ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

みやき歩こう会 8月例会 =志賀島一周=

2016-08-28 21:32:04 | ウォーキング

北九州は、今年の夏は梅雨明けから夕立も無く、暑い日が続いていました

8月28日は、みやきあるこう会の例会で志賀島を歩く予定でした(12キロ)

しかし、随分前からこの日の天気予報は、「雨」「雨」

その予報は、ズバリ当たりました

福岡市の北西部、博多湾に浮かぶ志賀島(しかのしま)は漢委奴国王の金印が発見された場所として有名な島です

北九州からも割りと近いし、水族館や公園もあるのですが、前に行ったのはいつだったかな??と首を捻るくらい昔です

 

私達は北九州からの参加だったので、志賀島の入り口辺りにある「海辺の里」でみやきあるこう会の皆さんと待ち合わせです

志賀島に着いたばかりの時は雨はパラパラだったのですが、段々本降りに

全員、歩き始める時にはポンチョなど雨支度を整えて、出発です

 雨の中を歩きます・・・・・

 

博多湾(福岡湾)の北側を包み込むように伸びている“海の中道”。その先端の橋を渡れば歴史に名高い志賀島です。昭和5年の志賀島橋竣工当時、潮が満ちると西戸崎と志賀島の間は海に沈んでいましたが、橋が出来てからは橋脚のところに砂が溜まりはじめ、ついには陸続きになってしまったようです。こうい状態を陸繋砂州(りくけいさす:トンボロ)と言い、繋がった島のことを陸繋島(りくけいとう)と呼びます。

 

能古島も見えます

 ぼんやりした先には、福岡の街が見えるはずでした

福岡ドームや福岡タワーなどなど

肉眼では、見えたんですけどねぇ~

 

 

 志賀島橋が見えます  あそこを渡って志賀島まで行きます

 

 「金印」も載っていました

志賀島が一躍有名になったのは、「漢委奴国王」と彫られた金印が見つかったことによります。これは5世紀に編纂された『後漢書-東夷伝』に、後漢の初代皇帝「光武帝」が倭奴国からの使者に金印を授けたと記されてあり、この金印が実際に見つかったことで史記の信憑性が高まり、さらには日本の古代史に大きく光を当てることにもなったのです。金印が贈られたのは西暦57年とあり、日本列島はまだ弥生時代で文字も無かった頃のことです。彫られている文字に対する解釈は諸説ありますが、一般的には「漢委奴国王」は「かんのわのなのこくおう」と読み、委=倭で古代日本を指し、奴国は現在の福岡市付近にあった国だとされています。
金印の発見は1784年(天明4年)2月23日、小作の秀治と喜平が田を耕している時、大きな石の下から金印を見つけ、それを地主の甚兵衛が役所に届け出たことから始まります。福岡藩は亀井南冥ら数名の儒学者に鑑定を依頼。結果『後漢書-東夷伝』に記されている金印と判明、お宝発見となりました。発見場所は島の南側にある金印公園の辺りで、現在は福岡市立博物館に常設展示されています。

 

 

 雨は降る降る

 

海沿いの道を歩きますが、海は鉛色、台風や寒冷前線のためか波も高い

片道通行!!! 気をつけて一列で歩きます

 金印街道

 雨は降ったり止んだりしながらも・・・・

この日は結局、昼食場所の「休暇村志賀島」に到着した辺りで、雨はどしゃぶりになってきました

ポンチョだけでは対応できなくなってきた ><;;;;

 

残念な事に、ここでこの日のウォーキングは中止となりました

スタート地点の海辺の里までバスで戻る事に    

残念でしたが、雨もひどいし、雷もゴロゴロとなっていましたので雷雲も近くにあったのでしょう

石川遼選手が優勝した福岡県 の芥屋ゴルフ倶楽部で行われていたKBCオーガスタゴルフトーナメントも雨で3時間くらい中断したそうですから、やっぱり仕方なかったのかな??

