ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

年末年始は今年も関西☆京都で

2018-01-08 18:40:27 | 旅行

 2017~2018 年末年始は、今年も関西にレッツゴー!!!

12月30日の夜、北九州を夜行バスで出発し、朝、京都に到着

2泊 京都に宿泊です !(^^)!

 

今回は、大晦日、妹達グループと大阪での食事になっていたので、京阪電車のフリーチケットを購入しました

 12月31日・1月1日とフリー区間は乗り放題です!

 

ホテルに荷物を預けたら、大阪へ出発

待ち合わせまで時間が有ったので、散策してみました

 

 

 大阪天満宮

初詣の準備は整っていました。元旦は大勢の人でにぎわうそうです!

 

  恵比寿さんもナデナデ  ご利益ありそうです

 

大阪天満宮から淀屋橋まで、川沿いに歩きました 

 難波橋

 中之島公会堂

 こんなマンホールの蓋を発見  淀屋橋に到着し、ここから地下鉄で梅田へ・・・・・

 

グランフロントの中のお店で、みんなで食事です

ワイワイと食事をしながら楽しい時間を過ごすことが出来ました!!!

   

 最後に軽くお茶をしてから、解散

 大晦日の食事は、梅田の阪急百貨店でお弁当を買い、ホテルの部屋で

年越しそばも、小さな「どん兵衛」を買って食べました  これも、縁起ものですからね~♪

来年も、良い年でありますように (*^。^*)

 

 

1月1日 元旦の朝

昨日購入した  京阪電車お正月フリーチケット で初詣に出発です

最初は、「石清水八幡宮」  ここは初めてのお詣りするお宮です

 

 ケーブルもフリー区間に含まれているので利用します!

ケーブル駅からしばらく歩くと、本殿に到着しました

 

 

 新年最初のお詣り

 

    

 

京阪電車のお正月フリーチケットでは、「ご朱印」を頂ける神社・お宮があり、石清水八幡宮でもいただけました

 

 帰りは、ケーブルを使わずに、階段を下ります

参拝に上がってこられる方も沢山いらっしゃいましたよ~  

 

 

電車で、伏見稲荷に移動しました  次は伏見稲荷大社に参拝

 

ここは、参道から人・人・人 でした

  

 

 京阪電車分のご朱印を頂き・・・・・

 

 いざ、参拝!

 

 

  人が多すぎて、千本鳥居は気分だけ味わいました

甘酒を飲んで休息

ここは、元旦にオープンの新しい休憩所でした  まだ、木の良い香りがプンプンしていました

 

 続々と、参拝者はやって来ますので、早々に退散します(汗;;;;)

 

伏見稲荷大社から東福寺まで、歩きました

寒くも無く、電車の混雑を考えると・・・・・・ 歩いて、20分くらいだったと思います 

ここは、以前に観光で寄ったことが有るので、ご朱印もその時に頂いていましたので、中を散策してから、次へ・・・・・

 

 東福寺の駅に行く途中には

 通天橋を眺めることが出来るところがあります

通天橋は紅葉の時期には、とても見ごたえのある風景が広がります!

あの橋に入るのは有料ですが、入場制限がかかるぐらいだそうですよ~

今回は、外から眺めるだけでした

 

 

東福寺駅から京阪出町柳駅に移動してきました

次は、下賀茂神社へ参拝します

駅を降りて、神社に向かう途中で、五山送り火の中の「法」の字が見えました

 

 世界文化遺産

 ここも大混雑 

 境内の中はごった返しています

本殿の参拝は、列の長さを見て、あきらめました (>_<)

 

 

その代りでは無いですが、日本第一美麗神❤ の河合神社へ参拝!

 

 本殿より空いているとはいえ・・・ここも沢山の参拝者

 なので、横から「心を込めて」お祈りしました

 

出町柳から、更に「鞍馬寺」へ

鞍馬駅では、「天狗」がお出迎えです  

 前に来た時は、夏でした  今度で2回目の参拝です

 

ケーブルカーで途中まで行きます。そこから結構階段を上がったら、本堂に到着です

前回は、ご朱印を頂かなかったので、今回はこちらもGET!

