JR九州ウォーキングでおおいた キリシタン南蛮ウォーキングに参加してきました
HP
https://www.jrkyushu.co.jp/ooita/campaign/christian_walk2014/index.html
くにさきキリシタンウォーク
ペトロカスイ岐部神父記念公園からスタートし、神社にあるキリシタン信者が奉納したと思われる灯篭などを見学します。お寺ではキリシタン信者の墓、城山の墓地や近年発見された修道士像の岩、INRI祭壇石などをたずねます
宇佐駅からシャトルバスで送迎で出発地のペトロカスイ岐部神父記念公園へ
朝からあいにくの雨のお天気 ここをスタートしてから、要所では、地元のガイドさんが待機して下さり詳しい説明を聞くことができました
ペドロカスイ岐部記念公園 スタート地点
ローマを向いて建つペトロカスイ岐部のブロンズ像
ペトロ・カスイ・岐部( - きべ、日本名・実名: 岐部 茂勝(きべ しげかつ)、1587年- 1639年7月4日)は、日本人キリスト教徒、イエズス会司祭。ローマへの途上、日本人としてはじめてエルサレムを訪問。近世初頭の日本人の中で最も世界を渡り歩いたため「日本のマルコ・ポーロ」「世界を歩いたキリシタン」ともいわれる。
ペトロ=カスイ岐部の生涯
井上筑後守(奥)によって改宗を迫られるペトロカスイ岐部(手前)
殉教とは、苦しみや恐怖の先に永遠の喜びと希望を見た行為です。自殺を禁止されている切支丹は、キリスト同様処刑する人達のことを許したまえと祈りながら命を捧げよといわれていました。
しかし、江戸幕府は「死か改宗か」という選択の上での強制改宗を行っていたので、。結果として生まれつきのクリスチャンであるポルトガル人宣教師のクリストファン・フェレイラやジュゼッペ・キアラをはじめ多くのキリスト教徒やキリシタンは棄教してしまいました。キリシタンと発覚すると、穴吊しという過酷な拷問にかけられてしまうためです。
穴吊しとは、穴に汚物を入れ、囚人をなかなか死ねないようにして逆さにつるす拷問です。汚物の匂いと頭に逆流する血のために想像を絶する頭痛が始まり、意識が混濁します。そして穴の上からは、役人たちが「棄教せよ」と優しく諭してくるのです。それを棄教するか死ぬかするまで、何時間も続けるのです。即死しないよう、こめかみを切り、少しずつ血が出るようにしてあるため、終いには逆流した血がこめかみから目から鼻の穴から噴き出してくるのです。大多数の信者はここで棄教してしまいました。
しかし、ペトロ岐部の処刑について記した井上筑後守直筆の所見には、「ペトロ岐部は転び申さず候(最期まで改宗しませんでした)」記してあります。それどころか信じていた同志が棄教しても、穴の中からまだ吊るされている信徒に向かって「信仰を捨ててはならんぞ」と叫んだと記録は述べています。
このまま吊るしても棄教しないと考えた役人たちが、焼けた鉄棒を腹に押しつける残酷な拷問に処されて、腸がほとんど露出したと「平戸オランダ商館日記」が報告しています。しかしそれでも、ペトロカスイ岐部は棄教せず、52年の生涯をキリシタンとして幕を閉じました。
岐部氏の墓の説明もありました
岐部氏墓地
中世にこの地を治めた豪族で城主岐部氏の墓標といわれる。
アンドレアクルスや波模様、三つ葉などキリシタン墓標特有の模様が彫られていて、異相(形)国東塔と言われています
岐部氏は大友氏の家臣でした。大友宗麟の影響を受け、岐部氏もキリシタンになりました。
五輪塔の下の方に、見える「×」の印で隠れキリシタンのお墓であると言われるそうです
岐部神社
ここでもガイドさんから興味のある説明がありました
色々な異形の石灯籠や祠がありました
扇子(扇子→センス→デウス)で神を表現している
ヒイラギ キリスト磔の時、頭にヒイラギの冠を載せられた受難の象徴である 等など・・・キリシタンを連想させる物だそうです
ハートはキリストを象徴する これははっきりと判りますね
これも、一番右端の字は何の字を書いているのかよくわかりませんが
「+」(十字架)がたくさん隠れています
岩倉社
。
ケベス祭は櫛来社(岩倉八幡社)の秋の例大祭の宵祭りとして10月14日の夜に行われる火祭りです。昔は旧暦9月14日に行われていたので地元では「九月祭」とも呼ばれていました。
10月14日の夜に執り行われる「ケベス祭」は、国の記録選択無形民俗文化財にも指定され特に有名です。「ケベス祭」とは、神が磐に降り立つことに原点を持つとか、火を扱う鍛冶の神でもある宇佐八幡が近くの海岸に寄りついたとか、神功皇后が朝鮮出兵に当たり火を焚いて潔斎したとか、幾つかの伝説が残されている伝統行事です。
祭りは氏子である十の集落の住民が毎年交代であたり、ケベス役は当番集落の成年男子から選ばれ、神官やトウバ(当場)など二十数人とともに海での潔斎から始まります。社殿では神官がケベス面に祝詞を上げ神霊を面に迎え、「ケベスどん」が面を着けると、神官が「勝」の呪文をその背に書き、気合を入れるとケベスどんが神そのものとなるのだそうです。境内には山積みされた柴に火が入り、太鼓や笛、鉦の楽が奏でられ、ケベスや神官などの行列が境内を回り始めます。そのうち火を獲得しようとするケベスと、遮るトウバの若者たちの攻防が続き、いやが上にも祭り気分は盛り上がってきます。そしてついにケベスが火を獲得し、燃え盛る火を掻きまぜながらまき散らすと、今度はトウバも一緒になり、火のついた柴を持って境内を駆け巡り、参拝者の尻を叩きながら容赦なく火の粉を浴びせるのだそうです。でも火の粉がかかると無病息災とか…。日本全国には奇祭とされる祭りは各地にありますが、ケベス祭は奇祭中の奇祭と言える祭礼なのだそうです
