3月21日・22日で 80番 国分寺から 83番 一宮寺を歩きました
小倉を11時過ぎに出発する夜行バスで、坂出へ 坂出から普通電車で国分へ
これで、朝一番からお参りが出来ます
国分駅から歩いて5分位、静かな住宅地を歩くと、到着
第80番札所 国分寺
国分寺の歴史・由来
寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としました。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至ります
創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が国の特別史蹟。本堂は、全面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また周辺には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、唐招提寺の金堂に匹敵する規模を思わせます。また、山門の右手には七重の塔の礎石も残っており、現存していれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったといわれています
<本堂>
<梵鐘>
創建当時から残る四国最古の鐘。
当時の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより重く、ひと苦労。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。
弁財天
国分寺には、さぬき七福神の中で紅一点の「弁財天」がある。美・徳・福にご利益があるそうです
美・徳・福にご利益があるなら、これはしっかりお参りしないとですよね (笑)
願掛大師 キラキラでした
<太子堂>
中で、前回お参りした「金倉寺」の近くにお住いの先達と少しお話をしました
錦のお札を頂きました そして、記念写真 パチリ
国分寺をお参りした後は、81番 白峯寺への 山道 が待っています
山門の所にも、歩きへんろさんへの看板もありました
前に見える山の間の道を進んで行きます 頑張るよ~~~
まだまだ余裕で ポーズ
山道を歩いていると、地元のおばあさんがいらっしゃいました
ひまわりの種を山歩きの散歩の時に置いているそうです
それを目当てに「ヤマガラ」が近くまで寄ってきます 可愛いね
手に乗って餌を食べる時も有るそうですよ
随分登って来たなぁと「下界」を見下ろします(大げさかなぁ)
階段、坂道が続き、まだ歩き始めたばかりなのにヘトヘト・・・・・まだまだ先は長いのにね
指を差している所が、最初にお参りした「国分寺」が有る所です
マイペース・マイペースで少しづつ登りました
山道を登り、ようやく車道の所に出てきました
白峯寺へは真っ直ぐ進む矢印が出ていたので、矢印通りに前へ・・・・・ しかし、この後が大変だった
讃岐遍路道-根香寺道-を歩く
第81番札所白峯寺から第82番札所根香寺に至る遍路道「根香寺道」(その道の先にある札所の名前を冠にする、という前例に従い、この呼称となっているそうです)は、舗装されていない山道であり、道沿いには道標、丁石も多く残っており、歴史的な景観を良くとどめています。
確かに風情のある道だった・・・・でも、山道を歩きなれない私達にとってはまさに「修行の道」
後から知ったのですが、私達が歩いた日は良いお天気だったのですが、その前の週は4日間も雨が続いたらしくて
あちこちぬかるみが有ったり、道に雨水が溢れていたり!!! この奮闘ぶりは、第二弾でアップします
川じゃないんだよ お遍路道ですよ
ドロドロです 坂道も大変だったけど、靴も泥だらけ
途中で広島から来られた歩き遍路さんと
いやいや大変じゃぁ
自衛隊の敷地の横を通ります もうすぐ、白峯寺です
到着
第81番札所 白峯寺
白峯寺の歴史・由来
青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されました。弘仁6年、白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立しました。後に智証大師は、山頂できらめく光を見つけて登頂。山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられます。
まずは、お接待の「あめ湯」を頂きました 疲れた体に優しい味が染み透りますね
有難いですね ごちそうさまでした
先に見えるのが <勅願門>
応永21年(1414)に後小松天皇奉納の勅額(国宝)を掲げた門です
ここでも、本堂にお参りするのに階段を登らないといけません
ようやく本堂が見えてきました
<本堂>
入母屋造りの本堂は、本尊千手観世音菩薩を祀る 故に観音堂とも呼ばれ後嵯峨院の勅号に依り千住院とも称する。開基以来数度の火災により焼失、現在の堂は慶長四年生駒近規公によって再建されたものである。本尊の千手観世音菩薩は愛染明王、馬頭観音を脇侍として祀られ、智証大師と当山鎮守白峯大権現の合作と伝えられる。
白峯という、まろやかな響きを持つこの寺には、有名な物語が二つあります。
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の句です。都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられました。三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名です。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいます。
傍らに西行廟参の遺跡があり、西行法師石像が安置されていました。
歌碑に日く。
よしや君 昔の玉の 床とても かゝらん後は 何にかはせん
この歌は西行が上皇のご霊前に捧げた鎮魂絶唱の歌として今に広く知られる歌である。
崇徳天皇御陵遥拝所
白峯山の相模坊大権現
讃岐の国、白峯山に入山し、修験行者(山伏)集団の統括者<大先達>となり、その神通力、法力により行者集団から大権現として祭祀された。
無事にお参りも終わり、今来た道を戻り、 82番 根来寺へ
また、ぬかるみの道、坂を歩きます それは第二弾に続く