 

 本堂の、前には雪が残っていました  驚き!!

 比叡山方面

本当は、ここから、出町柳まで電車で戻る予定だったのですが、気分が盛り上がり、貴船神社まで歩いて山を超えることにしました

でも、実は気分が盛り上がって元気だったのは、相棒だけだったようです・・・・ぼくちゃんは、歩き過ぎで足が痛くなって来ていたらしい

 階段や

 歩きにくい道

さすが、昔から修験者の修行の地です

 

奥の院に着きました

ここからは、貴船まで下り  でも、実際に足にダメージが有るのは、下りの道ですよね

 

 

何とか、貴船神社に到着です

ここは、パワースポットとして、人気が有る神社で、夕方近くになっていましたが、沢山の「若い女性」が参拝されていました

そうそう、ここは 恋愛のパワースポットでもあったんだ~

 

神水に ひたすと文字が浮かび上がる水占いが「あたる」と話題になっています 

 大人気でしたよ

そして、貴船神社からはバスに乗らずに、下りの道をテクテク、と言うより早歩きで歩きました

歩き過ぎです(笑)

 

そして、最後のお詣りは 平安神宮

日は落ちてしまい、薄闇が広がります  空には大きなお月様 

風が強くなり、寒さが厳しくなってきました

それでも、まだまだ初詣の人は絶えないようです

(私たちもその中に入るか~)

 

  ここで、元旦の初詣は終わりです

この後は、バスで四条河原町まで帰りました

平安神宮からは、歩いて帰る元気は無かったです

 

 

 お正月からよく歩きました(というより、歩き過ぎ・・・・・)

翌日は、京都ウォーキング協会の初詣ウォーキングに参加です 

 

 

 


今年も阿蘇でのんびりと・・・・・

2017-12-26 20:48:55 | 旅行

 

ここ数年、恒例となった 「年末 阿蘇旅行」 今年も、行くことが出来ました!

今までは、「ホテルグリーンピア南阿蘇」だったのですが、今年は「ホテル アーデンホテル阿蘇」へ・・・・・・・

 

途中、熊本のTさんのお顔を見て年末のご挨拶に立ち寄りました。来年もよろしくお願いします~

そして、道の駅 旭志へ・・・・・・ ここでお昼ごはん

 旭志牛のハンバーグ & 焼肉 

チャンポンは、人気メニューだそうで、温まるものをと思いオーダー  美味しく頂きました!

 

 

食事の後はアーデンホテル阿蘇に向かいますが、お天気は、下り坂でした。みぞれ交じりの雨も降り始めます

大津の先からは 国道57号線が熊本地震の為、まだ通行止めになっていて、二重峠を迂回して行かなければいけませんでした

通行止めが無かったら多分、通行量も少ないと思われる、くねくねした道を沢山の車が行き交っていました

地震から長い時間が経っている気がしますが、まだまだ爪痕が残っていることを実感・・・・・

 

 

アーデンホテル阿蘇に到着   ロビーでは、クリスマスツリーとうさぎさんがお出迎え !(^^)!

まだ「赤ちゃんウサギ」なので、暖かいロビーで飼っているそうです

 

そして、隣接の 「どんどこ湯」へ・・・・・・

日帰り温泉施設ですが、宿泊客は何度入っても ”無料”  これは利用しないとですよね~

 ホテルロビー

 屋外の渡り廊下を歩いて、どんどこ湯へ

屋外を歩かないといけないので、どんどこ湯を利用してのは 結局、1回きり   少し残念でした

(実は、最低でも2回は利用するつもりだったんですけどね  笑)

後は、ホテルのお風呂に入り、温まりました ♨

 

 

 お楽しみの夕食

 辛子レンコン

 馬刺し

 赤牛の石焼き

 ヤマメの塩焼き

熊本の味覚を味わい、お腹いっぱいになりました  

この後は、寝る前に再びお風呂に入って、就寝ZZZZZZzzzzzz・・・・・

 

朝起きると、「銀世界」ではありませんが、うっすらと地面と屋根が白くなっていました

小雪もチラチラと舞っている寒い朝

 朝風呂へ・・・・

朝食の後、道路状況が少しだけ心配なので、観光はせずに、別府経由でのんびりと帰ることにします

 車にも白いものが積もってました!!!