今度は、お天気の良いときに再度行って見たいなと思っています

みやきあるこう会の皆さんには今回も色々とお世話になり、ありがとうございました  ^^v

また、参加しますね~♪

 


彦島一周と関門海峡を訪ねるみち を歩く ☆ 下関ウォーキング協会例会参加

2016-08-25 23:09:02 | ウォーキング

 

YWA 山口県ウオーキング協会8月例会(担当:下関ウオーキング協会)
彦島一周と関門海峡を訪ねるみち(500選 35-10 コース)  一般向、約15㎞。
【開催地】山口県下関市
【日時・集合場所】2016年8月21日(日) 9時35分(スタート 9時50分)、JR山陽本線・下関駅東口人工地盤。
【ゴール予定】14時30分ごろ、JR山陽本線・下関駅西口。
【コース】スタート・JR下関駅東口人工地盤~関彦橋~弟子待~彦島南公園(トイレ休憩)~福浦~迫町~ひこっとらんど(昼食・トイレ休憩)~本村~水門~ゴール・JR下関駅西口。

 

暑い夏の日  昨年も参加した、彦島を歩くウォーキングに参加しました

集合は、9時半ごろだったので、下関駅に早めに到着し、朝ご飯を駅のパン屋さんで・・・・・

バナナは、ウォーキングのお昼に持っていきました

涼しくて時間調整には丁度良い場所です

下関駅で集合の時には、良くここで朝ご飯を食べます

  

 受付を済ませて、旗をお借りしてパチリWWWW

 準備体操をしてから

 出発です

 

 少し歩くだけで、汗が出ます

 

「下関港国際ターミナル」  下関には、釜山や青島からフェリーが到着します  

 

ここから彦島に渡ります

彦島は下関の最南端に位置していて、源平合戦における平家最後の陣地で、現在でも地名として又、平家踊り・平家太鼓という民俗芸能という形で語り継がれています。   長い歴史と豊かな自然に恵まれた関門海峡に浮かぶ島ですが、現在では三本の橋で結ばれ離島の面影はありません。島の沿岸部を利用した市内でも有数の工業地帯であるとともに、"ふく"で有名な南風泊市場を中心に水産業も盛んなところです

 

 

 

下関漁港閘門      http://gazone.morrie.biz/kensetu/kindai4/simonoseki_gyokoo_koomon.html

 

下関漁港閘門は、下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にある世界最小のパナマ運河式水門。水路は長さ50m、幅8mしかない。1936年の設置以来、70年が経過したいまも稼動中だ。水産庁が発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた

 

線路の跡みたいでした

 

 

三菱重工業 造船所  対岸の門司からいつも船が出来ているのが見ることができます 

 

 この日は前回と少し歩くルートが違っていた

 

  住宅地の中の意外とUP/DOWNのある道を歩きます

 

最初の休憩場所 彦島南公園にて

 遠くに関門橋が見えます

 日陰を選んで一息つきます

 

ここからは、昼食場所までどんどん歩きます

日差しが強いので、街中のアスファルトの道はつらい・・・・・

 ここから登り坂です

日陰が無かったら途中でダウンだったかも~~~~  しんどい

 

前に歩いたコースなので、ここから後少しで昼食場所だと言うことが判ります

そうなると元気が出ますよね

この前に、近くのスーパーにより、昼食用の冷たい飲み物を買いました

その時に、クールダウンと思い、アイスを買いましたが、写真を撮る事を忘れて完食してしまいました(笑)

 

 ここでお昼を食べて、休憩です  やったぁ!!!

 

目の前に広がる海を眺めながら、お昼タイム

 キンキンに冷えた  ノンアルコールビール と 甘いカフェオレ

ゴクゴク飲めます  美味しい ^-^v

 

 

ゆっくり休憩の後は、ゴールに向かって歩き始めます   これからが、日中で一番暑い時間   はあぁぁぁぁ・・・・・・

 

山口県は、ガードレールが黄色です

 

彦島をグルッと歩き

 再び、下関漁港閘門のところに戻って来ました

  行きは、車と人が通るところを渡りましたが、帰りは

 歩行者専用のところを渡ります

 ここです

 看板で紹介もされてました

 

下関漁港閘門からすぐ、下関駅の車両基地近くに帰ってくるのですが、ここからがゴールの下関駅まで意外と長いんですよね

 

ようやくゴールです

去年歩いた時よりも、暑かった

皆様、お世話になりました   それにしても、みんな健脚ですよね

 

 

暑くて体の中から火照っていました

ならば、やっぱり  〆は  カキ氷です

 

