ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

『四国八十八ヶ所巡りへ』 第二十三番札所まで <徳島を打ち終わる>

2014-09-30 19:41:33 | 四国八十八か所巡り

 四国八十八ヶ所巡り 三日目

今日は 太龍寺ロープウェイ麓の道の宿そわかを出発し、

第22番札所 平等寺、第23番札所 薬王寺へ

これで徳島は 「区切り打ち」となります

夜中に雨音で目が覚めました。外をのぞくと街灯だけでも雨が降っている様子が判るくらいの

本降りでした。朝までに上がると良いなぁと思いながら・・・・再びzzzzzz

朝、起きてみると、昨日ははっきりとその姿が見えていた山が靄に覆われています

まだ、ポツポツと雨も残ってました(7時少し前です)

 

でも、今日も、元気に朝ご飯を食べて、出発!!

 

 

出発前、道の駅 そわかの前で  花ちゃんとパチリ(そわかのわんちゃんです)

 

 

那賀川を渡る時に、ロープウェイが見えました。ただ、太龍寺の方はまだ、雲がかかってます

雨が降らなかったら良いなぁ~と思いながら、進みました

 

 歩道のフェンスにも、お遍路さんが描かれています

 

 

車道から、お遍路道へ入ります

住宅地から、畑、山道へを続くのです

この道に入る所で、地元のおばあさんからも声をかけていただきました

「その先から、右へ入らないといけないよ」

丁度、お遍路道への分かれ道の所で、私達が道を間違えないかと、

心配そうに(かな?)見送って下さいました

 

だんだん、山道になってきましたが、まだまだ舗装された歩きやすい道です

 

 

しばらく歩くと、本格的な山道に入りました

ここは「大根峠」と言われ、標高約200メートル位

多くのお遍路さんは、私たちが昨日歩いた、鶴林寺・太龍寺の急な上り下りの後、

平等寺まで一日で歩かれます

丁度、足が疲れた夕方にこの峠を越えるので、ここも「お遍路ころがし」と言われています

私達は、まだ元気な朝一番でここを登りますが、山道は登り慣れないのと、

昨晩からの雨の為か足元も悪く、結構必死で歩いたかも(笑)  結構大変だった!!  

雨の後の為でしょう、沢蟹(かな???)や大きなミミズ(太さは、中指位だった)が

歩く道のあちこちに出没 (@_@;)

巨大ミミズは、思わず見た時に「ひえ~~~っ」と声をあげてしまった

周りに人がいなかったから良かったが、私の声のほうが驚かれたかもですね

 汗をフキフキ・・・・・

 

 

下りは割と緩やかだったけれども、木の根っこ、岩など 足元に注意しながら歩きました

雨は降らず(ラッキーですね)、段々明るくなって、木の間から、日も差してきました

 

ようやく峠を越えて、開けた所に出てきました これで、安心・安心です

お遍路小屋

ここで、ひとまず休憩  二人とも、汗びっしょりです

   

 

その後は、舗装された道路をテクテク歩き、見えてきました!

平等寺に到着

 

第22番札所 平等寺

平等寺は四国霊場第22番の札所で寺伝によると弘法大師がこの地で修行中、薬師如来を感得して自らその像を刻んで本尊として伽藍を建立し人々を平等に救うために寺号を平等寺としたといわれている。
また、その時に加持水を求めてこの地を掘ったところ、乳のような白い霊水が湧き出てきたために、山号を白水山としたという。ここから湧き出る水は万病の妙薬として、有名。本堂には、イザリ車やギブスなど、四国遍路によって健康をとりもどした人が使用していた品々がたくさん奉納されている。

 

正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり上り詰めると本堂が建ちます

相棒は、女厄坂を登り

 

 

  ぼくちゃんは、男厄坂を登りました

 

 

<本堂>

 

 

<大師堂>

 

休憩所に「弘法の霊水」  もちろん、二人とも飲みました

ご利益あるよね

 

 

ここにも、有難いお接待です  二つ頂き、お賽銭入れに使わせて頂いています

 

平等寺のお参りも終わり、遍路道で、薬王寺へ・・・・では無くて、

 

今回は、平等寺から、最寄りの新野駅に向かい、JRで薬王寺の最寄駅 日和佐へ向かいます

  

新野駅は無人駅でした

 