 おお~  寒っ

 

道の駅 阿蘇 に立ち寄り

 

すぐ横には、豊肥本線の阿蘇駅があります

 

 静かなホーム

 

豊肥本線は、まだ 大津⇔阿蘇間は 不通区間です

今回宿泊したホテルも丁度その不通区間の所にあったのですが、踏切はアスファルトで舗装がしてあり、線路にも草が茂っていて

廃線同様の状態になっていたのを見ました。ななつ星やあそボーイ等、JRの観光列車もここを走っていたのが嘘の様に思えます

 

とはいえ、何度かここの前は通過したことは有りましたが、立寄ったのは初めてでしたので、写真をパチパチ

 こんなことも )^o^(  

 同じポーズをしてみました!

 

駅前の広場には、サンタクロースも登場

 

 

 別府方面経由での道で色々と立寄りながら帰りました

大分 豊後大野市の用作公園

もみじの名所ですが、既に紅葉は終わりです 

そして、誰もいない、寂し~~~いい公園

 

普光寺

ここは、巨大な普光寺磨崖仏で有名な所です

「普光寺」が建つ山は、火砕流が固まった凝灰岩なので、比較的脆い岩肌を持ちます。そしてその垂直に切り立った岸壁に掘られているのが「普光寺磨崖仏」です。
この寺は、聖徳太子が師事した高僧・日羅上人が鎌倉時代に建立した七ヶ寺の一つで、多くの修験僧が修行をした事で有名な寺院です。そして同じ頃に寺院のそばの岸壁に彫られた「普光寺磨崖仏」は、朝鮮から来た仏師が数十年かけて彫り上げたと言われています。
寺の本堂横にある脇道を谷へ降りれば、対岸には自然に融合した立派な磨崖仏が!洞窟を目指してなだらかな坂道歩きながら、まるでこのエリアだけ時の流れが止まったような厳粛で雄大な景観を愉しめます。

垂直に切り立った崖に彫られた12mの不動明王。800年の歴史があります

 迫力満点です!

 

本堂にもお参り

頭をナデナデして、しっかりとお願いしてきました

  

 

 12月は、月初の土日に 下関ウォーキング協会と佐賀ウォーキング協会の例会に参加して、それが歩き納めでした

何となく忙しく過ごし、ブログのUPは今月は2回だけだった・・・・・・  まあ、良いかなぁ (笑)

今年も、沢山の方との出会い、再会に恵まれました

最後は、いつも通りに阿蘇での温泉旅行で締めくくれたし!!!!!

来年も良い一年でありますように

 


京都観光も楽しんできました!

2017-08-24 21:44:29 | 旅行

五山送り火ウォークの翌日は、夕方の新幹線で帰る旅程にしていましたので、京都のプチ観光を楽しみます

朝は、久しぶりにゆっくりとした出発(笑)   南禅寺とテレビ等で良く出てくる琵琶湖疏水の水路閣を目的に出かけました

 

地下鉄 蹴上駅

ねじりまんぽ(蹴上トンネル)という歩行者用トンネルがあります。 これが「ねじりまんぽ」

 

 

このトンネルの上は蹴上インクラインが通っています。
インクラインとは明治時代~昭和初期まで使用されていた傾斜鉄道跡で、当時はここを荷物を積んだ運搬船が通っていました。
重い物を運ぶためにトンネルの耐久性を高くしなければならなかったので、壁があのようにねじれたそう。
ねじれたまんぽ(鉄道のしたをくぐるトンネル)という意味で「ねじりまんぽ」と呼ばれているそうです。どうやって組み上げたんだう…?よく見たら両サイドにもアーチが作られていますね。

ねじりまんぽは、JR九州ウォーキングの時に、折尾駅で見ました。折尾駅近くで見たねじりまんぽは、現存する「ねじりまんぽ」としては、我が国最大規模の正経間を誇るんだそうです。

 ねじれは歩いている時はり気が付かなかった

また京都一周トレイルの標識も見かけました。このトレイルも気になる所です。

 

