鉄卓のブログ「きままに」

「写真」と「ウォーキング」と「旅」をきままに楽しみます。
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「緑の樹、青い空、白い雲」に会う【JR九州佐賀駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-12】

2017-09-11 | JR九州ウォーキング
2017年9月9日(土)

今日のJR九州ウォーキングは約3年ぶりに佐賀駅コースに参加。


(今日のマップ)

JR九州ウォーキングも夏休みが終わり、先週から秋編が始まった。私は、今週が初めて参加する。

佐賀市の中心部には神社が多く、今日も神社を巡る。9時過ぎに佐賀駅南口をスタートして、真っ直ぐのメイン通りを歩いて、やがて右手に曲がったら「竜造寺八幡宮」。鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祀っている。鳥居は佐賀市重要文化財で、佐賀地方独特の肥前鳥居。


(佐賀駅)


(竜造寺八幡宮)


(肥前鳥居)

肥前鳥居の特徴は、先端にかけて反り返る部分が大きな反りをみせて外方に跳ね上がる笠木のようだが、私は、柱の形状の方が気になる。慶長年間(1596~1615)に盛んに造営されている。

歩みを進めると、佐賀駅のウォーキングでもう一つ目につくのが恵比須像。3年ほど前に佐賀駅のコースに参加したのは「恵比須巡り」の企画だった。50数か所の「恵比須」を探して廻った。方向感覚がわからなくなったことを覚えている。


(テレビ出演のようだ)


(恵比須さん)

「護国神社」を通って、「伊勢神社」へ。ここの肥前鳥居も佐賀市重要文化財に指定されている。


(伊勢神社肥前鳥居)


(伊勢神社)

左に曲がり、歩いて行くと電柱に「旧町名伊勢屋本町」の表示板が貼ってある。住居表示が変わると、旧町名をいかに残すかそれぞれの町で工夫されている。一般的には現住所が電柱には表示されていて、旧町名は石碑であったり、説明板があることが多いように感じる。この後、電柱に注目して歩いたが、現町名の表示板はついていなかった。


(旧町名が書かれた電柱)

主な「恵比須」さんには「恵比須八十八ヶ所巡り」の幡が掲げて、説明板に名前や由来が書かれている。しかし、幡も説明板も無い「恵比須」さんも多く目にする。それらの観光資源にはなっていない「恵比須」さんも地の人たちに大事に守られているのだろう。


(名もない恵比須さんも大事にされている)

左に曲がる。「鶴屋」さんでお茶をいただいた。アイスは食べなかったけど、椅子に坐っていただいているウォーカーの皆さんは笑みをうかべている。


(鶴屋さんで)

鶴屋から真っ直ぐ、大きな通りも信号を渡ってなお真っ直ぐ歩いて行くと、またまた、独特な鳥居が見えてくる。着いた「與賀神社」の肥前鳥居は国の重要文化財に指定されている。渡る石橋も国の重要文化財、渡ったところにある丹塗り楼門は室町時代に建立させていて、やはり国の重要文化財に指定されている。


(與賀神社肥前鳥居)


(與賀神社の石橋と楼門)

ここから右に曲がって次の角を左に曲がると城のお堀に出て右に曲がる。お堀の中の道を歩くのに直ぐに左に曲がる。角に案内の係りの方がおられたので「暑いですね。まだ、ウォーキングの時季ではないですね。」などと声をかける。


(佐賀城のお堀)

これまで歩いてきた途中にも何人か案内の方がいたが、多分、JRのOBの方々だと思う。この暑さの中、長時間にわたって案内係するのは大変だと思う。ウォーカーは歩いている途中で日陰や木陰に時折癒されるが、案内係の人は日が照りつける場所から動けない。ウォーカーにとってウォーキングの時季ではない、というより案内係をする人にとってのウォーキング時季ではないのではとの思いがする。「敬老の日」はもうすぐだし。

お堀の道を抜けて、右に曲がったところに佐賀城本丸御殿を再建した「佐賀城本丸歴史館」がある。何度か見学したことがあるので、サッと見てまわる。佐賀藩は福岡藩と1年交代で長崎港の警備を担当していたので、世界の動向に通じていた。幕末から明治維新では先進的な役割を果たしていった。


(道沿いで)



(佐賀城本丸御殿西門)


(佐賀城本丸歴史館入口)


(佐賀城本丸御殿鯱の門)


(鍋島直正像)

お堀の中の道からに戻り先へ進むとお菓子の村岡屋に突き当たる。


(村岡屋前の恵比須)

ここで左へ曲がって、直ぐに右へ曲がり進むと大隈重信旧宅(生家)と大隈記念館があるが、ここも何度か訪れているので寄らずに先へ進む。


(大隈重信旧宅)

小さい川へ出たところで左折。信号を渡って少し歩いて、左折。右折、左折、右折すると、旧古賀銀行に着く。7館で構成されている佐賀市歴史民俗館の1館。


(小川沿いを歩く)


(小川)


(旧古賀銀行)


(旧古賀銀行前の八坂神社)

ここで、左折。真っ直ぐ進む。信号を渡って進むと左に「恵比須ステーション」がある。マップには記載されていない???。寄ってお茶の接待を受ける。恵比須のバッチを買った。


(バッチを買った)

長崎街道の道標があるところを左に曲がる。


(長崎街道道標)

松原神社、佐嘉神社の中を通って大きな通りに。ここを抜けるのは難しい。神社の中なので矢印を建てられないかも知れないが、常連でないと迷うことになる。


(松原神社)


(松原神社)


(松原神社で)


(松原神社)


(佐嘉神社)


(佐嘉神社で)

通りに出て右へ。


(徴古館)

郵便局の角を左へ。「佐賀バルーンミュージアム」が見える。マップ提示で入場料無料。初めて入る。


(佐賀バルーンミュージアム)

佐賀のバルーン大会の模様をスーパーハイビジョンシアターで観ることが出来る。迫力満点、一緒に歓声を上げたくなった。2階が展示室になっていて、バルーンのことが学べるようになっている。今日はウォーキング後の予定もあるので、また、ゆっくり見学できる時もあるだろう。


(佐賀バルーンミュージアム)


(佐賀バルーンミュージアム)


(佐賀バルーンミュージアム)


(佐賀バルーンミュージアム)

先へ進もう、と云ってもマップを見るとこの通りは佐賀駅をスタートして真っ直ぐに進んだ道。後は、佐賀駅へ向かって直進し帰るのみ。


(佐賀駅への道沿いで)

12時丁度くらいにゴール佐賀駅に着いた。


(佐賀駅)


(佐賀駅ホームの恵比須さん)

今日は、ここにも矢印が欲しいと思ったところが何か所かあった。そういうところでは、マップを見ながらキョロキョロしている人も見かけた。佐賀県のコースはいつも案内の係りの人もコース案内も他の県に比べて親切だと感じていたので少し残念な気がする。

いつものビールは、佐賀駅からのかもめの車内で。


(かもめの車中で)

新鳥栖駅で大正2年販売開始の「かしわめし駅弁」を買って新幹線内で昼食。


(新幹線つばめ車中で)

今日のウォーキングを終える。
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「タイトルに一致」に会う【JR九州大村駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-11】

2017-06-11 | JR九州ウォーキング
2017年6月4日(日)

今日はJR九州ウォーキング大村駅コースに参加。


(今日のマップ)

大村駅までは、先ず新鳥栖駅で乗換え。長崎本線のホームで、特急「かもめ」の乗車口に並ぼうと足元を見て探していたら「あそボーイ」の乗車口の案内がある。


(新鳥栖駅ホームで)

昨年の熊本地震で豊肥線の肥後大津-阿蘇駅間は不通になっていて、いつ復旧するか目途は立っていない。熊本-宮地駅間を走る観光特急「あそボーイ」も運休している。

私がJR九州ウォーキングに参加するための乗車駅は「あそボーイ」の停車駅なので、今日もその駅のホームでいつ停車することになるか分からない「あそボーイ」の乗車口案内を見て来たばかり。長崎本線の駅で見ると、「おう、ここで頑張っているのか。」と思う。

「かもめ」で新鳥栖駅から諫早まで行く。指定席をとっていたが幸いに有明海が見える側の席だった。有明海が見えてくると、雲仙の山並がくっきりと浮かんでいる。


(雲仙の山並み)

雲仙普賢岳で大火砕流が発生し、警戒中の消防団員と警察官、報道関係者、火山学者ら43人が死亡したのは1991(平成3)年6月3日午後4時8分のことだった。熊本も火山灰で道路も家屋も真っ黒になった。あれから26年。