12時少し前で、電車の待ち時間もあったので、お昼タイム

コンビニご飯とあきらめてたのに、ラッキー (#^.^#)なことに、

駅前の「タケノコ」という喫茶店がありました

本日のランチメニュー  クリームコロッケ定食 ¥580 プラス200円で コーヒー付

相棒は、ビールを(大瓶だぞっ おつまみ付)  ¥680 なぜか、ランチより高い(笑)

デザートのヨーグルトは、なぜか二ついただきました

ランチの注文は一つだったんだけどな・・・・ ありがとうございます。ご馳走様でした

 

新野駅から普通電車で 

 

日和佐駅に到着

NHKの連続テレビ小説 「ウェルかめ」の舞台になった町です 

 ここまでくれば、第二十三番 薬王寺はもう目の前! 

 

 第23番札所 薬王寺

当山は行基菩薩の開基と伝えられる。弘法大師は、自他厄除のご誓願をこめられて、本尊厄除薬師如来を一刀三札して刻まれ、日本で唯一体の尊像といわれ、文治4年の火災の折、本尊は玉厨子山に飛び去って難をさけられ、後、再建され新しい本尊に入仏供養の折、又、飛び帰って後ろ向きに厨子に入る(俗に後向薬師という。)尊像は2体となったと伝えられる。
当時は、平城天皇以来、厄除根本道場の宮寺として、上下の尊信はきわめてあつく、参拝者も四季を通じて後を絶たず、寺宝も数多い。

 

 ようやく、ようやく 到着です  長い道のりだったぁ

 

 

 

本堂まで 男厄坂42段、女厄坂33段 を登りました

 

 

 

 本堂の前から、の日和佐の町を望む

 

<本堂>

文治4年(1188)堂宇全焼す
寛永16年(1639)江戸前期、本堂其の他殆ど消失す。
明治31年8月 方丈庫裡護摩堂、仮薬師堂消失。第18世 実善代。
現在の本堂は、明治41年の建立。

 

<大師堂>

 

瑜祇塔に向かいます

 

 

男女還暦厄坂61段。瑜祇塔落慶時に完成したそうです

 結構急な階段で、てすりを持って、一歩一歩ゆっくり進んでいきました

 

 

阿波の23番薬王寺は、厄除けのお寺で有名だそうです

薬王寺境内には三つの厄坂があります。仁王門を入り、下から順に、女厄坂33段、絵馬堂から本堂への男厄坂42段、そして瑜祇塔へと続く男女還暦厄坂61段。厄坂石段の下には、小石に書かれた薬師如来の経文がおさめられているので、一段づつ一円玉を置きながら登って厄を落としていくのだそうです。

厄年ではない参拝者も、自分の年の数だけ一円玉を置きながら上がっていく方が多く、階段には何枚も一円玉がおいてありました。

私達も、お財布に入っていた一円玉を階段においてきました(何枚置いたかは秘密・・・ 年の数には到底足りませんでしたけど)  

 

瑜祇塔 (高さ29m)
昭和38年9月建立         
本尊金色五智如来

昭和39年は弘法大師が四国八十八ヶ所の霊場を開創してからちょうど1150年に当たり、また、翌40年は高野山開創1150年に当たるのでこれを記念して建立されたものである。
瑜祇塔は真言宗所依の経典である。
瑜祇経の教理を形にあらわしたものであり、経文には世の中のものみな二つの相対したものからできているが、これが一つになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎があると説かれている、天と地が和合して万物が豊かとなり、労使が相寄って社会の平和ともなる道理である。
瑜祇塔には上方に金剛智慧をあらわす五峯を示し、周囲に胎蔵の理論の表示である八柱を建て、これが不二を示すよう上の方が四角、下の方は円筒形の一重の塔となっている。

 

これで、 無事に、徳島を打ち終わることができました 

 

今日の宿、「ウミガメ荘」へ向かいます

途中に、お遍路さんお接待所があり、「どうぞお入りください」と声をかけていただきましたので

入ることに・・・・・ そこで!!!!

