州ウォーキングで知り合った方で、チームを作りました

 

熊本県警察音楽隊演奏

 

 開会式

 サバイバーズウォークスタート

 

開会式のあとは、ウォークスタート

自分のペースで公園内を歩きます  最大で24時間 歩くことができますが、時間もペースも自由です

そして、同時に色々なイベントが公園内では、開催されていました。

 

講話

 

 

 

ベリーダンス

 

ゆるきゃら 健太くんも踊る 

張り切ってベリーダンスを踊ったから、若干お疲れモードかも 

 

 

大津秀司と「尚廉」バンド

 

ルミナリエ点灯の準備

 

ルミナリエ点灯         夜になるとこんな風に点灯します

 

 

 

 

 今年は、Oさんご夫妻が宿泊者用のテントを二つ準備してくださいました

私たちは近くのビジネスを予約していましたが、この中に宿泊の方もいます。

二重になっていて、虫よけのネットも完備  みんなで、その中を覗いては「立派だね~」と  

 

そして、夜は、お楽しみの宴会です

”リレー・フォー・ライフ くまもと” でみんなで集うのが楽しみなのか、

はたまたこの宴会が楽しみなのか(笑)

熊本の美味しく楽しい時間でした  

 辛子レンコンもありました  熊本ですもんね 

 

二次会も・・・・・ビアホールにて 

 

昨日の曇り空とは違って、快晴 

 公園内を歩きます  

 

 

 

おはよう体操 大村詠一さんストレッチとトーク

朝から元気に体操!!!  30分位ですが、気持ちの良い汗をかきました 

 

 

体操の後は、ぼくちゃんと相棒は、マッサージタイム

500円で足のマッサージをしてくれます  マッサージをしてもらってる間、気持ち良くて、またベットの上でウトウトしてました

 

 

白川公園の中でみつけた よつばのクローバー

二つ見つけることができました   何かいいことありそう   (宝くじでも買いに行くべきだったかな~)

 

SKK20Act ステージ

 

 

 

ラストウォーク & 閉会式

 

 

 

募金もこんなに集まったそうです

私たちのマッサージ料金も含まれてますね(笑) ちょっぴりだけど・・・・

 

  

ふとしたきっかけから、参加し始めた  リレー・フォー・ライフ くまもとですが、

回を重ねて4回目になりました

一年に1回のイベントですが、「昨年も来られたでしょう」を覚えてくれていた方も・・・・

嬉しいですね

最初に行った時は、TさんとSさん、

そしてJR九州ウォーキングに参加されていると言う事で

紹介していただいたJさん だけでした

回数を重ねると、色々な方と、お会いできる楽しみも増えてきました

もちろん、JR九州ウォーキングの皆とワイワイと過ごす時間も楽しみです

本当に今年もありがとうございました

色々な方の絆を改めて気づかせてくれた二日間でした

 

役員のお一人の「やすべえさん」

昨年作った「RFL」のデジブックを見てくださいました

今回、初めてご挨拶できました

  

 


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第60番札所から第70番札所まで(第4弾)

2015-05-20 22:15:32 | 四国八十八か所巡り

 

 

石鎚山駅から伊予三島駅に到着

ここからは、三角寺口までバスで移動します

ぼくちゃんは、昨日の横峰寺への往復のダメージが残っていて、

明日も雲辺寺への山道が待っていると言う事で、ここは無理せずに・・・・決断!(^^)!です

 

伊予三島駅でバスを待っている間に、歩き遍路さんの女性二人組が、特急電車から降りて来られました

ここから三角寺へ歩いて行かれるとのこと

そして、話していると、この日の宿は、私達と同じ「民宿 岡田」さん!

偶然の出会いですね~

お二人は、先に進んで行かれ、私達は、バスの出発時間までしばし休息タイムです

  

 三角寺口にて下車→バス停より約徒歩30分位(2.4km)

ここからも、三角寺までは、結構歩くのです(それも、登り坂なんだよ~ (@_@;))

 

 

 

このバス停では、歩きお遍路さん、5名(私達も含めて)下車

さあ、再び、歩き始めます  出発 !!!!