当時を思い出しているとやがて諫早駅に着く。佐世保行のシーサイドライナーに乗り換えて、11時前に大村駅に到着。

大村駅コースには初めて参加する。大村ついての知識は殆ど無い。


(大村駅)

この時間になると参加者も少なく、初めてのコースで、前を歩いている人の姿が見えないと不安になる。直線を歩いていると、どこかでか曲がらなくてよかったのだろうかと猶更不安になる。幡や矢印が見えるとホットする。


(道沿いで)


(道沿いで)

2つほど曲がって路地の一角に「妻子別れの石」がある。「明暦3年(1657)の潜伏キリシタン大発覚事件である「郡崩(こおりくず)れ」に係る史跡です。」との案内板に書かれている。


(妻子別れの石)

崩れとは検挙事件のことで、郡は地域名で、当時の郡村を中心に603人が逮捕され、大村で131人が処刑されている。

「妻子別れの石」のある場所は、見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられている。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れたので「涙石」と呼ばれ、苔が生えないといわれている。

その処刑があった「放虎原殉教地(ほうこばるじゅんきょうち)」はそこから歩いて直ぐの所にあった。


(慰霊塔公園)


(放虎原殉教地)

「第21海軍航空廠(こうくうしょう)」があったあたりを歩く。


(警察署)


(運転免許試験場)


(郵便局)


(非核・平和都市宣言の碑)

そして、ようやく海岸へ。

海とは縁のない生活をしていると、JR九州ウォーキングに参加しての楽しみの一つに海との出会いがある。

海岸沿いにある公園で最初に出会ったのは「天正遣欧少年使節顕彰之像」。1582(天正10)年、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名の名代として、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの4少年がローマに派遣される。2年半かかってヨーロッパに渡り、ローマ教皇と掲見。出発してから8年5ヶ月かかった大旅行の末、1590(天正18)年帰国している。


(天正遣欧少年使節顕彰之像)

彼らは、活版印刷や西洋楽器など西洋のすすんだ技術を持ち帰った。しかし、帰国した時は、キリシタンは禁止される時代になっていて、苦難の生活を送った。「郡崩れ」は、それから約70年後のことである。

彼らが見つめる先には、「長崎空港」があって飛行機がに発着している。


(長崎空港へ降りる飛行機)

少年使節像の横には「長崎出発400年に当たる今年 今は世界を結ぶ施設にゆかりぶかきこの地にその雄図を讃え併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよ と念ずる人々この像を立てる。」との碑が建っている。

「さあ、海岸を歩くぞ。」とウキウキして気分で歩きだしたが。コンクリートで作られた海岸の堤防を歩いても、海の風は感じない。コンクリートの照り返しの暑さばかりを感じる。こんなはずじゃなかったと思い思い歩く。


(海岸沿いを歩く)


(海岸沿いを歩く)


(海岸沿いから)

海岸を離れて、「くいでつばし」を渡るとき、心地よい海の風に癒される。


(くいでつばしから)

2つほど曲がって、商店街になっている長崎街道を歩く。


(長崎街道を歩く)


(長崎街道を歩く)


(長崎街道を歩く)

長崎街道から2つほど曲がって、信号を渡ると大村市役所があって、ゴール。なんとなくあっけなかった。


(市所前のゴール)

今日のウォーキングのテーマ「菖蒲満開・大村に花菖蒲を見に行こう!」は、どうやらゴールしてからの楽しみらしい。

ゴール受付の係りの人に、花菖蒲まつり会場「大村公園」の場所を聞いて、道一つ隔てた公園へ。

玖島(大村)城跡が大村公園になっていて、お堀跡に一面に菖蒲の花が咲いている。JR九州ウォーキングは花の開花に併せて開催される各地のお花の祭りと併せて開催されるものも多い。花の開花は気候にも左右される。祭りもウォーキングも早くから計画されるので、時には開花時期がずれることもある。

この初夏編、花しょうぶ祭りに併せたコースは5コースあったけど、大村だけはコースタイトルに「満開」とあった。今日は、ほぼどんぴしゃり。


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(大村公園)


(板敷櫓と花菖蒲)

花菖蒲の写真を撮って廻って、大村神社になっている本丸跡に上る。


(案内板)


(階段を上った左手に「梅ヶ枝荘」があり順番を待つ人たち)


(さらに上る)

途中、復元されている板敷櫓(いたじきやぐら)に入って、下界を眺める。


(板敷櫓から)


(板敷櫓から)


(板敷櫓から)

さらに進もうとすると「戊辰戦争記念碑」があった。ウォーキングで九州のあっちこっちを歩いたが、戊辰戦争の記念碑に出会ったのは初めてと思う。

戊辰戦争で大村藩は官軍の北伐隊として東北の地で戦う。官軍側であった秋田藩を救援する刈和野の戦いで戦死者7名を出した。鼓手(こしゅ)として戦いに参加した浜田謹吾少年も戦死したその中の一人。謹吾少年の衣服の襟に縫いつけてあった母の歌「二葉より手くれ水くれ待つ花の君がみために咲けよこの時」が地元の人々の心を強く打ち、語り伝えられている。


(戊辰戦争記念碑)


(浜田謹吾少年碑)

そのことが縁で、旧角館町(現仙北市) と大村市とは姉妹都市になっている。祭り会場では仙北市の物産を売るコーナーもあった。


(石垣にはなんとなく親しみをもったが、加藤清正の指導を受けたようだ)


本丸跡の大村神社境内には大きな球体がいっぱいだった。何か催しがあるようだ。


(大村神社)


(貝吹石。小さいほうの穴を吹くと法螺貝の音を出す。)


(大村神社境内)

境内に植わっているオオムラザクラ(大村桜)は国の天然記念物に指定され、クシマザクラ(玖島桜)は長崎県の天然記念物に指定されている、という。また、桜の季節に参加しないと、と思いながら下る。


(オオムラザクラ)


(クシマザクラ)

明治27(1894)年創業という「梅ヶ枝荘」で、少しだけ外で待って14時ごろ大村寿司とビール。お刺身や野菜、ビワも美味しかった。


(大村寿司定食)


(やっぱし定番の角度から)

公園を出て20分程歩いて、今度は一つだけ曲がって大村駅へ。古い駅舎で大正7年に建てられている。


(帰り道でポスター。大村神社の球体はこうなる。)


(大村駅)


(大村駅)


(大村駅)


(大村駅)

15時22分長崎行のシーサイドライナーで諫早駅へ。かもめに乗り換え、新鳥栖駅で新幹線に乗り換え、梅ヶ枝荘で買った「梅が枝焼」を食べて、今日のウォーキングを終える。


(シーサイドライナー)
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「イの壱」に会う【JR九州戸畑駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-10】

2017-06-08 | JR九州ウォーキング
2017年6月3日(土)

今日はJR九州ウォーキング戸畑駅コースに参加。


(今日のマップ)

9時過ぎ戸畑駅に着き、改札口を出たら長蛇の列がある。何ごとだと思って見ると、JR九州ウォーキングの受付に並んでいる列。慌てて列の最後尾に並んだ。何年か前に参加した時は、もっと遅い時間に駅に着いていたので、並んだ経験は無かった。

通常のコースは受付が8時30分からなのに何故とスマホで調べると今日のコースは9時30分からが受付時間になっていた。パンフレットをよく見ていなかった。
先頭の方に並んでいる人たちはどうだったんだろう。

顔なじみの常連さんたちも並んでいたのだろうな、よく見ずに後ろへ並んでしまった。一人の方から「戸畑列に並んでいます。声かけたのに。」とのLINEが。

しばらくして、受付が始まった。受付した後、まだスタートしていなかった顔なじみの皆さんとも久しぶりにお会いして、ご挨拶。

戸畑駅の裏側に出て歩く。戸畑近代化産業遺産の「いくよ旅館」の横を通るいつものコースを歩く。今日は建物よりも看板に「国鉄推薦旅館」と書いてあるのが目に入った。


(戸畑駅の裏口)


(いくよ旅館の看板)

調べてみた。国鉄推薦旅館連盟というのが設立されたのが、1950(昭和25)年。1957(昭和32)年に、国鉄推薦旅館連盟は日本観光旅館連盟に改組されている。この看板はこの7年間の間に作られているのだろう。
日本観光旅館連盟は2012(平成24)年に国際観光旅館連盟と統合し、日本旅館協会が設立されている。

国鉄(日本国有鉄道)が民営化され、JR各社が発足したのは1987(昭和62)年。ちょうど30年前「国鉄」は無くなった。

大きな通りに出て、「恵美須神社」の横を通る。鳥居には「蛭子神社」と書いてある。突き当たると若松渡船の乗り場。頭上には若戸大橋。


(路地から若戸大橋)


(大通りから若戸大橋)


(恵美須神社)


(神社横の公園)


(若戸大橋)

左折して、ニッスイ戸畑ビル内の「ニッスイパイオニア館」へ。ニッスイ戸畑ビルは1936年(昭和11年)に建造された建物で戸畑近代化産業遺産に指定されている。

ここで今日のコースの受付時間が9時30分になっているのに納得。「ニッスイパイオニア館」の開館時間に合わせてあったのだ。入館記念のプレゼントをいただく。


(ニッスイパイオニア館でプレゼント)


(ニッスイパイオニア館から若戸大橋)

館内には、ニッスイの歴史や活躍した船の模型が展示してあるが、以前参加した時に見てまわったので、今回はパスした。

建物は若戸大橋や若松渡船に乗ってから眺めたが全体がよく見れる。

ニッスイ戸畑ビルの住所は北九州市戸畑区銀座。日水の船がここから出ていたころは、賑やかな街だっただろう。

館を出てからは、もくもくと歩く。沖合通り、天籟寺通りと歩いて横道に入り、着いたところはくろがね線宮田山トンネル戸畑口。


(皿倉山)


(?)