 

 

一日目の恩山寺・立江寺から、その日の宿泊所の金子やさんへ歩いているときに出会った

山口県 萩のMさんがいらっしゃいました

偶然とはいえ、この再会は驚きでそしてとてもうれしいものでした

まさか、ここでお会いできるとは思いませんでしたので・・・・・ これも何かのご縁なのでしょうね

お接待所では、冷たい缶コーヒー、お茶、草餅、みかんをいただきました

本当にありがたいことです  

草餅を持って帰ろうとすると、手作りのきんちゃくも「これに入れたらいいですよ」と・・・

ありがとうございました

 

後は、宿まで、ゆっくり歩いても5分程度です 

疲れていましたが、二人で今日の出会いや無事に薬王寺まで到着できたことを

話しながらゆっくり歩いて行きました

今日のゴール!!!

 

 

そして、日和佐は「うみがめの来る町」で有名です 

 HPデス →  http://www.town.minami.tokushima.jp/umigame/

あちらこちらで、うみがめが迎えてくれました

☆マンホールの蓋☆

 

 

☆観光協会にて☆

 

☆厄除橋にて☆

 

☆ウミガメの電話ボックス☆

 

☆日和佐うみがめ博物館カレッタ の所のプールで・・・

 

うみがめ荘のフロントで

 

これは、ウミガメではありません 笑!

 

夕食! 至福の時間です

もちろん、大浴場も満喫しました

 

 

今回の3日間の徳島巡礼が終わりました

マイペースで、マイペースでと言われた通りの3日間でした

自分たちで予定を組み、荷物を持って、そして山あり谷あり(谷は無かったかな 笑)の

歩きの旅行、初めてづくしの珍道中だったかな?

荷物を余計に持って行きすぎたり(重かったぁ~~)、

歩くのに思った以上に時間がかかったり

やってみなければ判らないことも沢山!!

下調べが足りずに、帰ってから見逃した所もあったことに気づいたり (>_<)

 

とりあえず、八十八か所巡り 徳島編はこれにて打ち止めですが、

ぼくちゃんと相棒のお遍路珍道中の旅はこれからも続く(予定)のです

今回、お会いした方々皆様に感謝・感謝です

今回、歩いて沢山のお寺をお参りすることができました

家族・お友達、などなど、周りの方の健康をお願いしました

もちろん、私達二人の健康もですけどね

健康でなくっちゃこれから先の”修行の旅”続けられないですから

これから先、どんな出会いが有るのか、とても楽しみ

 

 

そして、長い・長いブログを読んでいただきありがとうございました

  お・し・ま・い


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第二十一番札所まで

2014-09-28 18:11:15 | 四国八十八か所巡り

四国八十八ヶ所巡り 二日目

いよいよ、今日は第20番札所 鶴林寺500m)~ 第21番札所 太龍寺(520m)への

遍路ころがし」と言われる道を歩きます。


 
遍路ころがし

山岳寺院札所への厳しい登りの遍路道を、遍路をころげ落とすような道の意味でこのように呼び、次の区間がある。阿波の3箇所は特に「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われる。

 

朝、お天気が心配で、5時半ごろ目が覚めました

昨晩、民宿のご主人は「天気は下り坂」と追われていたので、前の晩には

傘・ポンチョ・リュックにはカバーと雨支度をしていたのですが、一安心です

 朝ごはんを食べて、7:00には出発

他の宿泊者の方も前後して、鶴林寺に向けて歩き始めるのです

 

  3km先のの鶴林寺を目指します。鶴林寺の標高は500mで真っ直ぐな登りです 

 

500メートル位進んだところで、

同じ民宿に泊まっていた方が「お先に」と抜かされて先に進まれていきました

 

 

  遅ればせながら、私達もよっこらしょと登って行きました


 

 

随分登ってきた感じが・・・・宿泊した民宿も見えましたよ 

休憩小屋

 

 

段々、山道に入っていき下からまた、昨晩同じ宿泊だった方に追いつかれて・・・・

皆さん、健脚だなぁ~~~   でもでも、二人でマイペースで進むだけです


 

 水呑大師

お水大師は、弘法大師が密教の修行をした霊地と伝えられる。

この清水も大師が岩間から湧き出させたとされていて、

いつの頃からか「眼病に効く霊水」ともいわてているそうです。

 

 

残り 1キロを切りました

登り始めて、1時間15分位  

休憩を取りながらなので、長い長い道のりです

 

 

まだまだ、続く山道


 

 

 

 

途中で、見通しが良い場所が有りました

鶴林寺にもまだ着いていませんが、鶴林寺からは、また眼下に見える水井橋の所まで降りて行き

再び、太龍寺に向かって登って行かないといけないのです   ひえっ~~~って感じです

<看板>

 

 

<実際の風景> 

 

 

 

 

登り始めて、約2時間弱・・・ようやく 鶴林寺の山門が見えてきた! 