ここから、南禅寺に向かいます。

 

途中には「東照宮」もありました

東照宮は家康の遺言で建てられており、家康の遺髪と念持仏を祀ってあるそうです。ここも、調べてみると、見どころ一杯の名所でした。次は、立寄ってみようかな~(拝観料を払ってね~)

 東照宮 と書いてあります 

 

 

 南禅寺に到着しました

 

臨済宗大本山 南禅寺

南禅寺は禅寺であり、臨済宗南禅寺派の大本山。かつては京都五山,鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺であり、全ての禅寺の頂点とされていました。創建は1264年。亀山天皇の勅願により立てられました。

http://www.nanzen.net/  (HP)

 

三門(重要文化財)  

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。山門とも書き表され、寺院を代表する正門であり、禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の中の一つです。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。開創当時のものは永仁3年(1295)西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間に新三門へと改築されましたが文安四年の火災で焼失しました。
 現在の三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。(HPから)

 

これだけの建物ですから、柱も立派です!!

 こんなに大きい! 手が回らなかったです

門をくぐるのも大変でした

 楼上に上がります

 ここは、拝観します!(^^)!

 

 急な階段を注意しながら登ります

 

「絶景かな、絶景かな」という言葉を思い出します。かの有名な石川五右衛門が歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で、南禅寺三門からの満開の桜の景色を愛でて言った名台詞です。

桜の時期ではありませんが、とても見晴らしが良かったです  ”絶景かな~絶景かな~”

 

鳥居が見えました

 平安神宮の鳥居です

 

くろ谷 金戒光明寺 も見えました   新春のウォーキングの時に通るところです

 

歩いている人も小さく見えます   何となくいい気分になってしまいます (*^。^*)

 山門はぐるりと歩いて回れます

 法堂方向

 

左大文字火床も見えました!

昨日、ウォーキングの時には見ることが出来なかった 船型火床

 しばらく絶景を楽しんだので降ります 気を付けながら・・・・ 

 

 

境内を散策

さっき、見下ろした 法堂へ向かいます。山門の上からだったら、私たちも小さく見えるんだろうな~

 

南禅寺の法堂。豊臣秀頼により大改築された法堂ですが、明治の26年に一度消失してしまったのだそうです

今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍

なんだか、じっと龍から見つめられているような気分になります

 

水路閣を見に行きます

 

南禅寺水路閣

南禅寺の水路閣は明治23年(1890年)、琵琶湖の湖水を京都の街へと運ぶための水路橋として作られ、京都の産業発展に大きな役割を果たしたと言います。またこの水路閣の完成と時を同じくして、建設されたのが日本で初めての水力発電所です。全長93.2メートル(幅4メートル、高14メートル)という南禅寺の水路閣は、レンガ造りの当時としてはモダンな建造物でした。この当時、京都の将来の発展を担う水路閣の設計と監督を手掛けたのは、若干21歳の若者だったと言います。

 

 古代ローマの水道橋を参考に設計されたとも言われているそうです

どこから写真を撮っても絵になります

琵琶湖疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路である。滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上迄の区間である。疏水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工した)。当時の西洋の技術を導入しつつも設計施工を日本人のみで行ったとのこと

 少し時間が早かったから、色々な所でパチリ

 

少し上まで上がってみました 

 

当たり前のことですが水路閣は水路を通すための建造物で、過去の遺物ではなく今も水路閣の上には水が流れています

これが水路閣の下流の端。こちらは暗渠になっていました。この先は哲学の道につながっているそうです。

 奥が、最勝院

 

 

 

 

水路閣の上へ登る道の途中から山の方へ行くルートがあります。こういう道があると気になり、上がります

行けるところまで上がったら結構高い所まで上って来ました

 

ここからも、水路が見下ろせました(下には降りられませんでした)

 

 

この辺りには、南禅寺の創建者である亀山法皇の分骨の埋葬場所と山陵が有るようです

 立派な鐘楼もありました

栗田山稜は御嵯峨天皇の中宮「西園寺姞子(さいおんじきつし)」の墓。

階段を上がり、山に入った先の道は、朝、着いた 地下鉄蹴上駅まで続いているそうですが、現在工事中で通行止めになっていました

ここから、また、下って戻ります

到着した時より、随分観光客が増えていました  さすが、撮影スポットですよね

最後に「ポーズ」 笑(*^。^*)笑

 