凄く美味しかった!!!  この味を満喫するために、今日は暑い中歩きました   満足♪満足♪

 

 

この日のおまけ☆

朝、下関駅に着いたとき、広島方面から下ってきた電車が  「Carp電車」でした

近くで実物を見たのは初めてでした   

  

 

 

 

 

 

 真夏にぴったりの刺激的な赤い電車でした

 


京都五山ウォーク☆美味しいものも満喫しました

2016-08-23 21:51:01 | 旅行

京都の滞在した二日間

色々なものを食べたことも思い出でした 

 

8月16日  

夜行バスで、三宮到着後、阪急電車で京都に移動(その方が、1時間位到着が早いんだもん)

朝食は、宿泊予約していたホテルの近くの

☆都野菜のバイキング食堂 都野菜 賀茂

             <みやこやさい かも>  にて☆

7時から開店で、私たちは7時45分位に到着

既に長蛇の列・・・・・びっくりでした

都野菜のバイキングで、朝は、500円  値段も魅力です

 

『京野菜』? いいえ『都野菜』(みやこやさい)です!

『京野菜』と呼ばれる指定品種にとらわれず、京都の農家さん達が一生懸命真面目に手作りで育て、京都の恵みをいっぱいに受けた有機・無農薬または減農薬野菜を『都野菜』(みやこやさい)と呼びます。

 

30分位待って、中に案内されました

一組づつ案内されるので、時間がかかるのでしょうか?

でも、一度に沢山のお客さんを入れないので、バイキングはゆっくり取ることができました

 

野菜・パン・ソフトドリンク  すべて食べ放題です

野菜が沢山食べれるのは嬉しいですね

 

 

 

店内の様子

空いた時に、撮りました

 

はい、おっしゃる通りですね  

食べ残さないように、適量のみ取りました(笑)

 

 

 8月16日  五山送り火ウォークの後

 ☆コメダ珈琲店 烏丸五条店☆

宿泊ホテルの目の前にありました

6時ごろから、夕食の予約をしていたんですが、暑さに勝てず、4時半過ぎに入りました

お目当ては、かき氷!!!

イチゴミルクと宇治抹茶です(小)

 宇治金時が食べたかったけど、この後の食事を考えて、あずきは付けませんでした

ウォーキングの間も、ずっとかき氷が食べたかった!!!!

その欲望には勝てませんでした・・・・・   でも、美味しかった  満足・満足

 

 

8月16日  夕食

 ☆お数家 いしかわ☆

京都に行ったらおばんざいを食べたいなと思って、旅行に行く前から色々リサーチ

ホテルから歩いて10分位の所にあり、値段もお手頃そうだったので予約していきました

 ここから路地に入って行きます    町屋を改装した感じでした

   奥に進みます お店どこだろう??って感じでした

 ここでした。中に入ります

店内は、しっとりと落ち着いた雰囲気。

照明は暗めで、入り口付近には小さな庭園風の飾り物がありました。

私達が座った席はカウンターで、全部で、10名くらいは座れるくらいの広さでした

(2階には、お座敷もあるみたいでしたけど)

後から、何組か予約なしで来店された方もいましたが、皆さん席が無くてお断りされていました

予約していて、ラッキーだった! (#^.^#)

 

 

まずは、喉を潤します

カウンターの所にポテトサラダと水菜の和え物がおいてありました  美味しそうです

 

茄子とニシン   奥は、  ハタハタの南蛮漬け

 

とうもろこしの天ぷら

 

京赤地鶏のせせりと九条葱の塩焼き

 

 

茄子田楽

 ビールお代わり  ^^v

お値段も手ごろで、雰囲気も良く、大満足でした

 

 8月17日

嵯峨野を観光の途中のおやつ

  

 小倉山 二尊院 入り口で冷やしぜんざいを食べました

☆小倉あんの発祥の地☆

809年頃、空海が小豆の種を中国から持ち帰り小倉山で栽培し、菓子職人の和三郎がその小豆であんを作り、御所に献上したとされています。そのため、小倉山麓の二尊院が「小倉あん発祥の地」と呼ばれています。

  

 

暑いので、冷やしぜんざいを注文しました

ぜんざいが出来上がる前に、

八橋・おたべなどおまけも沢山出てきました   どれも美味しかったです  ご馳走様でした

 

 

 

お餅は焼いてあります

 

 

二尊院の前は、二日間で2回も前を通り過ぎましたが、お参りはしませんでした  (>_<;;;;)

次回はお参りしようと思ってます・・・・・・

 

 

8月16日

帰りの新幹線の中で

 ☆駅弁☆

やっぱり、旅の醍醐味はこれでしょう!