文化庁のHPにも記載がありました
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2012_11/series_08/series_08.html
入口の所に置いてあった写真です こん奇妙なお面を被るらしいのです
コースの途中のトンネルの入り口にも
<ケベス祭 をモチーフにした外壁絵がありました>
永明寺
真名長者般若姫伝説、六地蔵(上の写真)の説明がガイドさんからありました。
ここから少し上にある小串家墓地でも、キリシタンのお墓の紋様等の説明をしていただきました
<真名野長者伝説>
大和朝廷の時代、都に、顔に醜い痣のある姫がいたが、仏のお告げに従って豊後国深田に住む炭焼き小五郎の許へ行き夫婦になる。2人は数々の奇跡により富を得て長者となり、1人の娘が生まれた。般若姫と名付けられた娘は都にまで伝わるほどの美女に成長し、1人の男と結婚するが、実はその男は都より忍びで来ていた皇子(後の用明天皇)であった。皇子は天皇の崩御により都へと帰ることになったが、姫は既に身重であった為、「男の子が産まれたなら、跡継ぎとして都まで一緒に、女の子であったなら長者夫婦の跡継ぎとして残し、姫1人で来なさい」と告げて帰京してしまう。産まれた子供は女の子であった為、姫は1人で船に乗り都を目指すが、途中嵐に会い周防国大畠に漂着する。村人による介抱も虚しく数日後に姫は逝去してしまう。姫の死を悲しんだ長者は中国の寺に黄金を送ると共に、深田の岩崖に仏像を彫らせた。その仏像が現在も残る国宝臼杵石仏である。
櫛来山城跡
山道を登ります(少しだけね )
戦国時代に櫛来右衛門尉によって築かれたといわれる。
櫛来氏は大友氏に従って宇都宮氏の城井城攻撃や朝鮮の役に出陣している。大友氏が滅亡すると共に衰退したそうです。
山頂には、城山社が建てられていました
城山裏にある櫛来・岐部氏の墓地にも、隠れキリシタンの墓が残っていました。現地ガイドさんがいらっしゃって普段なら通り過ぎてしまう横道に入り 色々と説明をしてもらいました。
中には、壊されてしまっていた墓も多数
「殉教童子」など意味ありげな戒名の墓も見られました
修道士像
25年ほど前荒れた場所の雑草を抜き、整備したらこの大岩が出たそうです
修道士を連想させる模様が施されているのが発見されました
岩の上に這いつくようにはえているシャクナゲ(判るかなぁ???)は
約100年くらいの樹齢だそうです
INRI祭壇石
キリシタン祭壇石とも言われ、畑の中に一つだけありました
「INRI」はラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語であり、日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。これは「キリストの磔刑」において十字架の上に掲げられた罪状書きの文として書かれていた文章です
うっすらとですが魚の絵が見えました 魚はキリストを象徴するモチーフだそうです
この日は雨~曇天でしたが、晴れていると、魚の絵が良く見えないそうです
(その意味では、ラッキーだと・・・・ 笑)
ガイドの方は、こんな絵を準備して、説明をしてくださいました
各観光ポイントでの丁寧な説明&ガイドは
国見観光ボランティアガイドの会の方のガイドでした
↑ ウインドブレーカーに、マークがついていましたよ
地元の 櫛木中央公民館でのお振舞も嬉しい お・も・て・な・し もありました
お天気もあまり良くなく肌寒い日だったけれども、笑顔が待っていました
梅干名人(と言われていました )が漬けられた自家製の梅干しです
この日は肌寒く、熱いお茶がとても美味しかったです
そして、お土産にと・・・・ 梅干しを 袋に入れてくださいました
ゴール 道の駅くにみ
願いタコ 発見
何をお祈りしたかは、ヒ・ミ・ツ です( 笑 )
この像の前で、ケーブルテレビの方の取材も受けました
大分だからな、見れないね
ウォーキングの時に見かけた 国東半島の景色です
かもちゃんもウォーキング
そして、お天気は雨だったので・・・
二人共、おニューのポンチョもこの日登場
本当に楽しい一日でした
昨年2月に、国東市長の提唱で日出町、大分市、臼杵市、津久見市、竹田市との6市町によるキリシタンや南蛮文化の歴史遺産を活用することで歴史・文化、教育、観光などに連携して取り組み、併せて人的交流も進めていこうとする「キリシタン南蛮文化協定」が締結され、その一環事業としてJR九州と連携した「くにさきキリシタンウオーキング」が国東市国見町で行われたそうです。
宇佐駅までの帰りの無料送迎バスの時間も、ウォーキングをゆっくり楽しめるように設定されていたので、コースの要所要所にいらっしゃったガイトの方の説明もじっくり聞くことができました。
国東半島の、キリシタンの歴史を少しだけかいま見ることができた気がした一日でした