 

 

 

 

<鶴林寺>


 

 

 

 第20番札所 鶴林寺(かくりんじ)

当山は延暦の昔、高祖弘法大師御修業の砌,悉地成就の瑞相現われ一寸八分の黄金の地蔵大菩薩、老杉の梢に降臨し給える霊地なり。大師即ち歓喜ましまし、御手自ら3尺の地蔵尊を彫刻し、金像を胎内に収めて安置し奉るもの、今の本尊にして国宝に指定せらる。而して雌雄の白鶴翼をかざして降臨の本尊を守護せし為、鶴は千年保寿の善縁により、寺号を鶴林寺と名づけ給う。延暦17年、恒武天皇勅願を以て七堂伽藍を造営し給う。
子有余年の今日も、塔中7寺末寺15寺を持つ大寺として寺門愈々栄す。
平成22年に周辺の遍路道が「阿波遍路道」として国史跡に指定された。

                   

 

 

 

次は、遍路道マップの通りに、鶴林寺~水井橋~太龍寺へと進みます

標高約500メートルの鶴林寺から標高50mの那賀川まで下り、標高約600mの大龍寺山頂まで真直ぐ登ります

 ここからも、足元の悪い下り坂が続きます

 転げない様に慎重に進みました

 

 蛇とか出てきそう・・・・でも大丈夫でしたよ

 

 

 この階段を下りた所で、19番札所 立江寺の近くで、農業の勉強をされている男性とすれ違いました

バイクで麓まで来て、鶴林寺まで登って降りると言われていました

 近くに買い物に行くような軽装で、軽い足取りでひょいひょい登って行かれます

私達は、思いリュックを背負ってのよちよち歩きです 

 

その後、私達が山道を何とか車やバイクを停められる所まで到着した時、

先ほどすれ違った男性は鶴林寺まで往復されて、追いつかれてしまったのです(笑)

「農業頑張って下さい!」 と言う事で、男性とはここでお別れ

  

 

500メートルの鶴林寺から30メートルの水井橋まで1時間15分(位かな?)かけて下山

 

 休憩所でお昼タイム   おにぎりが美味しい

 

靴を脱いで休憩していたら、蝶がとまりました

お花の匂いがしたのかな?(そんなはずないぞ)

  

お昼休憩も終わっていざ、出発 

水井橋の所の自販機で水分補給

ペットポトルを3本購入  重いけれども、太龍寺までもう自販機はありません

 

  

 振り返ってみた山が、下りてきた鶴林寺です

私達にとっては、凄い所を登って降りた来たなぁという感想しかなかったです

でも、あと、もう一山頑張らないと

 

 

 しばらくは、谷川に沿った緩やかな登り坂が続きます

ずっとこうだったら良いねぇと話しながら進みましたが、そう甘くは無かった

 

 ここからは本格的な山道が・・・・よいしょ、よいしょ

  

 

 山深い所、ぼくちゃんは、鹿を見かけました

相棒は、鹿のお尻を見ただけ(白かった)

 

鹿を見た所

 

 

 

  

 21番太龍寺の山門です。息も絶え絶え(少し大げさ)

長い長い階段登ってきました。やっとこの山門に辿り着きました

 でも、ここから200メートル位、坂を登らないと本堂には到着出来ません  

後ひと踏ん張りだぁ

 この山門に到着する少し前に、同じ宿だった名古屋の女性とすれ違いました

太龍寺は沢山の見どころが有るから・・・と教えて下さいました

これを聞いて、少し元気が出た気がし、残りの坂を頑張ることが出来た気が・・・・

  

朝7時に出発をして、午後1時30分

ようやく、ようやく 太龍寺に到着です 

 

 思わずピース

 

 

第21番札所 太龍寺 

「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約6メートルの「舎心嶽」という岩上で、1日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。

皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。

 

 

 

 

 

 

龍天井

本堂と六角経蔵の間に位置する持仏堂の天井に描かれた龍画。竹村松嶺画

 まるで、天井から出て来そうでしょう ・・・・迫力満点でした

 