 

京都駅の売店で、見つけました

☆日本一辛い黄金一味柿の種☆

 辛かった!!! 参りました

 

なので、コーヒーの車内販売が来た時には、「ワッフル」購入

美味しかったです

 

ウォーキングの時や、観光の最中は、お店に入ってしっかりご飯を食べることはあまり無いので、

振り返ると、グルメレポートには、ほど遠いかも(笑wwwww)

後は、途中のコンビニで、アズキアイスを食べたりしましたけどね~♪

暑さの為か、ペットポトルは沢山買い、水分補給ばかりだった気もします


自主トレ☆河内貯水池に行ってみました

2016-08-22 23:32:43 | ウォーキング

 

8月22日(月曜日) 今日も快晴!!! 猛暑はまだまだ続く

先日購入した、新しいウォーキングシューズの足慣らしをと思い、河内貯水池を歩こうと、八幡東区大蔵までバスで出かけてきました

 ここまでバスできました

 大蔵は、今は廃線の「九州鉄道」が走っていたところです

 このあたりから、まずは皿倉山の方向に向かって歩き始めます

 あじさいの湯 以前、皿倉山健康ウォークでゴールだったところ

一周するならば、丁度折り返し位になります。  往復 約10キロ

 

神社があったので立ち寄ってみました

げげっ、以外と長い階段がある (--〆〆〆;;;)  登るもの大変

 

 

ここは神功皇后が皇子に乳を与えたという伝承の宮でした(神話の世界ですね)

 

この地は1700有余年の往昔、御祭神、神功皇后が更暮(さらくれ)山にて国見し給いし後、乳山(ちやま)の山麓にて皇子(後の応神天皇)に御乳を与え給いし聖地を産土神様御創建の佳き地と選びて創建し今日に至る。

想うに、この高所にて朝鮮半島出兵、九州および半島の平安無事を祈られ給うとともに、皇子の幸多からんを祈られつつ、御乳を与え給うを測り思えば、実に縁深かりし所に鎮座ましまされたと拝される。

 

こんな壁画もありました

 高い所にあるので、見晴らしも良かったです

 このあたりは、坂道が多い

ここも階段

 毎日登れば、結構な自主トレになるぞ・・・などど思ってしまった

 

 木陰になると、少し涼しい。でも汗がどんどん出てきます

 

ようやく、半分くらいかな~

 

このあたりから、 河内貯水池  近代化産業遺産としての沢山の建築物・構造物などを目にすることができます

北九州市HPより  河内貯水池の紹介

 http://www.city.kitakyushu.lg.jp/yahatahigashi/menu25_0012.html

  ここは桜の名所だそうです  真夏は緑の名所?!?!

 

河内貯水池 (竣工年 1927年)
官営製鉄所の水源として国力増強を目的として旧官営製鉄所(現 新日鉄住金 八幡製鉄所)の製鉄用水*確保のために計画され、大正8年5月着工、昭和2年3月に完成した。
大部分が直営で施工され、当時は東洋一のダムであった とのことで、現在は近代土木遺産として登録されている。
これら橋や建物、池などの構造物は、当時の八幡製鐵所 土木部長そして詩人でもある沼田尚徳氏の設計によるもので、多様な組積方法による造形美は、北河内産石材を使って表現されている。

また遊歩道(兼サイクリングロード)は、この貯水池を取り囲むように設けられており、小鳥達の鳴声を聴き、湖面からの涼風を受けて、春は桜、夏は緑、秋は紅葉、極寒季には雪景色、と季節ごとに移り変わる景色を眺めながら貯水池の全周(約7km)を歩くことができる格好のウォーキングコースとなっている

今日は、自主トレで このウォーキングコースを歩いています

 

