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暑い・暑い歩き遍路・・・・香川へ(一日目 その2)

2016-07-26 23:34:13 | 四国八十八か所巡り

 

弥谷寺を出発し、次は73番出釈迦寺に向かいます。

72番曼荼羅寺と73番出釈迦寺は、すぐ近くですが、出釈迦寺の方が山沿いにあり、また、73番では前回は見落としていた場所に行く目的があるので、先に廻ることにしたのです

  

草ボウボウの峠道を越えて、高速道路の下をくぐります

ここから先は、ほぼ街中を歩くのですが、路地裏の様な所は遍路道になっていることも

 

記憶にある、「休憩所」ですが、見慣れない プレハブハウスが建っていました

 亀山建設さん(丸亀市に本社がある会社でした)という会社が準備されている「移動式」のお遍路さん休憩所でした

私達が歩いた 7/16(土)の前日に設置されたそうです。前回無いはずですね

その前には、高瀬という所(本山寺~弥谷寺の間)に設置してあったそうです(そのあたりは、お遍路さんの休憩所が少ないそうです)

横にはトイレも付いており、中はエアコン付。畳も新しくて「いぐさ」の香りがしていました。立派で快適な空間です

私達がここに来た時は、中の休憩用の椅子やコップなどを丁度準備されていた時で、短い時間でしたが色々とお話をすることができました。前日夜も、どうも歩き遍路さんが宿泊されていたと言われていました。

移動や設置も大変でしょうか、その後の継続したメンテナンスも大変だろうなぁ・・・・・これもお接待なんだなと改めて感じることができました

休憩していきませんか?と声を掛けられましたが、中をのぞかせてもらっただけで、ここを後にしました  ありがとうございました

この後、沢山のお遍路さんがここを利用されることでしょうね

 

 

 ここからは、段々厳しくなってきた日差しの下を歩き続けました  意外と日陰はありません  暑い~暑い~

ここから、73番出釈迦寺へ向かいます

 

73番札所 我拝師山 出釈迦寺>

7歳の弘法大師は「仏道に入って人々を救いたい」と発心。我拝師山に登って、「願いが成就するなら霊験を、さもなければこの身を諸仏に捧げます」といって断崖から身を投げた。すると釈迦如来があらわれ、天女が大師を抱きとめたという。のちに大師は釈迦如来を刻んで本尊とした。

 

<本堂>

 

<大師堂>

 

参拝を済ませ、今回は、奥の院捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがだけぜんじょう) を参拝することも一つの目的でした

 

 

 遥か先に見えるあのお社があるところです

出釋迦寺縁起、弘法大師様捨身のお行

弘法大師様が真魚(まお)様と申された7歳の時、このお山で修行を積まれ「将来仏門に入って、仏の教えを広め多くの人々を迷いから救いたい。この願いが叶うかどうか、お釈迦様の証をお示しください。一心にお祈りすれば、お姿を表し霊験をお示しくださるとのこと、願いが叶うなら、どうぞお姿を拝ませてください。もしもそれが叶わないなら、この身を諸仏に供養としてささげます。」と紅葉のようなお手を合わし、一心に仏を念じ、高い崖から身を投じられました。

すると、不思議にも天女が現れ、幼きお大師様を優しく抱きとめ、元のところへ置かれると同時に紫雲の湧き起こる中に、眉間より光を放つ蓮華に座したお釈迦様が現れ、お大師様に「大願成就」の証を示されました。お大師様が、感涙にむせ伏し拝まれている間に、お釈迦様のお姿はお隠れになりました

 

本堂お大師様は成人の後、思い出のこの山に登り、世尊(せそん)ご出現の有難い霊験を永久に記念し、世の人々の仏縁を望み、ご自作の釈迦如来を本尊として一寺を建立「出釋迦寺(しゅっしゃかじ)」とし、山号はお釈迦様のお姿を拝んだお山というところから「我拝師山(がはいしさん)」、院号は、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)のご尊像を自刻して安置し、求聞持(くもんじ)の法をご修業されたことにより「求聞持院(くもんじいん)」と名付けられました。

 

地蔵堂前にある捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)遥拝所の石碑

 真ん中あたりに飛び降りているのが、幼少期の弘法大師です

 約 1.8キロの道程(登り坂!!!)