 南禅寺観光はこれで終了 次へ・・・・・

 

立派な句碑が有りました。(15トンもある巨石)

作者の森永杉洞師は南禅寺の高僧で南禅寺の管長となる資格もあった大徳。 しかし、杉洞師は、それを断り故郷の禅寺の住職として生涯を送ったそうです。 昭和50年75歳で登仙。

 哲学の道方面へ歩きます

 途中少しだけですが、覗けるお寺には立ち寄ってみました

 

 南禅寺聴松院

「大聖摩利支尊天」を祀る。

摩利支天像は、三面六臂で、走駆する(七頭の)猪に乗っているとされるものが多い。ここから、猪が神使とされたそうです。

猪の阿吽の像が有りました

 

 琵琶湖疏水(だと思います)  

さっき見た暗渠から繋がっているのだと思います  きれいな水が勢いよく流れていました

 

 

 永観堂禅林寺   http://www.eikando.or.jp/mobile_jp/index.html

「永観堂」は、浄土宗西山禅林寺派総本山です。平安時代初期に書家の藤原関雄が山荘として建てたといわれていますが、のちに空海の弟子でる真紹によって、密教道場「無量寿院」と改められました。その後浄土宗に改宗しており、正式名称は「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺(しょうじゅらいごうさん  むりょうじゅいん  ぜんりんじ)」といいます。

夏なので、青い葉の紅葉  これが秋になり色づくと紅葉のトンネルの様になるのでしょうね・・・・・

 拝観はしませんでした(汗;;;)

 哲学の道へ向かいます

日陰は無く、緩やかな上り  照り返しがきついよ~  暑い・暑い

 登りつめたところに、若王子神社の石柱

 

ここから”哲学の道”を歩きます

京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから「思索の小径」と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元や三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか「哲学の道」とも言われるようになり、1972年に正式に「哲学の道」と銘々されました。

 

南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道です。
京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路です。南禅寺の水路閣も疎水の水を流すために作られたものです。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達します。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れています。
哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道です。

木陰の下、気持ちよく歩けます

銀閣寺方面からは、途中まで歩いたことは有りますが、こちらの方向からは歩いたことは有りません

暑い時期なので、ほとんど歩く人にはお会いしませんでした  外国からの観光客の方と何人かすれ違ったかなぁ???

 ここも写真スポットかなぁ~

 

はじめは、銀閣寺まで歩く予定でしたが、

黒谷の文字を見て、そちらへ下ることにします

ここで、哲学の道とはお別れです

 

くろ谷 金戒光明寺手前で小腹が空きましたので、スーパーでパンと冷たい飲み物を買い、岡崎神社の中で小休止

いただきます  おやつタイムです♬♬

ここも立派な本殿があります

 休憩の後は、くろ谷さんへ・・・・・・

こちら側からは入ったことは有りません

 江姫の供養塔

 

極楽橋を渡ります 

 

 

くろ谷 金戒光明寺

http://www.kurodani.jp/index.html (HP)

お正月の新春古都を歩く」のウォークの時には、平安神宮からここに歩いてくるコースです

大きな山門が印象的なお寺ですが、今回は反対側から入ったので、山門から外に出て行きます

山門は万延元年(一八六〇年)の完成。
写真では、隠れて見えませんが、楼上正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります

今回は、南門から入り、こちら側に出てきました

 この石柱も覚えています

 

平安神宮にようやく到着しました

 http://www.heianjingu.or.jp/ (HP)

せっかくなので、中をちらりと見てみます

流石に、初詣の時の賑わいはありませんね(笑)

次は、来年のウォークの時にここに来る予定です  (ホテルは予約済みだからなぁ)   楽しみです

 

京都市美術館前を通過します

平成31年度内のリニューアルオープン向けて、改装の為休館

平安神宮からバスに乗って京都駅へ・・・・・・   バスは涼しくて快適でした

 