堰堤先の岩場にはめ込まれた英文の石板…
KAWACHI RESERVOIR. = 河内貯水池
COMPLETED IN SHOWA 2.(1927)= 昭和2年(1927年)竣工
DESIGNED AND BUILT BY = 設計・建設
H.NUMATA. M.AM.SOC.CE. = 沼田尚徳 米国土木学会会員
M.ADACHI. C.E. = 足立元二郎 チーフエンジニア
Y.MATSUO. ASST ENG. = 松尾愛亮 アシスタントエンジニア

 

 

河内堰堤

河内貯水池は、板櫃川水系板櫃川の民間企業所有ダム。公設のダムはもっぱら多目的ダムだが、河内貯水池は八幡製鐵所が利水権を100%握っており、灌漑用水、水道用水、水力発電などの用途はない。

外観はヨーロッパの城壁風。堰堤の中央にあるのが取水塔で、「風雨龍吟」の銘板を掲げる。ここから水路と鉄管を繋いで八幡製鐵所へ水を導く。豪雨により水位が急速に上昇した場合は左岸の溝に水が流れ込み、板櫃川へ滝となって落ちる。この放水路は仕組みが簡単なのがよい。

 

 

堰堤は着工時点では東洋一の規模を誇った。粗石コンクリート重力式ダムというのは現在の重力式コンクリート形式と構造は同じだが、当時はまだコンクリートが貴重で高価だったため粗石を混ぜた。表面を覆う切石は建設時にコンクリート型枠の役割があったが、基本は化粧材だ。自然石は人工素材と異なり歳月で劣化しないため、悠久を表現するのにふさわしい。

「温度荷重対策として、伸縮継手が堰堤縦断面方向に水平距離22.5mの間隔で6箇所設けられ、7ブロックに区分されている。継手面にはコンクリートブロックが積まれ、その一部に凹部を設け、漏水防止用の銅板が埋め込まれている。同時に他の空隙部には絶縁用塗料が充填されており、70余年を経た現在も、この継手からの漏水は認められていない」(国土交通省)。

 

 

サイクリングで貯水池の周りをまわっても気持ちいいだろうな~~~♪

 

 

 

 

 

河内五橋

河内貯水池の河畔を通る県道62号の橋を「河内五橋」という。北から列挙すれば、北河内橋、中河内橋、南河内橋、水無橋、猿渡橋

 こんな看板もあります

 

いくつか写真に撮ってきてました

中河内橋

中河内橋は河内貯水池に流れ込む南河内川の河口に架かる。通称「めがね橋」。眼鏡が三つ目なのはおかしいのではないかと難癖をつけて、南河内橋を眼鏡橋を呼ぶ向きもいる。ちなみに「左手小島の向こうにはさらに一連のアーチがあり、(略)これと合わせて『中河内橋』として構成されている」(産業考古学研究室)。この橋は手前の道路がうまい具合に曲がっているため見学しやすい。

石張り鉱滓煉瓦造の上路式四連アーチ橋。長さ46.5m。幅員10.6m。鉱滓煉瓦は八幡製鐵が生産工程で出した残滓を再生利用したもので、白っぽい煉瓦だ。表面仕上げは、輪石や壁石、橋台、橋脚が自然石(玉石)積み、欄干は河内堰堤の欄干と同じく細く削り取った切石を用いる。以前の中河内橋は三連+一連アーチが一体美をなしたが、現在は写真右側に余計な護岸をつくって台無しにした。

 

ここからも皿倉山に登れるルートがあるようです

いつか機会があれば登ってみたいなぁ~  山頂まで わずか100メートル先  その100メートルが長いんだよな・・・・(>_<)

 

 

 

 ウォーキングルート(サイクリング)には、色々な案内看板がありました

 

 南河内橋が見えてきました

 

南河内橋

河内五橋のうち、南河内橋だけが河内貯水池に流れ込む小川ではなく、貯水池を跨いで架る。設計は沼田尚徳と、同僚の足立元次郎の指導監督の下、製鉄所技手の西島三郎が手がけた。2006年に10枚の設計図とともに国重要文化財に指定された。

日本に残存する唯一のレンズ形トラス橋。鉄骨造で、ピン結合。下路式。橋長132.97m。幅員3.6m(有効3.06m)。径間数と支間長は2×66.0m。ゴシック風の橋門構を持つ。両端の橋台と中央の橋脚は切石積みコンクリート造。通称「魚形橋」「めがね橋」。もともとは道路橋だが、現在は歩道橋として利用する。