(道沿いで)


(宮田山トンネル)

くろがね線は1930年(昭和5年)に開業した八幡製鐵所(現・新日鐵住金)の八幡と戸畑を結ぶ専用鉄道で、炭滓線(たんさいせん)と命名されていたが、1972(昭和47)年に社員公募し「くろがね線」という通称となった。ヨーロッパの古い城を感じさせるデザインのトンネルも戸畑近代化産業遺産に指定されている。

しばし見惚れた後、「とばた菖蒲まつり」会場の夜宮(よみや)公園へと急ぐ。

公園の一角にある国指定重要文化財で戸畑近代化産業遺産に指定されている「旧松本邸」は1912(明治45)年に建てられて、現在は結婚式場として使われている。設計は辰野金吾。この日は結婚式があるのか見学は禁止だった。


(旧松本邸)

夜宮公園内に入り、日本庭園へ。菖蒲は満開に近い。横の広場のテントの中には、愛好家に育てられた鉢植えの菖蒲が展示してある。カメラマンも多い。


(夜宮公園日本庭園の池)


(夜宮公園日本庭園の池)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)


(愛好家が育てた展示)

後にして、少し高くなっている多目的広場へ。出店も並んでいるが、まだ食事には時間が早い。舞台では祭りの催しが始まりそうだが先へ急ごう。


(戸畑菖蒲まつり会場)

夜宮池へと階段を下りていく。カスケードには水が流れていない。


(カスケード)


(公園内で)


(公園内で)

カスケードをさらに下りて、夜宮池の橋のたもとに。池の菖蒲には名前が書いてある。左回りで行くと、最初に目に入るのは「イの壱号」。今日のスタート受付でイの壱番に来た人は何時ごろから並んだんだろうかとついつい思ってしまう。


(夜宮池)


(イの壱号)

池の周りを一周しながら写真を撮って廻る。


(七福神)


(千早城)


(夜宮池)


(金鶏)


(泰山白)


(夏姿)


(天の羽衣)


(夜宮池)

さて、帰路。戸畑駅へ向かう。

戸畑区役所のところにある三角形の浅生一号公園とその周辺は戸畑祇園大山笠の主会場になる。


(戸畑区役所)

公園に隣接しては戸畑図書館もある。建物は1933(昭和8)年に戸畑市役所庁舎として建設された。1963(昭和38)年の5市合併で北九州市が発足した後は、北九州市庁舎として9年間利用され、その後、戸畑区役所庁舎として利用された。2007(平成19)年に戸畑区役所新庁舎が完成し、その後活用策が検討され、2014(平成26)年に『北九州市立戸畑図書館』としてオープン、建物は戸畑近代化産業遺産に指定されている。


(戸畑図書館)


(戸畑図書館)


(若山牧水歌碑)

大通りを隔てた飛幡八幡宮に寄る。

鳥居の下から戸畑駅方面へまっすぐ伸びたあやめ通りを撮っていると、地元の方から声をかけられた。戸畑祇園大山笠のときは、この通りにずーっと屋台が並び大勢の人出で賑やかな様子を話してくださった。屋台は鳥居の階段の所にも並ぶそうである。ユネスコの無形文化遺産にも登録されたので、人出はもっと多くなるだろうと今から楽しみにされているのが伝わってくる。


(戸畑祇園大山笠のポスター)


(飛幡八幡宮)


(飛幡八幡宮)


(あやめ通り)

しばらく、お話を聞いて、お礼を述べ、あやめ通りを歩いて戸畑駅へ。


(あやめ通りで)


(戸畑駅)

ゴール後は、トランドールでパンを買って、北九州市立の福祉会館・市民会館「ウェルとばた」内のロビーで昼食。

午後から、八幡東区で会議があるので、JRで八幡駅へ移動する。戸畑駅の改札を通る前にゴールされた、Hさんにお会いしたが、挨拶もそこそこにホームへと急いでしまって、失礼をしてしまった。

今日は午後から会議が予定されていたので、ウォーキングには参加しない予定だったが、朝早く起きてしまったので、急遽戸畑駅へ向った。その会議も無事に終わり、博多駅へ。新幹線でようやくビール。今日のウォーキングを終える。
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「弥生時代」に会う【JR九州春日駅・博多駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-8・9】

2017-05-30 | JR九州ウォーキング
2017年5月21日(日)

今日はJR九州のダブルウォーキング。


(今日のマップ「春日駅」)

先ずは、春日駅へ。


(春日駅)

春日駅には、時たま来ることがある。駅前にある福岡県総合福祉センター「クローバープラザ」には福岡県の福祉関係団体も入居していて、そこで団体の世話をしている知人を訪たりする。


(クローバープラザ)

9時過ぎにスタート。鹿児島本線沿いを歩いて、春日市役所を通り過ぎ、春日公園に入る。


(鹿児島本線沿いを歩く)


(春日市役所)

昭和47年頃までは列車から米軍基地を眺めていたが、公園に変貌した。のんびりと散歩する人、ゆっくりと運動をしている人々、広々とした公園内で新緑の息吹を感じながら思い思いに過ごしている。中を慌ただしく歩くのはウォーキングの参加者たち。


(春日公園)


(春日公園)


(春日公園)

公園内で久しぶりにSさんとお孫さんたちに会い挨拶。孫たちは遊具で遊ぶのに忙しい。


(春日公園)

公園を出たところで、Kさんに会い、それから最後までおつき合いしていただいた。


(道沿いで)


(人形の久月)


(今日は自衛隊の記念日)


(道沿いで)

先着200名様にプレゼントがある「お茶々万十本舗富貴」に寄るが、すでに終了。「奴国の丘歴史資料館」に向かう。

「奴国の丘歴史資料館」は国指定史跡で弥生時代中期から後期の大規模な遺跡群「須玖岡本遺跡」を一部とする「春日市奴国の丘歴史公園」の一角に建っている。

数年前にこのコースに参加した時には「奴国の丘歴史資料館」はコースに入っていなかったが、寄り道して見学した。それ以前にはコースに入っていた時期もあったようだが。今回またコースに組み込まれていた。


(春日市奴国の丘歴史公園入口)


(春日市奴国の丘歴史公園で)


(奴国の丘歴史資料館)

西暦57年、後漢の光武帝が「奴国」からの使者へ金印を賜った。その金印は江戸時代天明年間に志賀島で発見された。

弥生時代後期の280年~290年代終わりころに書かれた中国の歴史書「魏志倭人伝」には、「邪馬台国」へ至る行程に、伊都国(現在の福岡県糸島市あたり)から東南に100里進むと「奴国」に至る。2万余戸があることなどが書かれている。

王墓や青銅器などの生産工房が密集している「須玖岡本遺跡」とその周辺は「奴国」の中心地であったと推定されている。

資料館には青銅器生産工房のジオラマが展示してあり、弥生時代のテクノポリスと呼ぶにふさわしい地であると紹介されている。

明治32年、200mほど離れた地点から、およそ2100年前に中国で作られた鏡30面前後、銅剣、銅矛、ガラス璧、ガラス勾玉など多数の副葬品を伴った甕棺墓が発見されている。その甕棺墓の上石が幾度かの移転を経て公園内に展示してある。


(王墓の上石)

公園内の高台では2つのドーム(覆屋)が目立つ。甕棺墓などが発掘調査時の状態で展示してある。


(2つの覆屋)


(その一つの中)


(覆屋の一つ)


(その中)

一昨年だったか、プライベートで資料館を見学し、公園内も池や森があってゆっくり一周し、楽しんだ。平日だったと思うけど、資料館ではボランティアの方につきっきりで案内していただいた。