 

地元の方に「三角寺は何処ですか?」と尋ねると、

「あの山と山の間の後ろ側かな」と教えて下さいます

とは言え、山しか見えないので・・・・、どれだけ歩けばいいのかな? 若干不安

 

 

 

 

随分、登って来た気もするけれども、まだまだ先は長そう

 

ひたすら、歩く・歩く

  疲れたよ~~~

 

 舗装はされていますが、カーブを曲がっても、曲がっても、その先には道が続いていました

いったい、いつになったらお寺に着くのかな?と二人で話しながら、そして休憩しながら登って行きました

 

そして、何度もカーブを曲がった後、ようやく 三角寺へ到着です  やったぁ~~♪

 

でも、お参りするには「長い階段」が目の前に立ちはだかっていました(涙;;;)

  

    

 

 

 

階段を登っての参拝の前、元気なうちに  記念撮影 パチリ

   

 

お参りの為に、階段を登ります

 

 

    

 

第65番札所 三角寺

三角寺の歴史・由来

縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。
だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、本尊以外を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。

 

 

 

 

新緑が美しい  桜の時期だともっときれいな風景が広がっているそうです

納経所で、「お薦めの季節は?」とお聞きすると「桜の季節かな」と言われていました

江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約430m、平石山の中腹にある静かな境内。

本堂へ、まずはお参りです

 

<本堂>

 

 

 

 

覗いているわけではありませんよ(笑)  お賽銭箱が中にあるのです

 

<大師堂>

 

 

 

 

 

延命地蔵菩薩立像

昭和52年再建。高さ7m銅造。

  

薬師堂

疣や魚の目が治るご利益があるといわれる。疣は松かさのようにぽろりと落ち、魚の目には蛸の絵を描いた絵馬を奉納して祈る。

蛸の吸盤が魚の目を取るという。

 

庭園を散策し、ここでお昼タイムとしました

伊予三島駅でお会いした女性お二人も私達がお参りを終えた頃に、三角寺に到着され、おにぎりを食べながら

また、しばしおしゃべりタイムとなりました

 

 

 多分、参拝者が撫でているんだと思いますね   色々なところが「ピカピカ」です

 

 少しづつ、空模様も怪しくなって来たので、そろそろ椿堂へ向かって出発しなければいけません

  

ポツポツ雨が落ち始めてきました   まだ、傘を差して歩く様な降り方では無いのですが、

リュックの中から傘を出し、いつでも使えるように、そして足元には雨除けを装着 

準備万端です !(^^)!  でも、雨が本降りにならないのが一番ですが・・・・・

 

 

 

さっきお参りしてきた、三角寺も随分遠くになってきました

  

 

 

緩やかな下り坂  少し急ぎ足で前に進みます 

 

 

眼下に、川之江の街が広がります

煙突は、製紙工場でしょうか?????

  

 

 

ゆらぎ休憩所 

 

この時歩いていたお遍路道は 「土佐街道」と重なっているそうです

このあたりの土佐街道は、遍路地図に記載された遍路道と、部分的に重なっています。
三角寺を打った後、奥の院に参る遍路の多くは、地蔵峠を越えて→市仲(いっちゅう)→奥の院へと進みましたが、その帰途は、市仲まで打ち返した後、堀切峠を越え、平山(この地点)に降りて来、雲辺寺に進みました。つまり、堀切峠-平山の間は、この土佐北街道を歩いているそうです。

 

 

 

 交差点には、かつて「嶋屋」という旅籠が在ったのだそうです。(標石では「島屋」ですが、「嶋屋」のようです)。東西と南北の道が交差する地点ですから、大きな宿の一軒もなければならなかったわけです。
土佐の殿さまは、高知城を発って5日目頃、平山を通過したようです。殿さまのお休み処「お茶屋」が、ここより1400㍍登ったところに在ったと記されています。ただし常設ではなく、その都度、組み立てられたそうで、そのための資材置き場、「お小屋倉」が、ここに在ったとのことです。なお、殿さまのお泊まりは、嶋屋ではなく、川之江本陣だったそうです。

 

 

歩く道は、ほとんど舗装された道だったのですが、たまに、こんな所も歩きました

 

 

この標識(道路に埋めてあった)は初めて見かけたので、写しておきました

 

立派な休憩所(簡易宿泊所かな)もありました

 

 中は簡易ベットになっていて、多分先着1名は、ここに寝ることができるようです

 

こんな等身大のおじさんに人形が、迎えてくれました

しかし良くできています  そして、ゴルフクラブを持っているのがまた笑える!!!