 

 ここからは、ロープウェイで下山し、そこに今晩の宿泊場所があるので、

ゆっくりお寺をお参りしました

 

 

 

  <本堂>

 

 

 この長い階段の下が、ロープウェイの山頂駅

 

 ここで、驚きの再会   ロープウェイ駅への階段の所から手を振る男性が・・・・

鶴林寺からの下り坂で出会った男性でした

私達と別れた後、22番の平等寺にお参りをして、この太龍寺にお参りに来られたとの事

 偶然とはいえ、すごい再会でした

 

 

 

<太子堂へ> 

 

  

 

 

 

 午前中、訪れた鶴林寺が見えるそうです

 

 

   この枠から覗くと見えます

 

 

  

 

 

 

    見えた!!

 

 

遥かかすんで見えました(うまく撮れなかったなぁ  残念!!!)

 

 

 

  

  1時間位ゆっくりと参拝

この後は、太龍寺ロープウェイで下山

 

 

川越え、山越えの大パノラミックロープウェイ

全長2,775メートルで西日本最長の特大スケール  山・川越えを行う珍しいロープウェイでだそうです

山麓から1号支柱までは那賀川ワジキラインを、1号支柱から2号支柱までは剣山山系を、2号支柱から山頂駅までは紀伊水道・橘湾と移り変わります

 

 

 地上まで約10分の空中の旅を楽しみました

実は、相棒は高い所が苦手・・・・最初は怖くて下が見れなかった(マジで)

 

 オオカミの群れの像が見えました(判るかなぁ)

 

 

 眼下に那賀川、那賀の町が小さく見えました

 

 


麓の 鷲の里駅(道の駅鷲の里に併設)に到着しました

今日の宿泊ばしょの 道の駅 そわか はすぐ目の前です

 

 

 大きなお風呂で一日の疲れを取り(2回も入りました!!!)

明日の準備をして、この日もバタンキューで就寝

明日は 22番 平等寺  23番 薬王寺へ・・・・徳島をこれで打ち終わることが出来る予定です

 

明日へ つづく  (長い長い一日でした。ブログも長くなりました)

 

 


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第十九番札所まで

2014-09-26 23:52:37 | 四国八十八か所巡り

 9月の連休 9/20~23 の 4日間で 四国八十八か所巡り 第2弾 に行きました

7月は、1番(霊山寺)から17番(井戸寺)まで回ったので、今回はその続きを歩き

、「発心の道場」阿波23ヵ寺を打ち終わる予定を組みました

今回は、二人ともリュックを背負っての旅です

こんなに重たい荷物を持っての旅は、実は初めて・・・・・

(後で測ってみると 約7キロ位 あれやこれやと、不要なものも入れすぎました)

そして、「お遍路ころがし」と言われる難所も待ってる!! ドキドキの旅の始まり

 

前の日 9/19(金)の夜に小倉を出発し、岡山で宿泊

 

マリンライナー&うずしお&普通電車  乗換て

     

 

南小松島駅に到着

ここからが、歩き遍路のスタート

 

 

お茶を買った、駅のパン屋さんで、見つけました  

  

 AM9:00 出発

 

駅員さんに教えて頂いたとおりに進み、道標を見つけました

これさえ見つかればひとまず安心です 

 

歩いていると、 少し先の小高い山に白い旗がはためいているのが見えました

 

義経が勢揃いして士気を高揚するために、田野と芝生の境にある小島(当時)の山頂へ源氏の白旗を立て軍陣の標記としたことからこの 山を旗山と呼ぶ。
また、この地には像高6.7mの源義経公之像(騎馬像では日本一)が 雄壮な姿で山頂東端にそびえている。

  義経ドリームロード

義経が屋島に向かって進軍した進路は、現在「義経街道」と呼ばれ、義経が大阪より風雨の中を押してたどり着き、軍船を集めたとされる「勢合」を起点として、小松島市内の義経ゆかりの地を結ぶ約10キロメートルを「義経ドリームロード」として案内板や道標が設置され、史跡やロマンを求める人々に親しまれています。
 義経が小松島の海岸に上陸してから屋島に攻め入るまで、わずか1日の出来事でありながら、弦張坂、弦巻坂、旗山、くらかけの岩、天馬岩、弁慶の岩屋など、義経にまつわる伝説の場所が多く残されており、人々の義経にかける思いの深さが感じられます。 (小松島市のHPより)

