二日目の始まり 朝、ご飯を食べてから7:00頃出発!
怪しい雲行き…ホテルを出てから10分くらいしてから、ポツポツと冷たい物降り始めて来ました ( ;∀;)
リュックにカバーはかけましたが、まだ傘をさすほどでも無いし。少し早目の足取りで先に進みます
雨足がひどくなって来ましたので、傘をさしての歩き 困ったなぁと思っていましたが、15分くらい歩いていたら上がって来ました。良かった良かった。結局、この後は傘を開くことなく歩けました
第77番札所 道隆寺
道隆寺の歴史・由来
縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養すると、不思議にも乳母は生き返ったという。
大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、90ンチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。
この日最初の、お参りです! 雨も上がり元気
本 堂
大師堂
鐘 楼
ご本尊の薬師如来像は「目なおし薬師さま」と呼ばれ、眼病に霊験あらたかといわれています
お寺の中に「眼なおし薬師如来」の幟が何本も立っていました
門前の巡拝用品店では「眼(め)蘇(いきる)茶(ちゃ)」のお接待がありました
お遍路マネキンの横には、「メグスリの木」も 司馬遼太郎の小説「播磨灘物語」にも登場し、眼病の薬として重宝されてきたそうです(私は、小説は読んだことは無いのですが (;'∀')
この看板を見たら、何となく元気が出た気分に(笑)
78番 郷照寺へ向かって、丸亀の街を通り抜けて行きました 街中なのですが、お遍路シールを目印に進みます
ようやく、「郷照寺 ↑」の看板も出て来ました
丸亀の遍路小屋
77番 道隆寺から3.3km、78番 郷照寺との中間で丸亀城の北東(イヌイ)の方角の県道21号沿いにあります。
丸亀市は団扇(うちわ)の生産日本一の土地で、小屋の形も団扇の骨を模っています
丸亀城
今回は、お天気悪いし、北九州に帰らないといけません。またいつかと思いながら、丸亀城を横に見ながら先に進みます
土器川橋から さっきの丸亀城もあんな遠くに見えます
讃岐富士「飯野山」も見えましたよ (標高422メートル) こちらも今度は眺めるだけです
宇多津駅前通過(まっすぐ先に有るのですが・・・・判らないですね;;) 後、少しで78番です
この少し後から、遍路道は大きな道から、住宅地のを通る細い脇道に入って行きます
郷照寺の手前の道は「宇多津 古街」エリア 古い町家が多く残る所です
日本一の塩田の町として栄えていたころ、ここが「宇多津街道」として大勢の人・物が行き来していたそうです。
途中の民家では、五円玉で作られた置物がありましたので、パチリ 龍は、口の中の舌まで五円玉で出来てました
次の札所はすぐそこ!で、今日も何やら人だかりが。こうなると、やっぱり寄らずにはいられませんね
高橋地蔵餅本舗 (↓徳島新聞より)
http://www.topics.or.jp/special/122545489238/2008/03/120537531665.html
ツアーお遍路のおばあちゃま方のパワーに押され、みなさんが次々とお目当てのお餅を買うのを見ながら、列の最後尾に並びました。 皆様曰く「塩餅」が有名なのよ!!!