今日は、慌ただしく発つことにする。


(奴国の池)


(奴国の丘上空)

陸上自衛隊福岡駐屯地では記念の行事が行われていた。ここも慌ただしく見学。南福岡駅に向かう。


(陸上自衛隊福岡駐屯地パレード)

踏切でしばらく待たされて、南福岡駅にゴールする。


(南福岡駅相生踏切)

急いで、ホームに入り、南福岡駅から3つ目の博多駅へ移動。

ダブル2つ目、博多駅からのウォーキング。


(今日のマップ「博多駅」)

11時までの受付時間に間に合い、11時前にスタート。キャナルシティ博多の横を通り、「住吉神社」へ。


(博多駅)


(キャナルシティ博多)


(ビルの窓から覗いていた)

筑前國一の宮「住吉神社」にお詣りし、住吉通りを渡辺通り1丁目交差点で、左折。日赤通り歩く。暑い。お昼頃で太陽は真上。大きな通りの日陰のない歩道をひたすら歩く。


(住吉神社)


(住吉神社)


(住吉神社)


(住吉通りで)

那の川四つ角で左折。道が少し狭くなるだけでホッとする。と、那珂川。百年橋を渡って左折。すぐに階段があって河原に降りられるようになっている。


(那珂川百年橋)


(橋を渡って左折)


(階段を下りる。案内がなかった。)

何人かのウォーカーが降りて行った。涼むのかなと思っていたら、そうでなく、階段を降りて川沿いを歩くのがコースみたいだが、矢印も旗も無く、コース案内の人もいない。幾人かは通り過ぎて行った。

同行人がいなかったら、私も降りる事無く通り過ぎたと思う。Kさんが地図を見て、どうやらこちらの方だと教えてもらった。通り過ぎた人達も返ってきた。

川の水が綺麗で透き通っている。小さな魚も泳いでいる。川沿いを歩いていくと、大きな鯉がたくさん泳いでいる。これだけ大きな鯉が、こんなにいっぱい泳いでいる川は初めてだ。


(水が澄んだ那珂川)


(川沿いを歩く)


(川沿いで)


(大きな鯉がいっぱい泳いでいた)


(堰で下流も澄んだ川に)

も少し気温が低かったら気持ちのいいコースなのに、残念、残念。風も無い。

川沿いの公園「那珂川リバーフロントプレイス」の木陰で一休み。


(那珂川リバーフロントプレイスで)

また、暑い中を歩き出す。


(川沿いで)


(写真右側を歩いてきた)

遠くに綾杉(あやすぎ)酒造場の看板が見えた。「綾杉だぁ。」とついつい声を出す。


(綾杉酒造場)


(綾杉酒造場)


(綾杉酒造場)

綾杉酒造場は、1793(寛政5)年福岡市天神にて創業した蔵元。店主の祖先が香椎の出身者であったことから香椎宮の御神木「綾杉」からその名がつけられている。

香椎宮は弥生時代後期の西暦200年頃、香椎の地で亡くなった仲哀天皇を神功皇后が祭られたのが起源とされている。

綾杉は那珂川沿いにあるが、下っていくと中洲、天神の方へ流れている。上っていくと午前中に訪れた須玖岡本遺跡は川沿いから1、2キロ。さらに上っていくと佐賀県の吉野ケ里の方へ行く。奴国と呼ばれていた弥生の時代から重要な交通路だったのではなかろうか。

綾杉の純米酒はアルコール度17%でコクがあって、美味しかった。娘から酒蔵に行ったとき、お酒を買ってきてと頼まれていたので、本醸造、上撰と飲み比べ、上撰を買った。

綾杉酒造場には那珂川の橋を渡ってきた。店を出て、橋を渡って竹下駅裏側に出る。次の寄りどころは「山口油屋福太郎」。何のお店かと思っていたら、明太子とめんべえの福太郎だった。食用油が原点のようだ。福太郎の看板は新幹線からがよく見える。


(福太郎)


(福太郎)

福太郎を出て、竹下駅前で開催されている「竹下まつり2017」へ。ゴールは竹下駅構内ではなく、まつり会場の一角にあった。13時頃に到着。

竹下駅前には舞台が作られ催しがあっている。


(竹下駅近くの踏切で)


(竹下駅)


(駅前のまつり会場)

駅前の焼鳥屋さんが竹下まつりに合わせて開店していた。焼鳥とビールで弥生時代後期をたっぷり楽しんだダブルウォーキングを終えることにした。


(焼き鳥屋)


(竹下駅で。JR九州の初代特急)
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「新日本三大夜景の昼景」に会う【JR九州スペースワールド駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-7】

2017-05-22 | JR九州ウォーキング
2017年5月14日(日)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキングスペースワールド駅コースに参加。と云っても、今日の主催は八幡東区などの実行委員会主催「第12回皿倉山健康ウオーク」。JRはタイアップ。

スタートもJRの駅ではなく、駅から数分の公園。8時30分から出発式があって、それからのスタートなので、前日は西小倉駅近くのホテルに宿泊して参加する。

出発式の挨拶では、この公園は八幡製鉄の敷地であったことなどの紹介もあった。


(スタート地点。東田第一高炉も見える)

公園周辺にはスペースワールドの他にも北九州市立いのちのたび博物館、ショッピングセンターなども整備されている。

直ぐ近くには、明治34(1901)年に火入れが行われた東田第一高炉公園もある。保存されている東田第一高炉は昭和37年に改修された高炉で北九州市の史跡に指定されている。

小倉から博多に通勤していたころは、鹿児島本線で小倉から博多方面へ向かうと、東田高炉は右手に見えていた。今は、左手に見える。八幡製鉄所敷地の外周に沿って鹿児島本線の線路はあったが、今は、八幡製鉄所の敷地内の製鉄所専用だった線路を鹿児島本線が走っている。

挨拶や注意などが終わって、8時45分頃にスタート。八幡東区の催しなのでこれまでは八幡東区内を歩くコースが設定されていたが、今年は旧八幡市制100周年記念事業も兼ねているので八幡西区の河内温泉折り返しの約26.5km「河内・長崎街道健脚コース」も設定されている。

先に、健脚コースがスタートし、私が参加した約12kmの「下りケーブルカーコース」が続いた。


(スタート会場からスペースワールド)


(スタート会場から皿倉山。手前の建物はいのちのたび博物館)


(スタートしてすぐ。東田第一高炉には「1901」が掲げてある。)   

八幡は洞海湾沿いの平らな地が八幡製鉄所の構内で、住宅は山沿いに拡がっている。公園を出てしばらくすると、もう上り道になる。前泊して、小倉のお酒「無法松」を少し飲み過ぎて、頭が重い身体ではきつい。


(山麓駅手前からの眺望)

皿倉山ケーブルカー山麓駅までフゥフゥしながらたどり着く。ここからが登山道。表登山道を上る。一合目の標識が。二合目、三合目、きついきついと思いながら上る。

昭和12年、完成した「皿倉山登山道」の景勝地として、当時の小学生によって15の地点が選ばれ、それぞれに石標が設置され、平成5年に名札が整備されている。説明を読みながら一休み一休みしながら登れるようになっている。

ときどき洞海湾と北九州の町並みも見える。ホットする。


(山麓駅のすぐ上)


(表登山道を上る)


(一合目の標識)


(何かな?)


(帆柱15景の一つ「力水」)


(下界を見下ろす)

四合目、まだまだ先は長い。


(四合目の標識)


(15景の石標)


(15景の説明板)

五合目、半分だ。その後、皿倉平だと思うけどジュースをいただいた。写真撮ってなかった。


(五合目の標識)


(下界を見下ろす)


(五合目の標識・説明板)


(六合目の標識)


(八合目。もう少し)

皿倉山ビジターセンターでは、もう少し頑張って、とスープのお振る舞いがある。さあ、もうひと踏ん張りと上りだす。


(皿倉山ビジターセンターからの眺め)


(スープのお振る舞い)


(ビジターセンターで)


(ビジターセンターから少し上ったら頂上が見え始めた)

ようやく、頂上標高622メートル。眺望抜群。北九州市は「100億ドルの夜景」と銘している。夜景愛好家らのインターネットコミュニティにおいて「新日本三大夜景」の一つに選定されている。


(もうすぐ頂上)


(頂上へ)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)


(頂上からの眺望)

山頂でゆっくりとしたいけど、急ぎ下りることにする。

ケーブルカー山上駅まで下り、しばらく待って、下りケーブルカーに。何度か乗ったことがあるけど、一番前は初めて座る。意外と怖くなかった。山麓駅まで眺めを楽しみながら一気に下った。


(山上ケーブルカー駅)


