ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

高塔山のあじさい祭りに行って来ました

2015-06-22 22:17:32 | イベント

 

6月21日 日曜日に 若松の高塔山のあじさい祭りに行って来ました

その前の週は、JR九州ウォーキングで行ったばかりでしたが、その時とは違って人・人・人

山頂は、賑わっていましたよ

 

時間がゆっくりあったのであじさいガイドさんをお願いして、ゆっくり楽しみました

育苗地の中には沢山の種類の紫陽花が咲いていましたよ~

 

デジブック 『あじさい祭りにて』

 

沢山の紫陽花があるのですね 驚きでした

 

そして、高塔山と言えば 「河童伝説」

 

沢山の河童を見つけましたので、ご紹介します

 

 

う~~~ん あんまり可愛い奴はいなかったな(笑)

            


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第87番札所から第88番札所まで(帰りの道、そして・・・・)

2015-06-18 22:18:41 | 四国八十八か所巡り

 

朝、ゆっくり寝ていても良かったのに・・・・なぜか、やっぱり早く目が覚めてしまいました 

窓の外を見ていると、一番札所に向かう道を歩くお遍路さんの姿が見えました

私達は今日は「白装束」は着ません。リュックの中にしまっています

 

朝ごはん    いただきます  野菜や山菜、焼き鮭  豪華版 

結願の後なので、皆さんゆっくり  これから、1番へ歩かれる男性1名と一緒でしたが、

他の方はまだ起きて来られません・・・・・   私たちは、お腹が空いてって訳じゃないんですけどね~ 

 

バスの出発時間までゆっくりあるので、荷物を預けて、大窪寺に行く事にします

 お世話になりました   

 

 大窪寺へ・・・・  

まだ7時半過ぎなので、昨日と違ってお寺の中はまだ参拝者も少なく静かです

 

 

 

 

厄除け坂

石碑の真ん中に彫られている、”神童 真魚”の眞魚(まお)は弘法大師の幼名です

石碑の横の手を合わせている子供の石像は「幼いころの弘法大師」なのかなぁ???

 

本堂へお参りへ

 

女体山が背後に見えます  何度見ても険しい山です

昨日お参りしなかった所も手を合わせ、頭を下げてきました

 

納経所も昨日の長蛇の列が嘘の様

まだまだ静かな境内です

 

昨日、納めた私達の金剛杖、まだありました

長い間お世話になった杖です  持ち手の所の色の変わり方で自分たちの分がどれか判りましたよ 

 

 

奥の院 胎蔵峯寺 への登り口  行程8丁と表示してあります 約900メートル

http://www.geocities.jp/shigeki_miyoshi/taizomine.html  胎蔵峯寺 HPです

唐から帰国した空海は、岩窟(現在の奥ノ院/胎蔵峯寺)で虚空蔵求聞持法を修め、小屋を建てて、自分で薬師如来を刻んだ。この仏像はその後大窪寺の本尊となっており、現在の胎蔵峯寺には阿弥陀如来が本尊として祀ってある

距離だけだと「たかが900メートル位」 でも、歩く道は女体山への険しい登山道

考えただけで・・・・・・大変だろうなぁ   

もし、昨日女体山越えのコースを取っていたらここを下って大窪寺に到着だったのですね

 

途中まで登ってみました  ここで終わり(笑)

 

大師堂もお参りの方はまだいらっしゃいません

写真を撮るにはもってこい!?!のタイミングですよ 

 

 

昨日、お参りした  宝杖堂・原爆の火・鐘楼などを見ながら歩きます

  

 

  

 

 

 仁王門にある大草履  いや~~ 何度見てもでっか~~~~い 

 

 

 

 

やっぱり、記念撮影です 

清々しい気持ちで ピ~~~~~ス  

 

 

 

国道からの遍路道は、大窪寺に到着した時はこんな風景がまずは目に入るのです

昨日は、これを目にしたときは、嬉しいのとホッとしたのと・・・思い出します

 

 

私たちの背中で、一緒にお遍路さんをした「愛用のリュック」とともに  パチリ

 

 

四国霊場八十八番結願所大窪寺前の八十八庵でお茶タイム

相棒は甘酒

ぼくちゃんはコーヒー(タルトのおまけ付)

 

   

 

 

 