 

香川県の保存木 ヒノキ

幹周り3.3m、樹高23m、枝は東西に16.8m、南北に13mの威風堂々とした独立単木のヒノキで、香川県の保存木に指定されています。根元には地蔵が据えられた苔むした巨石があり、地蔵の周囲には小石が積み上げられていて、古くから信仰の対象であったことがわかります。

 

急な坂道が続く・・・・一歩一歩足を進めるだけです・・・・

 

柳の水(やなぎのみず)

江戸の初期、大阪のある豪商の娘様が病にかかり、日増しに容態が悪くなり、やがて医師からも助からないと見放されました。大変だと家中で騒々しくしていると、玄関に一人の僧侶が立ち、事情を尋ね、娘様の容態の話を聞くと「それではこれで薬を飲みなさい」と水を渡しました。その水で薬を飲むと、不思議なことに娘様の病気はたちまち快癒し、僧侶に水の云われを尋ねると「お大師様が生まれた有難い場所の湧き水です」と答え、去って行きました。後に、娘様がお礼参りをしようと、お大師様縁の四国に渡り「水の味」を頼りに各地を尋ね歩き、彼の地に湧き出る水を口に含んだ途端、霊験のある件の水だということを悟ったそうです。

天明4年1775年、この時の豪商様の多額の寄進により本堂の再建が成され、現在に至ります

ここで一旦休憩です

あとどれくらいあるのか???想像もつきません  何だか終わりが無い様に思えてしょうがないです

足はガクガクで、暑さで体の中から熱くほてりが取れません (>_<)

 冷たい水を飲み、濡らしたタオルで手足や首元を冷やします

しばらく休みましたが、どうも熱さが体の中から抜けませんでした。

少し上まで上がってみましたが、坂道はまだまだ続く様子

私たちは、この後も歩きが残っていますので、残念だったのですが、ここで奥の院捨身ヶ嶽禅定まで上がって行くことをあきらめました

熱中症の手前だったのかもしれないです   前のお遍路さんの時に聞いた「歩き遍路をしているときに、無理をして、けがをしてはいけないよ」という言葉を思い出して、きっぱりあきらめることに・・・・・

となれば、後は急な坂を注意しながら下るのみです(下りも大変だったけど)

 

奥の院捨身ヶ嶽禅定 参道口からの風景

 

これから先は、登りの道はありませんし、前回歩いているところです

マイペースで歩き進むことができます

 

72番札所 我拝師山 曼荼羅寺>

この寺の歴史はとても古く、推古4年(596)、讃岐の豪族・佐伯氏の氏寺として建立された。その後、唐から帰国した弘法大師が、大日如来を祀り、金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置。曼荼羅寺と改名したという。西行法師がこの近くに庵を結んでいて、この寺をしばしば訪れたという。

 

 

 

<本堂>

<大師堂>

 

笠松大師

空海が手植えしたとの言い伝えが残る不老松。形から「笠松」とも呼ばれ、地元の人たちから親しまれていたが、2002年に害虫が原因で伐採に。その後、幹の部分に空海の姿を刻み、不老松が生えていた場所に安置した。

以前は、ここに立派な松があったそうですが今はその看板だけが往時を想像させてくれるだけです

 

でもだいぶ、元気も出てきた気がします。

次のお寺にGO===3333 (そこまで元気はないが 笑) 

ここを曲がれば、甲山寺だ!(以前の記憶がよみがえります)

 

<74番札所 医王山 甲山寺>

甲山のふもとで「この地に寺を建立せよ」と告げる老人に出会った弘法大師が、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置したのが甲山寺の起源という。この寺の本尊は薬師如来像で、「満濃(まんのう)池」の修築に携わった大師が、工事の無事を祈願して刻んだものとされる。満濃池は寺の約10㎞南にある。

 

 

<本堂>

<大師堂>

 

甲山寺の境内には、14匹のウサギがいるそうです。正確には門などの屋根に飾られている、瓦のウサギ。
薬師如来像が左手に持つ月輪の中にうさぎが描かれていることから、それにちなんでだそうです

以前訪れた後に、このことを知りました。今回はそれを覚えていたので門の所のうさぎさんを探して パチリ!

14匹は見つけられなかったけど・・・・

 

甲山寺の所で、逆打ちの区切りお遍路の男性としばしおしゃべり。岡山の方でこれから弥谷寺辺りまで歩く予定と言われていました

今年は、やはり逆に廻られる方も多いですね

 

そろそろお昼です

前回も食べた「宮川製麺所」で さぬきうどんを食べました

前回は熱いうどんでしたが、今回は冷ぶっかけ

のどごしも良くツルツルと喉を通っていきます

そして、今回もここではうどんのお接待がありました  前回同様、歩き遍路さんには大阪の方からのお接待で無料でうどんが食べられます。本当にありがたいです。ここは、善通寺に行くお遍路の丁度良い通り道で立ち寄るのにもお遍路道を外れなくて良いので食事をとるにはピッタリなんです。今回もごちそうになりました