(山上ケーブルカー駅から)


(山上ケーブルカー駅から)


(正規の参加者は無料)


(ケーブルカー出発)


(ケーブルカーからの眺め)


(上りケーブルカーと行き交う)


(皿倉山ケーブルカー山麓駅)

山麓駅からは下り道をスタート地点の公園まで急いで歩く。12時ごろゴール。ゴールではバザーも開かれていて、知的障害者が働く「太陽パン」が出店していて、お手伝いにはならないが、おつき合いをさせてもらうことにする。


(「太陽パン」の出店)

スタート地点では一緒だったAさんは、私より先に上って下りられ、伝言を残されていた。

スタートの時にはお会いしていなかったMさんは27.5kmに参加されて、パンが売り切れない内にと急いで歩いてきました、と寄っていただいた。その時、パンは実際残り少なくなっていた。

話を聞いた販売に携わっていたみんな感激していました。
ありがとうございました。

そうこうしているうちにパンは全部売り切れてしまった。

後は、おからクッキーのみ。しばらくして売り切れ。嬉しそうな顔をしている。

みんなは関係者や周囲に挨拶して廻って閉店。

私の今日のウォーキングも終える。

第12回皿倉山健康ウオークは、8時30分出発式の2つのコースの他に、9時30分出発式で約14kmの「河内温泉「あじさいの湯」コース」、約12kmの「上りケーブルカーコース」。10時30分出発式で約7.5kmの「八幡100年歴史探訪コース」、約3.5kmの「ファミリーコース」があった。
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「"海ポチャ"した」に会う【JR九州西小倉駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-6】

2017-05-17 | JR九州ウォーキング
2017年5月13日(土)

JR九州ウォーキング西小倉駅コースに参加。


(今日のマップ)

今日はゆっくり10時50分頃スタート。


(西小倉駅)

室町を歩いて、常盤橋を渡る。江戸時代は長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還の5つ街道の始点でも終点でもあった。


(常盤橋)

平成7年に現在の橋に代わっている。昔、常盤橋の袂の所には、ふぐを安く食べさせてくれるお店があったような記憶がある。


(橋を渡った所)


(リバーウォーク北九州)

渡ってJRの線路をくぐり海岸沿いへ出て右折。このあたりは初めて歩く。湾の向こう側に工場が見える。


(列車が通り過ぎる)

八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵が発足した。その新日本製鐵と住友金属が一緒になって新日鐵住金という会社になっているが、工場は何と呼ばれているのだろう。昔は「住金」とだけ云っていたような気がする。


(「住金」の工場)

海岸沿いには、小倉記念病院が移転している。TOTOの近く貴船町に移転新築の時も当時としては見上げる高さだったが、それ以上に見上げる高さがある。この地区には周りにも高層建築物があるので、貴船町にポツント建っていた時の方が目立っていたのではなかろうか。


(小倉記念病院)

あさの汐風公園から西日本総合展示場本館を通り、「ミクニワールドスタジアム北九州」へ。


(あさの汐風公園)


(あさの汐風公園)


(西日本総合展示場本館)

最近、公共施設の命名権が流行っていて、何の施設かよくわからないことがある。命名権付与前は「北九州スタジアム」でサッカーやラグビーの球技場。不動産会社が命名権を獲得している。

外周デッキを一周する。

2方面が海に面して建てられている。周回すると気持ちがいい。Jリーグの「ギラヴァンツ北九州」のホームグラウンドになっている。サッカーのことはよく知らないが、これだけ眺望のいい、しかもJRの小倉駅から歩いて来れて観戦できるという素晴らしい環境のホームグラウンドを持っているチームはあるのだろうか。今、「ギラヴァンツ北九州」はJ3に所属しているようだが、環境に恵まれすぎて???

スタジアムのバックスタンドはそんなに高くない。すぐ裏は海なので、スタンドを高くし、収容人員を増やすには、海上に拡張しなくてはならない。

今年2月18日のこけら落とし、ラグビーの「サンウルブズvsジャパンラグビートップリーグオールスター」の戦いでは選手がタッチキックしたボールがスタジアムを飛び越えて海に飛び込む「海ポチャ」があって、そのボールは回収された。

バックスタンドのデッキには「魚つり禁止」の注意書きもあったようだが気がつかなかった。


(スタジアムの案内)


(デッキからの眺め)


(デッキからの眺め・「住金」工場)


(フィ-ルド)


(バックスタンド)


(デッキからの眺め・下関方面)


(デッキからの眺め・下関方面)


(デッキからの眺め・バックスタンドのすぐ下)


(デッキからの眺め・小文字山方面)


(スタジアムの中で)


(スタジアムの中で)

そのような調査があるかどうか知らないが、アウェーのサポーターが観戦して、また行きたくなるスタジアムになるのではなかろうか。

スタジアムを出て、藍島・馬島航路の桟橋に出て、再び、JRの線路をくぐって、浅香通りを歩く。この角には三菱銀行があったよなぁ、と懐かしい。


(国際会議場)


(藍島・馬島航路)


(浅香通り西顕寺)

小文字通りに出て右折だが、左手には毎日新聞のビルが。昔、屋上のビアガーデンには通った。小文字通りは映画相棒のロケがあったが、映画は観にいく機会がなかった。相棒の映画はこれまでのは全部観ているのに残念。


(毎日西部会館)


(小文字通り)


(平和通りを走るモノレール)

平和通りに出る手前の道を左に曲がって、「菅原神社」へ。


(菅原神社)


(菅原神社)

菅原神社から小倉の台所といわれる「旦過市場」へと。古い市場なので今では観光名所になっていて、今日も、西欧系の観光客がチラホラ。


(旦過市場入口)

旦過市場はメインの通りよりも、横に入ったところが懐かしい。日本語が少したどたどしいホルモン焼きのお店、居酒屋、スナック、共同のトイレ、映画館。少し怪しい雰囲気があって、吸い寄せられてウロチョロしていた。


(懐かしい旦過市場の酒屋あかかべ・昔は朝から角打ちの客で賑わっていた)


(懐かしい旦過市場の鯨肉のお店・昔は賑わっていた)

そう思いながら歩いていると、「ヤギアイス」と書いた看板が。これはもう入る。北九州の大学生が運営するお店「大學堂」。ヤギアイスを注文。出てきた商品は大分県で作られているようだ。クセが無く美味しかった。けど、せっかくのヤギアイス、も少しクセがあった方が懐かしいと思う。その事をお手伝いの学生(?)さんに云ったけど、云った意味も分らないだろうな。小さい頃は牛乳ではなく、ヤギの乳を飲んでいた世代の懐かしさは。


(ヤギアイス看板)


(ヤギアイス)

旦過市場を抜けて、魚町銀天街を歩く。昔、入っていた書店、古書店などは無い。


(魚町銀天街)


(魚町銀天街の武蔵・開店時間は早い)


(京町・地下の天ぷらやふじしま)

さっさと歩いて、アーケード街を通り抜けて、小倉駅へ。12時半ごろゴールした。


(小倉駅ビルに入って行くモノレール)


(小倉祇園太鼓の像)


(小倉駅の階段)


(小倉駅改札口前の広場)

まだ、お腹は空いてなかった。新緑の季節なので小倉城あたりへ行くか。で、今日の僅か6Kのウォーキングを終える。

「昔」というのは青春時代を過ごした昭和50年を挟んだ十数年のことであります。
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「菅原道真 天を拝ぐ頂き」に会う【JR九州二日市駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-5】

2017-05-02 | JR九州ウォーキング
2017年4月29日(土)

JR九州ウォーキング二日市駅コースに参加。


(今日のマップ)

今日のコースは武蔵寺(ぶぞうじ)の藤鑑賞がメインだが、以前参加した時は天拝山(てんぱいざん)駅スタートだった。

二日市駅を9時10分頃スタート。鹿児島本線の踏切を渡って、「筑紫野市歴史博物館」へ。春の企画展「武蔵寺と二日市温泉」が開催中。


(クリーンデー)


(子育て支援自販機は初めて見た)


(二日市駅を出た電車)


(筑紫野市歴史博物館)

二日市温泉の名は昭和25年からで、それ以前は武蔵(むさし)温泉、古代には次田温泉(すいたのゆ)などとも呼ばれていた、ことを知る。へぇへぇと思いながら観てまわる。

大正4(1915)年の武蔵温泉案内パンフレットは鉄道の時刻表もついて、鉄道と温泉はセットで宣伝されている。武蔵温泉、武蔵寺付近には遊園地もあったようだ。


(武蔵温泉パンフレット)


(武蔵温泉パンフレット)