 コミュニティバス到着  これで、JR志度駅まで向かいます  =33333

運賃ですが、平日と休日で違います

<平日>

1人1乗車につき200円です。
ただし、中学生以下は100円、同伴者のいる小学校就学前の子ども(同伴者1人につき2人まで)は無料

<休日(土・日・祝日および12/29~翌年1/3の運賃)>

1人1乗車につき500円です。(H24.4.1以降適用)
ただし、中学生以下は200円、同伴者のいる小学校就学前の子ども(同伴者1人につき2人まで)は無料となります

この日は日曜日。一人500円を支払いました

車内の様子・・・・お遍路さんは、私達と前に座っている男性だけでした

この方は、この後高速道路で1番札所霊山寺に行かれると言われていました

バスの運転手の方も色々な事をご存じで高速バスの事などなど、説明して下さいました

四国の中を移動したり、関西方面に移動するには、高速バス利用も便利なんだそうです

徳島⇒淡路島経由で「神戸」「大阪」へも明石海峡大橋を渡ればすぐだよなぁ

 

志度駅でバスを降りて、高松駅へ・・・・・

 

高松駅前で、「親切な青鬼くん」  そういえば「赤鬼くん」は発見出来なかったなぁ

 

香川県 讃岐の国最後の食事は  やっぱり「さぬきうどん」

「味床(あじしょう)」さん!駅から約1分、40年近く続く名店  列車の事も有るので駅近くのお店をリサーチしていました

 

まいたけの天ぷらとうどん 

 

ぶっかけ

 よくかきまぜてすする

いただきます

美味しかった    これでしばらく讃岐うどんも食べることは無いのかな?

 

 

お昼ご飯も食べ、高松⇒岡山⇒小倉  帰宅です

最後ですので、マリンライナーの<グリーン車>を奮発 

二階建ての列車  前回は、一階の普通指定席に乗ってみましたが、

「結願の後は、グリーン車に乗ってみようね」と二人で話していたのです

 高松駅にて・・・・・

マリンライナー乗車

マリンライナーの2階建て車両(5000系5100形)は、鉄道友の会選定の「2004年ブルーリボン賞」に輝いたほか、(財)日本産業デザイン振興会が主催する「グッドデザイン賞」にも選ばれました。

グリーン車両へ   何となくウキウキした気分です

快適!快適

 

ホームを少し見下ろす感じになります

 

 

坂出  ここも何度も通った所

 北九州から夜行バスで到着した時は、ここからJRで何度も移動したなぁ

坂出を出ると、すぐに瀬戸大橋です

 

四国ともお別れ

 

グリーン車から

 

 

新幹線   の中では、いつもの様に・・・・・   ご飯は食べたのでおやつです

 

これで、ぼくちゃん & 相棒 の ”四国八十八ヶ所お遍路さん”は終わりです

何となく始めた旅も、ここまで来れたのは何かのご縁があったからだろうと思っています

この旅の中で出会った沢山の方に感謝・感謝  おかげで 無事に、目標の「結願」も達成です    

でも ・・・・・弘法大師さんもこう言われていますので (笑) 

二人のお遍路さんは、今度は「満願」に向かって、再び歩き始めました

7月の連休で、四国 徳島 阿波の国 第一番札所 霊山寺 そして、高野山 金剛峰寺へ行って来ます

夜行バスが、私達を待ってるよ な~~~んてね(笑)

 

 愛用のリュックを背負っての旅は続きます 

 

 


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第87番札所から第88番札所まで(結願のお参り)

2015-06-12 23:40:24 | 四国八十八か所巡り

 

 

 

 

第88番札所 大窪寺

大窪寺の歴史・由来

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。徳島県の県境に近い矢筈山(標高782m)の東側中腹に位置します。縁起によると、養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われます。弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。等身大の薬師如来坐像を彫造し本尊とされました。また唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられます。その水を薬とともに服用し、ご利益を受ける人も少なくありません

女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。しかし天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り返します。しかし高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆。結願聖地の法灯を守り続けています

 

仁王門

平成2年(1990年)に完成した西側から入る鉄筋の仁王門

 

 奉納された、大草履

上にぼくちゃんが並んで写ったのを見ると、その大きさが良く分かりますよね~ 

     

 

 

 

 

鐘 楼

元気にひと突き  

到着しましたよ~♪  と  ゴ~~~~~~~~ン      良い音が響き渡ります

そして、合掌   無事に到着しました のご報告です

 

仁王門から階段を登ると

 

本堂では無くて、まず、大きな弘法大師像と大師堂の所に出てきます

まずは、本堂にお参りしようと思い、ひとまずここは通過です

後からお参りに行きますね

 