そして、製麺所からも飴を頂きました  感謝☆感謝ですね

 

すぐ近くに 弘法大師が幼少期に遊んだ「仙遊寺(跡)」があります

前の時はこの看板は見つけていたのですが、仙遊寺を見落としてしまっていたので、今回はしっかりと探しました

 ここです。お寺は現在はありません

 

 

今は、この石像(石の稚児大師像と大地蔵さん)だけがお祀りされています

 

すぐ近くに、犬塚もありました

義犬伝説

弘法大師が唐に留学したとき、天竺の国?で王様が持ち出し禁止にしていた薬草を持って帰ろうとしました。畑に番犬がいたので、ばれないように3粒の種を足の股の肉を裂いてその中に隠しました(痛い!)。それでも、1匹の番犬に吠えられてしまいます。弘法大師は番人に問いつめられても盗んでないといい通したため、犬のほうが番人に叩かれて死んでしまいました。弘法大師はその犬の死骸を長安まで運び、真言の秘法を施して生き返らせました。薬草とともにこの犬も連れて帰国し、その後、死んだ犬を祀ったそうです。

 

今日の泊まりは「善通寺」ですが、今から入ると早すぎる・・・・ということで、「71番 金倉寺」を先に打ってから、善通寺に行くことに決めました。でも、午後からの強い日差し・・・・・暑くて長い道のりだった 途中で、止めとけばよかったなぁと思うこともしばしば・・・・・

金蔵寺駅を目標に定めて歩きすすみました   ここまでくればあとわずか

 

76番札所 鷄足山 金倉寺>

園城寺を本山とする天台寺門宗の別格本山。この地の豪族・和気道善(わけのどうぜん)が道善寺を建立。その後、唐から帰ってきた天台寺門宗の開祖・智証(ちしょう)大師が、伽藍を整備し、薬師如来を自ら刻んで本尊として安置。当時は道善寺でしたが、延長6年(928)醍醐天皇(在位897~930)の勅命により、この地の郷名から金倉寺と改名した。明治時代の後期には、乃木希典(のぎまれすけ)がこの寺で寓居した。

 お参りします

<本堂>

リュックを下してからお参りです  背中が涼しい~

 

本堂の横には いかにもご利益ありそうなそして、「金倉寺」という名前にふさわしい(?)この二つがあります

何よりも印象的だと思いませんか!!! 「お金が貯まりますように」としっかりと念入りに拝んだのは言うまでもありません (*^_^*)

 

<大師堂>

金倉寺を創建した、 和気道善の子である宅成によって、 道善寺と改められました。 この宅成の長子が智証大師であり、お寺を整備したそうです

境内には「智証大師像」や大師堂の額にも「智証大師」の文字がありました

 鐘も気持ちを込めて付いてきました

 

乃木将軍妻返しの松

明治31年(1898)10月3日、乃木将軍は善通寺第十一師団長に補任されました。第十一師団はこの年に新設された師団であり、乃木将軍はその初代師団長として善通寺の地に赴任することになりました。乃木将軍は今度の職務を「戦時における状態」考えて、愛馬「轟号」と馬丁の鎌次郎を伴って臨みました。そして宿舎として金倉寺を選ばれたのです。

明治31年の大晦日、東京から乃木将軍の妻が訪れてきたが、会うことも無く返されたそうです。夫人はその帰り道、本堂脇にある小ぶりの松の木まで歩を進めて、その下でもの思いにふけて佇まれたとか・・・これがいつ頃からか「乃木将軍妻返しの松」と呼ばれるようになったそうです。

 

金蔵寺(駅とお寺の字は違っていました)からは善通寺までJRで戻ります

だってここまで歩いて来たからね~

 善通寺駅から善通寺まで約20分の道程

途中で交流センターがあったので立ち寄り   冷たい麦茶を頂きました

 ゆるきゃら

足湯もあるようです(私たちは利用しませんでしたが)

 

 ここにも、わんちゃんが・・・・・

 

そして、ようやく、善通寺に到着!!!!