 

 

 

どんよりとしたお天気ですが、雨はたまにポツリポツリと落ちてきましたが、傘を差すほどではありませんでした。

椿堂へ向かって、二人でテクテク歩き進みますが、意外と遠く感じるのです

  

 

 

別格 14番札所 常福寺 椿堂

椿堂(常福寺)の歴史・由来

大同2年(807)邦治居士(ほうじきょし)なる人がこの地に庵を結び、地蔵尊を祀る。
弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。安政六年(1859)に火災に遭いましたが、現在の椿はその時焼けた株から芽を出したものといわれています。

 

 

    

 ようやく到着  まずは、記念撮影!

 

 

 
鐘楼門

 

 

 

ここで、少し雨脚が強くなってきた気がしますが(写真で、雨が落ちているの判るかなぁ?)

丁度屋根も有、足の疲労も・・・・・   少しゆっくり休憩です

 

 

 

 

 

<本堂>

 

<大師堂>

 

 

 

火伏不動尊

当山不動明王は 火伏せ不動 ( 非核不動 ) とも呼ばれ、火伏せの他緒厄降伏、

長寿健生に御利益あらたな明王として広く信者の方々の帰依をうけているそうです

 

 

おさわり(身代)大師

各々の病 ( 頭・目・腰・足等 ) 右手でお大師様を左手で自分の痛いところをさわりお願いすると書かれています。

足が昨日の横峰寺の山登りで、痛くなってきたぼくちゃんの為、足をなでなでしておきました

そして、納経所では、お寺の方から「湿布」をいただきました

エアーサロンパスは持ってきていたのですが、湿布は持ってくるのを忘れていました

こういう時に限って、薬局が無い(あっても、日曜日でお休み)んですね

本当に、ありがとうございました  感謝☆感謝です

 

 

雨も上がりました

今度は、今夜宿泊の民宿 岡田さんへ  

実は、体調や天候によっては、ここからタクシーを使わなければいけないかもねと二人で話していたのです

ただ、三角寺までのせとうちバスの運転手さんは

「椿堂からは、5キロ位の平坦な道。タクシーに乗る距離じゃあ無いよ」と言われていました

でも、納経所の方は「8キロ位あるんじゃあないかなぁ???」と言われます

迷いましたが、まだ時間もあることだし、歩くのは舗装された国道

雨も上がったし、バスの運転手さんが言われていた「平らな道」という言葉を信じて!!歩き始めました

(修行ですからね~)

 

 舗装された、結構車の往来も多い道  但し、やっぱり緩やかな上り坂の連続・連続

疲れた足腰には結構応えます

 こんな、看板も・・・・・

 

 

お遍路さん休憩所 しんきん庵 法皇  

65番 三角寺から約8.5km地点、65番 雲辺寺に向かう国道192号沿いの、別格14番 椿堂と徳島県境の境目トンネルの間の、葱尾(ねぎお)バス停付近にあります。小屋は、国道の騒音を避けるように中二階の構造です。

 全ての遍路が通る道で、遍路に馴染み深い地元の皆さんに応え、川之江信用金庫からの寄付で建設され、四国中央市に寄贈されました。 小屋名の「法皇」は、南に見える法皇山脈から、「しんきん庵」は、、「信金」と「親近」を掛けてあるそうです

とても立派な小屋でした  平成21年10月に落成

 

足の調子もここで整えます  後、4キロ位歩かないといけないようです  

   

 明日、登る「雲辺寺」のお守りが貼ってありました

 

あと少し、少しと自分に言い聞かせながらの歩きです  前進あるのみ(大げさカナ)

 

初めて、「民宿岡田」さんの標識が出てきて、少し安心   頑張るよ(^_^)/~~~ 

 

 

境目トンネル(さかいめトンネル)

国道192号の愛媛県と徳島県の県境にある境目峠(標高381m)直下を貫通する道路トンネルです

昨年、2014年12月5日、寒波による大雪で30cmの積雪があり、車130台が17時間にわたって立ち往生し全国トップニュースとして報じられた地点。この辺りは雪が多く、四国屈指のチェーン規制地点となっている場所でもあるそうです。

但し、今は5月、雪の気配すらありませんでした (そりゃそうだわね~)

 

      

 

 

 

暗いトンネルの中、狭い歩道はついていますが、車の通りも多い

距離が855メートルもあります。注意して歩きます 

 

 

トンネルを抜けると、そこは 「徳島県」

そして、雨が本降りになってました 

 

 