 <大師堂>

 

 

本堂へ向かいます 

さすが、結願のお寺です  沢山の人がお参りに来られているのが遠くからも判ります

 

 

 

 

本 堂

礼堂と中殿、多宝塔の奥殿があります。この奥殿に本尊・薬師如来と三国伝来の錫杖が安置されています。通常薬師如来は左手に薬壺を持っていますが、大窪寺の本尊である薬師如来はホラ貝を持っているそうです(秘仏なので見る事はできません)

 

  

 

次々と参拝の方がお参りに来られます

人が絶える事はありません

 

 

記念撮影です  団体写真用の看板を少し拝借

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂。『四国遍路の寺』によると奥之院の本尊が阿弥陀如来で、それを下ろして本堂としたのが阿弥陀堂だそうです(阿弥陀如来が根本本尊)。また、「本坊を遍照光院といっているので、大日如来をまつったことも確かです。」と述べられています

 

 

 

大師堂

 

石段を登った所にあります。内部にはお砂踏みができる道場があります。八十八ヶ所の小さな本尊が祀られ、一周すれば参拝と同じご利益が得られると言われます。

 

 

 

 

大師堂の近くにありました 

お砂踏み道場(8:00~16:00まで出来るそうです)

 

寶杖堂

 

 

「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納されます。これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。

 

寶杖堂前に「原爆の火」も有りました。広島に落とされた原爆の火を福岡の方が形見として持ち帰られ、それを分灯して灯し続けているものだそうです。

 

 

 

 

こんな看板が有れば、やっぱりお決まりの・・・・ですね 

   

 

 

納経所に御朱印をいただきに行きますが、長蛇の列

今までお参りしたお寺の中で一番の行列の長さでした

 

 

 

納経所では、御朱印を頂けます。

そして、ここまで同行して来てくれた金剛杖を納める事が出来ます

★四国霊場八十八ヶ所巡礼用品・金剛杖について

 弘法大師空海の分身といわれる大切な道具です。お遍路さんは「お杖さん」と呼んで大事にします。お遍路さんの実用必需品で、特に、疲れてきた時や登りの山路では有り難味がわかります。

昔、金剛杖は、お遍路の途中で倒れた時に卒塔婆の代わりになるものでした。ですから、金剛杖は今でも上の方が卒塔婆の形になっているのです。

この部分は、保護しなければなりませんので、上部に布カバーがついたものが望ましいとされています。さて、実際にアスファルトの道を突いて歩くと先がささくれだってきますが、決して、刃物で削ったりしてはいけません。ささくれだって来たら、路面に擦り付けて取ります。

また、橋の上では突いてはいけないきまりになっています。 昔、宿に困ったお大師さまが、番外霊場十夜ヶ橋の橋の下で寒さに耐えながら野宿されたという伝説に由来したお遍路の心得です。お大師さまが橋の下で寝ていたら失礼になるからというのがその理由です。

 宿についたら、まずすることは、金剛杖の先を洗い清め、タオルで拭き、床の間など部屋の一番良い場所に立てて置きます。そして、合掌してお礼の言葉を述べてから一日の行を解きます。

 「杖より先に自分を休めるな」と「汚い所に置かない」といわれています。ですから、道中の休憩時も、杖を先に休ませてから腰を下します。また、お手洗いへ入るときは持って入らず、必ず外へ置きます。

その時、気をつけなければいけないことは、置き忘れすることです。どんなに気をつけていても一度や二度は置き忘れをしてしまいます。 置き忘れをすると取りに戻らなければならないことになります。 置き忘れには充分注意が必要です。また、人の忘れた杖を拾って使ってはいけない事になっています。 他人の業を背負って歩くことになるからだといわれています。

お遍路を無事完了したとき、杖は第八十八番札所大窪寺に納めるのが一般的ですが、自宅まで持ち帰り大事に保管した方が良いという人もいます。いつか肉親があの世に旅立つ時、金剛杖を添えてやればその功徳で冥土の旅も安心だからだそうです。

 

私達はここ、大窪寺に金剛杖を納めて帰ることにしました(有料です)

今までお世話に本当に感謝・感謝です。指を差しているのが二人の金剛杖です。上にカバーをかけていましたが、そこの所は最初に買った時の白い木の色のままでした

そして、金剛杖に付けていた お友達から頂いたお守り、ストラップも納めて帰りました  

そう考えてみると、私達のお遍路さんには沢山の方が同行されていたんですよね

 