常設展で、筑紫野市一帯の歴史を学んで歴史博物館を後にし、二日市温泉へ。「御前湯(ごぜんゆ)」は筑紫野市が運営する温泉施設。黒田藩が管理していた時から名が引き継がれている。入浴料250円が100円引きで入れるのだが、入らずに進む。


(道沿いで)


(二日市温泉)


(御前湯)

直ぐ傍に、万葉集に収められている、大友旅人が、次田(すきた)の温泉に宿りて、鶴の喧くを聞きて作る歌一首、「湯の原に 鳴く芦田鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く」の碑がある。

大友旅人は、728年頃、妻の大伴郎女を伴って、大宰府の長官・大宰帥(だざいのそち)として赴任する。60歳過ぎていた。間もなく妻を亡くし、その想いを歌った。


(大友旅人の歌碑)

温泉街を歩いていると爆竹が鳴った。天拝公園でのお祭りが始まったようだ。



(道沿いで)

歌碑があった。
「人ならぬ 草木にさへも わするなよ 忘れしとのみ いはれけるかな」
三条西季知は尊皇攘夷派公家の一人。


(三条西季知歌碑)

高取焼に寄る途中にも碑がある。「鴬や 破るる夢も 惜しからん 温泉に通ふ 下駄と雲雀の 声高し」、江戸末期黒田藩家老も勤めた立花秋水の作。


(立花秋水歌碑)

高取焼で折り返し、藤まつり会場の天拝公園へ。前を行く大勢の人たちの後について行ったが、後からマップを見ると、道が違っていたようだ。


(高取焼入口)


(高取焼入口)


(高取焼)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

天拝公園で少しのんびりして、武蔵寺の方へ向かおうとしたとき、天拝山に上って降りられてこられたKさんご夫妻と会った。「400段の階段を上ってきました。」と聞き、最近疲れ気味ではあるが、やっぱし上ろう。


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝公園)


(天拝山案内板さあ上ろう)

途中に、石楠花谷があって、写真を撮って、上り進む。


(道沿いで)


(道沿いで)


(石楠花谷)


(石楠花谷)


(石楠花谷)


(石楠花谷)

ウォーキングのコースではないのだけど、上ってといる参加者も多い、下ってくるお知り合いの方々ともお会いする。みんな上るんだなあ、と思いつつ上る。


(山上り道)


(山上り道)


(山上り道)


(山上り道)


(途中にある荒穂神社)


(荒穂神社からの眺め)

お祭りや武蔵寺の藤鑑賞に来た人たちも上っている。小さい子も上っている、もう下ってきている子もいる。3、4歳位と思える子どもたちだ。上るにつれ身体もしんどくなってくるが、すまして上ったり、下りたりしている子らに会うと癒され、口元もほころぶ。子らに「頑張るなぁ」など声をかけたりしながら上る。

8合目あたりから階段を上る。へばっている大人たちも増えてくる。


(階段を上りはじめる)

「さあ今から大変」と書いたある100段目の案内板がある。きつそうに上っている人に「まだ四分の一ですよ。」と声をかける。「え、まだ・・・。」

不思議なもので、他の人に声をかけるとこちらが元気になる。


(100段目)

階段200段目「まだ・まだ」


(200段目)

階段300段目「あと一息」


(300段目)

436段を上がって頂上へ。

頂上に、菅原道真が都の方を向かって祈祷したという「おつま立ちの岩」がある。


(おつま立ちの岩)

菅原道真は右大臣にまで昇進したが、当時の醍醐天皇と対立し、901(昌泰4)年、大宰府の長官よりも下の位になる大宰員外帥に左遷される。

失意の道真は、天拝山の頂にある岩に上がり都に向かって、無実の罪が晴れ都に戻れる日が来ること、国家安寧を祈った。

「山上に登った前右大臣菅原道真は七日間天の祈願して、天より大自在天満天神の神格を与えられ、自在神力を得たという、またそのおり菅公は天を謝して九拝しその跡を印した」と階段の上り口にあった案内板にある。

古くは天判(てんぱん)山と呼ばれて標高は258m。それほど高くないので眼下に市街地が広がる。あそこが、そこが、指差して話をしている人たちも多い。地元の人たちには人気のある山だろう。


(天拝山社)


(頂上)


(眺望)


(眺望)


(眺望)

菅原道真が上った時には、大宰府政庁もはっきりと見えたであろう。

山を下る。同じ道を下って、石楠花谷を過ぎたところにあった、地元の歌人松尾光淑の一首。
「此山に のぼりし君が 古へを 思へばかなし 見れば尊し」


(松尾光淑の歌碑)


(道沿いで)

天拝公園のところに戻って、「御自作天満宮」へ。菅原道真が武蔵寺に参籠した時に、自分の等身大の木像座像を刻んで納めたと伝えられ、それが御神体となっていることから、その名前がついている。

新緑の下で琴の演奏は、心を洗われる。


(御自作天満宮境内で)


(御自作天満宮で)

長居も出来ないので、すぐ隣の「武蔵寺」へ。「長者の藤」の前では太鼓の勇壮な響きが。静から一転して動の世界へ引きずり込まれる。


(長者の藤前で)

太鼓の演奏が終わっても人が多く、藤の写真も撮りづらい。玉出泉の樽酒と藤も撮りたかったけど結局撮れなかった。


(長者の藤)


(長者の藤)


(長者の藤)

武蔵寺の創建は飛鳥時代とも奈良時代ともいわれているが、はっきりしたことは判っていない。創建者と伝えられている藤原虎麿という長者が「堂塔の盛衰は、この藤の栄枯にあらん」と誓って植えたことから長者の藤といわれるようになった、といわれている。現在の樹は樹齢700年以上とされている。


(武蔵寺)


(武蔵寺)


(武蔵寺)

お腹も空いた。祭り会場でかしわ餅を買って食べる。

武蔵寺を後にする。


(道沿いで)

しばらく歩くと、またも、歌碑。
「ゆうまくれ しろきはゆきか それならて つきのすみかの かきのうのはな」
壬生基修は、幕末の尊皇攘夷派五卿の一人。


(壬生基修歌碑)

幕末、薩摩や長州とつながりを持った尊王攘夷派の公家は第一次長州征伐の後に太宰府に移された、三条実美、三条西季知、四条隆謌、東久世通禧、壬生基修の5人が五卿とよばれている。彼らの歌碑がいたるところにある。

菅原道真は京都から左遷で大宰府に赴任したが、左遷すなわち大宰府行き、というの江戸時代の終わりまで続いていたのは興味深い。

しばらく歩いて二日市駅近くの「二日市八幡宮」へ。いつもは列車から眺めるだけで、初めて来た。新緑がまぶしい。


(二日市八幡宮)


(二日市八幡宮)


(二日市八幡宮)

ここで、鹿児島から参加されている女性の方とお会いする。網田のコースでもお会いした。JR九州ウォーキングに参加していると、特定の方と続けざまにお会いする機会がよくある。いつも会っていたけど最近は殆ど会わないなぁと思いだす方もいる。

網田のコースを終えてから、熊本城へ行かれたようだ。

このブログもよく読まれていて、網田コースの写真を褒めていただいたが、面映ゆい。それに、褒められる経験は余りないので何とこたえていいか言葉が出ない。照れるしかない。

ありがとうございました。この場で失礼します。

二日市駅をスタートするコースは初参加なので、この後の「ゑびす醤油」にも初めて行く。商品の醤油、出し汁、味噌などを使った料理の試食をさせていただく。並んでいただくがなかなか進まない。女性数人連れの後はあまりいいポジションではないと思いながら辛抱強く待つ。

いろいろ試食した後、吟上醤油を使ったかしわ飯のおにぎりを買った。その横に、しょう油餡をかけて食べるみたらしソフトクリームが。迷わず、これも。ソフトクリームはもちもちして、かけたしょう油餡との相性も良く、店員さんに「美味しかったぁ。」とお礼。


(ゑびす醤油)


(ゑびす醤油で試食)


(みたらしソフトクリーム)

大賀酒造では、ちょっぴり試飲しただけ。飲みすぎに注意しよう。


(大賀酒造)

二日市駅にゴールし、直ぐに来た下り列車で久留米駅へ。


(二日市駅ホームから天拝山?)