ここから、恩山寺までの道でも、義経の通ったと言われる場所を確認できました

 

 

 

「恩山寺」までもう少し坂道を登らないといけませんでした。しばらく登ると・・・・

 

 

第18番札所 恩山寺

たらちねの母を思い出す恩山寺

当山は行基菩薩の開基と伝えられる。はじめ、女人の登山を禁じて花折の坂から入れず、百余年の後、弘法大師が当山にある時、その御母公は大師をしたって来山され、大師は仁王門のあたりで17日の秘法を修して、女人の登山を開禁され、御母公に孝養をつくされ、当山で御剃髪された御母公の生像を作られたと伝えられ、寺号を現在の様に改められたという。又、大師堂はこの生像を本尊としたものといわれる。

  

 

 本堂へお参り

 

太子堂へ

 恩山寺に到着したのが、10:00頃でした  約一時間の歩き 

 次は、第19番札所 立江寺へ

 

 お遍路道は、山の中へ向かっていました

丁度、恩山寺へ向かう方に出会い、「歩き遍路」の道順を尋ねました

やはり矢印の指す、山の中へと足を進めました

(蛇とか出てきそう 出てこなかったけど )

 

 

このあたりの実道も  義経ドリームロード の一部でした

 

義経軍は釈迦庵から恩山寺へ登る坂の向こうに敵兵がいないことを探知して弓の弦を巻かせたのでここを弦巻坂という。

 

 意外と大変な道が続きました

 

ようやく、うっそうとした林や竹林の道を出ることができましたよ

 十五番 立江寺」の表示も見えるし。  安心・安心

 

 途中でで、プレハブ建ての無料休憩所も

工事現場の事務所の様です(土日は開いてないそうです)

 

 これも、無料休憩所

18番 恩山寺から約3km、19番 立江寺の約1km手前の県道136号沿い右側にあります。
この場所には江戸時代の遍路「お京」さんを祀った「お京塚」が有りましたが、老朽化の改装にヘンロ小屋として生まれ変わったそうです

屋根は合掌のデザインです。。

  お京さんの冥福を祈る位牌も奥に安置されていました

この「お京塚」の事は、ここに着く少し前にお会いした地元の方に教えて頂いていたので、見落とすことなく確認出来ました

 

 ようやく立江寺と思いきや ・・・ここは裏口(笑)

 

第19番札所 立江寺   11:30到着 

当山は人皇45代聖武天皇の勅願寺にして、天平年間、行基菩薩、聖武天皇の御后妃光明皇后安産の御念持仏として、勅命により閻浮壇金一寸八分の本尊延命地蔵尊をお作りになり、伽藍を建立御開基せらる。世に之を子安の地蔵尊と称し奉る。伽藍建立の地を卜するに当たり、白鷺1羽何処よりともなく飛び来り、橋(今の白鷺橋)の上に止まり、是仏天の暗示の霊域なりと直ちに伽藍を建立す。其後弘仁6年、弘法大師、四国開創の砌、当山に御留錫の上一寸八分の小像にては後世に紛失のおそれあり、自ら一刀三札六尺の大像を刻み、小像をその胸中に秘収之を安置して立江寺と号し、第19番霊場とされた。
当山は、元清水奥谷麓(今の地より西3丁現立江奥の院)にありて巨刹なりしも、天正年間、長曽我部の兵火に罹り灰燼に帰す。当時の藩主、蜂須賀侯初代蓬庵公の御信仰あつく、現今の地に移転、諸堂塔を建立され、旧観に復しすこぶる壮麗なり。

 

 

 

 

賓頭盧尊者像

十六羅漢の第一。阿羅漢果を得たが,神通力をもてあそんで釈迦に呵責され,涅槃を許されず,釈迦の入滅後も衆生の救済にあたった。白髪と長眉の姿で示される。小乗仏教寺院では上座として,禅寺でも聖僧としてまつった(後に文殊に代わられた)。日本では堂の前に置き,これを撫でると除病の功徳があるという俗信が広まった。

頭をなでで願うと病が癒えるということなので、願をこめて「なでなで」しました

誰の頭を思い出したか・・・・それは ひ・み・つ です

  

 黒髪堂

立江寺に向かう途中で見ていた「お京塚」

お京さんの髪が祀られているお堂です 

 

12:15ごろ出発 

後は、今日の宿泊所 金子やさんへ向かいます(約10キロくらい先かな???)