 

ここでおやつ

お昼用にパンも買っていましたが、ビスコだけ食べました

 

この水が北九州の、日本の産業の発展に役立ってきたわけですね

 

車では、何度も通ったところですが、歩くといろいろな物・風景を目にすることができました

 

次は、もう少し色々と事前にリサーチして歩いたほうが良いかな~

  

 

 

 帰りは、出発した大蔵より少し小倉よりの「二条」からバスに乗りました

 良く歩きました  そして暑かった・・・・

 新しい靴の足慣らしなんて思っていたら、なんのこっちゃない、本格的な自主トレとなりましたwwww

ここは、秋になって涼しくなったらまた歩いてみようと思います

皿倉山を大蔵方面から登るのも良いかな????

 

 

 


五山送り火ウォークの翌日は・・・・京都観光を楽しみましたよ

2016-08-21 19:11:45 | 旅行

 

昨日は、京都ウォーキング協会の五山送り火ウォークに参加し、京都市内に宿泊しました

夕方の新幹線で帰るので、ほぼ一日、京都観光できます

どこに行こうかな~と考えていましたが、嵯峨野散策(昨日も歩いたんだけどね (@_@;))に行くことにしました

 

昨日同様、四条大宮から 京福電車で嵐山へ。。。。。

今日は、観光でウロウロするので、 「嵐電・嵯峨野フリー切符」を購入しました

くまモンの切符で嵐電と京都バス乗り放題と色々と優待特典もあるようです

 

嵐山駅に到着

昨日と同じように、暑い~暑い~

 

観光案内所でバスの時間などなどを教えてもらって、嵐山からバスであだしの念仏寺へ向かいました

鳥居本というバス停で下車します

せっかく、京都バスも乗り放題なので、使わないとね(笑)

 

ここから、古い町並みの通りを歩いて、あだしの念仏寺へ向かいます

 坂道を下ります

 

嵯峨鳥居本 重要伝統的建造物群保存地区 

愛宕神社の門前町京都市嵯峨鳥居本は「門前町・寺内町」のカテゴリーで昭和54年5月に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。愛宕神社は全国800余りの愛宕神社の根本寺、指定されている建造物群は江戸末期から明治にかけての建築が多いそうです

あだしの念仏寺は、修学旅行(すごく、すごく昔です・・・・)の時に行ったのですが、こんな町並みが近くにあったなんてね・・・・

 

愛宕神社ま前 一の鳥居

鳥居の向こうに見える建物は「平野屋」  有名な所だそうですよ

屋根が苔むしてる!

 清滝まで登れば少しみたいです

でも、今日は登らない (>_<)    ここから嵐山へ向かってぶらぶら観光しながら下ります

 

 

鳥居本町並み保存館

 

来週に街道灯しのイベントが開催されるみたいですね

 

私達が、この提灯の写真を撮っていると、絵をかいている学生さん(だと思う)が二人来られました

昨晩は雨だったけど、丁度橋の下になっているので、この大きな提灯のペイント模様も無事だったとほっとされていました

大きな紙の提灯に絵を書いたり、和紙を貼ったりして模様を描いていました

 

 

町並み保存館を管理されているおばさんから、「中に入っていってください」とお誘いを頂いたので、

中も見学することに

この保存館は、個人の持ち物だそうですが、昔の立派な建物なので、京都市が賃貸料を払い保存し後悔しているのだと教えてくださいました

 昔の台所の様子

昔の、愛宕山鉄道のあとのジオラマ

今日、私達がバスで通ってきた道路は、「愛宕山鉄道」の廃線跡だったのです

昭和4年から19年までは愛宕登山のケーブルカーも走っていました。ケーブル愛宕駅舎周辺にはホテルや遊園地、スキー場、4人乗り大型飛行機が回る飛行塔もでき、「地上の楽園」と呼ばれるほど楽しい場所だったそうです。しかし、戦況の悪化により終戦の前年に廃線になりました。お国のために金属を供出する目的だったのです

ここに立ち寄らなかったら、全然知らずに終わったことですね

今は静かな山村ですが、昔は嵐山に負けないくらい賑やかだったのかな????