新幹線に乗り換え、かしわめしのお握りを食べて今日のウォーキングを終える。
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「立花壱岐旧居跡」に会う【JR九州羽犬塚駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-4】

2017-04-23 | JR九州ウォーキング
2017年4月22日(土)

JR九州ウォーキング羽犬塚駅コースに参加。


(今日のマップ)

JR九州の「ハロー自由時間パス」(北部九州エリア版、8,500円)を20日から使っていたので、筑後船小屋駅まで新幹線で行き、鹿児島本線に乗り換えて、次の羽犬塚駅へ。


(羽犬塚駅)

マップを貰って9時ごろにスタート。駅の裏側に出て歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)

しばらく歩いたら麦焼酎の「西吉田酒造」が。早くもエネルギー補給。麦焼酎はクセが少なく、飲みやすい。でも、焼酎なので生で飲むと喉にはキツイので少量をなめなめする感じで飲む。


(西吉田酒造)

水田公園のフジは丁度見頃で、先へ期待も膨らむ。


(道沿いで)


(道沿いで)


(水田公園の藤)

水田天満宮へ入るところに「筑後市郷土資料館」があったので入って、見学。旧石器時代からの発掘資料が展示してある。
資料館には水田公園からも直接来れる。水田公園は藤やつつじが咲いているので、公園の花を見ながら資料館に進むのもいい。


(筑後市郷土資料館)

資料館直ぐ横の水田天満宮へ。ここ水田は、太宰府天満宮の荘園があったところで、その縁で天満宮が建てられている。


(水田天満宮)


(水田天満宮)

今では、末社である恋木神社(こいのきじんしゃ)の方が恋の神様として有名になり、全国から女性のお詣りが絶えないとか。祭神は「 恋命 」を祀り、全国でも「恋木神社」はここ一社のみらしい。

恋木神社の木は東を意味し、大宰府に赴任した菅原道真が東に位置する都の天皇を慕う気持ちを祀ったことに由来するようであるが。


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(恋木神社)


(末社の靖国神社前)


(水田天満宮)


(水田天満宮)


(水田天満宮)


(水田天満宮の鳥居)


(水田天満宮の鳥居)

天満宮を後にして、「麦畑」の中を写真撮ったては歩く、写真撮っては歩く。繰り返し、繰り返し歩く。

風邪も強くて、小さい花はユラユラと揺れて焦点が定まらない。


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(風が強い)


(麦畑を歩く)


(麦畑を歩く)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

写真を撮りながら1時間ほど歩いて、中山大藤まつり会場へ。以前来た時は無かったフジのトンネルをくぐって、樹齢約300年になる福岡県指定天然記念物「中山大藤」のもとへ。フジ棚の広さ約1,200平方メートルの巨大なフジの姿と、香りを楽しむ。満開になれば、もっともっとフジの香りが一面に広がって、楽しませてくれるのだろう。けど、JRのウォーキングと大藤の満開が一致するのは難しそうだ。


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤まつり会場)


(中山大藤が植えられている熊野神社)


(中山大藤の棚の下に鎮座している)


(藤棚の上)


(今日のお昼は豆ごはん、芋の天ぷら、有明海の子えつの唐揚)

熊野宮藤の由来を書かれた碑があった。
「享保の頃通称萬さんと云う人酒造りを業とし豊かな生活を営み立田の紅葉野田の藤と上方見物の道すがら野田の実ひとつを持ち帰り自宅に植へしに数十年后には毎年四尺余りの花を有し満花盛時の折には(ふくべ*)に酒を盛り観賞に遠路より杖を引く者多く中には酒に酔い刀を抜き乱暴する武士迄現われたので西方の萬さんの屋敷跡にありたるを熊野宮の社前に移植せり因みに享保元年は西暦千七百十六年今を去ること弐百五十年の昔にして古老の云い伝えを基としてここに藤の由来を記す 昭和四十弐年四月吉日 中山商工会」
こんな文章書けないですね。いいなぁとうっとり。
*ふくべ・・・酉偏に瓜の字が書いてある。瓢箪のことですかね。

因みに、ここは福岡県柳川市。「藤」は市の花に制定されている。

今日の寄りどころ2つは終わった。後はゴールを目指すのみ、と思いながら歩いていると。川沿いに碑のようなものが見える。


(道沿いで)

河川改修の碑かなと近づいて見たら、何と、「柳川藩家老 立花壱岐旧居跡」と碑銘が刻まれている。えぇ、とびっくり。

立花壱岐は、横井小楠の実学を学び、柳川藩で家老に抜擢され、福井藩の橋本左内らと幕府に開国を建白したり、政局の中心で活躍した。維新後は、岩倉具視に廃藩置県などを建議したり、柳川藩の財政、産業振興などの改革も推進し、幕末から維新後を駆け抜けた一人である。
歩いていると思いもかけないものに出会うことがある。


(立花壱岐旧居跡碑)


(立花壱岐旧居跡碑)

ゴール筑後船小屋駅が近くなると、ホークスのファーム本拠地「HAWKSベースボールパーク筑後」のメインスタジアム「タマホーム スタジアム筑後」が見えてくる。
タイガースの旗もなびいているので、ホークス-タイガース戦があるようだ。近くまで来ると、ホークスやタイガースのユニフォームを着た人達が球場へと向かっている。


(タマホーム スタジアム筑後)

鹿児島本線の踏切を渡り、「九州文芸館」へ。正式な名所は『筑後広域公園芸術文化交流施設』。建物の設計協力者は隈研吾さん。「近代工芸の先駆者 豊田勝秋・その門人展」の無料入場券をスタート受付でいただいてたので見学。しばし、芸術に触れる。


(九州文芸館)

庭には、八女市の岩戸山古墳から発想を得た地中に埋まっていている巨大な石馬。


(巨大石馬とゴールの新幹線筑後船小屋駅)

新幹線筑後船小屋駅の架橋下でゴール受付して新幹線ポイントも含めてスタンプを押してもらう。

野球の試合も見たいなぁ。けど、ここのところハードスケジュールで疲れてしまっていて、観戦する元気がない。


(新幹線上りホームからも球場が見える)

「八女抹茶もなか」を食べて、今日のウォーキングを終えよう。

恋木神社の御利益はあるだろうか・・・。
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「蒼土窯」に会う【JR九州網田駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-3】

2017-04-16 | JR九州ウォーキング
2017年4月15日(土)

6年振りに、JR九州ウォーキング網田駅(おうだえき)コースに参加。


(今日のマップ)

午前8時熊本駅で三角行き列車に乗ったとたん、強い雨が降り出す。出発した頃には止んだが、宇土駅を過ぎ、三角線(愛称「あまくさみすみ線」)に入ったらまた雨。網田駅に着いた頃には晴れ間がのぞきだし一安心。

2両編成の列車は熊本駅から満員。三角駅では受付で長蛇の列がなかなか進まない。ようやく終えて、線路沿いを先程の雨でできた水溜りを避けながら歩く。


(網田駅)


(熊本駅発列車から大勢の人が降りた)


(線路沿いを歩く)

線路と別れてしばらく歩いて、網田神社へ。境内で、鹿児島から参加されている女性の方に久方ぶりにお会いし、いろいろとお話をしていただいた。いつもブログを見ていただいてありがとうございます。


(網田神社)


(道沿いで)


(道沿いで)

「網田焼の里資料館」へ。網田焼は、細川藩が幕府への献上用、各大名への贈答用として、寛政5(1793)年に、肥前の陶工、山道喜右衛門を招いて創業された。文政5(1822)年に、御用焼き物の発注が停止される。その後、雑器を中心に続けられ昭和7年に最後の窯出しが行われている。細川藩の御用窯のころは白磁が中心だったようだ。

資料館にある、網田焼の陶工の監督を務めていた中園家の居宅は熊本地震で被害を受け、立ち入り禁止となっている。


(網田焼の里資料館の中園家の居宅)

先へと歩き、「網田焼窯元跡」へ向かう。


(道沿いで)

この窯跡は「長尾新家窯」のもので、窯は山の斜面を利用した「のぼり窯」。熱気を窯全体に平均して回すように設計されていた。


(網田焼窯元跡)

コースは徐々に上り、歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

蒼土窯(そうどがま)工房から、蒼土窯の展示販売所へ。6年前に来た時に気になっていた蒼土窯。今年ようやく買い物をする。毎年、網田駅コースに参加しょうと思いながら機会を失っていたが、今年で良かった。昨年の熊本地震で水屋が倒れ、多くの焼物が壊れたので、一昨年までに参加して買い物をしていたら、蒼土窯も壊れていただろうと思う。


(蒼土窯工房)


(蒼土窯工房で)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯販売所へ)


(蒼土窯作品)


(3個並んでいたが1個は買った)


(いただいた説明書)

ここからは、下り。


(蒼土窯からの眺望)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)


(道沿いで)

工房せいや窯へ。ここは花に囲まれている。


(工房せいや窯)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)


(工房せいや窯で)

下って、線路を渡る。今度は網田中学校への上り。このコースは上り下りがあって結構ハードなコースになっている。


(道沿いで)


(道沿いで)


(線路を渡った)


(網田中学校への上り)

