コンビニやスーパーに行った時に、チロルチョコの新作を探します
と、こんなのを見つけました
しあわせの四つ葉のクローバーを育てることができるらしい
これは、チョコの塊ではありません
水を含ませて、クローバーを育てる土になります
こうなります
さてさて、どんな風になるのか楽しみ
もちろん、チロルチョコも付いてますよ
コンビニやスーパーに行った時に、チロルチョコの新作を探します
と、こんなのを見つけました
しあわせの四つ葉のクローバーを育てることができるらしい
これは、チョコの塊ではありません
水を含ませて、クローバーを育てる土になります
こうなります
さてさて、どんな風になるのか楽しみ
もちろん、チロルチョコも付いてますよ
今回の歩き遍路も打ち終わり、バスで高知市街まで戻って来ました
夜行バスまで時間があるので、高知市内を観光です
以前に、高知は団体旅行で来たことはありますが、昼間の高知城など、まだ行ったことのないところを散策してみました
はりまや橋
「♪土佐の高知のはりまや橋で,坊さんかんざし買うを見た」とよさこい節のフレーズにもなり,純信とお馬の恋物語でも知られているはりまや橋。江戸時代に,堀川を挟んで商売を行っていた「播磨屋」と「櫃屋」が,両者の往来のため私設の橋を架けたことが「はりまや橋」の由来といわれています。その後,何度か橋は架けかえられ,堀川も埋め立てられましたが,現在は,はりまや橋公園として整備され,川のせせらぎを再現。昔のはりまや橋も復元し,純信・お馬のモニュメントも設置されています。
純信・お馬のモニュメント
有名観光スポットだけど、行ってみたらがっかりした場所、いわゆる日本三大がっかり 名所と言われる「はりまや橋」
でも良い写真スポットで、写真撮影をする人も多かったです(まあ、私たちもその中に入るけどね~)
直ぐ横に「アンパンマン ジャムおじさん石像」がありました ここでも記念撮影です
道路を挟んで、よさこい節のメロディとともに龍馬や桂浜が現れるからくり時計がありました
丁度3時で、からくり時計がメロディ♪にあわせて動き始めました~ ^^
からくり時計の上から高知城,下にはよさこいの踊り子人形,右にはりまや橋,左に桂浜が登場します
お土産も買わなくっちゃね~
こんな顔はめ板もありました
ひろめ市場 今回はここは前を通り過ぎるだけです
マンホールの蓋も 高知らしいですよね
市章に「S」の入ったマークの周りに高知市の木センダン、花トサミズキ、鳥セグロセキレイ、「高知城」のデザイン
波の中を泳ぐ2頭のニタリクジラをデザイン。 2015年にマンホール蓋用のデザインとして募集し、グランプリとなった作品だそうです
オナガドリは高知県原産で、日本の特別天然記念物に指定されています
高知城に行くまでに、見かけたものです
高知城に着きました
高知城は、土佐24万石を襲封した山内一豊によって創建されて以来、約400年余りの歴史を有する南海の名城
昭和9年に国宝に指定されたそうです
お城の中に入ります
ここでも階段(笑)
ゆっくり散策できたので、色々と見て回れました
山内一豊像
山内一豊の妻の像
石樋
高知は、雨の多い土地柄であり、高知城には排水のための様々な工夫が見られる。この水路遺構は、三ノ丸に降った雨水を集めて2か所の石樋から排水することにより、石垣内部に泥水が入り目詰まりによるゆるみが生じないよう設けられたものと考えられる。
高知城HP
荷物を預けて、相棒は天守閣まで上がって来ました
ぼくちゃんをに向かって手を振ります お~~~~~い!!
天守閣からの眺め
高知城の観光を終わって、高知駅へ向かいます
歩道で見かけた「タイル」
思わず、パチリ
まんが甲子園通り
まんが甲子園で最優秀賞を受賞した作品の複製をはめ込んだモニュメントが、やなせたかし先生の母校である県立高知追手前高校の東側舗道の約200mの区間に並んでいます 今回は、この通りの看板だけ見ましたが、いろいろな見所がありますね
今度は、どきんちゃんと食パンまん
高知駅に着きました
市内電車もここから出発しますが、「あんぱんまん電車」を見つけました
中はどんな風になってるんだろうね~興味ありますね
坂本龍馬・武市半平太・中岡慎太郎の三志士像
高知駅前にて
この後、高知駅から歩いて5分くらいの「銭湯」でゆっくり汗を流して、夜行バスで帰途につきました
次は、7月の連休の時にお遍路さんをする予定 暑いだろうな~
昨日の雨が嘘のような、快晴の朝になりました(天気予報は大当たり!!)