京都駅でお昼&お土産購入   そして、新大阪へ在来線で移動

 新大阪でアイスを食べました  美味しいよ~

 

義弟のTさんがわざわざお土産を持って新大阪まで来てくれました  

美味しいお土産です  お休みの時に、ありがとね~   新幹線の時間を早めていたので、あっという間のお別れでした

 

 新幹線の中でのんびりしました

 

 朝、ホテルを出てから結構ウロウロ観光していたようです

 

二日間、いや前の晩夜行バスで出発だから、2.5日かな??? 今回も密度の濃い、楽しいウォーキング&観光でした

1週間前はどうもお天気が良くないらしいとFBでも皆さんが書き込まれていたのですが、当日は晴天! ラッキーでした

また、ご褒美の宇治金時やお疲れ様会、壬生寺の六齋念仏など楽しいイベントが盛りだくさんで、疲れを感じる暇は無かった(笑)

遠征の時ぐらいしかお会いできないウォーキングのお友達にも会え、また、新しいお知り合いも出来ました 感謝ですね( *´艸`)

充実の二日間は、あっという間に終わりました  

☆おしまい☆


京都五山送り火ウォーク 番外編☆京都の夜を楽しむ☆

2017-08-21 20:20:57 | 旅行

 

17キロの五山送り火ウォークの後、”完歩宴会”のお誘いを受けていました。 お楽しみです !(^^)!

その前に、Yさんに「かき氷」を食べに連れて行っていただきました

京都は、宇治のお茶でも有名ですよね~ (ちなみに、Yさんは、前の日もウォーキングの後にここで宇治金時を食べられています。私たちの為に、連チャンかき氷となってます。ちょっぴり申し訳なかったかなぁ) 

 茶房 いせはん

3人でお店の前に到着した時も列ができていました。夜の宴会までには十分に時間もあったし、気分は「宇治金時」

多分30分くらいは並んだと思います・・・・・・・

 

宇治金時

大納言あずきが大きくてテカテカと光り輝いてる 

程よい甘みと抹茶のほのかな苦みが氷が解けるときに口の中に広がります

 

すだち氷

徳島県から直送のすだち果汁を使用されているそうです

さっぱりとしたかき氷で、こちらもいくらでも食べれそうでした

ぺろりと平らげ、ウォーキングでほてった体もしっかりとクールダウンできました  並んで良かったです

次は、ぜんざいも食べたいです!  年末年始に行く時かな

 

 

そうそう、 茶房 いせはんさんに並んでいる時に、道路を挟んで見えた和菓子屋さんにも長蛇の列ができていました。

後から調べてみると、「出町ふたば」さんでした  TVとかでも良く見かけるお店ですね   

豆大福が有名なお店です(と耳からの情報だけだけど・・・・・)

お店の場所も覚えているので、次は大福などの和菓子も買って帰りたいな~とか思ってます

 

 

 ここで完歩宴会が開催!

 

京都のYさんからのお誘いを受けての参加です

皆さんとワイワイと楽しいおしゃべりと食事の時間を過ごすことが出来ました

お誘い頂いたことに感謝!感謝です

奈良のIさんは、一昨々年の指宿なのはなマーチでお知り合いになり、その年の奈良のまほろばツーデーでお会いした後、久しぶりにお顔を見て話をすることが出来ました。フェイスブックでは、繋がっていますが、やはり顔を見合わせての話は弾みますね~

 乾杯(*^。^*)  いただきま~~~~す!!!!

お話を聞いていると、ウォーキングや登山等々、アウトドアを楽しまれていますよね

チョッピリ刺激になり、そして、またどこかでお会いできることが楽しみです

 

 

 

そして8時前に楽しい宴会は終了です

この時間から、浜松(だったと思います・・・・・)まで普通電車で帰られるそうです(青春18きっぷって言われていたなぁ~)

 

 

お店から出た時間には鴨川沿いからは、大文字焼きが見える時間も近づいていましたが(河川敷には人・人・人だった)

壬生寺の「六齋念仏」を見に行きましょう!とお誘い頂いたのでそちらに行くことにしました

帰りは、壬生寺からホテルまで20分くらい歩けば着きますよとの事。   バスで壬生寺まで6名で移動です

 