下り坂を、傘を差して歩きます

トンネルを出たところで、広島県福山市の歩き遍路さんの女性と一緒になりました

お一人で歩かれていますが、朝は出発点まで、夕方はゴールの予定の所までご主人が車で送迎をしてくれるのだそうです

「奥さまの方が歩かれている間は、ご主人はどうされているのですか?」と尋ねてみると、

「釣りとか好きなことをしてるみたい」と笑ってお話してくれました。

この日は、雲辺寺登山口のバス停まで歩かれて、そこにご主人が5時ごろ迎えに来てくれる予定になってるんだそうです

雨の中でも、おしゃべりしながら歩いていると、結構気も紛れますね

色々と話をしていると、この福山の女性の実家が、相棒の実家と歩いて5分位の所でした

昔あったデパートやJRの駅等々、超ローカルな話題で結構盛り上がりました(笑)

 

そして、ここからは、民宿に向かう私たちは、左の細い道へ、福山の女性は右側の国道へ進みます

本当にあと一息

 

ようやく、”民宿岡田”さん 到着

午後4時半位だったかな?雨はまだまだ本降りです

到着すると民宿の奥さまが「お疲れ様でした。雨、大変だったでしょう」と笑顔でお迎え (#^.^#)

そして、金剛杖と濡れたリュックカバーを乾いたタオルで拭いてくださり、

つっかけを出してくださって、歩いてきた靴の中に乾燥剤を入れて玄関に並べて下さいました

歩き疲れた私達には、本当にありがたく、暖かいお出迎えでした

 

 

金剛杖は、お部屋に持ってあがります

 

下に杖用の「座布団」がありましたよ

 

岡田さんの今日の宿泊客は全員で8名  今日は満員です

私達2名と朝、伊予三島駅でお会いした女性2名

今治からの女性1名  東京(だったかな??)からの男性1名

そして、オランダからのご夫妻2名    で、夕食のテーブルを囲みます

オランダからのご夫婦も歩き遍路さんで、私たちが持っているのより詳細なガイドブックを持たれていました

民宿のご主人の雲辺寺への登り道、そしてその先の「67番 大興寺」「68番 神恵院・69番 観音寺」への道のりの解説を

みんなで聞き、自分たちの歩き遍路体験等々、色々な話でワイワイと盛り上がりました

 

 

そして、共通の話題が、翌日のお天気の事

食事の時間も外の雨音が聞こえてきます

ニュースで流れる天気予報も、午前は雨・・・・・・・

若干の不安を残しながらも、この日も9時過ぎには早々に就寝

翌日に備えます

朝は、6時から朝ご飯です 

 

まだまだ、GWのお遍路さんは続きます 

  


福岡ソフトバンク VS オリックス  in 北九州球場

2015-05-19 23:08:39 | イベント

 

本日は北九州球場で福岡ソフトバンクホークス    オリックス・バッファロース 

会社のOBの方にお誘いいただき、観戦  

 

昨日の雨のお天気とは違って 眩しい位の快晴 

暑い!!

 

1回の裏、内川がランナー2塁の1-1からライトスタンドへの2ランホームランでソフトバンク先制! ソ2-0オ

気分よく見ていましたが・・・・・

 

日も暮れて、ナイターらしくなってきたと思ったら、試合の風向きも怪しくなってきた 

 

7回の表  裏のホークスの攻撃を待つ 

 

が、振り逃げで打者が三塁まで進む珍事があった。

 抗議する工藤監督 

 

7回、オリックスの攻撃。2死ランナーなしで打席は駿太。カウント1ボール2ストライクで五十嵐のワンバウンドになるボールをスイング。

ボールは球審の体に当たり後ろに大きくそれ、捕手の高谷はボールを見失った。そのボールはバックネットに設置された看板の上で静止しており、

五十嵐が叫びながら指差して、ようやくボールを見つけたころには駿太は三塁へ進んでいた。

 工藤監督は激しく抗議したが認められず、インプレーとして、2死三塁で試合は再開された。

 

 

 

7回裏攻撃の前は、ラッキー7はジェット風船!

おなじみの「ジェット風船」!

7回のホークス攻撃が始まる時の恒例の儀式(の様なものですね~)

「いざゆけ若鷹軍団」終了と同時に風船を飛ばして、終盤も勝利にむかってのラストスパートを後押し!

 

打ち上げ花火も

 

しかし、その花火の煙の為「視界不良」でしばらく試合中断

 

ソフトバンクがかつての準本拠地・北九州市民球場で2011年8月31日のオリックス戦以来、5年越しの7連敗(1分けを挟む)

去年も北九州球場に観戦に行ったけど、負けてたなぁ・・・・

 

色々な、珍事も見れて、負けはしたけど、面白い試合ではありました