しかし、その塩餅は皆さんに買いつくされ(だって、一人で何個も買っちゃうんだもんね~笑)、私は「あんこもち」を1個購入です
誰も居なくなり、最後に購入です
お店の箱にはほとんどお餅は残っていませんでした。嵐の後の様でした(=゜ω゜)ノ な~~~んてね
そうして、ようやく、78番 郷照寺に到着
郷照寺の山門に到着した時、下って来る女性が、「あら??」お互いの目があいました
前の77番で少しお話をした岡山の女性でした。一人歩き遍路、1か月に1度、1週間くらい区切り打ちで歩かれていると言われていた方でした。この日は、宿泊先がまだ先のかんぽの宿なので、お寺とお寺の間はJRで移動されていたのですが、どうも、列車の待ち時間が長かったため、歩いてきた私たちより少し早い時間にこのお寺に到着・お参りされたようでした。
歩き遍路をしていると、一度別れて歩き始めても、意外と他の所で偶然バッタリって事も多いのです やっぱり、何かのご縁なんですかねとしばし会話が続きます。
そして、相棒と記念写真をパチリ
ここで、ではお互いにかんばりましょう!とお別れ
私たちは山門をくぐり、参拝へ・・・・
第78番札所 郷照寺
郷照寺の歴史・由来
郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人が数か月滞在した事によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わった。四国霊場の中で、この寺は唯一、真言宗と時宗の両方を伝えるのです。
元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。江戸時代に入り、高松藩主・松平頼重により再興された。その際、宗旨を真言宗とともに一遍上人を偲んで時宗も奉持することにし、寺名も78番「郷照寺」と改めた。真言宗と時宗の両宗にわたる寺としては四国札所唯一の寺である。
本 堂
本堂彫刻絵天井 色とりどりでとても綺麗だった
鐘もつきました 眺めも良いので気分も上々です ゴ~~~~ン♪
815年、当時42歳の弘法大師・空海が立ち寄り、自身の像を彫って厄除(やくよ)けの誓願を込めたことから、以来、「厄除けの寺」「厄除けうたづ大師」として信仰を集めているそうで、この日も厄除けに沢山の方がお参りに来られていました
大師堂
大師堂の中で、厄除けの祈祷が有っていました
庚申堂
境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋を見えました 宇多津町の南、青ノ山のふもとの高台に建ち、境内からは臨海の宇多津の町と瀬戸大橋を望むお寺。境内から瀬戸大橋が見えるのは、八十八か寺でここだけなんだそうです。
今日はあそこを渡って帰るんだぁ、などど思いながらしばし風景を眺めてました
そして、郷照寺を後にして、今回の最後のお寺 天皇寺へ・・・・
郷照寺前にあった 「大吉地蔵」 良い事有りますようにと手を合わせました
道の途中で、閻魔堂があり 大きな閻魔さまがいると看板が有ったので、中を覗きました
悪いことをしてないので、舌を抜かれる事も無いでしょうか?!?
さっきの「高橋地蔵餅本舗」で買ったお餅を食べました まだモチモチで美味しい
途中でこんな石標識が 88番大窪寺まで88キロ
100キロウォークに参加する人なら、20時間も有れば歩けるんだろうなと二人で話す
何となく、嬉しい気分に
このあたりで、ようやく坂出に入ったところです
朝の雨が嘘の様 太陽も出て来ました
坂出駅前の商店街 日曜日の駅前とは思えない・・・・寂しい限りです
こんな看板があると、何となく元気になる!