高知屋さん、温かいおもてなしでゆっくりとくつろげ、疲れも取れました
朝ごはんです しっかり食べて、一日がんばるよ~♪
赤いルートは、舟で渡って雨の中を歩いてきたルートです
ご朱印はいただかなくていいのですが、出発の前にご挨拶を・・・・・ 今日も一日無事に歩けますように
エイエイオー!!!
お遍路シールや色々な看板・標識を見ながら歩きます
県鳥 ヤイロチョウ と 高知と言えば 鯨
ヤイロチョウは名前のように羽毛の色彩が8色で、5月ごろ県西部に少数渡来しますが、極めてまれで「幻の鳥」と言われているそうです
「唐音(からと)切抜」の碑
野中兼山は春野と長浜を隔てる山に切り通しをつくり、春野をうるおした水を浦戸湾へ導きました。山内氏の本拠、高知城下へ、物流導線をつないだわけです。
兼山は「土佐」を開発しましたが、その構想の中心には常に、「高知へ繋げるという事が」が頭の中にあったそうです。東の物部川水系も、舟入川を掘削し、浦戸湾につなげています。彼の功績は、土木事業に多いそうです
ここの切り抜きの道は峠状になっています。その規模は、長さ90㍍、高さ27㍍、幅12㍍だといいます。5年の歳月を要する難工事だったそうです。
お天気も良く、楽しく歩けます♪
古い標識(石柱)
橋を渡ると、多分もう少しのはず・・・・・
ここからは、道の横にある用水路に沿って歩きます。判りやすいルートでした
春野のたんぼ
春野は、「土佐のデンマーク」と呼ばれています。
野中兼山らが、遠い昔に行った土木工事によってつくられた用水路が春野の各地をうるおし、のちに「土佐のデンマーク」といわれた春野の園芸地帯の形成に大きく貢献しているそうです。
のどかな風景です。本当にのんびり歩くのにピッタリ!!!
種間寺に到着
次の、清滝寺の標識も出てきました
第34番札所 本尾山 朱雀院 種間寺
577年敏達天皇の時代、百済から招かれた仏師たちがその帰途に土佐沖で暴風雨に遭ってこの地に流れ着き、会場の安全を祈願して薬師如来を刻み祀ったことに始まると言われる。
その後、弘法大師が訪れてお堂を整え、唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟、きび、豆)の種を蒔いたことから種間寺という名がついたと伝えられている。
本堂
大師堂
お参りを終えてさあ、出発! 本堂の中に大黒様がいるのを思い出して、最後にもう一度本堂へ
相棒のお腹が引っ込みますように?!?
お金が貯まりますように・・・・ 真剣です(笑 www)
尾長鶏 民家の庭先においてありました。尾長鶏は国の特別天然記念物
重たいからね・・・・歩き遍路の時は、なかなか歩いている途中にお土産は買えませんね~
新川の落とし
野中兼山の遺構です。高低差の違う二つの水路を、その間にスロープをつけてつないでいます。その幅9㍍、長さ22㍍。
船は通れませんから、上流と下流の間で荷物を積み替えねばなりません。そのため、この辺は旅館や各種問屋で賑わっていたといいます。
奥の橋は涼月橋(めがね橋)といい、明治期の建造だそうです。兼山の工事では、もちろん木造でした。
涼月橋の傍の説明板は、・・野中兼山は新川を掘り、新川町をつくった、と書いて兼山を讃えています。
こんな看板もあり
休憩
階段を登ると・・・・
仁淀川を渡る橋に出ます
仁淀川(によどがわ)は、愛媛県・高知県を流れる一級河川で、平成22・24・25年度 全国1級河川の水質ランキングで第1位なんだそうです
四万十川のほうが有名ですが、その青さは「仁淀ブルー」とも言われているそうです
仁淀川大橋の真ん中で土佐市と高知市の市境がありました
途中で「軍人墓地」がありました
中には入りませんでしたが、外から覗くと砲弾など戦争を想像させるオブジェが見えました
清滝寺は、前に見える山の中腹まで登らないといけません
随分近くなってきた!!!