網田中学校を過ぎても、まだまだ上り。かなり上ってぐるりと廻って、「干潟景勝の地」へ。


(上りの道沿いで)


(上りの道沿いで)

今日は残念ながら潮が満ちている。干潟は見えない。六年前来た時は潮は引いていたと思う。雲仙、島原半島もうっすらとしか見えない。


(干潟景勝の地からの有明海の眺望、遠くは雲仙、島原半島)

地元の皆さんから貝汁のおもてなしを受ける。おにぎりとおかずに卵焼きを買って昼食。グルメもいいが、歩いてきて、高い所から景色を眺めながらの昼食はまた格別。ウォーキングでもっとも楽しい瞬間かも。


(昼食)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地からの有明海の眺望)


(干潟景勝の地の案内板)

景色と食事を堪能して下る。網田海岸公園へ。以前来た時は潮干狩りをする人たちもいた。


(下りの道沿いで)


(道沿いで)


(海岸へと出た)


(戸口大橋から)


(戸口大橋から三角線を走る列車)


(網田海岸公園。左、山の上が先ほどまでいた干潟景勝の地)


(入漁の案内板)

景行天皇が九州遠征の際、美しい海岸線が天皇の目に留まり、しばし御輿を駐め見入られたという伝説からその名がついたとされる御輿来海岸(おこしきかいがん)沿いを歩いて、宇土マリーナへ。


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸)


(御輿来海岸沿いで)


(御輿来海岸沿いで)

宇土マリーナでは先着300名限定の地元野菜のプレゼントをいただく。


(宇土マリーナ)

宇土マリーナからはマイクロバスで網田駅まで送ってくれる。ゴール受付後にも網田特産品をいただいた。


(上、宇土マリーナで、下、ゴール後網田駅でいただいた)

そうこうしていると、駅には熊本駅行の列車が入ってきた。大勢のウォーカーが乗り込んだ。走れば間に合ったが止めた。次の列車は約1時間後。


(熊本駅行きは出発。「網田駅」の文字板は蒼土窯で創られている)

網田駅に来たらここに入らなくては、と土日祝日限定の「網田駅カフェ」へ。以前の駅事務所が改造されている。

明治時代、九州で初期の鉄道敷設は九州鉄道という民間会社が担った。明治22(1889)年、博多-久留米間の運転が始まる。その後、南へと延び、明治24(1891)年に熊本、明治29(1896)年、八代まで延びた。

当初は、八代よりも先に三角へと延ばす計画だったが、難工事のため、八代に遅れること3年、明治32(1899)年に三角までが開通した。網田駅はその時に建てられた駅舎で、九州鉄道が建設した駅舎では唯一残っているという。国登録有形文化財にも指定されている。

平成24(2012)年に、宇土市がJR九州から購入し、発券も含めて、地域のNPOが運営して、地域活性化の中核施設として活用していている。「網田駅カフェ」も活性化事業の一つ。

ホーム沿いの桜を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、「A列車で行こう」が三角駅へ向かってスーッと通り過ぎた。


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)


(網田駅カフェから)

今日のウォーキングは、網田駅カフェのコーヒーで終わろう。


(帰りの熊本駅行き列車)
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「桜、チューリップ、菜の花・・・一緒に咲く」に会う【JR九州直方駅 鉄卓のフォト・ウォーク2017-2】

2017-04-14 | JR九州ウォーキング
2017年4月9日(日)

JR九州ウォーキングに約2か月半ぶりに参加。


(今日のマップ。既にコピー)

直方駅を目指し北上。博多駅からソニックに乗換え折尾駅へ。

折尾駅の福北ゆたか線ホームには直方行の「DENCA」が待っていた。

「DENCA」はJR九州が導入した、近郊形交流用蓄電池駆動電車。「”D”UAL “EN”ERGY “CHA”RGE TRAIN」の頭文字をとっている。昨年10月から若松-折尾間に運行されて、鉄道ファンの間では話題になっていた。今では運行区間も延長され、今日、初めて乗車する。空席は少なくなっていたが、なんとか坐る。約20分の乗車だったが、スムーズに気持ち良く走る。折尾駅の建て替えとその周辺の開発も進んでいて、通勤・通学の利便の向上も図られている。


(DENCA)

10時ごろ直方駅着。改札を出ると長い列が出来ていたので並んだが、なかなか進まない。おかしいなぁと思っているとゴールの列だった。スタンプを押しているので進まなかった。慌ててスタートの列に並びなおし、貰ったマップはもうコピー。

階段を下り、駅前広場に出るといつものように「大関魁皇」の像が迎えてくれる。強さもだが、その人柄を彷彿させる素晴らしい銅像だ。


(「大関魁皇」像)

久しぶりのウォーキングで気持ちよく駅から真っ直ぐに進んで、日の出大橋に出る。橋からは、今日のメイン、チューリップフェア会場が見える。


(日の出大橋から会場)


(日の出大橋から会場)

橋を渡って少し行って右折。ひたすら歩く。「もち吉」の工場・販売店があったが入らずに進む。


(日の出大橋を渡った所)


(もち吉)

以前来た時より少し直進。いつ出来たのかわからないが三連水車が見える。興味もあったが中には入らず「もち吉」のチュリップ畑へ進む。桜も満開。チュリップも満開。芝桜も咲いている。


(もち吉の三連水車)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)


(もち吉フラワーパーク)

写真も撮って、さらに進む。東甚六橋を渡って、遠賀川河川敷にあるチュリップフェア会場の直方リバーサイドパークへ向かう。

河原ではいつものように、やぎさんがお出迎え。


(河原でお出迎え)

遠賀川河川事務所の堤防の桜も満開。ここには炭鉱労働者の像もある。遠賀川は、鉄道が発達するまでは、直方、田川、飯塚など筑豊などの炭鉱から石炭を運ぶ五平太舟で賑わった。


(堤防の桜並木)


(炭鉱労働者像)


(遠賀川河川改修碑)

桜、チューリップ、つつじ、菜の花の写真を撮って廻る。


(桜とつつじ)


(桜と菜の花)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場から桜並木)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)


(チューリップフェア会場)

6年前も桜とチューリップが同時に満開となって咲いていた。その時は、桜並木の下もチューリップ畑が作られていて、同時に咲いているところを撮れた。しかし、今年は、その時の畑は駐車場になっていて、堤防の上に桜、下にチューリップという構図の写真が撮れなかった。楽しみにしてきたのに残念だった。


(6年前は桜並木の下にチューリップが咲いていた)

お昼は、梅あんパンと直方焼スパ。ビールはお預け。

(梅あんパン)


(直方焼スパ)

川を渡って、レトロな町並みへ出るも先へ急ぐ。新町北公園では、大勢のお花見を楽しむ人たちが。「直方歳時館」へ。


(川を渡る)


(対岸から菜の花と桜並木)


(レトロな町並みが続いている)


(レトロな町並みで見かけた桜)


(新町北公園の桜)


(新町北公園から直方歳時館)

琴の音を聞きながら、抹茶とお菓子をいただきたかったけど、お庭で写真を撮り、先へ。


(直方歳時館の蔵)


(直方歳時館の庭で)


(直方歳時館の庭で)


(直方歳時館の庭で)

「直方市石炭博物館」へ。途中、かもめさんと会い。直ぐに列車が来ることを教えて貰い。パチリ。

石炭博物館も中に入らず、SLの写真などを撮る。明治に入って、鉄道が敷かれて行くにしたがい、筑豊の石炭を運ぶのは遠賀川の船からSLへと変わって行った。それは、石炭の運搬で働く人々にとって多くの悲喜劇があったろうと思われる。

明治24(1891)年、若松~直方間に石炭の汽車輸送が始まっている。鉄道は当初は民営で、石炭を運ぶのがもっとも儲かる。石炭を運ぶついでに人も運ぶ。ついでに人の乗る駅も出来る。九州の鉄道網が最も早く発達したのは筑豊だった。


(直方市石炭博物館への跨線橋下から)


(跨線橋の端から)


(直方市石炭博物館展示の炭鉱労働者像)


(直方市石炭博物館展示のSL)

多賀神社の桃の花も気になったが、寄らずにゴール直方駅へ。


(駅への道から)


(直方駅の裏口)

どこにも立ち寄らず、桜とチューリップの写真だけを撮って廻って、帰りは、福北ゆたか線の飯塚経由で博多駅へ。

博多行の電車内では、初参加と思われる美しい女性お二人にお話し相手になっていただいた。どこにも寄らずに歩いて良かった。


(博多駅行き電車)

帰りの新幹線でようやくチューリップフェア会場で買った地鶏の炭火焼とビール。今日の「美」との出会いウォーキングを終える。
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