 

 

そして、こちらも  念願の「結願」の証明書(有料ですが)も頂いて帰りました

余談ですが、実はこの証明書を持って帰る為に、「賞状入れの筒」を持って行っていました

でも、納経所でこの結願証明書と一緒に持って帰る為の「筒」を、証明書一枚につき1本づつ、頂けましたので、北九州から持参した筒はそのまま持って帰る事になってしまいました(笑)

 

 

 

こんな歌が読まれた「結願の石碑」もありました

 

 

これで、無事にお参りも終わりました  ゆっくりと大窪寺の中をお参りでき、散策できました

私達のお遍路さんの旅もここで一旦終わりとなります  本当に本当に無事に到着できて良かった

疲れてはいますが、足取りは軽い   (そんなものですね・・・・・・)

 

 

二天門からお寺の外にでます

 

振り返ると、こんな風景が見えます

本堂(礼堂、中殿、奥殿=多宝塔)。背後にそびえるのは女体山(標高は763m

 

 

二天門(楼門)

 

正面から

 

    

 

階段を下りて・・・・・ 

 

この日最後の記念撮影です 

 

後は、今日宿泊の「民宿八十窪さん」へ

その前、門の前に有る 八十八庵 で 笹団子のおやつです

 

もちもちで美味しい 

 

 

 八十八庵の横に、「休憩広場」がありました

ここにはトイレもあり、野宿するお遍路さんが寝ることが出来るベンチ(スペース)も有りました

明日は、ここから出るコミュニティバスで帰るのです

 

二丁石  切幡寺は10番札所です

 

この日の宿泊 「民宿 八十窪」さんです

 

 

お部屋でゆっくりします

のんびりした気分で、今日頂いた 結願証と任命書を持ってハイ!チーズ

(顔は隠れて見えないね~)

 

 

お風呂に入ってさっぱり  お部屋でゆっくりした後は お楽しみの夕ご飯です

八十八窪は「結願のお祝い」で夕食のご飯に「お赤飯」がでます

宿泊の方は、私達も含めて9名  皆さん結願をされてからの宿泊です

これまでのお遍路さんの話題で盛り上がります 

そして宿のおばあさんがとてもお元気な方で、色々な話で場を盛り上げてくれます

楽しい楽しい時間を過ごせました

そうそう、大窪寺へ向かう坂道で私達を抜かしていった「自転車のお兄さん二人」もここに宿泊でした

最初は全く気づかなかったのですが、ふとしたことでぼくちゃんが話をし、気づいたそうです

向こうも抜かしていった事は覚えていたらしいのですが、まさかここでバッタリ出会うとは思っていなかったそうです(私達も、そうですが・・・・・)

ここでも、偶然の出会いが有りました 

このお兄さん二人は、翌日も自転車での旅が続くそうですので、お菓子とチロルチョコで お接待(笑)

あまい物、大好きとのことでとても喜んでもらえましたよ

 

 

昨年7月にふとしたきっかけでで歩き始めたお遍路さん

偶然にも「四国八十八ヶ所霊場開創1200年」に当たる年でこの5月の末までがその期間に当たっていました

最初はこの1200年の記念の期間を気にしてはいませんでした。でも、この期間に結願できるかもしれないとなってくると・・・・・  頑張ってみようかと 

土日のお休みを利用して、夜行バスでの強行軍の時もありましたが、それも楽しい思い出です。

88か所のお寺で見たこの幟も、次にお参りに行く時には無いのかと思うと、何だか感慨深い・・・・

 

そしてお遍路の旅をしている間、四国の地で沢山の方と出会いました

お別れの挨拶をしたのに不思議な事に何度も出会った方もいらっしゃったし、お菓子や飲み物を下さった方、道を教えて下さった方、電車やバスの事を案内して下さった方、同じ民宿に泊まり沢山のお話をした方  等々

そのすべてが私達にとっては温かな「お接待」でした

良い旅をすることが出来ました  本当に感謝の気持ちで一杯でした 

 

この日は、ゆっくり、ぐっすりと寝ました   

明日は、朝、ゆっくり時間が有るので、今度は「朝の大窪寺」へお参りして、帰途に付きます

 

  

帰りつくまでが旅行なので

 結願のブログもやっぱり、もう少しつづく・・・・・ですね 

 


『四国八十八ヶ所巡りへ』 第87番札所から第88番札所まで(第2弾)