ここから、登り坂 お寺までは歩く距離は僅か・・・・さあ、頑張るよ~♪
マイペース・マイペース
最後の一踏ん張りだっ !(^^)!
ようやく、山門に到着です 歩かないとこの山門には行けないんですよ
山門の天井画
弘法大師が五穀豊穣を祈願したという龍王権現でしょう。水神様です。地下(ぢげ)の画家・久保南窓の揮毫になるとのことです。
龍の姿は「龍に九似(きゅうじ)あり」と言われ、角は鹿、頭は駱駝、目は鬼、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(しん・想像上の動物)、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛、に似ているのだそうです。中国からの伝来です。
本堂に行くには、この階段を登ります。最後の最後まで、大変だ 手すりを持って登ります(笑)
第35番札所 醫王山 鏡池院 清瀧寺
723年(養老7年)行基が自刻の薬師如来を安置して建立したのが起こり。後に空海が四国霊場に定める。本尊の薬師如来立像は国指定の重要文化財。寺宝に、県指定文化財の銅造鏡像4面がある。(真言宗豊山派 山号:醫王山)
弘法大師空海がご修行のおり、満願の日に金剛杖で壇前を突くと清水が瀧のように湧き出して鏡のような池になったことから、醫王山鏡池院清瀧寺と名づけたと伝わる。
境内には、大きな薬師如来立像があり、台座の中の「戒壇めぐり」をすると厄除けのご利益があるといわれている
本堂
リュックを降ろして、お参りです
干支恵方盤
本堂でお参りし、ひょいと上を見上げたら、干支恵方盤がありました。「恵方」は、歳徳神(としとく神)によって示される、その歳の万事吉の方角です。陰陽道に発する信仰と思われます。ただし、
胎内くぐり
薬師如来像の台座に「胎内くぐり」の入り口があります。「茅の輪」を模した綱の輪も張られています。
修験道には、自己再生を願っておこなう洞窟修行があるそうです。暗闇の中でひたすら「死の世界」をみつめ、新たな人格としての再生を願う修行です。「胎内くぐり」は、その修行を擬似的に体験させてくれます。暗所をくぐって厄を落とし、心新たな自分となって出てくるわけです。設定が「洞窟」から「胎内」に変わり、「生まれ変わり」がより鮮明に意識されるようになりました。
「茅の輪」は蘇民将来神話に発する神事で、やはり罪穢災厄を祓います
胎内くぐりを終えた後は、何となく心が洗われた気分になりました
ゆっくりお参りしました 今回はこれで打ち終わりです
目の前に、さっき歩いてきた道が広がります 仁淀川も見えます
この後は、高知駅に向かい夜行バスで帰ります
さっき上がってきた道を、戻ります
登る前には気づかなかったけど、登り道様の杖もあったんですね
途中の道では、こんな言葉も見つけました
次の歩き遍路は 今回の続きの36番札所かな?? それとも違うところを歩くのかな??? これから計画を立てるのが楽しみ!
今回の歩き遍路さんは、これでおしまい
四国の道、楽しい思い出ができました
そして、夜行バスまで時間があります 高知市街地戻って、時間まで観光を楽しみました つづく (^-^)
GWの後半、久しぶりのお遍路さんに出かけました
今回は、「修行の道場」と言われる高知の 30番 善楽寺~35番 清滝寺まで回りました
往復は夜行バス、高知では1泊するスケジュールです
ただ、帰りの交通の便の事を考えると、35番までおおよそ1日半歩く予定を組みました
5/2夜小倉を出発し、5/3 早朝に高知駅に到着
まずは、朝ごはん 高知駅のベーカリーショップで・・・・
四国お遍路さんのパンもありました。ついつい、手が伸びてしまいますよね~(笑)
高知のバスステーションから、一宮営業所(いっくえいぎょうしょ と読みます)へ移動
土佐一宮である「土佐神社」 まずは、ここに高知に着いたご挨拶と今回の歩き遍路の無事をお願いします
土佐神社 HP
http://www.tosajinja.i-tosa.com/
大木に包まれた国の重要文化財の壮大な社。開運招福。