坂出駅前を通過する頃に、丁度12時頃。お昼タイム ここで予定では、「日の出製麺所」で行列に並んで讃岐うどんを食べる予定にしていました。 11時30分~12時30分の1時間しかやってないお店ですが、時間的にもピッタリ!!とキョロキョロしますが、うどん屋さんも行列も見当たらない・・・・ 通りがかりの方に聞くと、「坂出駅を挟んで反対側ですよ。歩いたら、15分位かな?」 え・え~~~ 大失敗"(-""-)" 戻らないといけないならと、泣く泣くあきらめて先に進む二人でした 返す返す、残念だった
こんなお接待もありました 四国ガスさん 足湯のお接待
トイレを使われて下さい という表示が有ったので、遠慮なくお借りしました
出てきたら、タオルが「二枚」足湯の所に置いてありました 足湯のお接待で濡れた足を拭くために置いて下さったんです
暖かくて思わず浸かってしまいたくなりました 有難いなぁと思いました
本当にあと少しになって来ました
79番霊場の石柱がありました
四国八十八ヶ所七十九番札所「天皇寺」そば、標高280mほどの金山の麓にある「八十場の水(やそばのみず)」。こんな小さな山が、清らかな水を育んでいます。
四国八十八ヶ所七十九番札所「天皇寺」旧高松街道沿いの水場。古くから多くの伝承が語り継がれています。
案内板からの引用
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「やそばの水はどんどん落ちる つるべでくんで ヤッコでかやせ」むかしから讃岐の童たちに唱われたこの泉は、いかなる早天にも涸れることなく今も清冽に流れています。
景光天皇の御代、南海に征して悪魚の毒に悩んだ讃留霊皇子とその軍兵88人は童子の捧げるこの水によって蘇ったが故に、八十蘇場の水との伝説を持ち、芳甘清碧な水は古くより薬水として尊ばれ、茶人にも愛されて、遠くは阿波山中より求め来る人も多いという。
---引用ここまで
讃岐といえば、「うどん」が有名ですが、ここでは「清水屋」さんというお店の「ところてん」が有名だそうです。この季節はお休みでした こちらも残念でしたね
八十場の水の横には、小さなお社があり「ポックリ地蔵」さんが祀られていました しっかりこちらもお参り
そして、いよいよ天皇寺です
第79番札所 天皇寺
天皇寺の歴史・由来
天平年間に金山の中腹に、行基菩薩によって開創され、弘法大師によって荒廃した堂舎を再興されている。大師が弘仁年間(810〜24)にこの地方を訪ね、弥そ場という沢水が落ちる霊域にきた際、ひとりの天童が現れて閼伽井を汲み、大師にしたがい給仕をした。この天童は、金山を鎮守する金山権現であった。天童は、永くこの山の仏法を護るようにと誓って、持っていた宝珠を大師に預けた。大師はこの宝珠を嶺に埋めて仏法を守護し、その寺を摩尼珠院と号した。大師はまた、弥蘇場の霊域にあった霊木で本尊とする十一面観世音菩薩をはじめ、脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造し、堂舎に安置した。
本 堂
大師堂
天皇寺と同じ敷地に、白峯宮がありました 最初は何処が天皇寺で白峯宮か判りませんでした
天皇寺は白峰神社と同居しています。鳥居正面にあるのが白峰宮です。天皇寺本堂は参道左手に大師堂と並びます。納経所は大師堂正面に抜けた所にあります。
保元の乱で讃岐に流され鼓ヶ岡で崩御された崇徳上皇を都へ奉聞するあいだ天皇の柩を安置したことから寺号を天皇寺と改号。 天正の兵火により焼失したが、天和2年に再興した。明治初年の神仏分離によって崇徳天皇社と天皇寺は二分。現在、崇徳天皇社は白峰宮となっているのだそうです。 迷ってしまったわけですよね (^^)
これにて今回のお遍路は終わりです 両日とも、約20キロ以上歩きました
少し雨にも降られたけれども、今回もお天気にも恵まれて歩く事が出来ました
初めて夜行バスを使ってのお遍路さん、無事に今回も打ち終わりです
☆おまけ1☆
天皇寺を参拝後、ここからは、歩いてすぐの「八十場駅」へ
また、ビックリすることに天皇寺で、岡山の方とバッタリお会いしました (*^-^*) 驚きですね
今度は3人でJRの駅へ歩いて行き、私達は坂出経由、岡山~小倉へ 岡山の方は、逆方向の国分へと今度こそ手を振りお別れです (=^ω^)ノノノノ お互いの列車が来るまでは、線路を挟んでお話タイムでした
(写真の列車は、マリンライナー号、八十場駅には停車しないのですよ)
☆おまけ2☆
うどんを食べれずに遅くなったお昼は、岡山駅で購入した お弁当 & ビールでした
坂出駅あたりから、天候は悪くなり、風も強くなってきました まあ、早目に帰って良かったんでしょう
次は、3月です。まだまだ二人の修行は続きます