 

立江寺前のお菓子屋さん

名物 「立江餅」を購入

  

 

 

 

 

恩山寺を出たところで、道を尋ねた男性に、

立江寺や道端でのお昼休憩の時に出会いました

「マイペ-ス。マイペース」と声をかけてくださった方です

その男性が、この神社の所で休憩をされていたので、お声をかけさせていただきました

山口の萩の方で、お遍路さんのベテランさんでした

頂いた納め札は「赤」でした。 8回以上廻られているのです

(私たちは、もちろん 白です)

しばし、お話をし、「またどこかで・・・ご縁があれば」とお別れしました

 

ここからは、鶴林寺の方向へ

 

 

途中のコンビニでひと休み

9月といえども、歩くと汗ダクダクです 

 

お振舞をいただきました

歩いていると、向かい側から「お振舞がありま~~す」と声をかけてくださったのです

頂いたティッシュケース(手作り)

これからの旅のお供ですね

 

 

ようやく、今夜の宿泊所 金子やさんへ到着です

15:30ごろでした

  金子やさんには、何人もお遍路の方が宿泊されていました

夕食を食べたら、9時前には、バタンキュー

翌日は、今回の歩き遍路の難所 鶴林寺・太龍寺への山越えのお遍路ころがしが待ってます

 

つづく

 

 


デジブック 『伏見稲荷大社に参拝』

2014-09-12 21:22:14 | イベント

          

外国人に人気の
日本の観光スポット 2014

外国人の口コミで選ぶ、日本の人気スポット。

で1位に選ばれたのが、京都の 伏見稲荷神社 だそうです

この日の京都駅からテクテク歩いて観光のゴールが伏見稲荷神社でした

 

 

初めて、行きました。朱色の鳥居がとても印象的でした

 

 

 

デジブック 『伏見稲荷大社に参拝』

 

今回は、時間が無くて(2時間位かかるそうです) 稲荷山は全部登って回れませんでしたので

次回は、ぜひとも稲荷山をゆっくり登ってお参りしたいなぁと思います 


『篠栗霊場 出開帳(でかいちょう)』 IN 小倉駅

2014-09-10 23:41:17 | イベント

         

 9月8日(月)~9日(火)の二日間
JR小倉駅JAM広場篠栗霊場が出張されて来られました

  

八十八ヶ所を巡拝するのと同じご利益が頂ける「お砂踏み
「森ヨガ」体験ヨガ

「写経」体験筆
篠栗町の観光物産展sei
篠栗町で採れた新鮮な野菜の販売なすなど
篠栗の魅力をお届けします!!

 
ということで、ぼくちゃんは、自主トレも兼ねて、小倉駅へ・・・・

 

 

篠栗四国霊場・・・・ 

福岡市からJRで約20分という都会からの至近距離に、山紫水明の篠栗霊場があります。篠栗には、唐(中国)からお帰りになられた、弘法大師が大宰府にとどまられたおりに修行なされたと伝わる奥の院を始め多くの弘法大師伝説が残ります。
その後、天保年間に慈忍という尼僧と藤木藤助という篤信の人々によって八十八ヶ所が開創され、今日まで地元の人々は言うに及ばず、多くの方々の心のよりどころとなっています。全行程約50km。徒歩でも車でも約3日でお参りできます。
また篠栗町は、森のリラックス効果が実証され、森林セラピー基地の認定も受けています。

 

お砂踏みとは、八十八ヶ所の各札所の御本尊軸をおまつりして、札所境内のお砂を各軸前の足下に敷き、踏みながら礼拝していくことで、八十八ヶ所を巡拝するのと同じご利益がいただけるものです。

 

 

 

  

   

 

 

お砂踏みも行い、篠栗四国霊場のご本尊様とご縁を結んで、「結願証」もいただいてきました

篠栗八十八か所を軽く”30分”で回ったことになります(笑) 

でも、お祈りする気持ちは一緒です 

 

 

おまけ 

   篠栗町商工会キャラクターくりみんハート

  

★9月8日(月)限り★
福岡よしもと  『ぶんぶん丸』登場でした~音譜 篠栗町の観光大使らしいです