土佐神社には土佐一ノ宮として古くより土佐の人々の心拠りどころとされる社です。長宗我部元親再建御造営の現社殿は八とんぼという特殊な建築様式で神社建築としても注目をあびています。御祭神は味鋤高彦根神(一言主神)であり、農具の鋤にかかわる開拓神であることから開運招福のご利益があります。境内は約一万坪。300メートル程の参道の奥に大きな社がひっそりとたたずんでいます。NHK大河ドラマ「龍馬伝」ロケ他。
長い参道を歩き」ます
お社に、頭を下げます
今回も無事に歩けますように・・・・・・お守りくださいね よろしくお願いいたします
第30番札所 「善楽寺」は土佐神社の隣にあります
第30番札所 善楽寺 「土佐一宮の別当」
桓武天皇のころ弘法大師がこの地に巡錫し、土佐一宮の別当とされた。 元亀二年(1571年の)落書きがある。「書き置くも形見となれや筆の後我はいづくの土となるとも」 明治の廃仏毀釈で、廃寺になり 、ご本尊は安楽寺お大師蔵は国分寺へ安置された。そのご安楽寺にあったご本尊様は善楽寺へ戻され、二ヶ所有った「三十番札所」は一つになった。
本堂
大師堂
梅見地蔵
子安地蔵堂の左。文化13年(1816)の建立。首から上の病や悩みにご利益ありとされる珍しいお地蔵さん。近年では脳の病気、ノイローゼの快癒から合格祈願をする参詣者も多いそうです
お参りを終えて、記念撮影 パチリ
さあ、今日の歩きはここからが本番です
今年は「閏年」 お遍路さんにとって「うるう年」は、いつにもましてご利益のある年。しかも、この年に逆打ちをすると、とてつもないご利益があるといわれています。
四国お遍路を始めた最初の人物とされる「衛門三郎」。お大師様を追いかけて四国霊場を何度も回り、彼が死の間際にようやくお大師様に会えたのが、実は、「うるう年」なのです。 この年は「うるう年」に当たる年で、そのとき、すでに20周も四国霊場を回っていた衛門三郎は、12番札所「焼山寺」の近くでようやくお大師様に出会うことができました。
衛門三郎が息を引き取ったといわれる場所は、「杖杉庵(じょうしんあん)」と呼ばれ、四国八十八か所霊場番外札所となっています。ここは、前に焼山寺を打ち、鍋岩まで下っているときに通り、立ち寄りました。ここのご朱印は「焼山寺」でいただくことができました。
「うるう年」にお大師様に出会えたという逸話から、「うるう年」はご利益のある年とされています。今も、四国お遍路の霊場を回っているといわれるお大師様に出会えるかもしれない年が、「うるう年」なのです。
歩いている途中で「逆打ち」のお遍路シールも見かけました
こんな励ましの言葉も・・・・・・これも、歩き遍路の楽しみの一つです
少し雲行きは怪しくなって来ましたが、まだ雨は降り出しません。
お遍路シールを頼りに先に進みました
途中でパラパ雨が降り始めたので、ポンチョと足回りも雨支度をしましたが、山道に入る手前で雨も上がったので、ポンチョは脱ぐことに
それまでは平らな道だったけど、ここから登りが続きます
意外と大変 雨が上がって良かったなぁ
途中から、植物園の中をお遍路道が通っていました 表玄関から入らないので「入場無料」でした (笑)
牧野植物園の中で、恐竜と遭遇 !?!?
逆打ちのシールをここでも発見
竹林寺に到着
第31番札所 竹林寺 「夢窓国師の庭」
聖武天皇が、「中国の五台山で文殊菩薩を拝まれた」という不思議な夢を見られた。夢から目覚めた天皇は、わが国にもこれに似た霊地が有るに違いないと行基に命じて諸国を探させた。神亀元年行基は五台山に似た当山を見つけ、これぞ天皇の捜し求めておられる唐の五大山にふさわしい霊地であると奏上し、勅許を得て寺を建立し、自ら栴檀の木に文殊菩薩を刻んで安置した。 大師がこの地を巡錫し、伽藍を修築された。
五重塔が見えます
招き猫が読んでます HAPPY COME ON~~~♪
本堂
大師堂
ぼくちゃん なでなでします
お参りも終わったので・・・・
納経所へ向かいます
次は、禅師峰寺へ向かいます
ここからは、しばらく歩くにくい道が続きます 用心して歩きます
結構歩いてきたなぁ~
こんな看板も(笑) ウォーキングのお友達のことも思い出しました・・・
今回は、まだまだ先があるので買えないなぁ 残念 ><
「ゴミ除け祈願」だそうです ポイ捨て禁止!