壬生寺 

http://www.mibudera.com/  <壬生寺のHPです>

 新撰組で知られたお寺とだけは知ってました

夜遅いので、壬生塚や資料室には行きませんでしたので、次回はせっかくなので足を向けてみたいと思います

ご朱印もいただかなくては・・・・

 

  入口にて

万燈供養会が行われます  8月9日~16日 

日没から9時過ぎくらいまで点灯。9日と16日の”六斎念仏”の時には延長されて点灯されているそうです

 

京都のYさんは、この壬生寺のすぐ近所にお住まいで、色々と説明してくださいます。

平安京の頃の一番のメインストリートの朱雀大路は「四条大宮」の所を通っていて、今の京都御所の所では無かったこと

この壬生寺当たりの所が平安京の頃帝がいらっしゃった内裏のすぐ目の前だったことなどなど・・・・  とても興味深いお話でした

 

 

<千体仏塔>

これは、京都を開発するときに出てきたお地蔵さんを集めてお祭りしているそうです

京都の伝統行事の「地蔵盆」を行う時に、お地蔵さんを貸し出す事もあると言われていました

 

20時30分ごろから、催しが始まりました

 

“六斎念仏”について

そもそもの起こりは、平安時代(10世紀)に空也上人(くうやしょうにん)というお坊さんが、「もっと分かりやすくお念仏を広める方法はないものか」と工夫され、手持ちの瓢箪を叩きながらメロディーに乗せてお念仏を唱えられたことにあると伝えられます。後の世に言う「踊念仏(おどりねんぶつ)」の始まりです

 かかる踊念仏の流れの中で、「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」という呼称も登場しました。その特徴は、複数の人々がコーラスのように念仏を唱和し、手持ちの鉦を鳴らすという、仏教行事の中でも非常に音楽性の豊かなものです。

「六斎」というのも元々は仏教用語で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、末日は特に厳しく念仏のお勤めをしなければならないという、「六斎日(ろくさいにち)」の考え方からきているとされます。

 この六斎念仏をやっていた内の京都周辺の人々が、さらにそれらの楽器を使って念仏以外の流行り歌を演奏し始めたのが江戸時代(18世紀頃)のこと。これが今に言う「六斎念仏踊り」です。わざわざ“踊り”と付けているのも、従来のものと区別するためです。時に「六斎踊り」とか「芸能六斎」と呼ぶこともあります。

 

 

http://miburokusai.cloud-line.com/  <壬生六斎念仏講中HP>

 「壬生六斎念仏踊り」とは、京都市の「壬生(みぶ)」という地域で行われる「六斎念仏踊り」のことです。略して「壬生六斎」といいます。

 壬生六斎がやっていることは、今風に言うと、ヒット曲のカバーを演奏するライブ・パフォーマンスといった所です。道中でやることもありますから、その場合はストリート・ライブにもなります。

 こういうことをおおよそ江戸時代中頃からやっており、そして今なおその当時の形式を保って続けています。江戸時代のヒット曲ですから、演奏するのは地歌(じうた)や長唄(ながうた)といった今は昔の伝統的な邦楽で、使用する楽器は太鼓や鉦、笛といった和楽器です。

 

色々な演目がありました

 

 

これは、五条大橋の 義経と弁慶の最初の出会い

義経はひらりひらりと身軽に飛びます

 

最後は、弁慶が頭を垂れました  物語の通りです

 

 

 壬生六斎を受け継いでいるのは、地元壬生の人々を中心とした有志の団体です。これを「壬生六斎念仏講中」といいます。

 メンバーは、仕事や学校に通いながら、余暇を見つけては稽古に励み、行事に参加します。年齢層は幅広く、上と下とでは祖父と孫以上の開きがあります。しかし、共通の興味を持って集まっているので、皆和気あいあいと活動を楽しんでいます

 

今回私たちが見た演目の中でも、幅広い年齢の方が出られていました

子供さんだけの演目も有りましたよ♬

 

身長と同じくらいの長いバトンのようなものをクルクルと回します   実際はグルグル回って迫力ありました

 華やかな踊り

 流石に年配の方の催し物は、落ち着いていて太鼓や鐘の音も違うように感じました

 