2015-06-12 20:47:58 | 四国八十八か所巡り

 

 

 

前山おへんろ交流センターでゆっくりとスタッフの方や、他のお遍路の方と話をし、中を見学しました。いよいよ、ここから大窪寺へ向かって歩き始めます  さあ、後ひと踏ん張り~  「結願の道」 頑張るぞっと  

 

 

 

ここからも、色々な史跡がありました

 

女体宮の「一の鳥居」

この地の南東四 を東西に走る讃岐山脈に、ひときわ高くそびえる女体山(七八〇米)、その山頂に地域の守り神として、又、雨乞いの神として農家の崇敬が篤い青木神社女体宮が祀られている。
女体宮へ向かう参道の「一の鳥居」が昭和五十年(一九七五年)に完成した前山ダム建設にともない湖底に沈むことになり、「明治五年六月」建立の銘のある鳥居をこの地に移設した。

  

 

ダムに沿った遊歩道には、紫陽花が植えられていました。私達が歩いている時、自転車に乗った地元のおじさんが、「これは、わしらが植えた。大変やった」と自慢されていました。「この先の道にも植えてあってそっちの方が綺麗だから・・・・」と言われて、私達が今来た道の方に下って行かれました。

きっと丹精込めて手入れをした花を見て貰いたかったのだと思いましたが、遊歩道に入る事無く、スルーして先に進んで行ってしまいました   ゴメンナサイ・・・・・ 

 

分かれ道  

ここでは女体山へのコースでは無くて、国道(旧遍路道)を選択

 

緩やかな坂道が続きます  交流センターの方が、「山王のバス停までは歩道があるけれど、その先からは歩道が無くなりますよ。気を付けて」と教えて頂いたことを思い出しながら歩きました

 

ここから先は、歩道が有りません   思ったよりも車の通りも多かったです

 

分かれ道  ここでも、しっかり「旧遍路道」コースを選択です

 

私達が歩くのは車が通る道です(国道&県道)

きっとポイ捨て・不法投棄も多いのでしょう・・・・(歩いている時も、道路に落ちている空き缶、たばこの吸い殻 etc  沢山見かけました

 

ずっとなだらかな登りが続く・続く ・・・・・曇ってはいますが、蒸し暑くて汗がダラダラ流れ出る   

車で登れば、す~~~~っとすぐなんだろうけど  これも修行・修行 

 

休憩所がありました。少し休憩

 

 

大師の水

県道志度・山川線を前山ダムから4kmほど登ったみち沿いに、四季を通じて山肌から清水が湧きでており、四国霊場八十八ヵ所の結願寺である「大窪寺」におまいりする多くのお遍路さんの疲れをいやし、いつしか「大師の水」と呼ばれるようになりました。

 県道沿いのコンクリートの壁の所に有りました。私達は反対側の登りを歩いていたので、危うく通り過ぎる所でした(多分、歩くのに夢中で周りが目に入らなかったのかも  笑)

この湧き水の傍らには、「水仏さん」の名で呼ばれている石仏がまつられ、古くから近郷の人々に親しまれてきました。この石仏も、何度か過去に持ち去られるなど、受難にあいましたが、今では地元の方々によって、清水地蔵が安置され、湧き水とともに大切に保全されています

喉を潤しました  汗ばんだ腕も冷やして、何となく元気になった気になりましたよ

 

 

私達が歩いている「旧遍路道」は、現在は車が通る県道なので、時々「距離」の表示板を見る事が出来ます

後、大窪寺まで 7キロ   先は、短い様で、長い  

 

六十五丁

車の残距離の表示板と同じ所の場所に 丁石での表示も有りました   

残りが 約7キロ  同じですね

峠の道も終わり、民家も増えてきました  歩く道も段々平らになって来ました 

ほっと一安心  歩く速度も少しUPした気持に  

 

 前に学校の校舎が見えてきました  同じ敷地にお遍路小屋も有りました

 

学校の敷地内にお遍路小屋。さすが、四国だ。結願の地だなぁと思っていましたが・・・・・

 

 

校舎が見えると思っていたのは、2012年に閉校になった「旧多和小学校」

校舎はそのまま残されて、地域防災拠点の大きな役割をも果たす大切な施設、そして住民がいきいきと暮らしていく為の複合的地域間交流施設として有効活用されているそうです。農産物販売・お遍路プロジェクト・どぶろく製造販売などが行われています。  

また平成24年12月には、隣接する旧多和保育所に薬局を併設する診療所が出来て、山間部の高齢者にとって本当に安心できる公共サービスの場所となっています。

 「無料サービス」の言葉に誘われたわけでは無いけれども・・・・  

お茶&休息タイムを取る為に立ち寄ることにしました 

  

これに誘われたわけでもありませんよ!(^^)!