看板が見えて来ました もうすぐかなぁ??? いやいやまだまだ
5月も風物詩ですね 曇り空だけど気持ちよく泳いでました
この山の上まで登ります さあ、がんばるよ
よいしょ・よいしょと自分を励ましながら歩きます 汗も出てくるし
ようやく参道 ”お疲れ様”の看板がありました
第32番札所 禅師峰寺 「船魂ふなだまの観音様」
海岸の弾劾の上にあり、地元では峰寺と呼ばれ親しまれている。求聞持院という名のとおり、海を見下ろす寺で求聞持を修行されていたからである。禅師とは奈良時代に、へんろ邊路(辺地)修行された修行者を呼んでいたとも言われる。 弘法大師はこの山で求聞持の法を修法され、土佐の沖を航行する船舶の安全を祈願して十一面観音を安置した。以来「船魂ふなだまの観音様」と呼ばれている
本堂
大師堂
こんなお地蔵様をみると、癒されるなぁ~
太平洋を望む 曇り空がす少しだけ残念だったけど、素晴らしい風景でした しばし、ゆっくりとしていました
看板には、「下りはゆっくり気をつけて」と・・・・・
ご朱印をいただいてから、少しだけお昼タイム 休憩です いただきます
次は今日最後の「雪渓寺」へ
太平洋の海岸はすぐそこです 津波が来たときの避難タワーがありました
この他にも、何箇所も同じような避難タワーや避難誘導看板を見かけました
これが必要にならないことを祈るばかりです。そして、熊本地震のことも思い出していました
歩いていると、色々な形のお接待を見かけます
<ベンチの所に貼ってあった表示>
<個人のお宅の敷地内にあった休憩所 トイレも設置して有りましたよ>
そして、このあたりを過ぎたくらいから、ポツポツだった雨が、本降りに!!!
一度しまっていたポンチョを出し、倉庫の軒下を借りて着用 雨は段々ひどくなって来ました(天気予報大当たりです)
この後からは最後宿に到着するまでポンチョを脱ぐことは」ありませんでした
32番から33番へ向うには、2つのルートがあります
なによりも、「無料」と「舟」には、惹かれる、その上、こっちのが楽だし、ずいぶん早い。
そして、ここは「舟を使って」良いらしいのです。なにせ、種崎と長浜を4分弱で渡れます
ここでは、1時間に1本なので30分くらい待ち時間がありました
待合室では、私たちの他にお二人の歩き遍路さんが渡し舟を待っていました
4人でお遍路旅の事で話の花が咲きました
船に乗り込み出発
あっという間に到着です
ここから、土砂降りの中2キロくらい歩いてようやく 33番札所 雪渓寺に到着です
第33番札所 雪蹊寺 「蹊」とは雪道を人が歩いた跡」
昔はもっと海岸が近くにあって、その砂の上を歩く足跡を雪蹊とみたのかも、と言われています。もともと延暦年間に大師に創建されたこの寺は少林山高福寺と言った。 後に永禄の頃、月峰和尚がこの寺に泊まったとき、夜半に妖怪のすすり泣く声が聞こえて来た。「水もこの世をいとうころかな」という句を読んでいるので、成仏できぬ霊がいるのだと感じた月峰師は「墨染めを洗えば波も衣着て」という上の句を作ると泣き声はやんだと言う。 この話を聞いた長曽我部元親に寺に留まるように請われた月峰師が、寺を再興して以来、臨済宗の寺になり、元親の戒名も「雪渓如三大居士」と言う。
本堂
バスで回られている方も、皆さん雨合羽を着てお参りされていました
大師堂
朝は、曇り空でしたが、途中からは天気予報通りの大荒れのお天気になりました
この日は、雪渓寺真向かいの 遍路宿「高知屋」に宿泊
宿に着くと、濡れた雨具を預かって下さり、乾かしてくださいました。その他にもお接待と言うことで、洗濯までして下さいました
本当に、感謝・感謝です
夜は、高知名物のかつおのたたきのほか、美味しいものが並びます
いただきます! 美味しいものを食べてゆっくり休憩です 明日もあるからね
次の日はお天気になるように!と思いながら眠りに付きました・・・・・(ニュースの天気予報では快晴の予定です)
二日目に続く