そして、最後の演目で一番の見どころがこの「獅子舞」

これらのレパートリーの中には、音曲以外にも様々な芸の含まれるものがあります。特に「獅子舞(ししまい)」の芸はむしろ六斎のトレードマークともいえる出し物で、獅子が様々なアクロバットを披露した後、蜘蛛と対決するという一連の物語によって、六斎の舞台は最高潮の盛り上がりを見せるのです。

 

獅子舞(ししまい)

概要

 “獅子(しし)”の曲技を中心とした、大道芸ないし音楽劇的な演目です。楽器演奏とも舞踊とも異なる独特な演目ですが、その印象の強さで、芸能六斎随一の看板的出し物となっています。

 獅子とは伝説上の獣で、これを2人の人間が、それぞれ前脚(頭“かしら”)と後脚(尾)を分担して演じます。終盤には“蜘蛛(くも)”が登場し、獅子に向かって蜘蛛のスを撒くところから、両者は決闘を始めます。

 

 

大技“碁盤乗り”

 

最初は6段の台の上で逆立ちをしようとしますが、台がぐらぐらと安定せずになかなかうまく行きません

5段にして挑戦です

 見ているだけで手に汗握る!

 何とか成功

 

 

最後に土蜘蛛が出て来て、獅子と戦い、蜘蛛の巣を投げられます。

土蜘蛛登場の場面   獅子が這いつくばってしまいました

戦いは獅子の勝ち(なんだろうな~)、蜘蛛は退散していきます

蜘蛛の糸をまとった獅子

動画を撮るのに夢中で、土蜘蛛が糸を吐き出す様子は写真を撮り損ねました・・・・ 残念

最後まで、楽しめました

 

土蜘蛛が投げた蜘蛛の巣ですが、ご利益があると言われて、自分達の所に投げてもらった分を、持って帰りました

先っぽに「金属の玉」が付いている分がご利益があるそうです(金運らしい!!!)

お財布の中に入れることにします。お金が貯まりますように   よろしくお願いいたします

 

 

この夜は、皆さんの案内で、ウォーキングの疲れも忘れて京都の夜を楽しむことが出来ました。

ホテルに着いたのは、22時過ぎ(チェックインもこの時間でした (>_<))

部屋に入り汗を流して、のんびりとしました。

そして「五山の送り火」はニュースでしっかりと見ました(笑)

 

翌日は、夕方の新幹線で帰るようにしていましたので、京都プチ観光です

朝は、ゆっくり起きる予定で、眠りにつきました Zzzzzzz・・・・・・

 

つづく

 


久留米☆浅井の一本桜(ほとめきの樹)  を見に行きました

2017-04-23 16:28:51 | 旅行

久留米つつじマ-チを歩き終わった後、ウォーキングのお友達から教えていただいていた、

「浅井の一本桜」を見に行きました

いつもだったら久留米ツツジマーチの頃はもう花は終わっているそうなのですが、今年は、桜の開花が遅く、まだまだ

綺麗な桜が見られるとの事   帰る前の寄り道でした

 

~ 浅井の一本桜 ~
幹周り4.3m、高さ18mの山桜で樹齢約100年といわれ、地元で大切に保護されており、毎年見事な花を見ることができます。 昭和61年には、市の保存樹木に指定され、市民の貴重な緑の財産として親しまれており、市内はもとより筑後地区や県外からこの桜を見に訪れる人々も、年々増えています。 ところが、平成3年の台風により、幹折れなどの被害を受け、枝先が枯れるなど樹勢の衰退が見られたので、地元の要望により回復作業を行い、勢いが回復し毎年春には淡いピンクの花を元気よく見せてくれるようになりました。
堂々たる風格で、花密度も高く、昼間・空の青さの残るため池に映る”逆さ桜”も一見の価値があります。

 ポカポカ陽気の中まだまだたくさんの方が来られていました

 

 

 

  根っこが空洞になっていました

 花筏の下には・・・・

おたまじゃくしの大群が    

 

つつじはまだだったけど、良い風景を見ることができてラッキーでした