 

その後は、再びテクテク歩きます

 こんな風情のある石柱案内板も

嵐山の賑やかさが嘘の様な空間が広がっていました 

 

<化野念仏寺に到着>

HPより

化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。

昔は、京都のはずれ   電車も無いので、今よりももっと地の果てのように思えたのかもしれません

平安 時代の庶民はただ野に遺骸を捨てていました。ここ化野も 風葬の場として沢山の遺骸が打ち捨てられ、風化していったんでしょうね・・・・

 

有名な 「西院の河原」

千灯供養は有名ですよね、遠い昔からの無縁仏に蝋燭の灯りを奉納する供養がとりおこなわれます

<毎年8月23・24日>

ここに薄暗くなってから蝋燭の火がゆらゆら揺れる様子を想像すると少し恐ろしい感じも・・・・

ご朱印もいただきました。観光客も少なくて、静かな夏のお寺をゆっくりと歩きました

 

 

再び、嵐山に向かって下り始めます  次は祇王寺へ

所々に、お土産屋さんもありました

 

あるお土産屋さんの所に!!!

ひょえ~~~~  こわ~(笑)

こっちは、可愛い  おいでおいでしてる招き猫

 

祇王寺に向かう途中で、ふと、掲示されているものを目にして立ち寄りました

都市右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町にある
洛西三十三ヵ所 第十六番 證安院

お地蔵さまが可愛い ステキな癒し系の御朱印です

関西ウォーカーにも紹介されていると書いてあったので、このお寺でもご朱印をいただきました

「證安院見開き御朱印」    少し時間はかかりますが、可愛いでしょ~ 良い記念になりました

 

 

祇王寺へ着きました

 

 

HPから

祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で、『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られております。
祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました

 

木立の向こうに見える、ひっそりと佇むかやぶき屋根の草庵。中には祇王、清盛公ら五人の木造が安置されている仏間があり、吉野窓から外の景色を眺めることができます。

お庭のお手入れをされていました

苔の上をやさしくはわいていました  今年は雨が降らないので水やりも大変だそうです

緑の美しい苔の庭を楽しめるのも手入れをされている方の丹精のおかげだと言うことが判りました

 

祇王寺には様々な種類の苔が生息しています。ひとつひとつの違いを見るのも、またひとつの楽しみ

 

フタバアオイ

 

 

 草庵の中を覗いてみました

 

仏壇には、本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。
仏間苔庭 祇王、祇女の像は鎌倉末期の作で、その時代に特徴的な手法であった水晶(玉眼)の眼が印象的です。

奥に障子の間から少し見えるのが「吉野窓」草庵の中の控えの間にある大きな窓。窓の格子と外の竹やぶが交差し、影が色づいてみることから「虹の窓」とも呼ばれています。

 

 

 草庵の入り口にある水琴窟。 耳をすますと涼しげな音が聞こえました

 

 

正面向かって左の宝筐印塔が祇王、祇女、刀自の墓。右の五輪塔は清盛公の供養塔で、いずれも鎌倉時代に作られたものです。

 

 

 祇王寺を後にします

 

 二尊院の前に着きました  昨日もここの前を通りました

 小倉餡の発祥の地です  これが今回の一番の発見だったかも(笑)

 

昨日は時間も無かったので通り過ぎただけでしたが、今日はここのお茶屋さんでぜんざいを食べることにしました!!!

 

冷やしぜんざいを注文しました

ぜんざいが来るまでに、八橋とおたべを出してくださいました

おまけの甘味です  嬉しい!!!   いただきます♪

 

そして、メインの冷やしぜんざい  お餅は焼いてあります

 美味しい

 ご馳走様でした  満足☆満足

 

 

 西行井戸

 

 

 トロッコ嵐山駅

 竹林の中を歩く 今日も観光客で大混雑

 

 御髪神社

 

昨日歩いた道を逆に歩き進みます

 

野宮神社

 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。

 

昨日は通り過ぎましたが、今日は中に入ってお参りします

 

黒木鳥居

黒木鳥居はクヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式です。
小柴垣はクロモジの木を用います。
天皇陛下の御即位式で建てられる「大嘗祭」も黒木鳥居と小柴垣で囲まれます。

 

神石(亀石)

なでながらお祈りしますと、 一年以内に願い事が成就すると言われています。

二人とも並んで順番を待ち、しっかりなでなでして来ました    お願い事は・・・・秘密です

 ここもお庭が綺麗でした

 