 

どぶろく工房  ここに入ると酔っ払いそう?!? まだまだ歩かないといけないので、スルー

農作物販売所でコーヒーを飲みました  ほっと一息です

荷物を降ろして休憩すると、疲れが取れる気分になります  また、頑張って歩ける気持ちになりました

 

 トイレの「表示板」もお遍路さん  こんな表示はここでしか見れないですよね

思わず、写真 パチリ 

 

子ヤギもいました  これは売り物では無いみたいですけど・・・・ (~_~;)

 

ここから、大窪寺まで約5キロ

あちこち寄っていると、なかなか先に進まない  

でも、まあ、これも私達二人の歩き遍路スタイルなので、良しとしないとねぇ   

 

 

一夜庵

お大師さん(空海)がここで一夜の庵を結び、火を吹く山を鎮めたという伝説が残る場所

 

東谷庚申塔 (青面金剛)

人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。 そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」という、日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像が、青面金剛。青面金剛は庚申講の本尊として知られ、三尸という悪い虫を押さえる神とされる。

 

 

護摩山・矢倉山

護摩山(標高 433メートル)   真言宗の開祖、弘法大師(空海)の伝説が残る山だそうです。この山には、『ミニ八十八ヶ所』とは、四国八十八ヶ所霊場のご本尊が彫られた石仏を建てたもので、全部まわれば四国八十八ヶ所を巡礼したのと同じ功徳があるとされています。江戸時代末期に、巡礼ができない人のために造られました。この山頂には、「弘法大師がここに立って周辺を見晴らした時に、東の空に紫雲がたなびいているのが見えたので、ここを密教修行の地と決めて、大窪寺を建てた」との言い伝えが残っているそうです。 

 矢倉山には、登山道は西国33ヶ所参りのお地蔵さんが登山道にあるそうです

 

 

また段々道は上りになってきました  舗装された道を歩き進みます

 

 

三十四丁石   道路(崖)の上に有るみたいで、歩いているときには見つけることは出来ませんでした

 

 

 

でべそ石(三十三丁石)

 

 

 ここからも、丁石をいくつも見る事が出来ました。この番号が減って行く事が、「大窪寺」に近づいて行く事なのです

 

 この横に、休憩所がありました。立派な建物です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人でこの道を登って行く時に、二台の自転車お遍路さん(男性)に抜かされていきました  

緩やかだけれども、続く登りの道。若いお兄ちゃんでしたが、なかなか苦しそう・・・・ 

お互い頑張れ・がんばれです   

 

女体山かな????  地図から行くと、そのはずなんだけどね

あそこを登っている人もいる。私達の様に、下から見上げている人もいる。

どちらも行く先は同じ   「八十八番 大窪寺」なんですよね 

 

 

奥に見えるのは、空家  草ぼうぼうの道です 

途中まで歩いて見ましたが、途中で引き返すことに。この道の先に「丁石」が有るようでした

(確認デキズ)

 

 

 先ほど引き返した道は、ここに繋がっていました

 

お遍路シールもあります。 ここを進んでいけば良いのだと確認できます

あと、何回このシールを見かけるのかなぁなどとふと考えてしまいます

あと少しだよ~

何度かUP/DOWN を繰り返して        

 

 

もしかして!  あれは   

 

大きなお寺の門が見えてきました  これは・・・・・・・ やっぱり 

 

第八十八番:醫王山 大窪寺 に ゴ~~~~~ル          

ここまでの道のりは長かった  

色々な思いを持って  まずは「記念撮影」  です

      

思わず出る  笑顔   ピース 

 

 

      山   王   醫    の金文字が光る          

 

参拝は、後で  先にお昼ご飯です

 

名物の”打込うどん”を食べました

いただきます 

 

ご馳走様でした   美味しかったよ

 

 

お店の横に  「一丁石」 

 

まずは手を合わせて

中を覗いて見る事に

 

地蔵菩がを浮き彫りにされていました

弘法大師 の文字が彫られていました

 

そして、再び 仁王門へ    最後の結願のお参りへ  

 

 もうしばらく、お付き合い願います        つづく・・・・・・・・・・・・