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11月の三連休 四国八十八か所巡りに再び出発
本当は、10月の連休にも行くはずだったのですが、台風で断念・・・
前回で、徳島は打ち終わりましたので、今回は、高知県へ
しかし、高知は広く、日程上、徳島のように歩いて巡ることはどう考えても無理です
なので、今回は別府からフェリーで八幡浜へ・・・・ 自家用車での巡礼です
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船の中も、綺麗で快適
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出港そして・・・・ZZZZZ
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いよいよ、八幡浜からスタート(フェリーから出発)
雨の朝 最初に訪れたのは、
第40番札所 観自在寺
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この40番は、愛媛県になります
別府から到着した八幡浜から出発時間が、AM5:00
八幡浜から車で2時間位のこのお寺に最初にお参りすることにしたのです
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観自在寺の歴史・由来
愛媛県は「菩提の道場」。その最初の霊場で、一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。寺があるこの町は、美しいリアス式海岸の宇和海に面した最南端にある。縁起をひも解くと、弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。
平城天皇はまた、勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇(在位809〜23)とともに親しく行幸され、御朱印を下されて『一切経』と『大般若経』を奉納し、毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修された。こうしたことから、この地方を「御荘」と称し、また勅額の山号に因んで「平城」とも呼ぶようになっている。
寛永15年(1638)、京都・大覚寺の空性法親王が四国巡拝の折に宿泊され、「薬師院」の院号を授かっている。このころは七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石という隆盛を誇っていたという。だが、火災によりすべての堂塔を焼失、その後は宇和島藩主・伊達家の祈願所として旧観の回復につとめ、法灯を守っている。
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朝 7:00位にお参りしたので、まだ人も少なくゆっくりとお寺の方ともお話しすることが出来ました
歩いても車でも、自分たちのペースで進んで行く事が大切ですね
第39番札所 延光寺
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延光寺の歴史・由来
土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。
現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されている。
縁起を寺の起源にもどそう。神亀元年に行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」である
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書かれているように、心静かに色々なことを祈りました
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大赤亀の石像
竜宮城伝説を象徴しており、赤い大きな亀が背中に鐘を乗せた姿をしています
私でも乗れそうなくらい大きかった
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第38番札所 金剛福寺
足摺岬へ向かって長い時間走り、ようやく到着
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金剛福寺の歴史・由来
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となっていたが、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。
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雨は上がることは無く、だんだんひどくなってきたかも・・・
でも、沢山の方がお参りに来られていました
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大師亀
お大師さんが亀を呼び眼前に浮かぶ不動岩に渡り修行したと伝えられています。
(足摺7不思議の一つ)いろんな願いを叶えてくれるそうです。
背中の上には、お賽銭や子亀も乗っていました
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境内は広く3万6千坪在ると言われ庭も綺麗に整備されていました
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六角堂
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仁王門
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足摺岬もすぐ近くです。
歩き遍路をされている方もいらっしゃいました
この雨の中、本当に大変だろうなぁ・・・・ その中の一人の方と記念写真です
若いお兄さんでした。 この軽装で歩かれているそうです すごい
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車で移動している間も、何人もの、歩き遍路の方をお見かけしましたよ
お天気が良ければ、足摺岬を散策して見たかったのですが、先へ進む事に
第37番札所 岩本寺
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岩本寺の歴史・由来
清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3kmの付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
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本堂内陣の格天井画
昭和53年に新築の際、全国から公募した花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩る。
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まだまだ、傘をさしてのお参りは続きます
次の35番に向かう途中で、土佐くろしお鉄道 窪川駅に「あんぱんまん列車」発見
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車を降りて、ホームに入れて貰って パチリ
第35番札所 清滝寺
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清滝寺の歴史・由来
土佐市の北部。醫王山の中腹にあるが、ここは「土佐和紙」「手すき障子紙」で知られる高知県の紙どころ。その源をたどると弘法大師と因縁浅からぬ霊場であることがわかる。「みつまた」をさらし、和紙を漉く重要な水の源泉として、信仰の厚い札所である。
縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・繹木寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。
厄除け薬師如来立像
本堂前、台座を含めると高さ15m。
昭和8年、製紙業者による寄贈。台座の中で88段の戒壇巡りができるそうです
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第36番札所 青龍寺
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青龍寺の歴史・由来
青龍寺を遍路するときは、「宇佐の大橋」を渡る。昭和48年に橋が開通するまでは、浦ノ内湾の湾口約400mを船で渡った。弘法大師も青龍寺を創建するさいに、この湾を船で渡っていた。お供をした8人を残している。その子孫が「竜の渡し」というこの渡し船を、近年まで代々守り続けてきたと伝えられている。
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
帰朝後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治のころまで土佐7大寺といわれ、末寺四ヶ寺、脇坊六坊をもつ名刹であった。また、本尊の波切不動明王像は大師が入唐のさい、暴風雨を鎮めるために現れたと伝えられ、いまも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、深く信仰されている。
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仁王門から本堂までは170段の急な石段が続きます
ひえーーーーっと思いますよね しかし、これも修行なんですよね
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今日は、この36番 青龍寺で巡礼は終わり
しかし、この後は、高知の反対の端の「室戸岬」までの長い長い車の旅が続きます
ぼくちゃん、お疲れ様・・・・
余談ですが、この青龍寺のすぐ近くに「明徳義塾高校」がありました
この日の宿泊は、室戸岬の所にある、第24番札所の最御崎寺にある、宿坊です
11/1 この日は丁度色々なイベントが行われていました
夕方 18:00くらいに宿坊に到着し、荷物を置いてから、
歩いてすぐの最御崎寺と室戸岬燈台へ行ってみました
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夜のお寺の雰囲気を味わおうと思いましたが、イベントで思った以上に賑やか
本堂では、バンド演奏!!
弘法大師さまもビックリだったと思います
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バンド演奏
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夜の室戸岬灯台へ・・・
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中では、海上保安庁の方の説明もありました
灯りの所まで、階段で上がってみることもできたんですよ
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室戸岬のシンボルは、青い空と海のはざまに立つ白亜の灯台
航海者たちの安全を照らす水先案内人として活躍しています
室戸岬灯台(一等級レンズ直径2m60cm)は、室戸岬沖の重要航路を守るため、
明治32年4月1日の初点灯以来100年余り航行する船の安全を支えて来たそうです
このお祭りの時は、普段は見る事の出来ない内部の一般公開がされています
太平洋戦争の時の機関銃の後も
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ぼくちゃんは、ここに来て 「喜びも悲しみも幾年月」の映画の事を思い出したそうです
最御崎寺 へんろセンター の夕食
土佐らしい 「皿鉢料理」「かつおのたたき」も並びます
宿坊とは思えないでしょ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/c6/e8a33447a2c44a7a01f3171c509a6abd.jpg)
HPから、大浴場 「願い掛け大師風呂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/d9/4b0bca8e5f080919c7b3e33910011dec.png)
浴槽の中央には願い掛け大師の像が安置され流湯を柄杓で、3回掛け合掌し、
お大師様の御宝号「南無大師遍照金剛」と 3回唱えると願いが叶うといわれています
私は、3回と言わず、じゃぶじゃぶお湯をかけてしまった
一日目も無事終わりました
明日は、ここ 最御崎寺から始まります
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