朝、買ったフリー切符の特典で野宮神社のおみくじが引けます  こんなことは見落とさないでおかないと・・・・・

 

 

 

野宮神社を出て、嵐山へ

 

 天龍寺前通過

 

 人力車も乗ってみたかったなぁ

 

 嵐山まで戻って来ました

昨日と同じく、ここまで戻ると大勢の観光客

平日だけど、賑わってます(私達もその中に入ってるけど)

 

ここから、今度は鈴虫寺へバスで向かいます

 

 鈴虫寺に到着

 

 

 秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれているお寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます

華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています

 

ここは、拝観料を払って、中でお坊さんの講話を聞きました

 

 丁度タイミングよく、受付をして講話を聞くことが出来ました

 

お茶とお菓子が出てきます   

禅宗の教えの一つである「茶礼」に基づいた考えなのだそうです

 「すずむし」と言う名のお菓子でした

大きな書院に沢山の方が講話を聞いていました

お坊さんのお話は面白く、約30分くらいでしたが、飽きることなく、また眠くなることなく聞くことができました

お坊さんのお話のバックミュージックは「鈴虫の綺麗な泣き声」 書院の中には沢山の鈴虫が入った箱が置かれて、「り~~ん、り~~~ん」と

大合唱  こんなに沢山の鈴虫の鳴き声を聞いたり、鈴虫を見たのは初めて   

流石、鈴虫寺と言うだけあります 

講話の後はお庭を散策

結構、高台にお寺があることがわかりました

遠くに見えるのは、京都タワーです

お庭をぐるりと散策すると、拝観受付のところに戻ってきます

みると、次の講話を聴くために拝観受付には長い列が出来ていました(団体さんもあったのかな???)

人気があるんですね (確かにお話は飽きずに楽しく聞けました)

 

 

わらじを履いたお地蔵さん

鈴虫寺の石段を上った山門脇には、「幸福地蔵さん」が立っておられます。本当のお名前を「幸福地蔵菩薩」と言い右手には錫杖(しゃくじょう)、左手には宝珠(ほうじゅ)をお持ちになっておられます。普通仏様は、皆はだしですが、「幸福地蔵様」は日本で唯一、わらじをお履きになられています。これは、お地蔵様が皆様の所まで願いを叶え、お救いの手をさしのべるために、歩いて来てくださるからなのです

 

幸福地蔵菩薩様にどんな願いをなさるかは、皆様それぞれかと思います。しかし、ご自身だけではなく、皆様が幸せになるお願いをなさってください。それがお地蔵様の願いなのだと思います。欲張らず、今どうしても叶えて頂きたいお願いを一つだけお願いなさってください。きっとお地蔵様が皆様のところまで願いを叶えに行ってくださることでしょう

 

この話は、お坊さんの講話の中でも話されていました

 本当に草鞋を履かれていました

 これで、今回の観光は終わり

鈴虫寺も期待以上で楽しく拝観できました

近くに苔寺もありますが、ここは事前に申し込みをしないと入れないそうです  残念

 

再び、京都バスに乗り、嵐山経由で京都駅に向かいました

バスの中は涼しくて、始発からなのでしっかり座っていたので、バスの中ではうつら、うつら z z z z z  ・・・・・・

 

割引や乗り放題で使ったのは

京福電車   四条大宮から嵐山

京都バス   嵐山から鳥居本

         嵐山から鈴虫寺

         鈴虫寺から京都駅まで

その他特典  化野念仏寺 割引

          祇王寺  お守り授与

          野宮神社 おみくじ1回無料           多分元は取れていると思う(こんなことばかり考えてちゃだめかな~)

         

 京都駅から新幹線で帰九です

 

 そして、旅の締めくくりはやっぱり「駅弁」ですね

 

2日間、お天気も恵まれすぎて 暑かった!     日本列島、猛暑なので仕方ないとはいえ・・・・・・・・

でも、ウォーキングも観光もバッチリ楽しめましたよ

次に京都に行くのは、年末~年始  大晦日と新春の京都の街が待っている!!

そして、今年の1月2日も参加しましたが、京都ウォーキング協会の新春のウォーキングに来年も参加するように予定を立ててます