 

< 75番札所 五岳山 善通寺>

善通寺は、弘法大師ご誕生の地として知られる。真言宗善通寺派の総本山で、和歌山高野山、京都東寺とならぶ、弘法大師三大霊跡の1つ。唐から帰った弘法大師が、父・佐伯善通(さえきよしみち)公より邸宅地を寄進され、真言宗最初の根本道場として建立。東院、西院に分かれた境内はとても広い。本尊の薬師如来を祀っている金堂(本堂)をはじめ、大師の自画像「瞬目(めひき)大師」を秘蔵し、地下で「戒壇めぐり」を体験できる御影堂(大師堂)、数々の寺宝を拝観できる宝物館など、見どころもたくさんあるので、ゆっくりと参拝したい。

 

東院から入りました

<五重塔>

<本堂>

 

 

 <五百羅漢>

 

西院に入る前に・・・・・

熊岡菓子店の『かたパン』を買いに立ち寄りました

善通寺境内の東院と西院の間にある昔ながらの菓子店。名物の「かたパン」は煎餅のようなお菓子で、石のように固くて噛めないけど口の中に入れておくとじんわりとけてきます。生姜と砂糖のみの素朴な味が◎です

夕方近くになるので、売り切れかも?心配していましたが(観光交流センターの方からもそう言われてたし)、まだありました

今晩のおやつとお土産用に購入

 

そして、西院へ

<大師堂>

今日はここで本当に打ち終わりです

長くて大変だった~ 暑い時は歩くものではないなぁと若干後悔も (TT〆)

 

お参りとご朱印を頂いた後、宿泊する 宿坊「いろは会館」へ

  杖は定位置に置きます  一日お疲れ様でした

 

 ロビー

 朝のおつとめもあります

善通寺の大浴場“大師の里湯温泉” 平成11年12月22日温泉法の温泉に適合したそうです

ここは、宿泊者だけしか入ることはできません  

チェックインしてから、まずはお風呂に入り、汗を流し、さっぱりしました

 

 

お楽しみの夕食!  いただきます~♪

明るい時間(5時半から)から食べます  これで、夜はゆっくり寝れます

 明日は、曇りらしいです  日差しが強くなかったら良いねと二人で話してました

夕食の後、6時半くらいから20時ごろまで爆睡・爆睡 (@_@;)

せっかくの温泉なので、2回は入らないとご利益無いと(勝手に思ってました 笑)、目覚ましをかけて Z Z Z z z z z z・・・・・

少しぼんやりした頭で2回目の温泉タイム

上がった後は、やはり冷たい飲み物が美味しい!

これを飲んだ後、程なく就寝   良く歩き、疲れました

  ホントにお疲れ様だった でも、次の日はもっと・・・・!?!?!

一日目が終わりました

二日目に続く

 

<おまけ>

私たちの部屋から外をのぞくと、道路を挟んで居酒屋さんが見えました

「やきとり 空と海」  なんだか、こっちもご利益ありそう~

 

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (よっくん)
2016-07-27 15:39:18
「空と海」にも夜、参拝されましたか?(笑)

ブログでは、楽しく書かれていますが、暑いししんどかったと想像します。私も何年か前この時期に街道を歩いた時にフラっとしたことがあります。熱中症の前兆だったのでしょうね。すぐ水分補給し日陰で30分ぐらい横になったら回復しました。

週末青森へ出発します。まだ梅雨が明けていないそうです。気温は28度ぐらいですので九州よりは過ごしやすいかもしれませんね。
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よっくんさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2016-07-27 22:38:36
こんばんわ
「空と海」には、参拝できませんでした
近くて遠い所です(笑)

暑い時期の歩き(運動)は本当に気をつけないといけないですね
今回は一度歩いたところだったので、残りの道のりが予想できたのでよかったですが、知らないところだったら色々と無理してたかも知れないです 

もうすぐ青森ですね
ねぶたがお二人を待ってますね
ツーデーもですが、お祭りの様子のレポートも楽しみにしています 
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宿坊 (hobashira)
2016-07-28 23:08:04
今晩は~!
宿坊と言うからには、
お寺の建物の中、最悪の場合は本堂でザゴ寝かと思っていた。
これはホテルですね。
温泉があって、食事もまぁまぁで、お酒も飲めて、近代的で、
違うのは「朝のおつとめ」があること?
長編紀行文のつもりで読んでいます。
二日目も楽しみにしていますよ。
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hobashiraさんへ (ぼくちゃん 相棒)
2016-07-28 23:23:45
こんばんわ~
ブログを書き、写真を見ていると
お遍路さんの時の事を思い出します
でも、本当に暑かった
宿坊は民宿よりもホテルに近いです
トイレは部屋には付いていないので(立派なトイレと洗面所が各フロアにあります)、修学旅行の宿に似てるかな?(それよりも豪華でしたけど・・・・
そうそう、団体さんがいなかったせいでしょうか?大浴場の湯船は半分だけしかお湯が入っていませんでした。でも、それで十分な広さでした
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